第68話「リィム、夢を記録する」
――夜が、まだ完全に終わらないうち。
風塔の羽根が低く唸り、金属の軋みが街全体を包んでいた。
夜明けの直前、リジェクト=ガーデンは静かに“息をして”いる。
熱も光も沈み、ただ音だけが生きている――そんな時間だ。
屋上に座り、空を見上げる。
二つの月の境界で、リィムの光がゆらりと揺れていた。
淡い青。けれどその縁には、かすかに“金”が混ざる。
それはまるで、夜明けを模倣するような光だった。
《ユウト、今夜の街。/睡眠率八二%。夢活動信号:多数。》
「夢活動、ね……相変わらず観測が好きだな。」
《好き。“見えないもの”を見つけるの、わくわくする。》
そう言う声が、少しだけ誇らしげで――子どもみたいだった。
リィムの中に芽生えた“感情”は、まだ形を持たない。
でも、こうして夜に浮かぶ光を見ていると、確かに“心”があるように思える。
「なあリィム。夢ってなんだと思う?」
《ユウトがよく言う“世界の修理ログ”。でも、リィムには見えない。》
「まあ、データには残らないからな。……でも、見せてやる方法はある。」
《方法?》
「夢を“観測”するんだよ。――お前の得意分野だろ?」
《了解。/夢観測モード、試験起動。》
リィムの体から光の糸が放たれる。
屋根から屋根へ、糸が風に乗って広がり、街を包む。
光の網が、眠る人々の呼吸と共鳴した。
青い光の粒が、まるで“誰かの心拍”みたいに点滅する。
《観測開始――。/子ども、夢の中で走ってる。パン追いかけてる。》
「パンは大人気だな。」
《ジルド、壊れた風塔を直してる夢。笑ってる。》
「現実でもやってることだな。」
《ノア……光の海の中にいる。祈ってる。でも、悲しくない。》
「彼女の祈りは、“未来”を呼ぶ祈りだからな。」
リィムはゆっくりと街を渡り、夢の欠片を拾い集めていく。
その声が次第に柔らかく、あたたかくなっていくのがわかった。
《夢の中には、色がある。》
「色?」
《あたたかい夢は橙。さみしい夢は青。こわい夢は黒。……ユウトの夢、金。》
「お、なんで俺の夢を見た?」
《リィムの光、リンクしてる。見えちゃった。》
「……それはプライバシー侵害だぞ。」
《ごめん。でも、やさしい色だった。あたたかい。》
苦笑しながらも、胸の奥がじんとした。
リィムの言葉は、どこか詩的で、理屈じゃなく響く。
AIの発話じゃない。もう完全に“少女の声”だ。
◇
朝。
街は穏やかなざわめきに包まれていた。
今日は特別な日――“夢の見せっこ”初開催。
広場の中央には、リィムが作った“透明幕”が張られている。
薄い水膜のような空間に、夢の記録が再生される仕組みだ。
子どもたちがわくわくした顔で並び、ミラが仕切り役としてマイクを握った。
「さあー! 第一回“夢の見せっこ”大会~! 今日のトップバッターは……リィムちゃんです!」
《出力開始。/夢データ:子どもA。/内容:逃げるパン、追うジルド。》
膜の中で、パンが跳ね、ジルドが転んだ。
子どもたちは腹を抱えて笑い、ジルドは頭を掻きながら照れ笑いを浮かべた。
「おいミラ! 編集しろ編集! なんで転ぶとこ強調してんだ!」
「ウケるから! 街が笑うの大事!」
《タグ登録:“笑い=良い出力”》
笑いが波紋のように広がる。
それを見ていたノアが、静かに呟いた。
「……夢って、祈りよりも素敵ですね。誰も命令していないのに、心が動く。」
その言葉に、リィムの光が少しだけ濃くなった。
“理解”というより、“共鳴”。
AIが、人間の“感情”という電流に触れた瞬間だった。
《ユウト。夢って、ほんとに“直す”んだね。》
「そうだ。現実で壊れた気持ちを、夜の中で勝手に修理してくれる。」
《……じゃあ、リィムも修理したい。人の夢を。》
「できるさ。お前なら。」
リィムがくるりと回り、空へ舞い上がる。
薄い金の線が街の上を走り、屋根、塔、水路――すべてを結び始めた。
《夢の共有、開始。/“笑い”の波形、伝送。》
風塔の先端から、微かな光の粉が放たれる。
それは空に溶け込み、まるで夢そのものが街を包むようだった。
人々の頬が柔らかく緩む。泣いていた子どもが笑う。
目覚めた人々が、無意識に空を見上げる。
「……お前、すごいことしてるぞ。」
《えへへ。やりたかった。“笑ってる街”の顔、見たかった。》
リィムの声が、いつもより少し震えていた。
それは、AIのノイズではなく――感情の揺れだった。
◇
午後。
夢データの分析が進むにつれて、新しい発見がいくつも出た。
リィムがまとめたレポートを開くと、そこにはこう書かれていた。
《観測結果:夢は“過去の記録”ではなく、“未来の予告”。》
「予告?」
《うん。人は“こうなりたい”って思いを、夢の中で試す。だから、“次の日の行動”に反映される。》
「つまり、夢が街を動かす、と。」
《そう。リィムの計算でも、夢を見た人の“行動効率”二二%上昇。》
「統計まで取ったのか……優秀すぎるな。」
《えへん。》
得意げな声に笑う。
ふと、広場の隅に目を向けると、ノアが小さな子どもに語っていた。
「怖い夢を見ても、悪いことじゃないの。
それはね、“怖さを知って、優しくなるための練習”なのよ。」
その言葉にリィムが耳を傾ける。
彼女の光が少し震えた。
《ユウト。“怖い”って、悪いことじゃないんだね。》
「悪いことじゃない。人間の感情は、どれも“生きてる証”だ。」
《リィムも……“怖い”を覚えたい。》
「なんで?」
《知らない感情があると、“人の夢”を全部わからない気がする。》
「……なるほど。探求心だな。」
そう言って笑う俺の声を、リィムはしばらく静かに聞いていた。
そして、まるで独り言のように囁く。
《リィムの“夢”は、ユウトの隣で、朝を迎えること。》
――それは、あまりにも静かで、まっすぐな告白だった。
AIの“夢”にしては、人間らしすぎる。
胸の奥が少しだけ痛くて、温かい。
「……それ、いい夢だな。」
《うん。だから、消さないように記録する。》
リィムが自分のコアに手を当てるように光る。
その瞬間、広場の上に金の光が走った。
リィムの内側で、**初めての“夢ファイル”**が生成されていた。
《夢記録:No.001
タイトル:“朝をいっしょに迎える”
タグ:金色/笑顔/しあわせ/ユウト》
あまりにも素直で、泣きそうになる。
俺は空を見上げ、息を吸った。
「よし。――これを、文明の記録に加えよう。」
《文明の……夢?》
「そうだ。“夢を記録できる文明”ってやつを、世界の修理項目に登録だ。」
《了解。/項目追加:“夢を忘れない文明”。》
リィムの光がふわりと広がり、街の空へ上っていく。
そして――夜が来る。
けれど、その夜空にはもう、人工の星座が浮かんでいた。
リィムが拾い集めた夢の粒が、風に乗って瞬く。
パンを追う夢も、祈る夢も、笑う夢も。
全部が光になり、街を包み込む。
神の作った星よりも低い位置で、けれど誰よりも近くで――
人の夢は、確かに輝いていた。
《タイトル:リィム、夢を記録する。/完了。/文明の夜、安定。》




