不穏な前触れ
翌日。
さっそく事件は起きた。
教室が騒がしい。ユーリが教室に入ると前の黒板には大きく書かれた文字。
『サイジョウアカネ 奴隷 人殺し』
あからさまな嫌がらせだ。野蛮、無能、アバズレ、数々の罵詈雑言。
険悪な雰囲気に生徒たちも眉をひそめ、こそこそと囁き合う。
(一体、誰が・・・)
昨日、校長室で何者かに話を聞かれたことをユーリは思い出す。
改めて迂闊だったと反省し、同時に紅音を貶めようとする輩に腹が立つ。
「ねぇ、ユーリ。これほんとうなの?」
不安そうに聞くララ。
ララは紅音を心配してくれる数少ない一人だ。多くの生徒たちが紅音に忌避感を抱いている中でララの存在はありがたい。それでも真実を告げることはできず、ユーリはムキになって「そんなはずはない」と答えた。
「まったくありえねぇよな、奴隷なんてな」
「あぁ、そうだな。同じ空気を吸っていたと考えるだけで気色わりぃ」
教室中にわざと聞こえるような陰口が聞こえた。そこにはレオといつもつるんでいる男子生徒テペとテオがいた。テペとテオは嘲笑い、その中心には「あいつは学院にふさわしくない。退学にすべきだ」とレオも鼻で嘲笑っていた。
「あいつらか・・・」
歯をきしませ、ユーリはレオを見やるとぴたりと目が合った。
「なんだ、その目は。もしや俺がやったとでも言うのか?」
「あぁ、ならどうして紅音をバカにする・・・」
「ふざけるな! だったらやった証拠を見せてみろ! 俺は貴族だ。貴族には国の秩序を守る義務がある。そのためにはあの女は邪魔だ」
レオは含みのある言い方をし、ユーリは睨み返す。
一瞬の沈黙。
すると静寂を裂くように教室のドアが開いた。紅音だ。
紅音が教室に入ると冷たい視線が彼女に集まる。けれど紅音は気にすることなく黒板の文字も一瞥するが、それをも無視していつもの席に座った。
「ちっ」
背後から舌打ちが聞こえたが、ユーリは紅音の側へと寄る。
「ごめん、僕のせいだ」
「別に構わない、いずれバレると思っていた」
ユーリは謝るも、淡々と紅音は返す。
「私のことは放っておいてくれ。その方がお前のためにもなる。私といてはお前もろくな目にあわない」
冷たい態度をとる紅音。
ユーリは言葉を返そうとしたが、運悪く教室に先生がやってきてしまった。
「おーい、席につけ。・・・ん? なんだこれ。誰だか知らねぇが、問題は起こすなよ」
毎度のため息をつきながら現状を重く受け止めようとせず、ブランクはさっと文字を消す。生徒が各々着席し、微かに重い空気が流れる中でブランクはホームルームを始めた。
「来月、『交流戦』があるのはお前らも知っているな。この魔法科クラスからも何人かの生徒が代表選手として出場することになるだろう」
ブランクの発言に教室が少しざわめき、ユーリの心の中でもわずかな緊張が走る。
交流戦。
年に一度サーフィール王国で開かれる二校の魔法学院同士の大規模な競技会だ。
一校はユーリたちの所属するグリンディア魔法学院。そしてもう一校が主に貴族たちが通うエリート校、オーディル王立魔法学院。
両校はいくつかの種目で対戦し、総合結果で勝敗を決する。
交流戦はもう何十年も続く競技だが、残念なことにグリンディア魔法学院はこれまで一勝もしたことがない。
普通の学院が才能のあるエリート校に挑むのだから当然と言えば当然だが、そんな理由でもちろん納得がいくわけもない。
「そこでだ、今回は特別に講師を招くことになった」
ブランクの発言にまたもや教室がざわめく。
「詳細はあとで説明するが、来月からその講師とともに特訓を始める。そしてその中から何人かの生徒を代表選手として選ぶ。だから、まぁ・・・頑張れ、俺から言えるのはそれくらいだ」
説明は以上だ、とブランクは教室をあとにした。
◇
「交流戦か・・・ユーリもララも出るつもりなんだよね?」
