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<人形>  作者: c.monkey
1/3

開幕

今回は連載形式にしてみました。

内容としては短編なのですが、ページ分割を試みましたので、一本で読むのとどちらが良いかコメントくださると嬉しいです。

「みんな、おはよう。今日もいい天気ね」

 カーテンを開け放ち、そう微笑みながら人形たちに朝一番の挨拶をする。さあ、そこの二人、紅茶を淹れて部屋の窓を開けてちょうだい。貴方は朝食の用意をして、それから貴方は洗濯物をお願いね。

 陽光に煌めいた埃を指先で拭いながら、ぱたぱたと音を立てて忙しなく部屋を出た人形たちの背を見送ったその後は、室内に残り大人しく項垂れたままの人形たちに囲まれて瞼を閉じていた一際大きく愛らしい一人、その白い頬の膨らみにそっと手を這わす。ぴくりと震える鼻先。動かないで。声には出さず指先を鼻に当てて数秒経つと、僅かにだけ表情を曇らせたその“人形”は、すぐにただじっと微かな呼吸を続けるだけとなった。

「いい子ね、優。おはよう。返事をしてちょうだい」

「……お、おはよう」

「違うでしょう。“おはよう、アリス。今日もメリーゴーラウンドのように素敵な朝だね”、よ」

 ──── おはよう、アリス。今日もメリーゴーラウンドのように素敵な朝だね。

 一字一句を違えず口にした優に微笑み返し、柔らかなフリルから伸びた白い手を取って、私たちは足取り軽やかに花畑へと向かう。そう、そうね、“花畑”。いいじゃない、お花を摘んできて部屋にいっぱい飾りましょう。そう高らかに声をかけて手首を捻ると、人形たちは踊るように玄関を出ていった。

 小鳥の囀り、陽の光の暖かさ。心地のいい朝、素敵な朝だわ。家族に囲まれて目覚めを迎える、特に新しい人形が増えてからというもの私の世界は一層浮ついて見えた。

 さて……まずは、身だしなみを整えましょうね。ばたりと音を立てて閉まった扉を横目に踏み入った洗面所で優を座らせると、鏡の中にはとても可愛らしい少女の姿をした人形が佇み大人しそうな目でこちらを見上げていた。採寸の甲斐あってサイズはぴったり。ゆったりとした布地に華奢な手足が覆われて、時折垣間見えるその線の細さが美しい。暫く楽しんだらまた新しいお洋服を縫って着せ替えてあげるわね。

 頭皮を覆う指通りの良い綺麗な黒髪をとかし、夜の間によれた大きな赤いリボンをつけ直して、濡れタオルで丁寧に肌を拭いてから歯を磨いてあげる。この子はとても繊細で高性能な人形だから、きちんとメンテナンスをしてあげなければきっとすぐに壊れてしまう。どこで手に入れたのかも忘れてしまったし、スペアもないから気をつけないと。

「よし、いいわね」

 日課の道具を片しお手入れを終えた髪はさらさらで、子供らしい滑らかな頬はふっくらとしてきめ細やか。睫毛も長く、その瞳は宝石のようにきらきらしている。可愛らしい優。私だけの可愛い人形。

 ────さて、用を終えた洗面所を後にしてリビングの扉を開いてみれば、奥からは同時に芳しく心安らぐ紅茶の良い香りが鼻から肺に抜ける。見て、優。テーブルの上にはお気に入りのティーポットとカップが二つ、とろけるように甘いメープルシロップがかかったパンケーキが二皿。朝食をとりましょう。さあ、座って。

「…………」

 そっと手を離すと優は一人でに椅子を引き、姿勢を正してちょこんと座り込んだ。瞳は伏せがちにして、顎は少し後ろに、両手は膝の上に。ええ、いいわね。にっこりと微笑み、手で食卓を指して頷いた。

「いただきましょう、優。フォークとナイフを取ってちょうだい」

 優雅な朝日の差し込む白色が眩しいリビングで、彩られゆく華やかな香りに包まれながら食事を楽しむ。やっぱりみんなで囲む食卓はいいわね。優、貴方もそう思うでしょう? 紅茶に波紋を起こし切り分けたパンケーキを口に運びながら上機嫌でそう笑いかけると、途端まるで困ったように視線を泳がせた優は、手持ち無沙汰に口を塞いだフォークを咥えたままおずりと頷いてみせた。

 ────その瞬間。亀裂が入り、夢から覚めて。取り落としたフォークが耳障りな音を立てて陶器の皿に跳ね返り、シロップを撒き散らしながら余韻に船を漕いだ。うううううう、獣の唸り声が聞こえる。せっかく気持ちよく朝食を摂っていたのに。幕が乱れる、許容できない違和感に思わず目を見開いて頭を振る。

 ────違うわ、違うでしょう。そこは「全く君の言うとおりだね、アリス」と言うべきところでしょう? いつも、いつもそう。貴方は私の人形なのに、どうして私の一番かけてほしい言葉が分からないの?

