第1話「神のミスで荒野へ」
「……うわ、マジでポイされた……」
熱風。砂。地平線。
オレンジ色の空の下、赤茶けた大地がどこまでも続いている。
空には、二つの月が薄く浮かんでいた。
「いやいやいや……ここどこだよ……。地図アプリ、絶対圏外だろこれ」
反射的に制服のポケットを探る。スマホ――ない。
リュックの重みも消えている。
「装備、初期化。神様……まさかテスト環境で本番デプロイした?」
軽口が出る。でも、喉は笑えないくらい乾いてた。
俺は今、見渡す限りの砂漠のど真ん中にいる。
わりかしどこにでもいる高校生である俺が、なんでこんな事になっているのか?
まずはそこから語らなくてはならないだろう。
◇
それはほんの数分前のことだ。
――白。
視界のすべてが、まぶしいほどの白だった。
上下の感覚も、重力さえも曖昧。
気づいたときには――俺は“立っていた”。立っている“つもり”なのに、足の裏に何も感じない。
そんな無音の世界に、声が落ちてきた。
「……転送、完了っと。あれ? 勇者は三人のはずじゃなかったかしら」
耳で聞くというより、脳に直接“響く”感じ。
女の声だった。けど、その響き方は人間離れしていた。水晶の中で反響するみたいに、やけに透明だ。
思わず顔を上げると――そこに“光”があった。
人の形をしているようで、していない。輪郭がゆらゆらと揺れて、まるで焚き火の炎を人型に固めたような存在。
髪も衣も、光の粒になって風に溶けていく。
見惚れる、というより思考が止まった。
脳が勝手にラベリングを始める。
「……え、天使? いや……神様?」
その瞬間、“それ”が振り返った。
顔立ちは確かに人間の女性。だけど、目の奥にある光は――明らかに“人のものじゃない”。
思わず喉が鳴る。
「うん? 一人多いわね。誰?」
まるで出席確認みたいな口調だった。
聖なる存在っていうより、なんか……事務的。
混乱の中、やっと声が出る。
「えっ、あ、俺っすか? 風間悠人って言います。えっと、その――」
「ふーん? 誰?」
「いや、そっちが呼んだんじゃないの!? 俺、いま教室で――」
「……風間悠人、適合値……マイナス1? あら、表示バグね」
「マイナス!? マイナスってありえる!?」
「ええ、つまり“存在しない”ってこと。不要データ。削除、と」
「待て待て! 数字間違ってない!? マイナスって逆に特別じゃ――」
光が弾け、足元が崩れ落ちた。
そして光が爆ぜた。
足元が抜け、世界がスライドする。
胃が逆流するような浮遊感。次の瞬間、焼けるような熱と乾きが全身を襲った。
◇
というわけでこのザマである。
「とにかく落ち着け……。この熱さは現実だ。うだうだ言ってても現実は変わらない」
まず、水。
俺は腰を落とし、砂を一握り。指で潰す。湿り気ゼロ。
細かくて、熱い。視界の端が揺れてるのは、蜃気楼か、それとも単に俺がフラついてるだけか。
「……落ち着け。焦っても水は出ない。――高校のキャンプん時みたいに考えろ。
低い方、陰のある方……」
太陽の位置。風の流れ。砂丘の形。
頭の中で線を引く。
すると、突然――
《スキル〈観測〉が起動しました》
「……は?」
視界の前に、薄いレイヤーが重なった。
砂丘の縁をなぞるように、細い線が走る。空気の流れが矢印で表示され、地中には淡い青の光――冷たさの分布――が見える。
「UI……出た。チュートリアルなしで。」
思わず息を呑む。けど、笑いがこぼれた。
「オッケー。これが俺のスキルってわけか。“観測”ね。」
試しに砂丘へフォーカスする。数字が揺れる。
風向:東北東。表面温度:56.3℃。地中湿度:0.8%。
……ほぼ乾燥地獄。だが、遠くの沈降地では青がほんの少し濃い。
「――なら、あっちだな」
砂を踏みしめる。ズブズブと足首まで沈むけど、意外と安定する。
歩幅を狭く、重心を低く。高校のキャンプで教わった“熱中症にならない歩き方”を機械的に再現する。
「……にしても、女神。“放流”って言葉、忘れねーぞ。魚扱いかよ。」
口は軽くても、心臓は早い。
理不尽に笑うしかない。俺は、俺なりに冷静に歩いた。
◇
どれくらい歩いたかわからない。太陽が傾き、影が長く伸びていく。
砂の色が、赤から焦げ茶に変わるころ、地平線に黒い点が見えた。
岩だ。
「……助かった。日陰、確保。」
焦らず、最後まで歩く。
岩陰に滑り込むと、全身から汗が噴き出す。
熱が抜けていくのがわかる。
「さて……次は水。――〈観測〉」
青い光が、岩の基部に集まっている。
夜間の冷却で凝結した湿り気。掘れば、少しは湿ってるかもしれない。
「シャベルはないけど、手はある。行こう。」
砂をかき分け、拳で土を崩す。
指が焼ける。爪の下に砂が入る。
けど、十数分も掘ると、指先がぬるっと冷えた。
「……来た。」
極細の水脈。泥混じり。
そのまま飲むのは危険だ。
石を二枚拾い、片方を地面に置き、もう片方を斜めに立てかける。
滴が伝って、下の石の縁に小さな溝を作る。
「理科室式ろ過。これでいける……たぶん。」
喉は焼ける。けど、待つ。
五分、十分――。
透明な点がひとつ、ふたつ。
