もしも白雪姫がリンゴを嫌っていたら……
むかしむかしあるところに、墨を流した様な黒髪に、薔薇のような頬、血のような赤い唇、その肌は雪のように白い、それはそれはかわいらしいお姫様が住んでいました。お姫様はその容姿から『白雪姫』と呼ばれ、誰からも愛されて育っていたそうです。
しかし、お妃様が死んで、新しいお妃様がやってくると、その幸せは崩れてしまったのです。
新しいお妃様は心の清い白雪姫とは正反対。お妃様の心は妬みで埋め尽くされていたのです。そして、月日が流れて、白雪姫は誰もが振り返るほどの美しい少女へと育っていきました。しかし、それが返ってお妃様の気に障ったのです。心の清い白雪姫は、かわいそうにその妬みにすっかりあてられてしまいました。
ここまでは、皆さんの知ってのとおりのお話です。しかし、もしお妃様の持ってきたりんごを白雪姫が食べなかったら。
「ごめんなさい。リンゴは食べられないの」
もしこんなことを言ったら……。
ミコはお母さんに尋ねました。
あのね、もし、白雪姫がりんごをものすごく嫌らっていたらどうなってたの?
「そうね。お妃様はりんごを食べさせることができなくて困ったでしょうね」
そうか、困ったんだ。ミコは考えます。じゃあ、どうしたんだろう。
掛け布団を掛けてもらいながら、「おやすみ」という母親の顔を満足そうに眺めたミコは、そのまま布団の中でお妃様になって考え続けました。
「そうだわ」
嫌いな物を食べてもらうためには、工夫が必要よ。お母さんがいつもするような。
困ったお妃様は、その日そのままお城へと戻りました。そして、頭を捻ります。頼りの鏡の前で鏡の精にも尋ねます。
「鏡よ鏡、どうすれば、白雪姫にりんごを食べさせることができるだろうか」
鏡は困ります。
「お妃様、それはりんごをおいしく感じられないからでしょう」
様々な人を映し続けてきた鏡にとって、それは難しい問題でした。なぜなら、好き嫌いは鏡に映ることがないからです。そして、少しだけ心配になりました。お妃様を怒らせはしなかっただろうか、と。ずっと昔、白雪姫が一番美しいと最初に告げたあの日以来、鏡はお妃様の表情をより深く写そうと努力しています。なぜなら、あの日、鏡の言葉に腹を立て、手近にあった花瓶を感情のまま投げつけたお妃様は、あろうことか、鏡に向かってそれを投げたのです。あわや鏡面にぶつかりかけた花瓶は、鏡の自慢の金縁を掠め奥の壁に叩き付けられ、見るに耐えない姿となってしまいました。その時の鏡の傷はもちろん消えておりません。
鏡の返答を聞き、鏡を見つめたまま小首を傾げていたお妃様は、突如顔をほころばせました。それを見て鏡も胸を撫で下ろします。
おいしく感じられないから。では、おいしく感じられれば食べてくれるのかしら。
そう考えたお妃様は早速地下にある大きな図書館へと駆け下りていきました。こころなしか、お妃様の足取りも軽くなります。
さすがは王宮の図書室。そこは、町の図書館とは程遠いものでした。鳥かごの様な形をしている読書室の天井はガラス張りで、昼は太陽の光を思う存分に取り込み、夜は月明かりに満天の星が頭上を飾るのです。そして、白い石で出来た床はピカピカに磨かれ、光を際立たせます。
読書室には長い頑丈な木の机が三列ありました。机の縁には天使とバラが滑らかに彫り込まれ、脚は優美な曲線を描き、面の部分は思わず顔を映したくなる程。木目の中に映る自分の姿を見たお妃様は誇らしげに微笑み、しかし、すぐに緩めた頬を引き締め、図書室奥にある所蔵庫へと白い石に足音を響かせながら、歩みを進めました。
こちらも白い石で出来た床です。しかし、明暗色に光るランタンが入り口に光る程度の薄暗い場所でした。しかし、その面積は読書室の倍はあります。ゾウを三匹並べたくらいの幅と天井まで伸びる程の高さある本棚には梯子が掛けられていて、奥は暗くて目を凝らしても闇くらいしかわかりません。しかし、お妃様は迷わずその入り口のランタンを手にすると、さっそくお目当ての書棚へと進みます。そこはいつもは進むことのない場所でした。そして、器用に右手でランタン、左手で梯子を伝うと、目当ての場所で足を止めました。
『王宮レシピ』
ランタンに照らされた書棚にはそんなラベルが貼ってあります。にんまりと笑ったお妃様は慎重に書棚から取り出した本を小脇にはさむと、今度は慎重に梯子を下りて行きました。