戦いのあと
かすかに鼻をくすぶる薬品の匂いにユーリは目が覚めた。
白い天井に左を向けば薬品庫。首を反対に回し、右を向けば西條紅音が白ベッドの上で眠っていた。
それでユーリはここがどこであるかを理解した。学院の医務室だ。
「目が覚めた? 気分はどう?」
近くで女の人の声がして、振り向くと白衣を着た女性がいた。薄い桃色の短い髪で幼さが残る童顔。始めて見た人ならば誰もが子供と思うだろう。
しかし、彼女はすでに立派な成人である。とはいえ、白衣はぶかぶかで衣の裾は地面に接しているし、やはり子供にしか見えない。そんな彼女は医務室の先生—アロナ・ラペーシュ。
「気分はまぁまぁです。少し気怠さがあるくらいで休めば回復すると思います」
「そう、なら良かったわ。丸い一日寝ていたからあと一日も休めば魔力も回復するでしょう」
ありのままにユーリは思ったことを言い、アロナは子供のような高い声で問題ないことを告げる。
あれだけの魔力をユーリは消費したのだ、回復にはそこそこ時間を要するだろう。
(あれから・・・一日も眠っていたのか)
ロネとの交戦から一日が経過した。昨日、ロネは撃退することができたが、あの後、ユーフィリアが現れた。ユーリはユーフィリアと交戦することがなかったが、紅音が彼女と交戦した。結果は紅音の惨敗。
ユーフィリアはその後、すぐに去って行ったが、ユーリは重傷のユーフィリアを背負って学院に戻り無事、辿り着いた。安心感が浸ってしまったせいか、ユーリは正門について直後、気を失い、それ以降の記憶がない。
そして、今、目が覚めると医務室のベッドにいたのだ。
「あの紅音の容態はどうなんですか?」
「アカネ? あー、その子のことね。大丈夫よ、運ばれてきた時は重傷だったけど、回復魔法でなんとかなったわ」
ユーリの隣のベッドでは紅音がすやすやと眠っている。体中傷だらけだったが、その様子を見るに問題ないだろう。
紅音はロネとの戦闘に加え、ユーフィリアから致命傷を受けた。ユーリも一応、回復魔法をかけだが、残りの魔力量が少なかったせいで、十分な治療には至らなかった。
それに比べて、アロナは回復魔法のエキスパートだ。たとえ瀕死の状態であろうと回復させることが可能と言うが、実際に試そうと言う奴はいないだろう。
「先生、ありがとうございます」
「お礼なんていいのよ、仕事だから。あなたたちが運ばれてきたびっくりしたけど、一体何があったの?」
一通りの内容をユーリはアロナに説明する。説明して思ったが、あの交戦でよく生還できたと思う。下手をすれば死んでいてもおかしくなかったのだから。
それにあの場にはユーフィリアも現れた。ディザイエンド教団に入団していたことは正直、未だに信じきれていない。
行方不明だった彼女に何があったのか。たくさん聞きたいことがあったし、それがまた増えた。とはいえ、アロナ先生にユーフィリアの話をするのはどこか気が引けて、ユーフィリアの話を除いてユーリはすべての説明を終えた。
「そう、あなたたちも大変だったようね・・・。そうそう、ユーリ君あとでちゃんとお礼言っときなさいよ」
「誰にですか・・・?」
「ララちゃんよ。あの子、あなたにずっと付きっきりで看病してくれてたんだから。ふふっ、まったく健気な子ね」
とアロナはくすくすと笑う。
「そろそろ放課後だし、もしかしたらそろそろ来るんじゃないかしら」
予言めいたことをアロナが言うと、医務室のドアが開いた。
「アロナ先生、ユーリの様子はどうですか・・・? ユーリ?」
ララが入ってくると同時にユーリは目が合った。するとララは突然、目に涙を浮かべ、だだだっとユーリに駆け寄り勢いよく抱きついた。
「うわーん、ユーリが目を覚まして良かったよ! ひっく、ひっく・・・ほんとに心配したんだから!」
号泣し抱きつくララにユーリは思わず呆気に取られる。それに強く絞められているせいか少し痛い。むしろユーリの体をだんだんとぎゅっと抱きしめ、息が苦しくなる。
(でも・・・)
本当に心配してくれたようだ。ちょっと心配をかけ過ぎたかもしれない。
「あ、ユーリ起きたんだ。具合はどう?」
目線を上げると同じ魔法科のルナが来ていた。どうやら彼女も一緒に見舞いに来てくれたようだ。
「うん、ケガは大丈夫だけど・・・ちょっと今、ララに絞め殺されそう」
