原点
女の子が泣いていた。
少女は目の前の魔物を追い払おうと魔法を放っていた。少女は芯が強く、恐れを知らない。魔法の才能だってあった。だから、少女はこれまで自分に牙を向ける魔物は幼い子供には見合わない魔法の力で簡単に倒してきた。
でも今は・・・。
少女の前に立ち尽くす魔物はびくともしない。
少女の何倍もの巨体。ごわごわした体毛はまるで鎧のようで魔物の爪と牙は少女の体を紙のように引き裂いてしまうだろう。
自慢の魔法をもってしても魔物には傷一つつかない。
魔物が吠え上がると少女は身を震わせ、少女の目には涙が浮かび上がる。
—助けなきゃ
少女の隣にいたユーリはそう思った。でも体は動かない。少女に倒せない魔物が自分に倒せるはずがないと恐怖に縛りつけられていた。
一歩一歩魔物は近づいてくる。その度に恐怖が増してくる。
涙ながらに少女は魔法を放つが、魔物の足は止まらない。
少女とユーリの前に影が覆い被さる。なす術もない少女とユーリは互いを抱き寄せ、誰かが助けに来るのを待つのみ。
そして魔物が大きな手を振り上げると空から光が落とされた。
目の前には焼け焦げた魔物の骸。
少女とユーリは助かったのだ。
空から魔物を倒し助けてくれた人物がゆっくりと降りて来る。少女とユーリの師匠だ。師匠は泣いていた少女とユーリの頭を撫でる。
撫でられながらユーリは腕の中にある少女に目を向けた。
少女—ユーフィリアは目が赤くなるほど号泣していた。身を震わせ、その震えはユーリの腕にも伝わってくる。
その時、ユーリは始めて思った。
—ユーフィリアも女の子なんだ
幼いユーリにとってユーフィリアは誰にも負けない最強で無敵で唯一無二の憧れだった。同じ期間、魔法を学んできたと言うのに彼女は短期間で上級魔法の域に達していた。
天才であった。ユーリは彼女の足元にさえ及ぼもしなかった。
でも、完璧ではなかった。ユーフィリアも涙を流すことがあったのだ。
彼女はほとんどこれまで泣き顔一つ見せたことがなかった。転んでケガをしても、ぐっとこらえ、「これくらい、へっちゃらよ」と強がっていた。自然と強い子なんだとユーリは思ってしまっていた。
そんな彼女が今ユーリの腕の中で泣いている。怯えていたのだ。
だから、この時ユーリは決意した。ユーフィリアを守ると。
もっと魔法を覚えて、ユーフィリアに負けないくらい強くなってみせる。彼女のそばに立って守るんだと誓いを立てたのだ。
(あぁ、そうだ・・・)
これは遠い遠い過去の記憶。そして始まりの原点である。
◇
「はぁ、はぁ・・・はぁ・・・」
肩を大きく上下させながら紅音はロネを見据える。
ロネも同様に息を切らしているが、まだ体力はありそうだ。
ぐっと手にを力を入れ、剣を握りしめる。
「ぬるいぞ、昨日のお前はもっと尖っていたぞ。人を殺したくて仕方がないってな。なのにどうした? てめぇ、やる気あんのか? それともなにか、そこのガキに何かほだされたか?」
「何を言うかと思えばそんなことか。ふざけるな、そいつに何を言われようと私のすべきことは変わらない。邪魔する奴は全て殺しやるさ。ただ・・・犬風情に本気を出す必要もないだけだ」
紅音は強がってみせると、ぴしりと冷気を感じた。表現しがたい殺気が首元に触れた気がしたのだ。
「そうか、てめぇはよっぽど俺様に殺されたいらしいな! 俺様を・・・尻尾を振るだけの犬風情と一緒にすんじゃねぇー‼」
ぎらつく眼光。
ロネの纏う魔法の鎧が一段と紫光を放つ。リミッターを解除し、ロネの全魔力が解き放たれた。もう容赦はしないと死刑宣告が告げられる。
思わず紅音は本能的に足を退いた。危険を察知し、すぐさま攻勢から守勢へと脳を切り替える。しかし、その消極的な判断が間違っていたのだろうか。
来る! そう思った時はもう遅い。
「ガハッ・・・‼」
神速の一撃が紅音の腹部を殴打した。
想定以上の速さに防御すらも間に合わず、ノーガードで受けた体はゴミのように吹き飛んだ。二転、三転と体がバウンドする。
「うっ・・・」
視界が霞んでいく。
決定的な一打だった。それで勝敗はついた。
体はもうピクリともしない。そもそも感覚さえ失われつつあり、体が残っているかさえはっきりしない。
「まだ、だ・・・!」
立ち上がろうとするも力は入らない。苛立ちが込み上げ、睨み返すことだけがせめてもの反撃になる。
ロネの足が一歩、二歩と近づいて来る。
宣言通り、必殺の一撃が紅音の命を奪い去ろうとして—。
