第34話「勇者領からのノイズ」
――世界の端で、生まれた“光”を検知。
それは、神の沈黙を破るような、静かな閃光だった。
《観測ログ:未承認エネルギー波形検出。/発信源=南西砂域。/分類:異常値。》
薄闇に沈む広間。
壁一面を覆う水晶板が、淡い青を放ちながら震えている。
光は幾層にも重なり、そこに映る無数の数値が波のように流れていた。
空気は冷たく、まるで時間さえ止まっているようだ。
白銀の鎧を纏った騎士たちが、整然と並ぶ。
誰もが息を潜め、祈りのように静かにその“数字”を見つめている。
「……やはり、起動したか。」
氷のように透き通った声が響いた。
声の主――代行使エリュシオン。
金糸の髪を高く束ね、純白の衣の上から半透明の光輪を背負っている。
その姿は聖女のようでいて、眼差しには一点の慈悲もなかった。
「信仰指数の低い砂域で、独立魔導演算波……しかも“修正コード”付き。
――神の許可なく、世界を“直す”など。」
唇の端が、かすかに笑みの形を作る。
その笑みには、軽蔑と興味が同時に宿っていた。
「風間悠人――召喚リスト外の放流者。
適合値、マイナス1。
……なるほど、“欠損値”が理を乱しているわけだ。」
副官が頭を下げる。
「はい。女神アークシスによる召喚記録にも存在しております。
放流処理済みの個体です。」
「放流処理、ね。」
エリュシオンは淡く笑った。
「削除ではなく放流。――神は時に、優しさという名の不具合を起こす。」
彼女が水晶板に指を滑らせると、無数の光の断片が宙に舞った。
その中心に浮かび上がったのは――砂の街。
風間悠人。
そして、その肩で脈打つ青いスライム。
《同期波検出:対象リィム=コード断片“G-Λ-RM”。/神格データ由来。》
「……神の断片、ですか。」
副官が息を呑む。
エリュシオンはわずかに瞼を伏せた。
「かつて、神の演算を補助したアルゴリズム。
その名残が……“あの少年”に宿っていると。」
指先で水晶板をなぞる。
画面の中で悠人が笑う。その肩でスライムが光る。
それは神の系譜から見れば、あまりにも“人間的な”絆だった。
「命令を下す。
第七監視塔、即時再起動。
勇者ソウマへ通達――“欠陥修理者”を排除せよ。」
「了解。……ですが勇者ソウマ様は現在、信仰値制御都市〈アステリア〉での再建任務中です。」
「構わない。彼にとって、救済と破壊は同義。
“理の保全”が優先されるのなら、祈りの形は問わない。」
エリュシオンが軽く指を鳴らす。
水晶板の光が一斉に赤く染まった。
聖歌のような電子音が響き渡る。
《神託更新/対象:勇者ソウマ
任務:南西砂域における“修理国家”の抑制/神の理を乱す者を排除せよ》
空間の中央に、女神の紋章が浮かぶ。
光の柱が天井を突き抜け、神殿の外にまで伸びていく。
その輝きは、神聖というよりも――暴力的だった。
祈りの音が消える。
エリュシオンは静かに呟いた。
「――風間悠人。
あなたが修理した世界は、美しくとも、神にとっては“異常値”なのですよ。」
◇
同時刻。
リジェクト=ガーデン。
新しく組み上がった給水塔のパイプが、水を吐き出していた。
朝の光に反射して、しぶきが虹を作る。
人々の歓声が、街のあちこちから上がった。
「ユウトさん、ポンプ動きました!」
「おう、いい感じだな。――リィム、流量モニター。」
《観測:流量安定。/圧力値=正常域。/誤差率1.2%。》
「完璧だ。」
ミラが駆け寄ってきた。
腕まくりしたシャツの袖が泥で汚れている。
「ねえ見た? 子どもたち、あの水で顔洗ってたよ!」
頬が太陽みたいに輝いている。
その笑顔を見た瞬間、胸の奥の疲労がすっと溶けていく気がした。
「……これだな。俺のやりたい“修理”って。」
《主の感情タグ:充足。/状態:静的安定。》
「勝手に診断するな。」
周囲では人々がせわしなく動き回っていた。
配管の補強、資材の搬入、作業台の改造。
まるで街そのものが“呼吸”を始めたみたいに、音と熱があふれている。
だが――その喧騒の中、リィムが不意に光を強めた。
《警告:上位信号干渉。/観測波形=神託網由来。》
「……来たか。」
次の瞬間、空が低く唸った。
雲でも、風でもない。
音が“空間”から滲み出している。
人々が顔を上げる。
二つの月の間に、薄く光る紋章が浮かび上がった。
まるで“神の目”がこちらを覗き込んでいるかのように。
《信号分析:勇者領第七監視塔より発信。/内容:認可外国家形成への警告。》
「認可外……つまり、“存在を認めない”ってことか。」
リィムの体色が鋭い白に変わる。
ミラが思わず身をすくめた。
「な、なにこれ……空が、見てる……?」
リィムが淡々と解析を続ける。
《確認:対象=リジェクト=ガーデン。
分類:不正領域。/危険度:監視対象。》
「ふーん。……つまり、俺たちは正式に“バグ”になったってわけだ。」
俺は空を見上げた。
風が吹き、砂が舞う。
その中で、笑いがこみ上げた。
「いいじゃないか。なら――修理屋として、正式な仕事だ。」
《確認:主の感情=愉快。/行動指針:迎撃ではなく観測。》
「迎撃はまだ早い。……まずは様子を見よう。」
リィムが淡く脈動し、警戒光を落とす。
空の紋章は一瞬だけ揺れ、やがて掻き消える。
だが、波紋は確かに残った。
神の鎖が、動き出した音。
そして――それに抗う人間の呼吸。
《システムログ更新:
世界状態=変動期。
異常値タグ:風間悠人/リィム/エレナ。
観測:神と人の境界線、再定義フェーズ突入。》
リィムの光が砂に反射して揺らめく。
その揺れの中で、俺は呟いた。
「世界が“修正モード”に入ったな。
上等だ。――なら、今度は人間側のパッチを当ててやる。」




