3月が終わる前に①
平成最後の入試を経て私は第1志望の大学は落ちてしまったものの晴れて大学生となって東京へ旅立つことが決まった。勉強机と大きな青のキャリーバッグだけになってしまった空っぽの部屋で1人クローゼットの中にあるプラスチックの箪笥を漁り、持って行くもの捨てるもの置いて行くものを選定していた。時間が経つにつれオレンジ色の西日が容赦なく私を照らしていた。
これはいらない。これもいらない。中学生で買った髪留めまだあったんだ、センスなかったな私。もちろんいらない。これは……。綺麗な水色のグラデーションで彩られた星の形をしたヘアピンが出てきた。明後日の昼前に新元号が発表されるこの国は期待に胸を膨らませていたが私は殺風景になってしまったこの部屋で沈んだ気持ちを隠しきれずにヘアピンを見つめていた。
「そのヘアピン、いいね」
不器用に私を褒めた彼を見る限り女子と2人きりになることに慣れていないと感じ胸をなでおろした。1年生の初め頃に彼はクラスメイトの1人と付き合っていた。出会ってすぐに付き合うところから「軽い男」ではないかと少し疑っていたところはあった。
「今日はありがとう」
「え?」
「突然夏祭りに誘ってごめんね?」
「あ、いいのいいの。俺も丁度空いてたし。こっちこそごめんね。友だちと回る予定だったでしょ?」
「まあ、でもそれはいいの。あ、いいのってのはどうでもいいって事じゃなくて……」
どうしていつものようにしっかりと喋られないんだろう。そんな自分に少し腹が立った。夕方なのにむせるような暑さのせいなのか、手汗が酷かった。彼に見えないように着ていた浴衣に汗を染み込ませていた。
「あのさ……」
いきなり彼が言葉を発するから身体に電流が流れたかのようにビクッとなった。
「かき氷食べる?あそこに屋台あるし」
「うん」
会話終了。全く話が弾まない。彼と一緒にいて楽しいのにいつものように話していいのか分からなかった。川沿いの遊歩道と斜面を緩くして人が座りやすくしておいた堤防には花火を見る人で座る場所もなかった。彼は必死に座れる場所を探しているのだろう。
「ここにしよう!」
彼がやっと見つけたスペースに私も座った。もう日が落ちてきて少し寒さも感じていた。正面に広がる大きな幅の河川とその奥に広がる高層住宅。その景色は綺麗で忘れることなんてないだろう。「シートなくてごめんね」と周りを見渡しながら彼は言っていたけれど彼との思い出として残っているものならば汚れでもいい。ただ、大人になっても彼にはこの夜を忘れなければいいんだ。右斜め前に中国語を話している男女のグループが堤防の傾斜で倒れた缶チューハイに気付かずに大きな声で話していた。差別は良くないって分かってはいるが言葉が通じないということは少し怖かった。
そろそろ花火が打ち上げられようとしていた。堤防いっぱいに響き渡る女性のアナウンスが心を踊らせてカウントしていた。私も彼もワクワクしていただろう。彼の顔には緊張が解れた横顔が見えていた。「ドーン」と全身を伝って心臓に衝撃が走った。しかし肝心の花火は河川を正面にして左側にあった大きな橋によって遮られていた。
「なんだ〜、ここだと見えないのか」
彼が笑いながらそう言っていた。
「動こっか」
「そうだね」
「はぐれないようにね」
「うん」
私は彼の持っていた質の良さそうなトートバッグの紐を右手で掴んで彼の二の腕をさり気なく触った。