紅音の背負うもの
負傷した紅音を背負い、ユーリは森の中を進む。
雨は降り続け、森の奥へいくほど整備されていないせいか、足場が悪くなる。
人を背負い続けながら歩くは辛い。気を失っている人間となれば特に。
もう少し鍛えておけばよかった、とユーリは今さらながら少し後悔する。
「いたっ・・・」
痛みで膝が崩れそうになるがぐっとこらえ、ぎりぎりのところで耐える。戦闘は回避することができた。しかし、直撃はしなかったもののロネの放った暴力的な魔法の余波によって体が痺れていた。
「・・・んっ」
「あ、起きたか?」
「ここは・・・はっ、貴様、放せ!」
「暴れないで・・・うっ」
紅音が起きると状況を察したのか、彼女は急に暴れ出す。ユーリの全身に痺れた痛みが走り、紅音が背中から離れた。
「お前、まさかケガしてるのか・・・?」
「大丈夫だ・・・君に心配されるほどじゃない。それより君の方はどうなんだ?」
紅音もどうように傷を負っている。むしろ紅音の方が酷い。制服は破れ、あちこちで血が滲んでいる。
見ているだけでも痛々しい。その状態でよく立っていられるとユーリは思う。
「私は平気だ。この程度の傷慣れている」
「そうか、ならいい先に進もう」
「どうするんだ?」
「雨宿りできる場所を探そう。このままでは風邪を引く。それに今戻ったところで奴がいるはずだ」
「私は戻る。やられたままで終われるか」
「その体でか?」
そう問いかけるとむっと紅音は押し黙ってしまった。どうやら自分の状態くらいは判断できているようだ。
「わかったなら先に進もう」
ユーリは歩き出し、その後ろを紅音がついていく。
雨の中、しばらく歩いてユーリは足を止めた。
「うん、ここにしよう」
「おい、待て。何もないぞ。ここでは雨避けできないだろ」
紅音の言う通りそこには何もない。大きな樹木も立っていない。森の中にある空白だ。木一つさえ立っていないただの空き地。
「まぁ、見ててよ—【岩石壁】」
魔法を唱えるとにょきと土が盛り上がり、築けば土壁が完成していた。簡易的な土の家。人二人分が入れる程度の小さな家だ。出来上がる様子に紅音は目をぱちぱちさせた。思わずユーリも少し自慢したくなる。
「どう? 魔法ってすごいでしょ」
「・・・ふん」
不思議そうに見ていた紅音だが、ぷいっと顔を逸らされた。
完成したとはいえ、ただ待っているだけでは風邪を引いてしまう。服も濡れていし、体力を消耗しかけない。
「紅音、枝を取って来てくれないか? 別に濡れていても構わない。そこは魔法でなんとかするから」
「待った、まさかお前と二人でここにこもると言うのか?」
「それ以外にどうする気なんだ。紅音に風邪を引かれても困る。それに雨だってまだ止みそうにない」
「・・・」
この際距離がどうこう気にしている場合ではない。服も濡れているし、体力も奪われる。下手をすれば死の危険さえあり得るのだから。
「いいか、紅音。今の僕たちの状況は遭難と変わらない。今はとにかく雨が止むのを待って、行動するのはそれからだ」
「・・・いいだろ。正直気にいらないが、今はお前の言う通りにしてやる」
顔をしかめながらも紅音は近くにある小枝を拾い始める。一方、ユーリは魔法で作り出した家を補強し、火を起こせるよう焚火の準備を整える。
パチパチと焚火が燃え続ける。
ほんのりと照らされた土壁の中。ざあざあと音を立てる雨。
先ほどの豪雨よりは弱まったものの未だ雨は止みそうにない。
「・・・」
「・・・」
沈黙が流れる。
焚火の前に座り込み、ユーリは揺れる炎を見つめていた。
(気まずい・・・)
隣には雨に濡れた紅音。濡れた黒髪は艶やかでなまめかしい。細い髪が頬に引っ付いている。自然と彼女の口元に目が移ろう。
一メートルもない距離。近いからこそわかる。紅音の顔は小さくて、火に照らされた頬は赤らみ、ユーリは思わず息を飲む。
膝を抱え、まるで子猫のように身を縮め、紅音はじっと焚火を見つめている。
変な気を起こす気などさらさらなかった。でも、ユーリはどうしても意識してしまう。紅音も女の子であると。
「なんだ、何か言いたいことがあるのか?」
ぴたりと赤い瞳と目が合う。彼女の瞳の中に映る焚火が穏やかに燃えている。
似ていると思った。ユーフィリアも同じような瞳をしていたと。
「私の顔に何かついているのか?」
「いや・・・そうじゃなくて・・・」
紅音は首を傾げ、ユーリは答えようとする。けれど、いざ話そうとすると言葉が喉につっかかる。聞きたいことはたくさんあったはずだ。なのにどう切り出せばいいのか、わからない。
言い出せずにいると紅音の眉間に皺が寄る。
「何か言いたいなら早くしろ!」
「じゃあ・・・紅音の故郷ってどんなところだった?」
「そんなこと聞いてどうする・・・でも、まぁ助けてくれた礼だ。少しくらい話してやる」
