金ない仕事ない、その前に住所ない!
コール音、コール音、コールお……
出た。
「すいません、あの」
おれは電話の向こうのおねえさんに向かっておずおずと要望を告げる。
「過払い金があるか調べてほしいんですけど」
すると、名前だの過去に金を借りてた機関の名称とか借入日、返済期間だの一通りのことを聞かれ、おれが答え、というやりとりののち、少し保留音を聞く。
音楽の終わった後にくらった答えは……否!というか借りた時期的にあり得ないというような話だった。
呆然としながらスマホを耳から離し、通話停止ボタンを押した。発信ボタンを押す前と同じ駅前のざわめきが再び耳に入り込んでくる。そしてじりじりと腕を刺す日差しに乱暴な夏の到来を感じた。
終わった。最後の望みが絶たれた。まじい。まずすぎる。
ま・じ・い
日陰に吸い込まれるようにファーストフードの軒下に移動したおれは、癖でスマホのchromeを開く。するとさっきまで開いていた求人サイトが浮かび上がった。そのせいで先月の求人応募先での面接のやりとりがまた頭に蘇ってしまう。
「あれ、前嶋さん、お住まいはI県ですか。随分遠いですね」
面接官……作業服を着た中年男性の、履歴書を広げての第一声がそれだった。おれは来たぞと構えながら答える。
「はい。実家がI県なんです」
「ではそこから通うのですか」
「いや、こっちに住もうと思っています」
「住まいはまだ決まっていないんですか」
「はい」
「今から部屋探しをして、契約をするんですね。すると入社はけっこう先になりますね」
「いや、大丈夫です。ネットカフェから通います」
沈黙。おじさんの眉の間が0.1ミリくらい寄る。
やっぱあの一瞬で“はいさようなら~”が決まったんだろうなあ。
それなら、と思って別の会社では少し変化球も出してみた。初めは実家から通うとか、友人宅から通いますとか、部屋は見つかりそうです、とかさ。でもまともに考えて実家からは通勤するにはあり得ない距離があるし、アパートの契約だって成立する確証ないし、まあ普通に後日サヨウナラされた。
金ねえー!って、これ今月入ってから何回言ったかな。億単位かも知れない。気持ちがこれ以上沈むのを防ぐため、おれは元バイト仲間で時々泊めてくれたりもする花田のアパートへ行った。『いる?』『お』という短いやりとりで在宅を確認したのちに。
*
「おれ宇宙の塵だな。しにたい」
おれのいつもの愚痴を完全にスルーする丸い顔の花田は、ペットボトルの茶を何かの景品のグラスに注いでくれた。サンキューと言って喉を潤すと、香ばしさが口に広がる。夏の匂い。
「これ麦茶?」
「わかんね。書いてあるんじゃね……あ、麦茶だ」
残りわずかな2リットルペットボトルのラベルを眺めながら花田は答える。さすが鳥と豚、牛と豚が識別できない舌の持ち主だ。
「面接だめだったんか、また」
「まあ」
そう答えたおれはテーブルに肘をつきながら付け加えた。
「なんか、部屋借りる金が溜められて、なおかつ住所不定でもできる、二つを兼ね備えた仕事って意外と難しいな」
花田は夕べ飲んだらしいビールの缶を台所に捨てに行きながら問いかける。
「うちの店戻ればいいじゃん、部屋付きだし」
「それがやだからこうやって彷徨ってんじゃん、モテもしねーのに誤解で揉めるのはもうヤ!」
おれは前の職場、花田が今も勤めてるキャバクラを、まあ円満退社とはいえない形で辞めた。Aというキャバ嬢に執着心を燃やしていた店長が、よりによってAどころか誰にも惚れられてなんかないおれとAとの関係を妄想し、他の女子も巻き込んで事が大きくなった。そして店長のパワハラと一部女子からの批判を浴び、嫌になって辞職という顛末だった。
「あの業界は入るのは簡単でもなあ。色も付けられないくらいブラックだしな」
おれが吐き捨てたその言葉を聞いて花田は笑った。
「色付けられないって、透明じゃん。ピュアッピュアなおれにぴったり」
「うるさいなー、早く出勤準備しろよ、もう三時だぞ」
いつものやりとり。やっぱり笑うと多少気分は晴れるようだ。
*
花田が居ていいというので彼の出勤後もおれはその部屋で無為に過ごした。扇風機に当たりながら畳に横たわり、スマホをいじる。最近のおれの日常業務だ。