「はいはい、のろけごち。そのまま絞め殺されちゃえば? ハッピーエンドってことで」
なんてララは嘆息するが、早く助けて欲しい。
「まぁ、とりあえずあんたが無事で良かったわ。ララなんて大泣きして大変だったんだから」
「ほんとだよ! ユーリのばか!」
ララの顔は鼻水と涙の洪水状態だ。かわいい顔が台無しだ、とユーリは思うが、そんな顔をさせたのは自分なのだから謝るしかあるまい。
「ごめん、心配かけて・・」
「ユーリが無事ならそれでいいよ・・・。ところでユーリたちは何があったの?」
涙を拭いてララはユーリに尋ね、ユーリは先ほどアロナに説明したことを繰り返す。もちろん、ユーフィリアに会ったことだけはふせている。あまり言いふらしたいことでもないし、これは自分だけの秘密にしたかった。
「そう、教団・・・ね」
「そういえば、ララとユーリが出かけた時も紅音ちゃん狙われてたよね」
ルナは考えるように呟き、ララは以前の出来事を振り返る。
「ララの話がほんとだとしたら・・・その子、一体何者なのよ」
ルナは少し疑いの目で眠っている紅音を見やる。
ユーフィリアは紅音が王国を滅ぼすのに必要だみたいなことを言っていたが、詳細はユーリにもわからない。
紅音と王国がどんな関係にあるのか。
紅音に何か特別な力があるのか。
色々考えるも全く見当もつかない。そんなことを考えているとアロナがユーリたちの会話に口を挟んだ。
「はいはい、今日はそこまでね。ユーリ君も目が覚めたばかりだし、寝ている子もいるんだから」
今日はここまでね、とアロナは言う。
残念そうな表情をララは見せるが、「また明日ね」と挨拶を交わして、ララとルナは医務室をあとにした。
二人が去ると医務室は途端に静かになる。
少し寂しい気持ちがユーリの心に押し寄せるが、体のこともあるのでユーリはもうしばらくベッドの上で休むことにした。
◇
紅音が目を覚ますと辺りは真っ暗だった。
「ここは・・・」
暗闇の中、紅音は辺りを見渡す。
部屋の端の燭台にはろうそくが灯っていて、かろうじて部屋の中を確認することができた。外は真っ暗で、おそらく夜なのだろう。
自分はベッドの上にいて、隣にもその隣にもベッドが並んでいる。見慣れない部屋だ。しかし、建物の作りからしてここは学院だろうと紅音は判断した。
「助かったのか・・・」
気を失う前の記憶を振り返る。
ロネを倒し、ふと視線を感じた紅音は空を見上げるとそこには女がいた。
紅い魔女。そいつは故郷を燃やした張本人だった。紅音が探し続けた仇だ。
「くっ・・・!」
布団を強く握りしめる。
何も歯が立たなかった。
以前と同様に紅音はあっけなくやられた。
致命傷だったはずだ。けれど紅音は自分が生きていることに不思議に思う。
「こいつのおかげなのか・・・?」
隣のベッドで寝ている男。その男を見て、紅音はぽつりと呟いた。
(また、助けられてしまった・・・)
一度ならずとも二度も助けられてしまった。また借りができてしまった。
どうしてこの男はそんなにお人好しなのか。
単純にバカなのか、そんな疑問が紅音の頭に浮かぶ。
(・・・そういえば、名前を聞いてなかったな)
ふと紅音はこの男の名前を知らないことに気づいた。
誰とも慣れ合うつもりもなく、興味もなかったため名前を聞いてこなかったが、さすがに二度も助けられてはまずいだろう。
それに、お前や貴様ではもしもの時に困るはずだ。
「今度、聞いておくか・・・」
と呟いて、紅音は布団の中に再びもぐる。
それともう一つ。この男は何か言っていた気がする。
(あぁ、そうだ・・・)
もののついでにいいだろう、と紅音は思い出し、聞いてやることにした。
少し上から目線であるが、紅音にとっては受け入れやすい譲歩だった。
「ふん・・・」
くすりと布団の中で誰にも見せずに、紅音は朝を待つのだった。
翌朝。
一夜が明け、ユーリはいつも通り学院に登校していた。
「おはよう、ユーリ! ケガの具合はどう?」
教室に入って早々、ららが声をかけて来た。ピンクのサイドテールをぴょんぴょんと跳ねさせながら笑顔を浮かべている。
平気だよ、そう言いかけようとすると、ざわざわとユーリの前に一気に人の波が押し寄せ、人だかりができ始めた。
「教団と戦ったってほんと⁉」
「ぼこぼこにしたんだって⁉ やっぱ首席はレベルが違うな!」