正直意外だった。紅音は答えてくれないだろうと思っていた。それに彼女が礼なんて言うものだからユーリは少し驚きを覚えた。意外と紅音は情に厚い性格なのかもしれない。
「私の故郷は大きな島国でいくつもの小国が対立し合っていた。私の国もその一つだ。それでも私の住んでいた場所は争いがほとんどなくて自然豊かな場所だった。本当に素敵な場所だった。民は優しく、友も生意気ではあったが、いい奴らだった。領主であった私の一族はほんとに恵まれていたと思う。だから、私もこの平和が永遠に続けばいいと思っていたんだ」
「・・・」
「だけど、そんな日常は続くことはなかった。戦争が起きてしまったからな」
膝をぐっと抱え、紅音は話し続ける。過去を思い出し、慈しみ、何かをこらえるように。
「お前たちの魔法によって私の故郷はすべて燃えた。緑豊かだった地は灰となった。民も、友も、家族も全部・・・いなくなってしまった」
紅音の拳に力が入る。
戦争によって彼女はすべてを失ってしまった。これまで大切にしていた者たちを。続くはずだった平和な未来さえも。
自分だけが取り残され、異国の地に来させられ、孤独に復讐に駆られている。
「紅音は・・・魔法を憎んでいるのか?」
そうユーリは問いかけると、紅音は立ち上がって声を上げた。
「あたりまえだ! お前たちのせいで私の故郷は—」
「僕も同じなんだ」
「・・・はぁ?」
ユーリの呟きに紅音の口が開けたまま凍る。
「僕の故郷も魔法で燃えてなくなったんだよ。正直言うと、当時のことはあまり覚えてなくて、人づてから聞いた話なんだけど、誰かが近くの森に火を放って、それが村全体に広がった。幸い気づくのが早かったから、村の人たちも避難できたし、僕の家族も無事だった。当然、死んじゃった人もいたらしいけど」
ユーリがまだ魔法学院に来る前の話だ。故郷にいた頃、ユーリの住んでいた村は火の海に飲まれた。犯人は不明だが、魔法による放火だったらしい。
不思議なことにユーリはあの日の記憶が朧気だ。幼かったせいもあるだろう。ただ覚えているのは村や森が燃える真っ赤な記憶だけ。
「では、なぜお前は魔法を使っているんだ。故郷を滅ぼした元凶なのだろ?」
信じられないという目で紅音は言う。
なぜ、魔法を使うのか。その答えはユーリの中で決まりきったことだ。
「憧れだから。僕にとって魔法は奇跡で唯一自分が誇れるものだから」
始めて魔法を目にしたあの日。
世界が変わった。それはユーリだけでなく、ユーフィリアも同じだった。自分たちの知らない世界がそこにあったのだ。
魔法を使えるようになりたい。心の底から強い想いが沸き上がった。
ユーリとユーフィリアは魔法を学ぶようになり、まだ幼いにも関わらずユーフィリアはすごい魔法を使えるようになっていた。
もっと上手くなりたい。
ユーフィリアと同じくらい。いやそれ以上に彼女を超えられるような魔法使いを目指した。いつしかユーフィリアの隣に立ち、守れるように。
ユーリの一つの夢だ。そして魔法はユーリとユーフィリアをつなぐかげがえのないものだから。
「紅音はどうなんだ? 君は何のためにその剣を取ったんだ?」
「私は・・・」
あの日戦争が起きた。人も村も何もかもが異国の魔法という災いで国が侵されつつあった。
戦わなければならなかった。民のため、同胞のため、守るべきもののために。座視しているばかりの姫ではいられなくなった。抗うために一国の姫として刀を手にしたのだ。
だけど—
「私には・・・もう守るべきものがない。だから、私は亡くなった者たちのために貴様らを殺すと決めたのだ。今は・・・ただ、それだけだ」
紅音が背負っていたもの。そして失ってしまったもの。それはユーリにははかり知れないものだ。彼女が何を思って戦い、何を思って復讐を果たすのか。それは彼女しか知り得ないこと。
でも、本当にそれでいいのか。
紅音はただ復讐に生きるしかなかったのか。
「それは・・・本当に紅音の意思なのか?」
ユーリ自身も自分が言うべきことではないとわかっている。彼女からすればユーリは加害者側の人間だ。
けれど一生、紅音が復讐に囚われる姿は見ていられない。このまま彼女が修羅の道を進んでいくことは見過ごせなかったのだ。
「・・・あたりまえだ。だから、これ以上この話はなしだ・・・。少し話過ぎたな」
そう言って、紅音は座り込み、ユーリとは反対方向に体を向ける。
これ以上話しかけるな。そう彼女の背中は語っているようにユーリには思えた。
これまでずっと重いものを背負ってきた背中だ。でも、ユーリには今その背中がどこか寂しそうで空虚に見えてしまった。
再び沈黙が流れる。
時刻はもうお昼ごろだろう。
濡れた制服も乾き始め、体温も戻りつつある。
今朝の緊張と疲れのせいか、どっと眠気が押し寄せて来る。揺れる焚火を眺めながらユーリの瞼はゆっくりと閉じた。