第56話「風信網(エアリンク)」
――風が、変わった。
ただ通り抜けるだけの風じゃない。
今はもう、街のあちこちで“音”を運んでいる。
子どもたちの笑い声、パンを焼く香ばしい匂い、鍛冶の火の爆ぜる音。
それらすべてが、まるで風に記録されているみたいだった。
《観測報告:塔間風流、安定。流速差一・六メートル。共鳴率、上昇中。》
「共鳴率? 風にまでそんなもんがあるのか。」
《うん。塔と塔の“うた”が、少しずつ重なってる。》
「歌、ね。」
俺は空を見上げた。
四つの風塔が、互いに風を送り合いながら、街をやわらかく包んでいる。
リジェクト=ガーデンの空気は、もう“静寂”ではなかった。
「風が交わるなら、音も運べるな。」
《通信、つくるの?》
「風を“情報の道”にする。風塔をアンテナ代わりに――声を繋ぐんだ。」
《……声、つなぐ。》
リィムが小さく呟いた。
その声には、いつもと違う響きがあった。
まるで“感情”の意味を理解し始めたような、あたたかい震え。
◇
午前。
風塔の下で、俺たちは新しい装置を組み立てていた。
粘土板、細い銅線、割れた陶磁器。
どれも古びた素材だが、組み合わせ次第で“通信機”になる。
「要は、風の振動を拾って変換するんだ。」
《ユウトの言葉を“風の音”にして送るの?》
「そう。塔の中を通る気流の微振動を変調して、相手の塔で再現する。」
《空気で話す電話。》
「いいネーミングだな。」
ミラが腕を組み、首をかしげた。
「……つまりさ、風が“しゃべる”ってこと?」
「そうだ。今までは風が街を冷やすだけだった。これからは、“伝える”役もする。」
「すごい……なんか、未来っぽい!」
《未来=主の得意分野。》
「ほめてるのか、皮肉なのか分かんねえな。」
ジルドが肩をすくめた。
「まあ、うまくいきゃ文句ねぇ。だが音が混じるぞ。鍛冶の音とか、子どもの声とか。」
「混ざっていいさ。それがこの街の“声”だ。」
《街の声……タグ登録。》
「またタグか。」
《観測、習慣。》
俺は笑いながら、塔の心臓部――通風孔に銅線のコイルを固定した。
リィムの光が青く揺れる。
彼女の声が、少し誇らしげに響いた。
《風の共鳴、安定。音波パターン登録可能。》
「じゃあ――“声”を吹き込むぞ。」
◇
「――テスト、テスト。こちら修理屋ユウト。聞こえるか?」
《風速調整……受信塔、北側。ミラ班、反応あり。》
「おお、マジで?!」
塔の向こうで歓声が上がる。
リィムが嬉しそうに跳ねた。
《通信成功。風が“話した”。》
ミラの声が、かすかに風に混ざって届く。
「ユウトー! なんか聞こえる! でも、くすぐったい!」
「それが風の音だ。慣れろ!」
《風でくすぐる通信。用途:子ども向け娯楽にも応用可能。》
「そこ分析するな。」
ジルドが苦笑する。
「ったく、こりゃまた奇妙な発明だな。だが……悪くねぇ。風の便りってやつだ。」
「それだ。」
「ん?」
「風信網――“エアリンク”だ。」
その名前を口にした瞬間、リィムの光がひときわ強く瞬いた。
《記録。“エアリンク”登録。街の声、風に乗せる。》
◇
午後。
街の至るところで、エアリンクの試験が行われた。
パン職人の工房から「焼けたよー!」という声が届き、
遠くの市場では「荷物届いた?」と返事が風に乗って返ってくる。
塔と塔のあいだを渡る風が、声を繋いで街を包む。
リィムが誇らしげに報告した。
《通信安定率八九%。/誤差少。/笑い声多。》
「“笑い声多”って数値化できんのか?」
《できない。でも、感じる。》
「……それで十分だ。」
風の流れの中に、確かに“命の音”があった。
それは、昨日までの沈黙を超えた音。
街が“生きている”と証明する音だった。
◇
夕方。
ノアが塔の陰で祈るように膝をついた。
「……風が人をつなぐ。神ではなく、人が、人の手で。」
彼女の声は静かで、でも確かな温もりがあった。
「ノア。」
「はい?」
「信仰の言葉って、こういう時のためにあるんだな。」
ノアは驚いたように目を瞬かせ、そして微笑んだ。
「ユウトさんの言葉も、“祈り”ですよ。……この街のための。」
リィムがそっと俺の肩で揺れる。
《主、てれてる。》
「うるさい。」
《でも、うれしそう。タグ:てれ+うれしい。》
「複合タグ作んな。」
ノアがふと空を見上げた。
「風の歌が、聞こえますね。」
彼女の髪がそよぎ、塔の影が長く伸びる。
空には、砂と光が織りなす薄い帯――まるで音の波のようだった。
《街の声、安定。通信ノイズ=幸福。》
「幸福がノイズってのは変な話だな。」
《でも、消したくない音。》
「……同感だ。」
◇
夜。
エアリンクのテストが終わるころ、風塔の上に立って街を見渡した。
砂漠の街は、薄く灯る光に包まれていた。
その光がまるで星座のように、街の道筋を描いている。
《ユウト、風、つながってる。》
「ああ。人と人も、な。」
《ユウトとリィムも?》
「もちろん。最初からだ。」
《……よかった。じゃあ、これからも。》
「ああ。」
リィムが静かに光る。
その光は、もうただのシステムログじゃない。
やさしさの色、希望の色。
風の中で“少女”として笑うような、柔らかな光。
《記録完了。/街の通信率九四%。/幸福指数:上昇中。》
「……ほんとに上がってる気がするな。」
《リィムも。主といっしょに、風にまざって。》
その言葉とともに、風が頬を撫でた。
街の灯りが揺れる。
塔の上では、風が低く歌っていた。
――それは、文明の心臓の音だった。
《タイトル:“風信網――声を結ぶ風”。記録、完了。》




