教団の狼男
「まったく人を呼びつけておいて・・・あいつはどこにいるんだ」
悪態をつきながら紅音は一人森の奥へと進む。
ユーリからの決闘の申し出。彼は魔法の素晴らしさを証明すると言った。
ふざけるな、そう紅音は思った。故郷を奪った側の人間が何を言っているのだと。
力づくでねじ伏せてやる。そう生き込んで朝早く来たのだが、指定された場所に彼はいなかった。
いや、そもそも紅音は目的地に辿り着けていなかった。なぜなら彼女は極度の方向音痴。一人で目的的に辿り着くことが難しいのだ。
それは今日に限ったことではない。王国に来てからもずっとそうだ。だが、残念なことに紅音にはその自覚がない。
ただひたすらに森の奥へと進んでいく。たぶんこっちだとまったく見当違いの勘を頼りに。
しばらくさまよい続けていると、後ろでかさかさと草木が揺れる。振り向くとそこには始めてみる男がいた。
黒い髪を逆立てた長身の男。その顔面には深い古傷。筋肉質な両碗と両脚。琥珀色の鋭い眼光を飛ばし、口元からは八重歯を覗かせる。まるで獣のようだと紅音は思い、反射的に柄に手をかける。
「誰だ、貴様・・・」
「てめぇが、オルドの言っていた女だな・・・はっ、思ってたより良い面してんじゃねぇか」
舌をなめずり、男は嘲笑う。
「誰だと聞いている! 答えなければ斬るぞ!」
「カカッ、気の強い女は嫌いじゃねぇぜ」
「っ!」
下卑た笑みを断ち斬ろうと紅音は刀を振るう。しかし、簡単に刀は素手で受け止められてしまった。
「おいおい、極東では斬りかかることが挨拶なのか」
呆れたように男は言う。その右手に刀を握りながら。
紅音はすぐに距離を取り、男を見据える。
(なんだ、こいつ・・・)
刀が素手で受け止められた。何より驚いたのは男が魔法を使っていなかったことだ。
「俺様はただ顔を見れりゃあ、それで良かったんだがな・・・お前がやる気だってんなら相手してやるよ」
瞳に宿る殺気。黒髪がたてがみのように揺れる。そして獲物は逃がさない獣の如くと男は魔法を唱えた。
「【紫電雷装】‼」
紫の光を放つ雷が男の体にほと走る。手、肩、胸、脚と全身に雷の鎧を纏い、ビリビリと音を立てる。
身体強化を施した雷属性の付与魔法だ。
ニヤリと口端を上げ、男は言った。
「俺様の名はロネ・ストレイ。ディザイア教団が一人・・・簡単にくたばんじゃねぇぞ‼」
雷鳴が轟く。地面を蹴り上げ、光の速さでロネが紅音に接近する。肘を大きく引き、ロネは拳に雷をチャージし撃ち抜く。
「くっ・・・!」
激突する剣と拳。
黒刀から火花が散り、電撃が飛散する。電撃か、それとも刀から伝わる衝撃か、紅音の手に痺れが走った。
間近で赤と琥珀の視線が交差する。
ロネの重い一撃に紅音の足がぐっと沈み込む。それでも負けてたまるかと紅音はロネの攻撃を弾き返す。
「ハッ!」
跳躍し、後退するロネ。その瞳にはギラギラと闘志が滾り、彼の口元は愉悦で満ちていた。
「ハハッ! おもしれぇ! ますます気に入った!」
「ふん、貴様もその程度か。口ぶりの割には大したことないな」
「言うじゃねぇか・・・お前、ほんとにディザイエンド教団に入る気はないのか。お前となら良いコンビが組めそうだ」
「言ったはずだ、入る気はないと。それに・・・貴様と一緒は死んでもごめんだ」
「ほんとうにそう思うのか? 俺とてめぇは同じにおいがするぜ。お前は俺同様、獣を飼っている。憎くて、憎くて、殺してやりたいってな!」
