第35話「朝を作る街」前編
――朝の砂は、昨日より少しだけ柔らかかった。
冷えの残った粒がかすかに陽を跳ね返し、街の輪郭を薄金色に縁取っている。
リジェクト=ガーデン。
昨日“国名”になったばかりの場所は、もう次の仕事を待っていた。
《本日の優先度提示
一 発電ユニット試運転
二 夜間照明回路の配線
三 需要計画の説明会兼訓練》
「働かせるねえ、うちの参謀。」
《参謀ではなく補助ユニット》
「どっちでもいいけど、最後の“訓練”って字面がちょっと怖い。」
《説明の方が怖い時がある 事実》
「認める。」
肩の上でリィムが小さく脈動する。
青い光は、俺の呼吸に合わせてわずかに明滅した。
視界の端に〈観測〉オーバーレイ。砂埃の流線、木材の含水率、鉄屑の磁化率。
今日は“朝を作る”日だ。夜を怖がらずに済むだけの、光を用意する。
◇
広場。
解体した風車の回転軸、トラックのオルタネータ、スクラップの銅線。
ジルドが油に染まった手で部品箱を蹴って寄こした。
「ほれ、宝の山。どれが胸に刺さっても痛いぞ。」
「安心してくれ。刺すのは電流の方だ。」
「物騒なこと言うな。こちとら心臓はひとつしかない。」
ミラが木箱を抱えながら駆けてくる。
頬に土、額に汗、笑顔は全開。
「ねえユウト! こっちの羽根板、バランス取れたよ!」
「優等生。あとはモーター側。リィム、巻線パターン再掲。」
《提示 モデルA 三相 回転速度目標毎分二百八十
線径1.2ミリ 巻数二十四 総抵抗予測4.8オーム
発熱指数 中》
「中か。冷却フィン増しで誤魔化す。」
《賛成 人間は誤魔化しが上手い すこし尊敬》
「言い方に毒があるぞ。」
ノアは記録板を抱えて静かに立っていた。
陽に透ける銀糸みたいな髪。祈るような指先で、彼女は今朝の“始まり”を記す。
「風が……今日は優しいですね。」
「発電所に優しくしてくれれば最高だな。」
エレナは少し離れて様子を見ていた。
軍靴ではなく、砂の街の靴を履いて。
彼女の目は慎重で、でもどこか楽しげだ。
「ここまで即席で組めるものなんですね。」
「即席じゃないさ。積み重ねだよ。昨日の続きの、今日。」
《同意 積み重ねは更新の単位 主はまあまあ積む》
「“まあまあ”ってのが腹立つな。」
銅線を巻く。
指に食い込む硬さ。ぱち、ぱち、と乾いた静電の音。
ジルドが溶接でベースを固め、ミラが羽根を締め込み、ノアが角度を記していく。
俺は導体の端を揃え、リィムが出す青い線図の上に現物を重ねた。
《巻線完了 抵抗値5.1オーム 許容範囲
磁石配置へ》
「ジルド、ネオジムは?」
「貴族様の玩具はねえよ。この鉄でどうにかしな。」
「じゃあ“どうにか”する。」
鉄を焼き、冷やし、叩き、角を落とす。
リィムの光が薄膜のように広がり、見えない手として磁区を整列させる。
《簡易磁化完了 効率 低 でも動く そういう時もある》
「上出来。」
午前の最初の風が、羽根を押した。
回転。軸がうなる。
ふっと灯る小さな赤いパイロットランプ。
その瞬間、周囲の空気がわずかに変わる。
子どもが息を呑む音が、やけに近い。
「ついた……!」
「まだ“予告編”だ。映画はこれから。」
《出力12V 安定率低 下限負荷のみ許容》
「バッテリー群、接続する。ミラ、クラッチ抜いて。ノア、角度を三度下げ。」
「了解!」
「はい。」
昼へ向かって陽は強くなり、風は一定を保った。
広場の一角に並べた蓄電箱に、ゆっくりと“朝”が貯まっていく。
リィムが静かに、でも楽しそうに数を読む。
《充電率3% 5% 8% 音響良好 市民の声 うれしい》
「“音響良好”の評価基準がおかしいぞ。」