舌で濡らすだけ。それでも、喉の痛みがすっと消えた。
「……生き延びた。やっぱ水はチートだな。」
息を整え、岩の上の景色を〈観測〉する。
北の地平に、うっすら縦線。
崩れかけた塔――人工物。
「……よし。目的地、決定だ。」
さて、いきますか……。
「文明、あるな……距離は相当。往復は無理そうだ。夜に歩く手もあるけど……初夜はここで休むのが正解だな。」
そう独りごちた瞬間、砂を蹴る音がした。
低い唸り。石の影から、黄緑の鱗がヌルリと現れる。
「え、ちょっ――いきなり夜警必要な世界!?」
リザードマン。人型、槍持ち。
〈観測〉のオーバーレイが自動で展開された。
《対象:リザードマン(下級種)
攻撃:E 防御:F 知性:低
感覚器:頭部両側(温度感知)
弱点:急激な温度差、目》
「情報ありがと。UIくん、君だけは優秀だよ。」
俺はゆっくり立ち上がり、足元の小石を拾う。
――投擲。
運動神経は凡人。体育のソフトボールで平均点ギリギリ。
でも、距離は近い。狙うのは温度感知器の“縁”。
「……いけ!」
石が空気を裂く。
ガンッ、と乾いた音。リザードマンが呻き、槍を取り落とした。
次の石。今度は目だ。
ズブッ――。
沈む感触が指先まで伝わってきて、胃がひっくり返りそうになる。けど、足は止めない。
間合いを詰めて、落ちた槍の柄を踏み、相手のくるぶしを蹴り飛ばす。
「――倒れてくれ!」
体重を乗せ、肩から押し倒す。砂が爆ぜ、鱗が軋む。
リザードマンが暴れる。腕力では負ける。
だから――脇腹、肋の隙間。そこを狙って槍の石突で突く。
一拍、二拍。
そして――静寂。
「っ、ふぅ……!」
全身を冷や汗が伝う。視界の隅が白く霞む。
手が震えているのに気づいて、苦笑いが漏れた。
「命の取り合いなんて初めてだ。……怖くないわけ、ないよな。」
膝をつき、しばらく呼吸を整える。
胸のざわめきが、少しずつ沈んでいく。
怖さは残る。でも、飲み込める。
「生き延びた。ありがとな、俺の手。ありがとな、キャンプの先生。……あと、UI。」
軽口を挟んで、自分を現実に戻す。
リザードマンの槍を拾い、〈観測〉で材質を調べた。骨に硬化樹脂っぽいものが塗られてる。研げば使える。
「借りる。いや、ありがたく“いただく”。」
槍を岩に立てかけ、制服の上着を裂く。布紐を作って、岩の窪みに張る。
夜露を受ける簡易の“受け皿”だ。
さらに、上着の袖を使って“投石ひも(スリング)”を作る。
石を入れて軽く振る。――バランス、悪くない。
「現代っ子、検索なし手芸。評価してくれてもいいだろ。」
ひとり笑い、岩壁に背中を預ける。
空の色は群青に沈み、二つの月がくっきりと輪郭を増した。
熱はすでに逃げ、砂の冷たさが足裏を刺す。
《注意:夜間温度低下。低体温リスク:中》
「了解。――やっぱUIは優秀だな。」
拾った鱗を火打ち代わりにしてみたが、火は起きなかった。
仕方なく、岩陰の窪みに身を丸めて風を防ぐ。
喉はまだ渇いてる。でも、さっきよりずっとマシだ。
「女神。もし聞こえてたら、一言だけ言っとく。――“放流”後の安全マニュアル、置いとけよ。あとでレビュー入れるから。」
夜風が、返事の代わりに髪を揺らした。
目を閉じる。耳だけが働く。砂のざわめき、遠くの鳴き声、岩の軋み。
眠気が、薄い膜みたいに降りてくる――そのとき。
カラン、と乾いた音。
岩陰の向こうで、小さな影が弾んだ。
月明かりに透ける、ゼリーの塊。
「……スライム?」
半透明の球体が、警戒するように小さく震える。
〈観測〉が自動で解析を出す。
《対象:デザートスライム(幼生)
攻撃:F 防御:E 興味:水/体温》
「敵意なし……かわいいな、お前。」
俺は、さっき集めた数滴の水を指に乗せて、そっと差し出す。
スライムはためらい――それから、ぺたっと指先に貼りついた。
冷たくて、やわらかい。
その感触に、思わず笑みがこぼれた。
「初めての異世界の、初めての友達がゼリー。悪くない。」
スライムは、一度だけぴょんと跳ねて、岩陰の窪みに丸く収まった。
俺も槍を抱えて体を丸める。
二つの月が、見知らぬ地上に静かな光を落としていた。
「――よし。サバイバル、二日目につなげよう。生きて、歩いて、修理していく。」
まぶたが落ちる。
心臓はまだ速く打ってるのに、眠りは容赦なくやってくる。
それでも俺は、微笑んでいた。
根拠なんてない。ただ、そうするしかないから。
――世界がバグだらけなら、直せばいい。直せるまで、生きればいい。
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※別作品もよろしくお願いします※
①追放された“改造師”、人間社会を再定義する ―《再定義者》の軌跡―
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②地味スキル「ためて・放つ」が最強すぎた!~出来損ないはいらん!と追い出したくせに英雄に駆け上がってから戻れと言われても手遅れです~
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