「ご、ごめんなさい……」

「勝手に喋らないで!」

 頭の中が急速に沸騰して、伽藍堂の喉が痛むほどそう叫びながら立ち上がると力任せに手のひらを木板へと叩きつけた。目の前がぐにゃりと歪み黒く白く渦巻いて呼吸が整わなくなる。がたがたがただか、食器の重なり合う耳障りな音がいつまでもいつまでも反響している。びくりと肩を竦めた優は、ただ何も言わず唇を結ぶとぎゅっと瞼を閉じてみせた。

 ああ────ああ、いいわ。ええ、そうね、だって貴方の目は私を責めるから。貴方はただ私を見つめているだけでそれをまるで悪いことであるかのような顔をして良い気になったかのようなふりをするから、私を見る目は閉ざして。いいわ。ええ、懸命ね。誰に教わったの?

「食事を再開しましょう」

 心臓の鼓動に釣られ、密やかに波打った喉は至って冷静そのものだった。途端鮮やかに鼻をついた咽せ返るような花の香りが煩わしくなり、糸を手繰ると人形たちの動きを止めさせる。優からは視線を逸らしてみれば、いつの間にか、部屋にはまるで目的地を失った足跡の如き花弁が床中に散らばり風もなくその身を横たえていた。

「あれ……」

 はなびら? 立ち尽くしたまま瞬きすらなく微動した視界を埋めるぎらついた色彩が、網膜を刺激する。花畑になる予定のはずだったのに。ちぎれた花弁だけじゃ花畑にならないわ。花瓶に活けるんじゃないの? 違うよ、アリス、花の首をちょんぎって壁に飾ってやるんだ。まるで戦利品みたいにね。「なのに花がないわ、」

 ────誰か、誰か持ってきて。今すぐ、私の望んだ通りのものを持ってきて!

 きつく踏み鳴らした足音に合わせてバタバタと忙しない玄関扉の暴れる音がする。硬く締めた靴の中で暴れた足の骨がじんと痺れる。頻りに上下しようとする肩を竦めスカートを強く握りしめながらようやく膝を崩して席につくと、片側の皿はいつの間にか空っぽになっていた。あら……優、もう食べたの。食いしん坊ね、それなら私のを半分あげる。なぜなら分け合った方が美味しいものだから。

「……じゃあ、僕の紅茶を半分……あげる」

「ふふっ……そうね、良い子よ、優。貰ったものには対価が必要だものね」

 染みのついた半月型のパンケーキは優のお皿に、貴方が傾けたカップから垂れた艶やかな蜜色のリボンはいずれ私の体内に。分け合いましょう、人形たちの管理は私が行い、その代わりに人形たちはその姿を以て私を楽しませてくれる。人形たちは私を裏切らない。少し手こずることもあるけれど、問題はないわ。大切なのは、私たちの間に存在するかけがえのない繋がり。そうよね?

 ────食べ終えた食器が流水に滑るせせらぎを背景に、鋏を置くと葉を切り落とした茎を差し入れて花瓶を整えた。控えめに、恭しく俯きながら大きな花弁を開いた一輪の黄色百合。うん……綺麗ね。窓際の棚に置いてちょうだい、次の花瓶に花を生けるわ。

 柔らかな陽光の揺らめくカーテンを手で指すと、スカートを靡かせ静かに立ち上がった優は両手で花瓶を支えて視界の端に消えていった。全ての準備が整ったら……そうね、花畑ですることといえば────ガシャン! 大きな音がして振り返る。儚い窓際では肩を竦めた優が目を丸くしてこちらを見ていた。違う。首を反対に回してキッチンを見る。ああ……お皿を割ってしまったの? 片さないと。

 立ち上がりかけて、咄嗟に突き出した手でテーブルへ体重をかけると今にも地に落ちそうな頭を項垂れて不安定な身体を支えた。視界に砂が舞う、甲高い悲鳴が耳の裏でこだまする。気持ちが悪い。瞼をぎゅっと瞑り、右手の指を曲げるとそれぞれガラス片を拾って掃除機を用意させる。

「ちょっと……調子が、悪いわ」

「……、…………」

「優」

 垂れた髪を掻き分け、取れないように頭を押さえたまま、眩しい白色に包まれるその姿へと目を向ける。方向の覚束ない手を差し出すと、おずりとしながらも私を掴んできた柔らかな体温に固く指を食い込ませながらどうにか微笑みかけた。

「踊りましょう。だって花畑だもの」

 強くその身を引きつけると、力に従ってよろけた優はたどたどしいながらも私の手に合わせ硬い身体を動かし始めた。この場に咲いた二人ぼっちの舞台の上で、憐れにも散った花たちの残骸を踏み締めながら。観客は他の人形たち、ほら見て、みんなが羨ましそうに私たちを見つめているわ。

 いち……に、三……四。景色が揺れる。私たちが回る。優の動きはぎこちない。貴方の扱いは難しくて私の思い通りには動かないけれど。だけど、何かを言いたげにこちらを見つめてくるその真っ黒でまんまるな瞳に私が映るそれだけでどうしようもなく嬉しく感じてしまうものなの。

「楽しいわね、優────」

 貴方を見下ろしながら微笑んだその瞬間、ぷつりと途切れた私の意識は暗闇の窟へと真っ逆さまに落ちていった。

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