「一撃で倒したんでしょ⁉ ユーリ君かっこいい!」
すごい、さすがと称賛の嵐が教室中に響く。かなり飛躍している話もあるが、否定する暇もないほどの大騒ぎだ。
「ちょっと! みんなストップ! ユーリはケガが治ったばかりなんだからそんなに押しかけないで」
がっと両腕を広げてララがユーリの前に割って入って来た。
「えー、こういう時くらいいいじゃん。ねぇねぇ、ユーリ君今度ごはん食べにいこっ!」
と一人の女子生徒が言い出すと私も、あたしも、と次から次から女子生徒が声を上げる。
「だ、だめーーーーーーーーー! ユーリはララのものなのっ‼」
今日一大きいララの声が響いた。すると突然、しんと教室は静かになって、自分が言ったことに気づいたのか、ララはどんどん顔を赤らめていく。
「はいはい、それくらいにしてあげて。ふふっ、これ以上はララの公開告白が始まったちゃうから」
人だかりを抜けてルナが顔を出してきた。その顔はすごく楽しそうに笑っている。
「ちょっと何言っているの、ルナちゃん⁉ そ、そんなのしないから!」
「ふふっ、大丈夫、わかってるから。告白するなら二人きりよね」
「全然わかっていないよ!」
顔を真っ赤にしてララは反論するも、ルナはくすくすと笑い続ける。
「ということだから、みんな散った、散った」
ようやくルナの声で人だかりは消え去った。
ユーリは何か爆弾発言を聞かされた気がしたが、今は聞かないでおくことにした。
「ありがと、ルナ」
「いいってことよ。あとで何か甘いもの奢ってね~」
一言ユーリはお礼を言うと、ルナは手を振って席に戻る。
そしてユーリとララもいつもの席へと移動する。
ララはまだ気恥ずかしそうに少し俯いていて、耳まで真っ赤だ。大丈夫? と声をかけたいところだが、火に油を注ぎそうだからやめておく。
席に辿り着き、椅子に手をかけると途端に教室の音が消えた。
周囲を見渡すと生徒たちの視線はある一点に向けられていた。
彼らの視線の先。教室の前には西條紅音の姿があった。学院の制服を着て、愛刀を帯刀をしている。
「え・・・」
突然の紅音の登校にユーリは目を白黒させる。
そしてあろうことか、紅音はユーリの隣へとやって来た。
ユーリの横に立ち、座ろうとせず紅音は直立したままユーリを見ている。
何か言いたいことがあるのだろうが、彼女の顔は無表情でよくわからない。
変な空気が漂い、ユーリはたまらず無難な挨拶をする。
「おはよう・・・」
「・・・あぁ」
一応返事はあった。ひとまず無視されなかったことに心の中で安堵の息がこぼれる。
「ケガの具合はどう?」
「大したことない」
「・・・そう、なら良かった」
すげなく返され、ユーリもただ頷き返す。
紅音の言う通り外傷も見られないし、ケガが治っているようで一安心だ。
それで会話は終わったと思ったのだが、紅音はまだユーリを見ている。まだ何か言いたいことがあるようだが、ポーカーフェィスでまったく読み取れない。むしろ目つきが悪いせいか、睨まれているようで少し怖い。
「まだ、何か・・・ある?」
おそるおそる尋ねると紅音はぽつりと呟いた。
「・・・なまえ」
「名前?」
「お前の名前だ! まだお前の名前を聞いていない!」
紅音は腹の底から声を上げた。
そういえばまだ面と向かって名前を言ってないことにユーリは今さらながら気づいた。
「ユーリだ。ユーリ・アインクラフト」
名前を名乗ると「そうか」と特に何もなく、紅音は隣の席に座った。
周囲からは妙な視線が集まり、特にユーリの背後からはララの冷たい視線が刺さっている気がしたが、おそらく気のせいだろう。
どうして学院に登校するようになったのか。気になるところだが今は聞く必要がないだろう。また今度、聞けばいい。
それよりも。
紅音が名前を聞いてくれたこと。それが何よりもユーリにとって嬉しかった。学院に登校してくれたことよりもだ。
ようやく紅音が心を開いてくれた気がした。誰にも頼ろうとせず、孤独であろうとする彼女がだ。それだけでユーリは報われた。
そして、ユーリは心の底から思う。
紅音が復讐をやめ、いつの日か魔法を好きになってほしいと。
(まぁ、それはまだ先の話か・・・)
なんてことを思いながらユーリは彼女の隣の席に座ったのだ。
紅音の将来が明るくなることを願って。
第一章 完