再戦
「それじゃあ、行こう」
朝になり、ユーリたちは学院へと戻る。
学園からかなり離れてしまったが、今から歩けば昼前には着くだろう。
紅音は顔を合わそうともせず、「あぁ」と返事し、歩き始める。けれどユーリは顔をしかめた。
「待って、どこ行く気なの?」
「どこって学院に決まっているだろ」
「方向逆なんだけど」
「・・・」
ぴしっと紅音の表情が固まる。顔を赤めて見るからに恥ずかしそうだ。
「ならもっと早く言え!」
ふんと顔を背け、紅音はずしずしと正しい方へと歩いていく。
(もしかして方向音痴か?)
ふと疑問を浮かべながらユーリは紅音の背中を追う。
昨日、雨で濡れた森は少し足場が悪い。ただでさえ獣道のようなごつごつとした道を進んでいるため歩きづらい。ふとした拍子に石に躓きそうになる。
(きつい・・・)
ユーリにとって慣れない山道は険しく、一歩一歩踏みしめなければ思わず転びそうで前に進めない。
一方、紅音はユーリを置いてどんどん先へと進む。身軽にすたすたと歩き、どうやら山道を歩き慣れているようだ。
「はぁ、はぁ、紅音・・・ちょっと歩くの早くない?」
「お前が遅いだけだ」
ユーリの声に耳を貸そうともせず、紅音は歩みを止めない。もうすでにかなりの距離を歩いたと言うのに未だ彼女は息一つ切らしていない。わかっていたことだが、紅音はすごい体力の持ち主のようだ。振り返ればユーリが始めて紅音と交戦した時も彼女は驚異的な身体能力を発揮していた。
「ねぇ、紅音ってほんとにお姫様だったのか?」
紅音の足が止まり、ようやくユーリはその背中に追いついた。
「いきなり何を言うかと思えば、お前は私をバカにしているのか?」
「そうじゃないけど、女の子なのに体力あるからさ」
「そんなことはない。だが、私の場合、小さい頃から外で遊ぶことが好きだったからな。村の子たちとはよくチャンバラをしていた」
「ちゃんばら?」
「模擬刀で試合をすることだ・・・まぁ、それでやりすぎて家の者たちにはよく怒られたがな」
チャンバラと言うのはよくわからないが、話を聞く限りどうやらお転婆なお姫様だったようだ。
「もう一ついいかな? 紅音の持ってるその刀って何か特殊な力でもあるのか?」
紅音との戦いでユーリは魔法陣を断ち切られた。通常、そんなことはありえないのだ。何か特殊な力があるとしか考えられない。
「この刀のことか? 特殊な力があるかは不明だが、この刀は代々受け継がれてきたものでそれを私が譲り受けたのだ」
鞘に触れながら紅音は語り出し、刀剣についてもう少し詳しく説明してくれた。
刀剣の銘は『黒妖』。剣の色にふさわしい名だ。
極東のとある名工が作ったものらしく、その刀には黒妖石という鉱石が使用されている。
「その黒妖石って言うのはなに?」
「私も詳しくは知らんが、その石には魔を断つ力があるらしい。妖怪あるいはお前たちで言う悪魔を追い払う力があるみたいだ。実際に私の国では黒妖石をお守りにしている人がいた」
「だからって悪魔と魔法を一緒にされても困る。それで魔法を打ち消すってことにはならないだろ?」
「そうかもな。他の者がこの刀を使って魔法を打ち消すことはできなかった」
「だとしたら、どうして紅音はそれができるんだ?」
あまりにも不可解だった。そう思って、ユーリが問いかけると紅音は変な回答をして、それがさも当然であるかのように答えた。
「形があるのだから斬れるに決まっているだろう」
「はぁ?」