「‼」
刹那、紅音とロネの間に電光が走った。
すっとロネは後退し、紅音の前に一人の影が立ち尽くす。
「おい、立てるか、紅音⁉」
一度は倒れたはずのユーリがそこには立っていた。
「バカ! 早く逃げろ! お前じゃ勝てない!」
痛みに耐えながら紅音が言うと、ユーリは吠えた。
「バカは君の方だ! 君一人で勝てる相手でもないだろ‼」
許せなかった。故郷も民も何もかも一人で背負おうとする紅音が。
復讐に走って、自分一人で解決しようとする。そんなもの自滅するに決まっている。
紅音は確かに強い。でも、最強ではないんだ。負けることだってある。下手をすれば自分の命を顧みず、死んでしまうこともあるだろう。使命に押しつぶされ、身を滅ぼす彼女を見過ごせる訳がない。
そしてそれを容認してしまうユーリ自身が何よりも許せない。
何を怖がっていたのか。
何を恐れいたのか。
何をためらっていたのか。
憧れに背くことが一番怖いはずだ。
孤独な紅音を救うことができずに王国一の魔法士であるユーフィリアを守れるはずもない。
憧憬を抱いた幼馴染を守ると誓ったならば復讐に囚われた女の子一人くらい救って見せろとユーリは己を奮い立たせた。
「君が背負っているものを理解したとは言わない。でも今は・・・僕に力を貸して欲しい」
紅音に背負うものがあるようにユーリにも背負うべきもの、貫くべきものがある。こんなところで負ける訳にいかない。放棄することなどありえないのだ。
「・・・生意気、言うな」
紅音は足に力を込める。力が入らないのならば、剣を突き立て、立ち上がればいい。
泥臭くても不格好でもいい。立たたなければ勝機すらないのだから。
負けたままで終わることが何よりの苦痛であることを紅音は知っている。敗北の苦み、苦しみを。
もう二度味わないために紅音は剣を取ったのだ。たとえそれが復讐だとしても敗者であることが紅音は他の何に置いても耐え難い、許容できないものなのだ。
「・・・私は、まだ負けていない」
目の前に彼の背中、彼の瞳に映るものを紅音は知っている。かつて紅音が抱いていた輝きだ。
かっこいいいと思っていた兄上。そうなりたいと思っていたもの。もう失ってしまったものを。それを見せられて黙っていられるはずがない。
「お前の言うことを聞いてやる。だが、足は引っ張るなよ」
ユーリの隣に立ち、紅音は再び刀を構えた。
「は、雑魚が二人揃おうが関係ねぇ。殺すだけだ!」
ロネの魔法は決して衰えていない。ビリビリとその体に電流を走らせる。攻撃でありながら強固な雷鎧。その鎧の前ではユーリの魔法でもダメージを与えることはできないだろう。けれど、手はある。
「紅音、あの魔法を断ち斬れるか?」
ユーリは注意深くロネを観察する。あの魔法の鎧は濃縮された魔力で編み上げられている。たとえ途切れたとしても奴の魔力量ならばすぐに戻ってしまうだろう。だが、紅音ならば一瞬でも魔法を無効化することが可能なはずだ。
それだけでユーリにとっては十分。一瞬さえあればあとはありったけの魔法を打ち放てばいい。
「二十、いや十五秒・・・。それであいつの魔法を斬ってくれ」
「任せろ」
一言頷いて、紅音は傷ついた体に鞭を入れ、刀を片手に駆け出した。
再び刀と拳が交り合う。
ややロネの方が優勢に見えるが、紅音も必死にくらいついていく。
その様子を前にユーリは魔法陣を生み出し、詠唱を紡ぐ。
「【闇に揺れる篝火 其は迷子の導き手なり】」
赤く灯る魔法陣。
焦るな、そうユーリは自分に言いかけ、集中し、魔力を流し込む。
汗が頬を伝う。チャンスはおそらく一度だけ。
紅音が生み出した一瞬の隙を確実に仕留める。
「【小さく 熱く かよわき炎なれど決して消えることなし】」
残り五秒。
残りの魔力全てを魔法陣に叩き込みながら最後の詠唱へと移る。
「【種は芽吹き 蕾は花に 災厄を晴らす大輪よ 聖火の如く咲き誇れ】‼」
詠唱終了。同時に紅音がロネの雷装を打ち砕いた。
「【光輝なる大炎華】‼」
大輪の華が咲く。
火花は花弁となり、火の粉をまき散らす。
火属性の上級魔法だ。これはユーフィリアの得意とした魔法でもある。いつしか彼女に追いつくことを願いながらユーリは花を開花させた。
そして火の花弁が散るように渦を巻き、業火がロネへと放たれた。
鎧を解かれた衝撃を受けたロネはダイレクトに魔法を受け、全身を焼き焦がす。
白目をむいて、ロネは膝をつき、ついには倒れた。
「勝った、のか?」