chromeを開いてももう見るものなんかないのに、何気なく賃貸サイトを見に行く。入居費用何でないけどねーあはは。しかし。いつものように『安い順』で一覧表示したその一番上の枠にある数字がおれの目を射る。
「一万円!?」
夢中で詳細ボタンを押し、スクロールして下を見ていく。敷金礼金ゼロ、仲介手数料サービス。一か月フリーレント。他にかかるのは保険料15000円だけ。
「ほ、ほんとか?」
さらに飛び込む文字。今月入居限定キャンペーン物件、この記事が気になっている人が50人います、だと?おれは唾を飲む。不動産屋はどこだ?お、駅前のあそこじゃないか。
「善は急げだ」
風呂はないけどさー、ネカフェでワンコインシャワー浴びられるし問題ないじゃん。なにしろ住所が手に入るってことが重要だからね。
*
おれはさっきまでいた駅前に舞い戻り、不動産屋の自動ドアをくぐりカウンターに突進した。そして店員のすすめに応じ座るやいなやスマホの画面を指し示す。
「この部屋なんですけど!」
店員の二十代くらいの女の人は、おれと対照的に落ち着いた面持ちでうなずく。そして本当に一万円なんですか、という問いにはいと頷き、一呼吸置いた後に再びゆっくり口を開いた。
「こちらは説明事項があります」
うん、なんだい?おれは目で先を促す。
「前の入居者が亡くなっておられるんですよ」
おれのやる気に満ちた顔が一気に消沈する。そう来たか、そういうやつなのね。オイシイ話には曰くが付いてるのね。おれが『ああ……』としか答えられないでいると、そういう反応に慣れているかのように彼女は淡々と説明を続ける。
「このような物件をご案内する時はその旨を説明するのが規則となっておりますので。後後のトラブルを防ぐためにも、ご承知を頂いた上で契約をしていただくようにしております。そのためお家賃もお安くしております。なお、亡くなったことに事件などは関係していません。自死と報告されております」
せっかく、住所が手に入ると思ったのに。他にはないぞこんな価格。おれの中に、微かだけど諦めきれないものがあった。その時おねえさんの瞳の奥がキラッと光った気がするのは気のせいだろうか。
「お家賃を抑えたいという方にはおすすめの物件ですね。日当たりもよく明るいですし。現在も説明をお聞きになったうえでご検討中の方が二名、いらっしゃいます」
検討中?いるのか、そんなやつ。しかも二人も。店員のおねえさんの声は、さっきまでの『説明』の時より柔らかくなっていた。おれは正直揺さぶられてる。
なんか、ありなんじゃねーか?て気がしてきた。少なくとも即却下というわけでもないんじゃないかと。そこでとどめの一発。
「ご覧になってみますか?他にも一人暮らし向けのおすすめ物件などもありますし、いくつかご覧になってからまた検討していただいても大丈夫ですし」
「はい、じゃあ、少し見てみようかな……」
見るだけ見てみようか。時間はいくらでもあるんだし。それに、おねえさんとちょっとそこまでお出かけっていうウキウキ感も、まったくなかったわけじゃなし。
*
「うわあ明るい」
それは、おねえさんの開けた玄関からその曰くつきの部屋に足を踏み入れたおれの第一声だった。正直、イメージしてたのと全く違う。薄暗くてじめじめした、誰でも鬱になって死にたくなっちまうような陰気な部屋を想像してたのに。おれの目にまず飛び込んできたのはさんさんたる日差し。午後四時近いとはいえ、この時期はまだまだ太陽は高い。なんださわやかじゃないか。それに真っ白な壁紙。
「リフォームしたてなので、築年数の割にきれいですよ」
微笑むおねえさん。緊張の緩まるおれ。
「なんかかっこいい部屋ですね」
サイトの写真は部分部分の設備メインで全体の雰囲気が分からなかったけど、実物はなかなかオシャレだ。和室の畳を引き立てるように壁の一面が藍色になっているし、竹みたい涼しげなカーテンも付いていて、和を好む人の部屋としてインテリア雑誌に載っていそうだ。
でも、さすがに今日決めるっていうのもな。無難におねえさんをやり過ごしたおれはその後、価格的に無理なのは分かっていつつも形だけ他のおすすめ物件二件を見せてもらった。そして考えてみますとありきたりな文句を告げて家路に着いた。
いや、家路ではないな、友の宅への道を辿った。花田から来ていたLineに気付いたのはその時だ。そしてその内容はおれを青ざめさせた。
「ごめん。おれ少しの間消えるわ」