魔法には形がある。そうユーリには聞こえた。魔法は確かに魔法陣として視覚することは可能だ。しかし、手で触れようとしてもすり抜けるだけで触れることはできない。実体として存在しないのだ。
「それってどういう—」
思考から顔を上げ、紅音に詳しく聞こうとすると、彼女は足を止めていた。ようやく獣道を抜け、少し整備された場所まで来られた。
このまま進めばいつもの練習場所に辿り着けるし、学院ももう目の前だ。
だが、奴はそこいた。
「やっと見つけたぜ」
獲物を見つけたような眼光でユーリたちを睨みつける男。飢えた獣ように狩りの時を待っていたのだ。
「また貴様か、ロネ。さっさと帰れば良かったものを」
「けっ、ふざけるな。そんなことするかよ、俺は狙った獲物は逃がせねぇ・・・!」
ロネと呼ばれた男は唾を吐き捨て、紅音に狙いを定める。
事情を知らないユーリは紅音が彼に何をしたのか、ぼそりと尋ねる。
「紅音、何をしたんだ?」
「私は何もしていない。教団のあいつが勝手にやって来たんだ」
「教団・・・?」
また教団か、とユーリは不思議に思う。前回も紅音は狙われたと言うのに、また狙われている。
ディザイエンド教団は何故、紅音を求めているのか。
そうユーリは疑問を抱いていると、ロネと視線が合った。
「おい、そこのお前! お前に用はない。さっさと失せろ」
「待ってくれ、なぜ教団は紅音を狙っている?」
「お前に答える必要はねぇ。ただ、こいつが俺を犬呼ばわりしやがった。だからこいつを殺す・・・!」
悪口を言われただけで相手を殺すとは奴の器の小ささが知れるが、ロネが紅音を殺そうとするならそれを許容することはできない。
なぜならユーリには紅音を授業に出席させるという依頼があるからだ。そのためには彼女に死なれては困るし、ユーリの求めているものも手に入らない。
他にもある。紅音の過去を聞いてユーリは思ってしまった。
故郷を守るために戦いそれでも守り切れずすべてを失った彼女。それでも紅音は故郷のことを思って復讐に身を焦がし、戦い続けようとする。
誰にも頼る事ができず、孤独に剣を振り続ける。いつしかその刃が相手の首に届くことだけを求め続けて。
それで紅音は救われるのか—否。
孤独の復讐の先に何があるのか—否。
灰色の人生に意味があるのか—否。
ユーリは紅音のすべてを否定する。紅音に恨まれようとも構わない。ここで紅音のことを見過ごし、彼女がこれから復讐に生き続けて行くことはユーリの望むことではない。
だから、ユーリは宣言する。紅音を独りしないために。紅音が間違った道に進まないように。ユーリは戦うと決めた。
「悪いけど、僕はここをどくことはできない」
「はぁ、てめぇは俺の邪魔をするって言うのか?」
「そうだ」
「・・・そうか、だったら二人共々ここで殺しやる‼」
ロネが牙を研ぎ澄ませる。
「【紫電雷装】‼」
爆発的に雷が膨れ上がり、紫を伴った光が目を焼き付ける。
電光雷轟。魔法の余波に草木は波を立て、微かな静電気がユーリの肌を撫でる。
「いくぞオラッ!」
雄たけびを上げ、ロネが電撃となって大地を蹴り上げる。同時に紅音が抜刀し、疾駆。ロネの拳を迎え撃つ。
弾ける火花。拳と剣が激突し、森がどよめく。
「オラオラオラッオラッ‼」
「ハァァァァァッァァァ‼」
互いに繰り出される連撃。
まるで一撃一撃に太鼓が叩かれているかのような衝撃だ。大気は痺れ、大地は揺れ動く。
激しく荒々しいロネの攻撃に、紅音も一歩も引かずに喰らい続ける。正面から真向に勝負し、力技で押し返すのだ。そして隙を見てはぐっと剣を握りしめ、反撃に出る。
