第24話「神の帳簿を携える女」
――正午。
砂の地平の向こうから、白い風が近づいていた。
リィムの光が肩の上で淡く点滅する。
《接近反応:三。/人型二、機械型一。/識別信号=勇者領規格。》
「予定通りか……いや、予定より早いな。」
バル=アルドの門前には、俺とジルド、ミラ、ノアの四人。
町の住人たちは距離を取って見守っている。
緊張というより、**“初めて他国の風を感じる”**という好奇心の方が強い顔だった。
砂煙の中から、白銀の装甲馬車が姿を現す。
機械仕掛けの脚で砂を踏みしめ、車体には神の紋章。
そして扉が開いた。
――降りてきたのは、一人の女性だった。
白い外套。
肩口には聖印の刺繍、腰に透明なタブレットのような聖具。
髪は銀に近い薄金色で、陽を受けると微かに光を放つ。
その瞳は淡い灰緑――数字を読むような静けさを湛えている。
「……あれが、“神の帳簿”の人か。」
ミラが小声でつぶやく。
ノアが小さく頷いた。
「彼女は“審査官”と呼ばれる存在。
国家と信仰、どちらの側でもなく、ただ“記録”を取る人です。」
彼女――アイラ・ヴァンディールは、まっすぐこちらに歩み寄ってきた。
風の中でも一歩も乱れず、足跡さえ揺らがない。
まるで“世界そのものに許可されて歩いている”ようだった。
「勇者領・第七監査局、行政使節アイラ・ヴァンディールです。
あなたが――“修理屋”と呼ばれている方でよろしいですか?」
「そう名乗った覚えはないけど、まぁそう呼ばれてるらしいな。」
俺が答えると、アイラは淡く微笑んだ。
それは敵意のない笑み。だが、温度がまるでない。
端的に言うと、冷たい印象を覚える女性だ。
「確認いたします。
バル=アルドという集落は、神の信仰統計において“死域”とされていました。
それが今、活動値を示している。……理由をお聞きしても?」
「簡単ですよ。止まってた給水塔を直したんです。」
「直した……?」
「ええ。仕様の一部を修正しました。
信仰値が足りなくても、水が止まらないように。」
沈黙が落ちる。
周囲の風の音まで消えた気がした。
アイラの瞳がわずかに細くなる。
意にそぐわない回答が気に食わなかったのだろうか?
「――それは、神の命令を書き換えたという理解でよろしいですか?」
《警告:会話温度上昇。対象の心拍数=上昇傾向。》
リィムの声が微かに響く。
俺は肩の上でそれを軽く叩いた。
「そう取られても仕方ないっすね。
でも、神の仕様が壊れてたから修理しただけですよ。」
「……“壊れていた”と、あなたは断定するのですね。」
「現実を見れば分かる。
水が止まって、子どもが飢えてた。
バグのない世界でそんなこと起きますか?」
アイラは小さく息を吐き、聖具を操作した。
透明な板に無数の光文字が浮かび上がる。
それは――この街の“信仰指数”のグラフだった。
確かに、上昇傾向を描いている。
「……驚きました。信仰が“存在”から生まれている。
本来なら、この地は沈黙しているはずなのに。」
ノアが一歩前に出た。
その表情はやわらかいが、瞳の奥は真剣だ。
「それは“祈り”が、神にだけ向くものではないという証です。
――生きることもまた、祈りなのです。」
アイラがわずかに眉を動かす。
記録者であるはずの彼女が、初めて“言葉に反応”した瞬間だった。
「あなた……神殿の出身ですね。」
「はい。けれど今は、この国の一員です。」
「……そうですか。」
短い沈黙。
そしてアイラはふっと視線を上げ、俺を見据えた。
「風間悠人さん。あなたの行為は、神の定義では“異端”です。
ですが私は、異端を記録するのが仕事です。
――ですから提案します。」
「提案?」
「この街を、“観測協定下の自治領”として登録する。
あなたは代表として、神の帳簿に名を記す。
それが正式な存在証明です。」
《観測ログ:提案内容→自治認定プロトコル。/承認時:信仰干渉値=低下見込み。》
「……なるほど。
存在を認める代わりに、神のシステムの一部に組み込むってわけか。」
「それが“共存”です。」
アイラは微笑んだ。
その笑みには一片の悪意もなかった。
――だからこそ、寒気がした。
「……検討します。」
「ありがとうございます。
私は三日後まで滞在します。その間、何かあれば申請を。」
そう言って、彼女は馬車へと戻っていった。
背中に、揺るがない静寂をまとったまま。
門が閉まる音がしたあと、ミラが思わず口を開いた。
「……なにあの人、キレイだけど、なんか冷たくてゾッとした。」
「“記録者”ってのは、温度のない仕事だよ。」
ジルドがぼそりと言い、ノアが小さく頷く。
「けれど……あの人、少しだけ“迷って”いました。
祈りと記録のあいだで。」
リィムが肩の上で光る。
《分析結果:対象“アイラ”→感情タグ:迷い/共感要素検出。》
「……だろうな。
俺も迷ってるしな。神を直すのか、壊すのか。」
砂漠の風が冷たく吹き抜ける。
空の向こう、二つの月がうっすらと浮かんでいた。
《記録更新:外交接触完了。次タスク→協定交渉準備。》
俺は深く息を吸い、空を見上げた。
――ここからが、本当の建国だ。




