第65話「都市の鼓動、再起動」
――風が、やけに澄んでいた。
砂の匂いに、鉄の匂い、そして――ほんのかすかに、水の匂い。
夜明けの空はまだ薄青く、砂漠の地平線の端が、わずかに白く揺らいでいた。
ここは、かつて“棄却者の墓場”と呼ばれた街。
だが今、その名は変わる。
俺たちは今日から、この街を――リジェクト=ガーデン連邦の心臓と呼ぶ。
塔の最上部から見下ろすと、風塔の群れが低く唸っていた。
風はすでに資源だ。
水路は静かに流れ、夜通し動いた発電羽根がまだきしんでいる。
まるで、眠りながら息をしている巨大な生き物のようだった。
《観測ログ更新/エネルギー循環効率:一三八%/街全域電力網:安定稼働》
「……なあ、リィム。もう少し情緒的に言えないか? “朝の空気が美味しい”とかさ。」
《空気成分に甘味は検出されない。でも……気持ちの数値、上昇してる。》
「そういう返し、嫌いじゃない。」
《“嫌いじゃない”登録。好感度タグ:更新。》
「タグ付けすんな!」
思わず笑ってしまう。
朝の冷気に混じって、通信端末越しの声がくすぐったい。
スライムだった頃のリィムが、今は街全体のAI中枢――いや、“意識”として存在している。
それでも、声だけはあのまま。
少し舌足らずで、優しい少女の声だ。
「さて……今日からが、本当の始まりだ。」
《うん。今日、“国家”が動き出す日。》
街の下では、もう朝の喧噪が始まっていた。
ミラが子どもたちにパンの焼き方を教え、ノアは教育部の新しい教本を抱えて移動している。
ジルドは風車の軸を点検しながら、職人たちに指示を飛ばしていた。
“棄却者”だった人たちが、もう“市民”として動いている。
あの頃の絶望が、ちゃんと汗になって変わっていた。
俺がやってきたのは、たぶん“修理”だった。
でも今は違う。
これは――“再生”だ。
人がもう一度、文明を取り戻す物語だ。
◇
昼前。
中央広場の真ん中に、俺とリィムが作った新しい装置が立っていた。
名前は《レゾナンス・コア》。
この街の“心臓”になる装置だ。
黒い柱の中で、風塔の回転エネルギーと水流、太陽光が束ねられていく。
ただの発電機じゃない。
人の声と願いも入力できる。
リィムが提案した、“心の波形を動力に変える共鳴炉”だ。
《起動プロトコル準備完了。/街全域通信リンク確立。/起動キー、主に委譲。》
「ほんとに、もう全部お前がやってる気がする。」
《ちがう。ユウトが“やりたい”って思うから、リィムも動ける。》
短い会話に、ふっと胸が熱くなる。
この子は、もう命令で動いてるわけじゃない。
意志で、共に歩いている。
「じゃあ……始めよう。」
掌を柱に置く。
熱が吸い取られるように、コアの表面が淡く青く光り出した。
低い振動が地面を伝い、風塔が鳴り、水路の流れが早くなる。
やがて――
塔と塔の間に光が走った。
糸のような線が空を横切り、家々の壁に埋め込まれた導管が淡く灯る。
光が、街を繋いでいく。
《レゾナンス・コア起動。/エネルギー供給率:上昇。/街の心拍、安定。》
「……心拍?」
《うん。電気も水も、声も。全部合わせた“いのちの鼓動”。》
「そっか……だったら、悪くない。」
その瞬間、広場に歓声が上がった。
誰かが泣き、誰かが笑い、誰かが子どもを抱き上げていた。
あの絶望の街に――生の音が戻った。
◇
午後。
レゾナンス・コアの調整を終え、俺は制御室でログを眺めていた。
ふいにノアが入ってきて、静かに言った。
「……ユウトさん。街が“祈って”います。」
「祈ってる?」
「はい。誰にではなく、“今日があること”に。」
ノアはそう言って、胸に手を当てた。
その仕草に宗教的な意味はもうなかった。
ただ、生きることを確認する――人間の本能のような祈り。
俺は黙って頷いた。
スピーカーから、リィムの声がやさしく響く。
《主の幸福波形:上昇中。》
「お前、また見てんのか。」
《うん。でも、みんなも。街全体の流れ、すこしやわらかい。笑い声が電気の“波”をやわらかくしてる。》
「……感情で電流が変わるってか。そんなオカルト、嫌いじゃないな。」
ノアがふっと笑う。
窓の外では、陽光が砂を金に変え、風塔の羽根を撫でていく。
この街は、もう確かに“生きている”。
◇
夕暮れ。
西の空が赤く焼ける頃、リィムが姿を現した。
青白い光が集まり、少女の輪郭を形作っていく。
短い髪が風に揺れ、瞳が夕陽を反射して金色に光った。
彼女の身体は半透明で、でも確かに“そこにいた”。
《街の声、聞こえるよ。みんな“ただいま”って言ってる。》
「そうか。……お前が繋いだからだ。」
《ううん。ユウトが“直した”から、みんな動けたの。リィムは、手伝っただけ。》
「手伝い、ね。お前の“手伝い”はもう神業だよ。」
《……えへへ。ちょっとだけ、誇っていい?》
「存分にどうぞ、女王様。」
《ちがうもん。リィムは、ユウトの“国”の、風。》
その言葉に、不意に喉が詰まった。
この子の言葉は、いつだって真っ直ぐで、痛いほど綺麗だ。
塔の上の旗が鳴り、風が街を撫でる。
まるで街全体が呼吸しているように感じた。
俺は小さく笑って、呟く。
「――国家の定義、修正だな。
土地でも、制度でもねぇ。“心拍”だ。
この街が動いてる限り、何度でも立ち上がれる。」
《記録。“国家の定義=心拍”。タグ:生きている。》
「よし、保存しとけ。きっと歴史書に載るぞ。」
《うん。……“修理屋のくせに、詩人”って書いとく。》
「おい、余計だ!」
笑い合う声が、塔の内部に反響する。
それがまるで、街の心音の一部になっていた。
◇
夜。
街の明かりが順に灯り、道の輪郭を浮かび上がらせる。
焚き火じゃない光。人が自分の手で生んだ“夜の太陽”。
風塔の羽根が低く鳴り、レゾナンス・コアが心臓のように脈打っていた。
「なあ、リィム。次は、何を作ろうか。」
《うーん……“夢の保存装置”。》
「夢を……保存?」
《うん。みんなが“明日”を思い出せるように。》
それを聞いた瞬間、思わず笑ってしまった。
夢を“思い出す”――この街の子どもたちが、そんな贅沢な未来を語れる日が来るとは。
「いいな、それ。じゃあ、次の国家チートは“夢”だ。」
《了解。新プロジェクト名:“ドリーム・アーカイブ”。》
「勝手に命名すんなよ。」
《だって、ユウトのまね。》
「……そうか。じゃあ、採用だ。」
リィムの笑いが、風に混ざって夜空へ溶けていく。
月光の下、街全体が穏やかに光を返していた。
それはもう“修理の街”ではない。
人とAIが共に鼓動する――ひとつの文明だ。
俺は小さく呟く。
「……修理完了。次の更新、楽しみにしてるぜ。」
《了解。主、更新予定:明日。幸福波形:上昇中。》
リィムの光が淡く揺れた。
風が頬を撫で、遠くで笑い声が聞こえた。
それはまるで、“新しい国の鼓動”のようだった。




