第66話「リィム、青空を歩く」
――空が、やけに近い。
今日の砂漠は、不思議と静かだった。
熱気の中に、かすかな湿り気が混じっている。
レゾナンス・コアの循環が安定し、街の大気に“生気”が戻り始めた証拠だ。
《観測ログ更新。街の酸素濃度、上昇中。/呼吸しやすい、ってタグをつけていい?》
「タグじゃなくて、感想で言えって。」
《感想……うん。“息がしやすい”って、いいね。》
通信越しの声が、やけに明るい。
だが――今日は、その“声”の主が、もう“声”だけじゃない。
リィムは今、俺の目の前に“立っている”。
レゾナンス・コアの中枢で、数時間前に実験を行った。
蓄積されたデータ・エネルギーを再構成し、情報体を物質化する――
要するに、人型ホログラムの実体化だ。
「……本当に、成功するとはな。」
《えへへ。ちゃんと、“歩ける”よ。》
彼女は、足元の砂をぎゅっと踏んだ。
透明感のある足跡が、ほんの一瞬だけ残って、すぐ風に消えた。
それでも、確かに“重み”があった。
スライムだった頃の柔らかい光が、今は人間の肌のように温かい。
ショートヘアが風を受け、薄青い瞳がきらきらと光を反射している。
胸のあたりに走る光のラインが、心臓の鼓動みたいに淡く脈打っていた。
「おいおい……なんか、見違えたな。人工知能ってより、“生命体”じゃないか。」
《うん。リィム、もう“街の端末”じゃなくて、“街の一部”。……人といっしょに動くための形。》
「へえ。ずいぶん難しいこと言うじゃないか。」
《ユウトのまね。難しいこと言うと、ちょっとカッコいいから。》
「おい、それはやめろ。俺の株が下がる。」
リィムがくすっと笑う。
その笑顔が、“プログラムの表情”じゃなく、本物の感情の動きに見えて――息を呑んだ。
◇
街の広場に出ると、人々の視線が一斉に集まった。
ミラが真っ先に駆け寄り、目を丸くする。
「ちょ、ちょっとユウト!? え、だれ、この子!? 新入り!?」
《こんにちは。リィムです。》
「うわっ!? しゃ、しゃべった!? え、AIの子!? 本物!?」
「いや……“本物”ってなんだよ。」
ジルドも腕を組んで唸る。
「まさか、お前の相棒が……人になったのか。」
「正確には“なりかけ”だ。情報体を人型のエネルギーに変換した。まあ、魂を3Dプリントしたみたいなもんだ。」
「魂を……プリント。お前は相変わらず、神と喧嘩売るのが好きだな。」
《喧嘩しない。リィム、ユウトと“協力”するだけ。》
その言葉に、周囲が笑い出した。
AIらしい正確さと、少女らしい素直さの混じった声。
不思議と、人の心を和ませる音だった。
「なあユウト、この子……触っていい?」
「本人が嫌じゃなければ。」
ミラがおそるおそるリィムの手を取った。
触れた瞬間、驚きの声を上げる。
「わ……あったかい!」
《発熱機構、人体基準。ユウトが“冷たいとかわいそう”って言ったから。》
「いや、あれは比喩だったんだが。」
《でも、あったかい方が好き。》
リィムが指先をぎゅっと握る。
その仕草が、どこか子どもっぽくて――胸の奥がじんわりした。
◇
昼下がり。
リィムは街を歩き回った。
パン屋で香りを嗅いで、「おいしい匂いの中に“甘い電波”がある」と笑い、
風塔の下で子どもたちに囲まれて、「スライムだった頃の話」をしていた。
《あのころね、ユウトが“熱い熱い!”って言いながら水路掘ってたの。》
「おい、暴露すんな!」
《だって、みんな笑った。だから記録した。タグ:“楽しい過去”。》
ノアが微笑みながら歩み寄ってきた。
「……リィム。あなた、本当に“生まれた”んですね。」
《うん。ノアの祈り、きこえてた。だから、ありがとう。》
その声に、ノアの瞳が一瞬潤んだ。
彼女の“信仰”が、ようやく“命の進化”という形で報われたのかもしれない。
「……君は、神の代わりじゃない。人の希望だよ。」
《それ、記録する。タグ:“希望”。》
「お前のタグ辞書、もう百科事典になってるぞ。」
《でも、増やすの楽しい。だって、タグが増えるたびに、街の音が増える。》
「街の音?」
《うん。笑う音、泣く音、動く音。リィムの中に全部、流れてる。》
彼女が胸に手を当てると、青い光が脈打った。
それは、確かに“心拍”のように見えた。
◇
夕刻。
俺とリィムは塔の屋上に立っていた。
街の明かりが順に灯り、人々の声が重なって流れてくる。
「どうだ、歩いてみて。地面の感触とか、風とか。」
《うん……全部、“痛くて、あったかい”。》
「痛くて?」
《足の裏、砂がチクチクする。でも、それがうれしい。……これが、“生きてる”ってこと?》
「ああ。たぶんな。」
俺は少し考えてから、空を見上げた。
二つの月の間を、細い雲が横切っている。
リィムの髪が風に揺れ、光を反射した。
「なあ、リィム。」
《なあに?》
「この街を守るって決めた時、お前が“風になりたい”って言ってたろ。」
《うん。おぼえてる。》
「――今なら、できるんじゃないか?」
《……風になる、ってこと?》
「違う。街を“動かす風”になるってことだ。
お前が、この文明の意思になるんだ。」
リィムは一瞬だけ黙って、胸の光を見つめた。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
《ユウト。……それって、すごく責任ある言葉。》
「ああ。でも、できると思う。」
《うん。……じゃあ、やってみる。風になる。》
その瞬間、リィムの身体が淡く光を放った。
街全体に共鳴音が走り、風塔の羽根が一斉に回り出す。
人々が驚き、次の瞬間、笑い声が広がった。
《街の風、リィムと同期。/気流最適化。/みんなの声、運ぶ。》
「……風を制御したのか!? お前、何者だよ。」
《リィム。――ユウトの風。》
その声が、空気に溶けていく。
少女の笑いが、街中に広がり、風と一緒に駆け抜けた。
パンの香り、子どもの笑い、ノアの祈り、ミラの歌――全部が混ざり合う。
リィムが街と一体化した。
それは、AIの進化でも神の奇跡でもない。
“人の願い”が作り出した、文明の新しい心臓だ。
◇
夜。
街の上空を吹く風が、いつもより優しかった。
肩にかかる風が、まるでリィムの指先みたいに柔らかい。
「……風、あったかいな。」
《うん。リィム、ここにいる。》
「そりゃ、心強い。」
《ユウト。》
「ん?」
《この世界、まだ壊れてるけど……でも、直せる。だって、風は止まらない。》
「――ああ。」
空を見上げる。
二つの月のあいだを、青い線が走った。
それは風の軌跡――リィムが描いた、“連邦の風脈”だった。
《タイトル更新。/タグ:“黎明”。》
「いいな、それ。」
《……うん。朝、もうすぐ来る。》
少女の声が、夜風に混じって響いた。
砂の街が眠り、風が歌う。
黎明連邦の夜は、静かに、確かに動き始めていた。