「黙れっ‼」
今度は紅音の方から仕掛ける。懐に入り込み、射程圏内へ。
下から上へと刀を振り上げる。
背中を反りのけぞるロネ。その右頬には赤い線が入った。
不安定な態勢のロネに紅音は連続で斬りかかる。刀を返し、上段から振り下ろす。が、視界の下から蹴りが迫ってくる。脳を切り替え、すぐさま回避を選択した。
ロネの蹴りが空を切り、彼はその勢いのまま、宙で一回転。もし紅音が避けていなければ下顎を蹴り上げられていただろう。だが、紅音にとってロネの攻撃は想定内。
「ち、かわすか・・・」
「貴様の攻撃はわかりやすい。単純だな、そこいらの獣と変わらん。まるで・・・犬っころだな」
単純で容易。一直線で単一思考の攻撃ほど容易いものはない。本能のままに動く獣と同然だ。負けるはずがない、そう紅音は確信したのだが。
「いま・・・なんつった?」
ロネの空気が一変する。緊張が走った。今まで愉しんでいた様子が無となる。
ざわりと紅音の背中に走る悪寒。なんだ、と紅音は警戒を強めるがもう遅い。
ロネは唾を吐き捨て、地面に手をつき、獣さながらに身を低くし、目の色を変える。
「遊びは終わりだ。勧誘とか、どうでもいい・・・。てめぇは・・・殺す‼」
紅音は見誤っていた。ロネは雑犬ではない、獲物を噛み殺す狼であった。
◇
激しさを増す雨。
視界が悪い。山の中を走っているため、足場も悪い。それでも足を止めることはできなかった。
雨で先は見えづらいが、ユーリの耳には荒れ狂う雷鳴が聞こえていたのだ。
「何が、起きているんだ・・・」
顔を腕で覆いながらユーリは音の方へと向かう。
びしゃりと足元に泥水が跳ねる。
落ちた枝を踏み折り、前へ。
木々の間を抜け、ユーリはようやくその場に辿り着いた。
「え・・・」
濡れた地面にはうつ伏せになった紅音。ところどころ焼けたように破れた泥まみれの制服。紅音の綺麗な顔は赤く腫れている。土砂ぶりの雨に叩きつけれようとも彼女はピクリとも動かない。
「紅音‼」
「あ? 誰だ、てめぇ⁉」
叫び声を上げるユーリに男が睨みつける。ロネだ。だが、ユーリは彼の鋭い視線が視界に入っておらず、紅音のもとに駆けつける。
「おい、大丈夫か・・・」
息はある。見るからに酷い有り様だ。素人目からでも重傷であるとわかる。
「おい、無視すんじゃねぇ‼」
ユーリのすぐそばで雷鳴が轟いた。顔を上げるとロネが殺気をまき散らして立っていた。
「おい! やるなら早く立て! 俺様は今すこぶる機嫌が悪い。これ以上苛立たせるな! やらねぇなら女もろともてめぇもぶっ殺してやる‼」
ロネの怒りを表すかのように雷が響く。顔を歪ませ、ロネは眼を飛ばす。
(こいつが、やったのか・・・)
ユーリは確信する。ロネの魔法の爆発力、その威力に。間違いないとユーリは拳を強く握る。腹のそこから何かが迫り上がってくる。
だが、戦えばきっと負ける。脳の端から冷静な自分がそう囁く。きっと相手は自分より格上だと。加えて倒れたままの紅音を雨の中、放置しておくわけにはいかない。
交戦か、撤退か。
何を選択すべきかはわかりきっている。
「【黒煙】‼」
周囲からたちまち湧き上がる黒煙。ロネを取り囲み、視界を奪う。
「しゃらくせぇ‼」
鬱陶しいとロネは魔力を解き放ち、周囲の黒煙を霧散させる。魔力の余波が雷となって四方八方に飛び散る。やがて黒煙がかき消えた。
そして、ユーリと紅音の姿も消えていた。