「ハァァァ!」
ロネの肩口に刀が振れ、血が垂れる。が、ロネは微塵も気にもせず、憤怒を爆発させ、体を回転させながら脚を振り切り、紅音の腹部を捉える。
「カハッ・・・」
受けた衝撃に紅音は足を滑らせ、刀を突き立てなんとか耐え抜く。防御が間に合わず、もろに脚が入り、紅音の口から唾液が飛び出した。
「殺す気で来い。今のてめぇの剣はぬるすぎる! 昨日の威勢はどうしたっ! そんなんだから、他人に振り回されてるからてめぇは弱ぇんだ! 弱いからてめぇは何も守り切れず、国が滅んだんじゃねぇのか! すべててめぇが弱ぇせいなんだよ‼」
「黙れーーーー‼」
ロネの罵倒の連続。紅音の琴線に触れ、紅音も同様に怒りを心頭させ、反骨心から立ち上がる。赤の双眸を光らせ、脚に力を込め、疾走し跳躍する。
上段から刃が振り下ろされる。しかし、ロネは鎧で固めた腕を交差させ、刀を受け止める。そのまま剣を弾き返し、飛びずさった紅音に再び襲い掛かる。
「舐めるな‼」
「死ねぇ‼」
怒涛の連続。戦に身を投げた者たちの戦いだ。
一撃一撃が相手の命を奪い取ろうとする。己の命を守るため。いや違う。彼らに己の命など眼中にはない。
相手の命を奪う、それだけだ。ゆえに己の身などどうなっても構わないのだ。
「・・・なんでだ」
目の前の戦闘にユーリの足は震えていた。
戦う。そう心に決めたはずだった。
戦わなければ紅音が死んでしまうかもしれない。彼女のためにも戦うと杖を取ったはずだった。
動け。戦え。彼女を助けろ。
脳は何度も同じ命令を下すが、体は一切言うことを聞かない。脚は泥沼に落ちたかのように囚われ、震えている。力が入らない。
(・・・動けよ)
脚を手で叩いても、脚の震えは収まらない。その叩いた手でさえ震えているのだ。
顔を上げれば紅音はまだ戦い続けている。傷も増え、息も荒れてきている。だが、紅音が止まることはない。振るった刃でロネの命を奪い、葬り去るまで。
ユーリの視界に映るのは死闘だ。命を懸けた戦いだ。負ければ死あるのみ。
「動けよ!」
叫ぼうとも脚の震えは変わらない。
あの戦いに身を投じれば死は免れないだろう。心の中で弱い自分がそう囁きかける。
怖いんだ。
普段の模擬戦とは訳が違う。切り傷や打撲で終わらない。終わるのならばそれは死だ。
「・・・なんでだよ!」
自分が情けない。何のために魔法の練習を積み重ねてきたのか。この時のためじゃないか。
戦うため、強くなるために、努力してきたはずだ。情けない思いをするのではなく、負けないために弱虫で終わらないために。
だが、肝心な時に限って体は言うことは聞かない。
戦慄が、恐怖が、死がユーリの体を支配していた。
「おい、避けろ!」
はっとユーリは顔を上げる。目の前には拳を引いたロネ。
「雑魚はどいてろ!」
「げほっ・・・⁉」
腹部に鈍痛が走り、腹の奥底から吐しゃ物が吐き出される。無防備のままユーリはロネの一撃をくらい、吹き飛ばされ、一瞬意識が落ちる。大木に背中を強打し、痛みと吐き気とともに再び意識が戻る。
「げほっ、げほっ・・・」
吐しゃ物が流れる。喉の奥から押し寄せ、血と胃液が口の中に溢れかえった。
ユーリは戦いから気を逸らしてしまった。戦闘に集中せず、自嘲に陥ってしまった。
その末路がこれだ。
頭はぼぅーとし、地面が近い。指先が地面を這う。やがて全身から感覚が消えていき、視界も霞んでいく。
その先で紅音はまだ剣を振るい続けている。
「あ、かね・・・」
ごめん、そう呟きかけてユーリの意識は途切れた。