幸せになる前に③
私を助けてくれた茶髪の男はバーテンダーらしい。平成のはじめにこのバーを経営し始めたらしく、彼曰く「平成が終わるときに閉めるかもな」とボヤいていた。当時高校生だった私からすれば平成が終わるなんて想像もつかなかった。昭和のように50〜60年続くと勝手に思っていた。
「家は?」
「ここから40km先にある山の方です」
「随分遠いところから来たんだね」
この後、駅まで送ってもらい、電車に乗って家まで帰った。親にはもちろん、しっかりと怒られた。それに関しては覚悟の上で家路を辿ったので怖くなかった。
後日、私は言えなかったお礼を言うために彼のいたバーへと向かった。学校が終わってそのバーへ向かってもまだ開店前で入れなかった。このバーがあるところは以前、私が男に声をかけられた通りにあった。だから外で待つことに躊躇した。またあの男が来たら怖い思いをしなければならなくなってしまう。それ以上に彼に会いたかった。
30分くらいたっただろうか、寄りかかってた扉が私の背中を押す感覚があった。私はケータイ(私が高校生だったのでガラケーが主流だった)をいじっていて突然扉が開く音が聞こえ、身体に電気が走ったようにビクッとなったが、「うわぁぁぁぁぁ!!!」という声が後ろから聞こえ、後ろを振り向くと私を助けてくれた茶髪の男が腰を抜かして驚いていた。
悪気よりも悪戯心に似た感情が湧き上がり、ついには笑いを耐えられずニヤニヤとしてしまった。
「どうしたの!?高校生がこんな所に来て……ってあれ?この前の女の子?」
「はい。助けていただいた時にお礼を言うのを忘れてしまったのでお礼をしにここへ来ました」
「そんなそんな、お礼なんかいいのに。って、いけね!立ち話も良くないし、入って入って!」
バーの中はお酒と煙草の匂いで充満していた。この頃の私には好きじゃなかった匂いだ。
「ここはね、ダーツバーなんだよ」
「だから的が置いてあるんですね」
「そう!1回やってく?」
最初、彼がお手本を見せてくれた。スマートな細い身体から放たれるダーツは真ん中を射止めていた。それを見ていたら私も出来る気がして「なんだ、ダーツなんて簡単じゃん」とダーツの話になると必ず彼にいじられる原因を作ってしまった。
実際とても難しく、1回もBULLにはかすりもしなかった。
「難しいでしょ?」
「はい…。簡単じゃなかったです」
「それが分かればよろしい」
彼は「ほら見ろよ」と言わんばかりの笑顔を作っていた。
「でも俺の兄貴はもっと上手かったぜ、いつもコテンパンにやられてたっけ勉強の休憩時間とか放課後とかダーツバーへ行って沢山練習したんさね」
「へー!お兄さんがいたんですね!」
「そうそう!俺にとっちゃぁ憧れだった兄貴なんさ」
彼がダーツをしている最中やダーツをし終えた後は訛りを効かせた喋り方になっていた。
「そろそろ帰らなきゃじゃない?」
「あ!ほんとだ!」
時刻は午後7時を回っていた。帰ったら「勉強していた」と言い訳すれば許してもらえるギリギリの時刻だ。
「気をつけて帰れよ。このバー出てコンビニへ向かえば大通りだから少し遠回りになるけれどそっちの方が安全だからね」
そう言って彼は胸ポケットから煙草を取り出し、それを口に運んで、先端にライターで火を付けた。彼の吐いた煙の匂いが私の鼻にやってくる。それを臭いと思わず、心地の良い匂いだと思った。
「あの……また来てもいいですか?」
「もちろん!いつでもおいで。待ってるから」
彼は笑顔でそう言ってくれた。




