第72話「風塔裁判 ――嘘を修理する法廷」
――昼下がりの風塔広場は、熱とざわめきが混ざり合っていた。
子どもたちの笑い声、露店の掛け声、乾いた砂をかすめる風。
その中に、不協和音がひとつ。
「俺じゃない! 本当に違うんだ!」
少年の叫び。
群衆の視線が一点に集まる。
彼の前には、布に包まれた金属工具。――昨日、市場で売られていた“鍛造用の鉄”。
街では貴重な資源だ。
「見たんだ、こいつが持って行くのを!」
「嘘だ! 俺は拾っただけだ!」
言葉がぶつかり合うたび、周囲の空気が硬くなっていく。
リジェクト=ガーデンに初めて芽生えた“疑い”。
《主、警告。信頼ネットワーク、局所的に断線。》
「……早いな。まだ街の心拍が整ったばかりなのに。」
俺は腰の工具箱を閉じ、中央へ歩み出た。
見物していた人々が、ざっと道を開ける。
熱を帯びた風が頬を撫でた。
ああ、これが“社会”の熱だ――そう思った。
◇
「集まってくれてありがとう。」
俺は声を張った。
「今から“裁判”をする。ただし、“罰するため”じゃない。――“直すため”の裁判だ。」
どよめき。
誰かが「直す?」と呟く。
ジルドが腕を組んで俺を見やる。
「ユウト、お前、また妙な言葉を使うな。」
「いつものことだろ。」
《主、記録開始。/事案名:“第一回 風塔裁判”》
リィムの声が空気を震わせる。
光が肩からふわりと立ち上がり、半透明のスクリーンが広場の中央に展開された。
“共有表示”。
街の誰もがそれを見上げて息を呑む。
《映像再生。/昨日の市・北区カメラログ呼び出し。》
リィムの光が揺れ、空中に映像が浮かび上がる。
喧騒の中でパンを売る子どもたち、道を走るリヤカー、笑い合う商人――
そして、問題の少年が映る。
金属片を手に取り、まじまじと眺めている。
その後、画面の端で、覆面の影がすれ違いざまに布包みをすっと持ち上げた。
「……っ」
群衆から息が漏れる。
少年は唇を噛みしめ、老人は沈黙したまま拳を握る。
「――つまり、盗んだのは彼じゃない。」
《確認完了。誤判定修正。タグ:潔白。》
リィムの声が、静かな鐘のように響いた。
少年の目に涙がにじむ。
老人が深く頭を下げた。
「……悪かったな。疑って。」
「ううん……俺、ちゃんと説明できなくて……。」
小さな謝罪が交わされ、拍手が起きかけた――が、俺は手を上げた。
「まだ終わってない。問題はもう一つある。」
空気が再び張りつめる。
俺は映像を止め、群衆を見渡した。
「“盗まれた!”と叫んだ声があった。それが混乱の火種になった。
――その“叫び”こそが、今日の本当の修理対象だ。」
《音声解析開始。/該当声源特定――鍛冶屋補佐、リンド。》
名を呼ばれた青年が肩を震わせる。
「ち、違うんだ! 俺は……怖くて……!」
汗がこめかみを伝い、拳がぎゅっと握られる。
群衆の中からざわめきが起こる。
「恐れ、か。」
俺は彼を責めなかった。
「それも、“バグ”のひとつだ。――人間の心にある、壊れやすい部分。」
リィムが小さく光る。
《恐怖反応:継続。体温:低下。発話パターン、罪悪感伴う。》
「……だから罰は与えない。」
俺は穏やかに言った。
「けれど、“嘘”は修理する。――どう直せばいいか、みんなで考えよう。」
◇
沈黙。
誰もが“正しさ”という言葉を探している顔だった。
ノアが一歩前に出る。
白衣の裾が風に揺れ、彼女の銀糸の髪が光を反射する。
「……“祈り”は、神に捧げるものではなく、人が人の中に見出すもの。
なら、“嘘”もまた、人の中にしか存在しません。
それを直すには、恐れの正体を見つめるしかありません。」
「つまり、“恐れ”の修理だな。」
《解析補助。/リンド、瞳孔拡張。呼吸乱れ。恐怖反応、顕著。》
ノアの声が柔らかく街に溶けていく。
そのとき、ミラが手を挙げた。
「じゃあさ、怖い時って――お腹すいてる時じゃない?」
「は?」
「だって、腹が減るとみんな怒るし泣くし、変なこと言うでしょ? だから、これ。」
ミラはパンを差し出した。焼きたて、まだ温かい。
リンドの喉がごくりと鳴る。
「食べろ。冷める前に。」
「……俺に、くれるのか?」
「うん。嘘つきでも“お腹すいてる人”には優しくするの。あたしのルール。」
笑いが起きた。
リンドは恥ずかしそうに笑ってパンを受け取り、指先を震わせながらちぎった。
パンの香りが風に溶け、広場に広がる。
「……ごめん。俺、あの時、叫んだら誰かが守ってくれる気がして……」
涙声の告白。
「でも、守るってのは声を上げるより、手を動かすことだ。」
俺は静かに言う。
「だから、塔の修理班に入ってくれ。“恐れ”を“支える力”に変えるんだ。」
リンドは黙って頷いた。
群衆から拍手が起きる。
子どもたちが笑い、ミラが手を振り、ノアが祈るように目を閉じた。
《修理提案承認。罰=改善。タグ:修復判決。》
――こうして、この街の“初めての裁き”は終わった。
◇
夜。
風塔の羽根が、ゆっくりと月光を受けて回る。
街は静かだった。
火を囲む声も、遠くの歌も、どこか柔らかい。
《主、今日の街、いつもより静か。》
「裁かれたからじゃない。安心したからだ。」
《タグ追加。/“正義”=“修理された安心”。》
「……いい定義だ。法の礎に刻んでおこう。」
リィムの光がふわりと肩から離れ、夜風の中で漂う。
《ユウト。今日の風、すこしあたたかい。》
「人が“許す”って決めた時の温度かもな。」
《記録完了。“許し”=“街の体温”。》
風が吹き抜ける。
塔の上で、青い光が月と並んで瞬いた。
――“罰しない正義”。
それは誰かが泣いて終わるのではなく、誰かが笑って次へ進むためのもの。
リジェクト=ガーデンの夜に、
初めて「法」という名の光が灯った。




