2章幕間-4 夕暮れの鐘の惨状
エルザとの模擬戦の翌日。俺たちはオラクルにいた。
疲れ果てた俺はその後の移動を切り上げ、一路オラクルへと転移。
宿屋に一目散に向かって、その日は食事以外でベッドから出ることはなかった。
エルザとの約束も果たしたんだし、そのくらいの我が儘は許してくれというものだ。
こうして久々にぐーたらと半日を過ごして次の日の朝を迎える。
俺たちは揃って夕暮れの鐘へと向かっていた。
ホトリ村に関しての報告と、エリィから聞いていた販路拡大の現況を聞いておこうという目的だ。
入口に入るとそこは普段通りの店内。
品ぞろえや客足は特にこれまでと変わった様子はない。しかし、従業員の様子が明らかにおかしかった。
晴れやかな笑顔で接客しているものの、皆目の下に色濃いクマが刻まれており、笑顔がむしろ怖く感じられる。店内の客もそんな異変を感じ取っているのか、あまり店員に近づこうとしていない感じだ。
「あっ、イオリ様方。ようこそおいでくださいました。このたびはお陰さまでてんてこ舞いの忙しさですよ」
額面通りに受け取るならば感謝されているのだろう。
しかし、とてもではないがそのまま呑み込める雰囲気には感じられなかった。
むしろ、「てめーのせいでこちとら碌に休めもしねぇ! お陰さまでなぁ!!」という風に聞こえる。
「あはは、お役に立てたようでなによりです」
「えぇ。あははははは」
俺は引き攣った笑顔を浮かべてとにかくやりすごす。これ以上の会話は耐えられない。商人としてはうれしいことなのだろうが、基本的にぐーたらしていたい俺としては本当にいたたまれない。ごめんなさい。まさかこんなことになるなんて思ってなかったんです。恨むのなら王女を恨んでください。
「と、ところで、ロイさんかオーウェンさんはいますか?」
「あぁ、会頭はここ数日不眠不休で新たな取引先と会合を重ねてまして、先ほど目を見開いたまま仁王立ちでいびきをかいていたので、病院に担ぎ込んで入院させたところです」
「ごめんなさい。本当にごめんなさい」
俺は腰を90度に折り曲げて謝罪するしかなかった。
従業員ですらこの疲労だ。トップであるロイが無事なはずはなかった。
「ちなみに......オーウェンさんは?」
「副会頭でしたらまだ2徹目ですから大丈夫でしょう。会頭が不在のため、今は奥にいると思います。どうぞこちらへ」
......2徹? 今この人2徹目だから大丈夫とか平然と言わなかったか?
俺は身の毛のよだつ発言に肝が冷える思いをしながら後へと続く。
奥の事務所スペースに足を踏み入れると、そこには俺からしたらまさに地獄と表現するにふさわしい光景が広がっていた。
以前訪れたときは、整理整頓の行き届いたすっきりとした空間が広がっていたが、今は机という机におびただしい高さの書類が積み上がり、何かの漫画でみた少年誌の編集部のような乱雑さになっていた。
そんな書類の中に、虚ろな目で船を漕ぐ者、寝てる人を叩き起こす人、なにかの壁を越えたのかイッちゃった目で無心に書類を処理する者......ブラック企業すら真っ青になるであろう漆黒の惨状が広がっていた。
「叩くなら叩け。どれだけ叩かれようと俺は寝る」
「あれ、おかしいな。さっきから計算があわない......。もう面倒くさいからタダでいいや」
「おい、寝るな! お前が寝たらその分しわ寄せが俺に来るだろ! 殺す気か!」
「契約書が332枚。契約書が333枚。契約書が334枚......あれ、いつのまにか羊が契約書に」
聞こえてくる発現がどれもイカレていた。
俺は自分の引き起こした事態に責任を感じながら、応接室に通されて席に着く。
俺たちは体を屈めて身を寄せ合い、周囲に聞こえないように会話する。
「なぁ。あれ......ヤバいよな」
「どこからどうみてもヤバいでしょ。なによ計算が合わないからタダって。商売じゃなくてプレゼントになってるじゃない」
「集団で疲労がピークになるとあぁなるのね。恐ろしいわ」
「愛姫ね、端っこの方でお茶じゃなくてインク飲んでる人見たよ!」
「ボクも見た! 唇が真っ黒で怖かったぁ」
そんな会話をしていると、コンコンとノックがあり、オーウェンが応接室にやってきた。
