第23話「見張る目と芽吹き」
――朝の空気が湿っていた。
砂の世界にしては珍しい、ほんのり甘い匂いが混じっている。
バル=アルドの温室群。透明布の内側で、青白い霧がゆっくり漂っていた。
《観測ログ:湿度七四% 発芽率予測:八五→九一へ上昇中》
「上出来だな。……ミラ、霧の分配を右に二割」
「了解! はい、スライム隊、右回転~!」
リィムが肩の上でぷるんと震える。
その振動に呼応して、温室中の“ミニ・リィムユニット”たちが同時に光った。
砂を耕し、水分を運び、滴契約で動く半自律スライム群――通称〈プチリィム〉。
ミラが汗をぬぐいながら、笑顔で言った。
「ねぇ悠人、あんたのチート、地味なのにめっちゃ役立つね!」
「地味こそ正義だ。派手な奴はだいたい壊れる」
「ははっ、それ修理屋のポリシー?」
「仕様です」
《仕様確認:主の職業=修理屋》
温室の端で、ノアが膝をついて祈るように手をかざした。
唇が静かに動き、かすかな波紋が空気に揺れる。
次の瞬間、土の表面で――ぱちん、と小さな音。
無数の芽が一斉に顔を出した。
「……咲いた」
ノアの声が震える。
周囲から歓声が上がった。
誰かが拍手し、子どもが走り出す。
リィムの光が温室全体を照らし、芽吹いた緑が淡く輝く。
この乾いた世界に、初めて“色”が戻った瞬間だった。
《発芽率確定:九六% 平均生育予測=良好》
「リィム、記録を残せ。次の温室に共有だ」
《了解/データ同期中》
ミラが胸を張る。
「これで食料問題、第一段階クリアってことでいい?」
「だな。――これで“食べて働いて、また食べる”が回る」
ジルドが笑いながらパイプの影から顔を出した。
「やれやれ、腹が減る国づくりは順調か」
「腹が減る国は生きてる国ですよ」
笑い声が温室に満ちる。
……そのとき、外で鐘が鳴った。
《警告:外縁センサー異常/新規金属物体出現》
「……来たな」
見張り台の方向に視線をやる。
砂丘の稜線に、細長い金の柱。
陽光を反射して、遠目にも不自然なほど輝いている。
「……監視ビーコン。勇者領の“目”だ」
ミラが眉をひそめた。
「どうする? 今のうちに折る?」
ジルドが首を振る。
「折れば倍の数が立つだけだ。奴らは“報復アルゴリズム”を持ってる」
「じゃ、放っとくの?」
「放っといたら、浄化部隊が来るぞ。定期監査で“異端報告”を送る」
「……見られてる、のですね」
ノアの声は静かだった。
その瞳には、かつて神殿で暮らした記憶の影があった。
《解析開始/信号強度:高/送信頻度:一分ごと/宛先:勇者領中央端末》
「リィム、ビーコンの仕様解析。送信プロトコルを出せ」
《出力中……完了/構造:異端兆候→信仰指数低下→浄化申請→承認待機》
「はい出た、“信仰指数”。……バグだらけだな」
俺は膝をつき、砂に手をかざす。
〈観測〉の光が走り、ビーコン内部のデータが可視化される。
金属柱の中には、光の束――神のコード。
《干渉可能性:限定的。上位権限必要》
「なら、仕様を“すり替え”る」
《危険度=中。/内容?》
「“異端兆候”を、“環境騒音観測”に変更。報告内容を“異常なし”に固定。
つまり――“何も見てない目”にする」
ミラがぽかんと口を開けた。
「そんなので、誤魔化せるの?」
「誤魔化さない。正確に報告するんだ。“異常なし”って」
《提案:信号波を遮断せず、位相を変換。外部からは正常運転に見せかけ可能》
「それだ。やろう」
リィムの光が強くなり、俺の手のひらに演算式が浮かぶ。
同時に、温室前の広場で人々が集まり始める。
俺は彼らに手を上げた。
「今から見える形で処理をする。“何が起きてるか”を共有する」
《画面共有:オン》
青い光が空に展開され、情報がホログラムのように映る。
子どもたちが見上げ、大人たちが息を呑む。
数式、波形、信号の流れ――それらを悠人とリィムがひとつずつ組み替えていく。
「これが……修理?」
「バグ修正ってやつさ」
ノアが手を胸に当て、低く祈るように声を響かせた。
その声が周波数のように空気を揺らす。
《検知:位相共鳴。祈り波が安定信号化。補助演算効率+一四%》
「助かる、ノア。そのまま続けて」
「はい」
砂が震え、ビーコンの光が一瞬だけ明滅した。
そして――静まる。
《送信内容上書き:異常なし/環境ノイズ解析完了/報告周期延長=三〇日》
リィムの声が響く。
広場にざわめきが広がり、ミラが叫んだ。
「よっしゃー! あんた、目ん玉に砂入れたみたいにしてやったな!」
「仕様変更完了ってとこだな」
ジルドが口元を歪める。
「壊さず、使って塞ぐ……修理屋らしい」
ノアがそっと目を閉じる。
「……見張る目が、ただの風見鶏になりましたね」
《観測ログ:監視信号 状態=安定 報告内容=異常なし 次回送信:一ヶ月後》
「よし。これでしばらくは静かだ」
そう言いながらも、胸の奥が妙にざわついていた。
見られなくなった代わりに、“存在が登録された”のだ。
上位システムは今、バル=アルドという“異物”を“監視中”として保持している。
その時、門番が駆け込んできた。
「修理長っ! 勇者領からの正式書簡! 封蝋付きだ!」
差し出された羊皮紙。
赤い封印の中央には――勇者領の紋章。
封を切ると、たった一行。
『数日後、行政使節を派遣する。代表名――アイラ・ヴァンディール』
「……来たな。監視だけじゃ飽き足らなくなったか」
リィムが微かに震える。
《警告:新規接触イベント検出/想定リスク:中→高》
ミラがニヤリと笑った。
「また交渉戦か。――あたし、後方で拍手係やるね!」
「おう、派手に頼む」
ノアは静かに息を吐いた。
「……その名、知っています。彼女は“神の帳簿”を管理する人。
――秩序の化身です」
「じゃあ、俺は修理屋として会おう。
バグがあるなら、話して直せばいい」
砂の風が鳴った。
温室の芽が揺れ、葉の裏で滴が光る。
リィムが淡く光を放ち、広場に青い影を落とした。
《ログ:監視ビーコン無害化完了/発芽進行中/次タスク:来訪者対応》
――砂の国に、風の音と呼び鈴の響きが混ざった。




