平成が終わる前に①
世の中は「平成最後の〜曜日」と騒ぎ始めて7日目になった。テレビは特番で埋め尽くされてどのチャンネルでも平成おじさんと呼ばれていた小渕元総理が「平成」と堂々と書かれた額縁を上げている映像が流れていた。
世は4月30日、バブル期に栄えて崩壊とともに発展を止めたこの街の一角にあるダーツバー501では冷めた目で2人の男がテレビを見つめていた。
「馬鹿だよな。そうやってメディアに踊ろらされて」
「まあ、楽しいからいいんじゃない?」
俺は胸ポケットから煙草を取り出してライターで火を付けた。
「お前は楽観的だよな」
「だから俺は社長に向かないんすよ、社長」
今日の来客は岡本春夫。この地域では知らない人はいない岡本商事の社長である。
「もともとお前が次ぐ予定だったろ?家業をな」
「でも俺は自由を選んだ」
俺は藤村冬樹。いや、これは偽名であって、本名は岡本冬樹だ。
岡本商事の創業者である岡本竜秋は父であり、現在の社長の岡本春夫は俺の兄である。
30年前、俺は高校3年生、春夫は大学4年生だった。春夫は目指していた経済学部が有名な国立大に受からず、東京の私大へ進学していた。
ぶっちゃけ俺の方が春夫よりも頭が良かった。だから竜秋は、「春夫よりも冬樹に家業を継がせろ」とずっと言っていた。
俺は不服ながらも竜秋の前では「はい」としか言えなかった。
竜秋はとても厳しい父親だった。が、割と息子である俺らに関して家業以外は強制せず、好きなことをやらせてもらった。ぶっちゃけ2人に勉強すら強制させなかった。
どうして強制させなかったのか。20歳で美味い酒を飲みながら聞きたかったが、それはもう出来なかった。
高校3年生の秋、竜秋は突然この世から去った。原因は心筋梗塞だそう。
春夫は東京から新幹線に乗って帰ってきた。俺も担任からその話を聞いてすぐ早退した。竜秋は真昼間に、俺がよく連れて行ってもらった昔ながらの定食屋で、カツ丼を食べ終えてから倒れたそうだ。
竜秋は、「俺が死ぬ時にはお前達の母さんの作る煮物かあの食堂のカツ丼を食べて死にたい」と俺らに話していたことを思い出した。まるで自分の死を予測していたかのように、この地域のカリスマ経営者は53歳で亡くなっていった。
それはニュースにもなり、バブル期の世間を騒がせた。
社長は遺言通り俺になる予定で、大学を卒業するまで春夫が社長代理を勤めることになった。
あの頃は普通に息を吸っていれば仕事が入ってきていて、社長になれば金は困らない。だが、竜秋が死んでから俺の中では家業を継がずに自由に生きていきたい。そんな気持ちが芽生えてきたのだ。