さぞ疲れているのだろうと恐る恐る視線を向けると、意外なことに目にクマもなく、これまでと特に変わりない様子で拍子抜けしてしまう。
「みなさん、ようこそおいでくださいました。イオリ様、この度は本当にありがとうございます! おかげで夕暮れの鐘は一気に規模を拡大することができそうです! 急成長待ったなしですよ!!」
俺の手を両手で握ってブンブンと振るオーウェンに俺たちは呆然としてしまう。
オーウェンはそんな俺たちの顔を見て不思議に思ったのか、
「いかがされましたか? なにか顔についてますでしょうか?」
などと聞いてくる。俺たちは顔を見合わせ、代表して俺が全員の疑問を口にした。
「いや、全然元気だなと思って」
「? 別に病気など患ってはいませんので」
「いや、そうじゃなくて......。他のみんなは死にそうな感じだったし、オーウェンさんも2徹目って聞いてたから疲れてるんだろうと思ってたんだ」
俺の言葉にようやく合点がいったのか、
「あぁ、そんなことですか。私はもともと睡眠時間をそんなに取らなくてもいい体質のようでして、多少の徹夜くらいならばなんでもありませんよ。仕事をしていたら楽しくて眠気など感じませんし」
にっこりと笑顔でそう答えるオーウェン。
これはあれだ、最悪だ。ショートスリーパー+仕事中毒。
俺が最もなりたくない人種が目の前にいた。
俺が化け物でも見るかのような目つきで見ていると、オーウェンは肩をすくめながらさらに戦慄の言葉を漏らす。
「まったく会頭にも困ったものです。まだまだ決裁してもらわないといけないことや書類が山ほどあるというのに」
「「「なっ......」」」
しかもこの男、自分の異常性を全く認識していない。
俺は他の従業員たちがあまりに不憫に思い、オーウェンに確認をとる。
「なぁ、他のみんなもかなりヤバい。これ以上続けて仕事をしてもミスばかりで碌に進まないどころか大損害につながるかもしれない。一度みんなを休ませた方がいい」
「たしかに、書類のミスが増えていて全く捗らなくなっていたんです。
ですが、とにかく作業を進めないと新たな商売を始められないのです。ここが踏ん張り時ですし!」
オーウェンはここが商人の腕の見せ所だ! みたいなドヤ顔でこちらを見るが、俺からしたらもはや鬼にしか見えない。
「周りがみんなあんたみたいにやっていけると思わないでくれ! オーウェンさんの基準で仕事をつづけたらいずれ死人が出るぞ! 自分の従業員も大切にできないような人間が、果たしてお客さんのことを大切にできると言えるだろうか?」
その瞬間、オーウェンは雷を打たれたかのような表情を浮かべたあと、がっくりと肩を落としてうなだれる。
「......仰るとおりです。千載一遇の機会に舞い上がり、自分の常識を部下たちに押し付けてしまっていた......。私は、なんということを......」
どうやら反省してくれたらしい。俺は話が通じたことに安堵しつつ、フォローに回る。
まぁ、こんな事態を招いた原因の一端は間違いなく俺にもあるわけだし、埋め合わせはしないといけないだろう。
「国からの急な依頼で他の仕事ができないって取引先に断って商会を閉めたらいい。エリィには話を通して必ず許可をもらうから。あと、回復魔法でみんなの疲労を癒せば少しは回復は早くなると思う」
「おぉ、イオリ様。何から何までありがとうございます」
こうして話はまとまり、俺たちは応接室を出る。
俺がエリィに店を閉める許可を取ってくるとみんなに告げると、そこかしこから乾いた歓声や緊張が切れて意識を手放した者達の寝息が聞こえてきた。
俺は従業員たちの元を回って、疲労を回復させるキュアを掛けていく。
疲労困憊だった者達は、皆その効果に驚き、自分の頬をつねったり叩いたり、目をこすったりしていた。
そんな元気になった部下たちを見て、オーウェンは嬉しそうに笑顔を浮かべ、
「みんな、元気になったみたいでよかった。さて、疲れもとれたみたいだし、イオリ様が許可をいただいてくださるまでもうひと踏ん張りがんb」
「「「「「ぶっ殺すぞテメェ!!」」」」」
夕暮れの鐘の内部で、俺たち一行と従業員の魂の叫びが木霊したのだった。