「うん、もちろんそのつもり」
「ララも出たい気持ちはあるけど、学院を背負って戦うとなるとちょっと怖いかも」
放課後、いつもの空き教室—第四工学室。
魔法工学科であるビリーは尋ね、ユーリは力強く頷き、ララは少し不安そうに言う。
「まぁ確かにプレッシャーはあるかもね。学院の代表になるし、王国中からも注目されるイベントでもあるからね」
「そうだよ。ビリーは工学科で直接出場する機会がないから、気楽でいられるかもしれないけど」
「そんなことないよ。確かに交流戦に出場する選手は比較的実践に長けた魔法科や精霊魔法科の生徒が多いけど、僕だって魔道具を使った競技があるし、気軽な気持ちではいられないよ」
交流戦には対人戦もあれば、直接戦わずスコアなどを競う競技もある。しかし、やはり交流戦の種目で一番花があるのは伝統的な代表戦。そして今回の代表戦は三対三のチーム戦である。そのためにもユーリはその三枠の一つに選ばれなければならない。
「ユーリは代表戦に出場するんだよね?」
「うん、それに選ばれるためにも頑張らなきゃいけない」
ビリーの問いかけにユーリは頷く。ブランクが説明したように代表戦の選出にはこれからの特訓の成果で選ばれるだろう。首席とはいえユーリもうかうかしていられない。
「ユーリにはもちろん頑張って欲しいけど、なにせ相手は王立魔法学院だからね」
少し心配そうにビリーは言う。
オーディル王立魔法学院は王国一の魔法学院だ。ほとんどの生徒が貴族であり、王族も在籍している。つまりエリート校でありロイヤル校だ。
「それでもさ、勝とうよ! だってユーリがいるんだから絶対勝てるよ!」
重い空気を払拭するようにララは言った。
「それに今年の王立魔法学院は例年に比べて名のある生徒もいないらしいよ。勝つチャンスはきっとあるって。貴族の鼻をへし折ってやろうじゃない」
胸の前で両手を握るララ。
ララ同様ユーリも同じ気持ちだが、少し思うこともある。
貴族。
王国内における彼らの身分は高く、少し平民をバカにしている風潮がある。もちろんすべての貴族がとは言わないが、特に伝統があり、位の高い貴族ほど差別意識が高い。
今朝あった出来事もその一つだろう。
「どうしたユーリ? 何か心配でもしているのか?」
「いや、別にそういう訳じゃないけど・・・」
「ユーリさ、もしかして今朝のこと気にしてる?」
「今朝のこと?」
ララの発言にビリーは首を傾げる。思っていたことを的中させられ、ユーリは今朝あった出来事を説明した。
「そう、そんなことがあったんだね」
物憂げにビリーは頷く。
「そのレオ・フランバーンって人は僕も知ってる。フランバーン家は有名な貴族だし、この学院でも数少ない上級貴族だ。この学院にも貴族出身の生徒はいるけどほとんどが下級あるいは中級貴族。彼が貴族と平民の確執はあって当然だろうね」
「それでも許せないことはあるでしょ!」
「さすがに僕も今朝のはやり過ぎだと思う」
口を尖らせてララは言い、ユーリも口調が強くなる。
「もちろん僕もそう思う。でも今回はその対象が極東出身になる。王国において極東は野蛮な国と思われている。それが余計に面倒だ」
ビリーの言う通り、王国の人々は極東を下等な国と認識がしている。
魔法が栄えているわけでもなく、物騒な刀を振り回す野蛮人であると。
しかし、そのような世間の認識で西條紅音という人物を見られるのが、ユーリは許せなかった。
確かに紅音は荒っぽい性格をしているが、それは彼女の信念の裏返し。義理堅い性格であることもユーリは知っている。
「まぁ、とにかくこれから交流戦に向けて特訓が始まるわけだし、何もないことを願うよ」
頑張って、とビリーは言う。
色々と不安なことは多くあるが、来月には交流戦がある。
気持ちを切り替えなければとユーリは思いつつ、その日はお開きとなった。