ユーリたちはロネに勝利した。
喜びと安心感がどっと湧き上がり、同時に魔力を大きく消費させたせいで体から力が抜け落ちる。
「ありがとう、紅音のおかげで助かった」
すとんと腰を落とし、座ったままユーリは礼を述べる。
「ん・・・?」
けれど、紅音はこちらを振り向きもせず、空へと目を向けていた。その目線の先には一人の女が空に浮かんでいた。
「誰だ・・・?」
その呟きが聞こえたのかは知らないが女はロネの側に降り立った。
「え・・・」
間近になり、ようやくその容姿がユーリの目にはっきりと映った。
炎を纏ったかのような紅髪紅眼の女。
黒のローブを羽織り、その様はまさに魔法士。いや魔女とも呼べる異様を放っていた。彼女の目つきに恐怖心をユーリは抱いた。
なぜすぐに気づかなかったのか。彼女が見違えるほど様変わりしていたせいなのか。
快活な笑顔は見る影も失せ、かつて宝石のように輝いていた彼女の瞳は血のように赤黒く染まっている。だが、ユーリは彼女の名を知っている。行方不明の幼馴染だ。
だから彼女が教団であるロネの側に立ち、その変わり様が冗談であって欲しいと願いながらユーリはその名を口にした。
「・・・ユフィ」
恐る恐る震えながら口を動かすと紅髪の女は答えた。
「久しぶり、ユーリ」
間違っていなかった。彼女は正真正銘のユーフィリア・スカーレッドだ。
声音こそ少し違えど、聞きなじみのある声だった。
「どうして・・・」
そんな風に変わってしまったのか。
教団側に立っているのか。
疑問は数多く脳に飛び交うも口にすることができなかった。
再開の喜びよりも驚愕と恐怖がユーリの体を支配する。
それでももう一度、言いかけようとして。
「貴様ぁーーーーーーーーーー‼」
怒号を上げ、髪を逆立て、突進するように紅音がユーフィリアへと斬りかかった。が、紅音の刃は届かず、ユフィの魔法の障壁によって防がれてしまった。
「邪魔をしないで」
「くっ、ようやく見つけたぞ、魔女!」
睨み合うユーフィリアと紅音。紅と赤の瞳が互いに交差するが、長くは続かず紅音は飛びずさりながら後ろへと着地する。
「貴様が私の故郷を、民を、家族を・・・絶対に許さん‼」
紅音の言葉にユーリは「え?」と言う間もなく、紅音は疾走する。何度も何度も剣を振るうが、ユーフィリアの魔法によってそれはすべて弾かれる。
なぜ斬れないとユーリは思わない。なぜならユーフィリアの魔法は純度が桁違いだからだ。ユーリでもわかるほど彼女の魔力は濃縮されている。ダイヤモンドに届かずともそれに匹敵する固さはあるだろう。
一方、紅音は先ほどの戦闘の影響か、明らかに動きが鈍い。復讐心のみで体を動かしているようなものだ。
「貴様に用はない。消えろ」
勝負はあっけなく着いた。
たった一振り。ユーフィリアの編み出した氷の剣が紅音の左肩から左胸を刺し貫いた。
「アカネーーー!」
血が噴水となって、氷の剣を赤く染める。
返事はなく、紅音は地面に空を仰ぐように倒れ、ピクリとも動かくなった。
「なんで・・・なんでなんだ、ユフィ‼ どうしてこんなことをするんだ!」
「どうして、ね。その女が連れて帰るのにうるさかったから」
「連れて、帰る・・・?」
「えぇ、その女はディザイエンド教団にとって有益となる。王国を滅ぼし、世界を破滅させるために」
「王国・・・? 世界・・・? なにを馬鹿なこと言ってるんだ! 前のユフィに戻ってくれよ!」
「それは無理な話よ。私もこの国を滅ぼすって決めたから」
無感情にユーフィリアは言う。彼女が何を言わんとしているのか、ユーリには微塵も理解できない。まるで別人と話しているようだった。
「そのためにはその女が欲しいところだけど気が変わったわ。今日のところはやめておく」
背を翻し、立ち去ろうとするユーフィリア。その背中にユーリは待ったをかける。
「待ってくれ、なんで・・・ユフィはこの国を滅ぼそうとするの?」
せめてユーフィリアの意思を知らなければ、ユーリは納得がいかない。そもそも彼女が何の意味もなく、王国を滅ぼそうなどと考えられない。
「一つだけ教えてあげる・・・極東戦争。すべては一年前の極東戦争にある。あれはただの戦争なんかじゃない・・・。まずはそれを調べるといいわ。それを調べればユーリもこの国が、あなたの住む世界がどれだけ醜悪か、わかるはずよ」
最後にその言葉だけを残してユーフィリアは倒れたままのロネに触れながら魔法陣を起動し、その場から去っていった。