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平成が終わる前に  作者: 書常時雨
3月が終わる前に
9/33

3月が終わる前に⑨

 私は最後まであの涙の理由を話さなかった。あの後私は講習に出ないで家に帰った。泣いた後の顔を彼に見せるのはとてもダサいことだと思いリュックにたまたま入っていたマスクを取り出してそのまま家路を辿った。北風が夏を完全にかっさらってその分冬をこの街に運んできているようだった。


  翌日、私は18年住んでいたこの家、この街を去ることになった。玄関から出て後ろを向くと家でも隠しきれないほど近い距離に大きな山がある。ここは数少ない住宅地の中にある家でそこを抜けると1面田んぼが広がっていた。所々に融けるタイミングを失って申し訳なさそうに雪が白い肌を見せていた。3月が終わって4月になるのに気温は3月の初めとさほど変わらなかった。私は左腕に付けてある腕時計に目をやった。7時半を知らせてくれると同時にお酒をモチーフにしたオードパルファムの香りが私の鼻に触れた。

「じゃあ、行こっか」

「うん」

 新幹線の乗れる駅まで送ってくれるのは2番目のお姉ちゃんだった。確かお姉ちゃんは方向音痴だった気がした。少し不安が残るが地元を離れる前に水入らずな姉妹で思い出を正直に話せそうな気がした。

  父と母は仕事で私たちが出る前に車で職場へ向かっていた。


 お姉ちゃんがエンジンをかけるとクリープハイプのハイトーンボイスが車内を包んだ。私はその曲に似合わないけれども欠伸を1つした。

「お姉ちゃん、私あんま好きじゃない」

「いいじゃないの!クリープハイプいい曲たくさんあるよ!」

「元彼が好きだったから聴きたくない」

「なるほどね」

 お姉ちゃんはBluetoothで繋がれたスマホを操作し別の曲が流れてきた。いつもはレゲエを歌っているアーティストだがこの曲は男の人とフューチャリングしていておりバラード調だった。

「この曲、今の私の状況ぽいね」

「でしょ〜!選曲神っしょ?お姉ちゃん天才だね〜」

 それは本心なんだろうか。三姉妹の中で1番勉強が出来なくてドジばかりなのに。

 次に流れてきた曲はアーティスト名がフランス語で「愛する」という意味がある人が歌っている曲だ。とても冷たくて「こんな私を見つけてくれてありがとう」というニュアンスのある曲だった。

「あんたまた香水付けたでしょ?」

「あ、バレた?」

「そりゃ匂いキツいもん。新しく買ったの?」

「ううん、元彼とお揃いで買った香水」

「結構高かったから捨てられないんでしょ?」

「そうそう」

「後先考えずにこの人!って思っちゃうんだから」

「お姉ちゃんだってそうじゃない?」

「……」

 お姉ちゃんは決まり悪く黙ってしまった。

 次は180°だったか360°がとてもいい曲だと思ったアーティストが歌っていた。曲の最後にプロポーズするホッコリする曲だった。

「お姉ちゃん彼氏できたの?」

「これでできたと思う?」

「ううん」

「おい、いくら姉妹でも言っていい言葉ってのがあるだろ?」

「させーん」

「正直なこと言うと、結婚したい人と付き合ってる。お母さんにもお父さんにも1度会わせたことあるの」

「そんな事あったの!?いつ連れてきたの?」

「んー、ヒ、ミ、ツ」

「ケチ」

 そんな会話をしていたら平成初期を感じさせるバンドの曲が流れてきた。

「このバンドなんて名前?」

「WANDS」

「知らなーい」

「私の彼が好きな曲なの。青春時代の曲だって言って」

「え!?オッサンじゃない!?」

「今年で48」

「お父さんとお母さんって確か…」

「53」

「まさかの年上好き!?」

「うん、でも彼は全く歳を感じさせない人でね」

「はぁ」

 絶句した。義兄さんになる人がそんな年上なんて。夜明けは来るから笑ってろ。心配すんな、泣くなという意味が込められている曲だった。

 お姉ちゃんは思い出したかのように車のCDを入れるケースの中から煙草とライターを出した。そして煙草の先端に火を付けてお姉ちゃんの右にある窓を少し下げて口から煙を吹き出した。

「え!?煙草ぉ!?」

「うん、合法だよ」

「お姉ちゃん、いつから?」

「高校生!」

「え!?意味わかんない!どうしてそんな時期から?」

「まあ、いろいろあってね」

 お姉ちゃんは右手に煙草を挟めたまま器用に運転しながら右手を口まで持ってきてそして煙を吐いた。

「このことはナイショにしておいてね」

「うん、言っても信じてくれないだろうし」

 煙草とお姉ちゃんが様になって見えた。私には到底届かない大人な感じが妙にかっこよかった。


 無事に駅へ着き、お姉ちゃんは「元気でね」と言って私を下ろして駅まで来た道を辿って行った。衣類の入ったキャリーバッグと必要な教科書と英和辞典を詰めたリュックサックを担いで平成という産物を享受し新しいものを取り入れることを忘れてしまった街ともお別れだ。これからは新しいものが生み出される街東京へ行くのだから。この街にはオレンジが似合う。彼もオレンジと青のユニフォームを纏ってスタジアムで応援していると言っていた。ああ、また彼のことばかり。

 南口から新幹線乗り場への改札口を抜けて希望と不安が入り混じった足音を立てながら上のホームへと歩みを進めた。ホームにはキヨスクとゴミ箱がポツリと置いてあった。私は重たいリュックを下ろしそこから黄色い袋を取り出した。これは彼と一緒にオードパルファムを買った店の袋だ。その中には香水とお揃いのキーホルダーと彼と一緒に撮ったプリクラ数枚が入っていた。目を瞑って深く深呼吸する。冷たい空気が肺に入っていくのを確認できた。電車の通る音が聞こえる。駅内に響き渡るアナウンス、ビジネスマンの新聞をめくる音。全てが新鮮に聞こえた。そして私は黄色い袋を無表情の金属でできた箱に投げ込んだ。

「バイバイ。トオル」

 きっと東京へ行っても大丈夫。新しい出会いがあるかどうか分からないけれども今はこれで良かったんだ。お姉ちゃんの車内で流れていたクリープハイプの曲のサビが頭の中で再生された。そのサビは私の縮こまった背中を強引に押してくれているような気がした。

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