第13話「神の眼、開く」
――祈りが、世界を満たしていた。
聖都ルミナリア。
女神像を囲むように建つ大聖堂の天井は、夜明け前から光に満ちていた。
無数の祈祷師が膝をつき、声を合わせる。
その祈りはもはや言葉ではなく、波動だった。
「信仰指数、上昇。神託装置、共鳴域に到達。」
「抑制は不要だ。神の意志は止められぬ。」
光の中に立つ一人の存在。
代行使――エリュシオン。
人の形をしてはいるが、その瞳には魂の揺らぎがなかった。
ただ、神の命令をそのまま言葉に変換する“端末”のように静かだ。
「異端都市、バル=アルド。放流者、風間悠人。
神の理を曲げ、人の心を誑かす。――削除対象に指定する。」
その宣告に、神殿の空気が一瞬で冷えた。
祈祷師たちは顔を伏せ、誰一人として反論しない。
ただ、ひとりだけ声を上げた。
「お待ちください!」
立ち上がったのは、監視官レオン=アマギ。
白銀の外套が揺れ、青い瞳が震える。
「彼らは異端ではありません! バル=アルドは……人の手で生きようとしているだけです!」
「祈らずに、生きている。それが罪だ。」
エリュシオンの声は、無音の刃のように鋭かった。
「神の恩寵なしに存在を維持することは、理の破壊。
修理不能な異常は、削除されねばならぬ。」
「理……? そんなもの、あなたたちが勝手に決めた“数字”だ!」
「そう。数字こそが秩序だ。」
レオンの拳が震えた。
彼の視線の先、巨大な水晶装置が低く唸りを上げる。
それは祈りをデータとして変換し、天へ送る“神託演算機”。
女神の像の足元で、淡い光が無数の線となって絡み合っていく。
「……まさか、それで――」
「そうだ。神は見る。神は選ぶ。神は削除する。」
エリュシオンの声が淡々と続く。
「命令を発動する。対象座標:バル=アルド。――存在修正を開始。」
聖堂全体が光に包まれた。
レオンは叫んだ。
「待て! あの街は――!」
《神託発動準備完了》
《祈祷エネルギー臨界》
《命令コード:消去》
天井を貫く光柱が立ち上がる。
祈りの声が絶叫に変わる。
そして――その光は、砂漠の果てへ落ちた。
◇
朝のバル=アルド。
工房の前では、ミラがパンを配っていた。
「はいはい、ひとり一個ずつ! 焦げてるのはジルドの責任な!」
「焼きすぎただけだ!」
子どもたちが笑い、通りにはパンの匂いと笑い声が満ちていた。
悠人は屋根の上からそれを見下ろしていた。
リィムが肩の上で、光塔の明るさをチェックしている。
《照度安定。水路稼働率:九六%。/生活指数:上昇傾向。》
「いい感じだな。あと一週間で南区も水が通る。」
《評価:進捗良好。/主、やや過労傾向。》
「優秀だな、健康管理AI。」
《主の生命維持は最優先です。》
穏やかな朝だった。
誰もが未来を語り、笑っていた。
――その瞬間までは。
空気が止まった。
風が、音を失った。
リィムの体表の光が一瞬で濁る。
《警告:上位権限アクセス検知。/識別コード=神域ルート。》
「……また神か。」
悠人の声が低くなる。
空の中央が、まるで紙を裂くように割れた。
白い光が滲み出し、雲のすべてを呑み込んでいく。
やがて、空全体がひとつの巨大な“眼”になった。
その眼が、バル=アルドを見下ろしている。
「……リィム、これ……神の監視か?」
《肯定。/光波長、神託と一致。》
「住民を避難させろ!」
《通信展開中。/避難指示発令。》
遠くでミラが叫ぶ。
「何だよこれ! 空が……!」
子どもたちの泣き声が響く。
ジルドが杖を握りしめた。
「来やがったか、神の制裁ってやつが!」
悠人が歯を食いしばる。
「……上等だ。修理屋の仕事だろ、バグの除去は。」
《警告:光子エネルギー降下開始。》
空の目が、ゆっくりと閉じる。
次の瞬間、光が落ちた。
白。
熱。
轟音。
砂の町が焼かれ、塔が砕け、光塔の周囲が一瞬で蒸発する。
空気が悲鳴のように震えた。
《防御モード起動。/観測バリア展開――》
リィムの声が響く。
青い光が悠人の周囲を包み、衝撃波を打ち返す。
地面が裂け、砂が浮き、空が悲鳴を上げた。
数秒。
それだけで街の半分が崩れた。
残る光が空に吸い込まれていく。
◇
聖都ルミナリアの神殿。
エリュシオンが静かに言う。
「異端都市、修正完了。」
その声は祈りより静かで、裁きより淡かった。
レオンだけが、動けずにいた。
だが、彼の目は確かに見た。
光の中に――青い閃光が、わずかに逆流していたのを。
「……風間悠人……君は、まだ……生きてるのか……?」
◇
砂塵が漂う。
焼け焦げた岩の上、ひとりの少年がゆっくりと起き上がる。
その肩で、半透明のスライムがかすかに光っていた。
《システム再起動。/主、生存確認。》
「……ああ、聞こえる。」
悠人は立ち上がり、焦げた塔の残骸を見上げた。
空はもう青くない。
でも――まだ、立てる。
「修理屋をなめんなよ。壊されたら……直すだけだ。」
リィムの光が強く脈打つ。
《同意。/再構築モード、起動可能。》
砂の風が吹き抜け、崩れた街の中で青い光が灯った。
――神の裁きの中で、
“人の反逆”が、静かに再起動を始めていた。