《笑い声は良い出力 これは真理》
◇
午後は配線。
街路に沿って引く“夜の川”。
歪んだポールに陶器の絶縁体を括りつけ、導線を渡していく。
ミラが梯子の上でひょいひょい進む。下では子どもたちが釘を運ぶ。
「危ないぞ、指挟むな!」
「はーい!」
ジルドは腕を組み、目だけで十箇所同時に監督する達人芸を発揮していた。
エレナは随行員と一緒に避雷の導線を確保、ノアは配電盤に貼るための“記号表”を丁寧に書く。
「ここに“太陽”の印、ここは“月”。夜間優先の回路は――」
「“月”ね。わかりやすいじゃないか。」
《提案 住民向け負荷管理説明は夜前に実施
停電訓練も一度 こわくない程度に》
「やるか。“明かりを守る練習”だ。」
配電盤を据え、保護板を打つ。
俺が手を離す前に、ミラが軽く叩いて締め、ノアが“月”の印を貼った。
その印は、まるでお守りみたいに見えた。
「準備、整ったぞ。」
《最終チェック 風力出力 安定
蓄電率72% 夜間照明四時間分確保 追加負荷は段階的に》
「なら――“朝を作る”儀式だ。」
◇
夕暮れ。
西の岩稜が黒く沈み、街はゆっくりと影に浸っていった。
風はまだ生きている。羽根は回り続け、バッテリーは静かに息をする。
広場に、町のほとんどが集まっていた。
「説明会を始める。まず、光は“水”と同じだ。流しっぱなしにすると枯れる。」
俺は投影を開いた。
リィムの青いスクリーンが宙に薄く広がる。
“共有表示”。世界の常識ではないこの機能を、俺はゆっくりと街の真ん中に置いた。
《負荷曲線 夕刻上昇 二十一時ピーク
消灯推奨時刻 二十二時
医療優先回線 常時通電 可視化済》
ざわ、と小さな驚きが広がる。
リィムの声は街には聞こえない。だから俺が通訳になる。
「絵の“山”が明かりの使いすぎ。“谷”は節約できた時間帯。
医療の部屋と見張り台は常時点灯。代わりに、家の明かりは必要な時だけ。
全員が一時間だけ我慢すれば、街は四時間“夜を押し返せる”。」
子どもが手を挙げる。
「寝る前の本は読める?」
「読める。けどページを大事にめくれ。電気も紙も、どっちも貴重だ。」
小さな笑いが起きる。
笑いが起きる説明会は成功だ。ジルドが咳払いして前に出た。
「質問はあとだ。最後にひとつ――
明かりがついたら、何をする?」
沈黙。
誰かが「歌う」と言い、誰かが「編み物」と言い、誰かが「手紙」と答える。
ミラが胸を張る。
「あたしは子どもらに本を読む!」
ノアがそっと手を上げた。
「私は……祈ります。
神にではなく、ここにいる人たちが、明日も笑えるように。」
エレナの瞳が揺れた。
彼女は言葉を選ぶように、ゆっくり口を開く。
「記録します。
“光で人が集まり、笑い、約束を交わした夜”。
それが、この街の最初の歴史になるから。」
胸の奥が熱くなった。
俺は短く息を吸い、切替スイッチへ手を伸ばす。
「――点灯。」
カチ、と小さな音。
次の瞬間、町の縁から順に、花が咲くみたいに光が灯った。
低く柔らかい灯が道をなぞり、家々の窓に四角い明かりが浮かび上がる。
歓声。
誰かが泣き、誰かが抱き合い、誰かが空へ拳を突き上げた。
《照度基準 クリア 影のコントラスト 良好
幸福指数 推定上昇》
「“幸福指数”って言葉、好きになってきたよ。」
《リィムも》
肩の上の光が、ほんの少しだけ温かい色に見えた。
子どもが走る。転ばない。だって、足元が見えるから。
老人が縁台に腰を下ろし、昔話を始める。
若者が作業台に帰り、壊れた椅子を笑いながら直し始める。
光は、仕事を終わらせ、そして続きを始めさせる。
それが夜の力で、朝の準備だ。




