第19話「評議の始まり」前編
――朝の光は、砂を金色にする。
バル=アルドの広場に、いつもより多くの椅子が並んだ。
手作りの看板に、白い炭で書かれた文字――〈街の評議〉。
俺は給水塔の根元に仮設の台を置き、リィムの投影装置を固定する。
《起動準備完了。/表示モード=共有ダッシュボード》
「よし。今日は“俺が決める”から“みんなで決める”に切り替える日だ。頼むぞ、相棒」
《了解。補助役=議事録ボットを展開》
ざわざわと人が集まる。
鍛冶屋、薬草屋、解体班、子どもを抱いた母親、背骨の曲がった老人。
ミラは腕まくりで先頭だし、ジルドは工具の油を拭きながら最後列。
ノアは白い外套で日差しを避け、静かに立っている。
「えー……始めるぞ」
俺が声を張ると、広場の空気がすっと軽く締まった。
台の前に青い光が立ち上がり、空中に三つの板が出る。
《項目表示:水/食料/労働時間》
数字が並ぶ。
昨日の配水量。温室の発芽率。作業時間の偏り。
グラフは素朴だが、嘘がない。
「見える化ってやつだ。これが今の“街の体温”」
どよめき。
前のめりに目を凝らす者、口を開けて見上げる子ども。
ジルドが小さく唸る。
「数字にすると、喧嘩の余地が減るな」
「喧嘩はしていい。ただ、事実は共通にしよう。――それが評議のルールだ」
《議事録開始。ルール登録:一 事実は共有 二 発言は短く 三 決定は公開》
ミラが手を挙げる。
「じゃ、最初に言う。現場は今日も人手不足。配水も温室も走り回ってる。人の割り当てを見直したい」
《ミラの提案を受領。補足資料=労働時間ヒートマップ表示》
空中の板が切り替わり、真っ赤な部分が点在した。
西区の配管、南の運搬。偏りが一目で分かる。
「ほらね。ここがボトルネック」
今度は年長の男が腕を組んで言う。
「だがよ、悠人が“王様”みたいに指示出したほうが早ぇだろ。皆、慣れてきたとはいえ、てんでばらばらだ」
ざわつきが強くなる。
“王様”の一言に、笑いと賛同と反発が混ざる。
俺は肩をすくめた。
「早いと正しいは別だ。俺ひとりの頭の中より、この場の“全部の頭”のほうが広い。俺が倒れたら終わり――そんな街にする気はない」
ノアが小さく頷く。
ミラがにかっと笑って拳を突き上げた。
「そうそう! “王様に丸投げ”は楽だけど、その分、街が弱くなる!」
《拍手の反応 強度=中 賛同割合=六三%》
「数字で拍手を数えるな、リィム」
《仕様。削除不可》
ジルドが前へ出る。
「持続性のために“割り当て”を可変にしよう。毎朝の五分で更新だ。できるやつが多くやるんじゃなく、学びながら回せる仕組みを作る」
「賛成。――“仕事を独占しない”がもう一つのルールだ」
《ルール登録:四 仕事を独占しない》
「……でもさ」
遠慮がちな手が上がる。
布を被った若い母親だ。抱いた子の指が俺の袖を引っ張る。
「うちみたいに、子の世話で働けない家は、どうすれば……肩身が狭い」
広場に静けさが落ちる。
俺はダッシュボードを切り替えた。
《家事・育児・看護時間の見える化を提案》
細かな棒グラフが現れ、“無給の仕事”が色で塗られていく。
ミラが目を丸くした。
「うわ、こんなに……!」
「街の生産は外で回る。けど、生の再生産は家で回る。――価値は同じだ。負担を見える化して、割引や“滴”で調整しよう」
母親の目が潤む。
周囲から「それなら」「よかった」という声が漏れた。
《合意形成 暫定可決 詳細設計=後続議題へ》
「次。水の配分」
俺は水グラフを拡大する。
西の砂地で青が薄い。温室の湿度はギリギリ。
ジルドが顎をなでた。
「旧変電塔の導管をもう一本引ける。だが資材が足りねぇ」
「解体班に聞こう」
解体班の長が立つ。
背の高い女だ。腕には古傷。
「東の廃材置場に太い管がある。けど運ぶのに人手が要る。明日の午前、二十人を回せるならいける」
《スケジュール案生成 明日午前 二十名 移送タスク割当候補表示》
参加者の上に、それぞれの名前と空き時間がポップする。
ざわっ、と笑いが起きた。
ミラが肩を突き出して叫ぶ。
「なんか未来の評議っぽくてカッコいいじゃん!」
《評価タグ:カッコいい 登録》
「タグ登録すな」
ここまで来ると、空気が温まる。
誰かが思いつきを言えば、誰かが数字で裏付ける。
反対が出れば、代替案が飛ぶ。
リィムは要点だけを短くまとめて、投影の片隅に流す。
《議事録 項目一 人員配分の可変化 暫定合意
項目二 育児看護の可視化と滴配分 設計着手
項目三 導管移設 明日午前 人員確保》
ジルドが満足そうに腕を組む。
「……悠人。これは政治じゃない。“直し方”だな」
「そうだ。俺たちの政治は、壊れた箇所を順番に直すことだ」
ノアがそっと手を挙げた。
青い瞳がまっすぐだ。
「倫理基準を提案したいのです。――“祈ることを強制しない”“祈る人を嘲らない”」
小さなどよめき。
ミラが即座に頷く。
「いいね。それ、街の“やさしさの最低ライン”だ」
《ルール案:信仰の自由/非嘲笑の原則 投票開始》
空中に○と×が並び、住民が順に手を挙げていく。
○が圧倒的だった。
《可決》
ノアが微笑む。
その笑顔を見て、リィムが淡く光る。
《観測:場の安堵 上昇》
「――次」
俺は呼吸を整える。
ここまで滑らかすぎるくらい、うまくいった。
だからこそ、今日の“本丸”を出す。
「“街の共通財布”の話をしよう」




