2-34 約束
「帰ったぞ!!」
二日後、足りない素材を採りに向かった若者たちが帰ってきました。
カダの花がぎっしりと詰められた小包を抱え、倒れこむようにロランのもとに駆け寄ります。
「これでいいか?」
「......確かに。これで薬が作れます」
「よかった......。後は頼む......」
ドサドサッ。
その言葉を聞いて緊張の糸が解けたかのようにその場に倒れこむ5人の若者たち。
ロランの指示通り、道中に薬の素材を口にしたものの、やはり発症してしまったようでした。
「彼らもここに収容します。私はそこの小部屋で薬を作りますので、みなさんはそのまま安静にされてください。もうすぐです。もうすぐ皆さんを病魔から救って見せますから......頑張って」
それから、彼は集会所に設けられた小部屋へと移動し、薬を作り始めました。
途中、まだ動ける者に頼んで素材を煮詰めたりと加工を加えていましたが、ほとんどの作業を彼一人でやっていました。
もちろん、その間も彼の魔法は発動したままです。
この村に魔力を回復させるためのポーションなどはありません。そもそも、魔法を使える者がいないのですから、備えておく必要がこれまでありませんでしたし。
彼は、村にあった素材で簡素な魔力の回復薬を調合して魔力を逐次補充していました。
しかし、連日の徹夜、ぶっ続けの魔法の発動で、彼自身の疲労も限界を迎えていました。
目は窪み、ひどいクマがくっきりと浮かび上がり、傍から見れば、魔法のおかげで安静にできている私たちよりも病的に見えたと思います。
しかし、彼は一切の弱音を吐くことなく、その後も作業に没頭しました。
そして数時間後......。
「できた......」
彼は完成した薬を発症から時間の経った者から順に与えていきました。
薬が皆に行き渡っても、油断はできないと彼は更に一晩皆をとどめ置き、彼の魔法の下で安静に過ごさせました。
そして翌日、村人たちの病状に回復の兆しをしっかりと認めた後、緊張の糸がプツンと切れたかのように、その場に倒れたのです。
それからというもの、私たちはつきっきりでロランの看病に努めました。
倒れる前に、ロランは村人全員が数日摂取できるだけの薬を作っておいてくれたため、私たちは全員めだたく完治することができました。
しかし、ロランの意識は戻る素振りを見せません。
最後の一滴まで自らの魔力を注ぎ込んで魔法を使い続けたこと、連日一睡もせずに私たちの看病にあたったこと。それらによる身体的・精神的疲労が一気に押し寄せたことにより、ロランはそのまま死んでしまっても何ら不思議でないような状態でした。
私はロランを自宅へと運び込み、必死に看病しました。
ときどき不意に不安が押し寄せ、ロランの口元に手をかざして息があるのを確認し、ホッと息をつくことの繰り返し。
眠るときもすぐにロランの容体の変化に気づけるように、ロランの布団に入ってくっついて眠りました。
ロランの眠る姿を見て、私はロランを近くの森で見つけ、介抱した日々を思い起こしていました。
見つからないように、村人の目をしのんでひっそりと介抱していた日々をです。
しかし、今度は違いました。
「メリル、彼の調子はどうだ?」
「まだ目を覚ましそうにないの?」
「何かできることはないか?」
毎日、次から次へと村人がロランの様子を確認に訪れ、栄養のある食べ物を差し入れてくれたり、彼の容体を心配してくれていました。
あの村長ですら、彼の横たわる隣に座り、心から心配した表情で回復を願うほどに。
眠り続けること1週間。
ようやく、待ち望んだ日がやってきたのです。
早朝、私も疲れから彼の隣で眠っていたのですが、不意に
「うっ......」
彼の声が聞こえたような気がしたのです。
私はハッと顔を起こして彼の顔を覗き込むと、やがて彼の目が薄らと開き、私と視線がぶつかりました。
「ロランさん......」
「......メリル......さん?」
「えぇ、そうよ......」
「ここは......?」
「もちろん、私の家よ」
「......薬......みんなの容体は?......早く、治療しないと......」
目覚めてなお、彼は自分のことではなく、私たちのことを慮ってくれたのです。
「大丈夫。みんな......みんな、あなたの魔法と薬のおかげで助かったわ。すっかり元気になっているわよ」
「よかった......」
「バカね......。私たちのことより、自分の心配をしないと......。よかった......。もう......二度と目が覚めないんじゃないかって......」
私は彼の顔をもっと見ようと顔を近づけるのですが、視界が歪んでぼやけてしまうばかり。
気づけば両目からは滝のような涙が零れ落ちていました。
「メリルさん......。済まない。心配をかけて」
「本当よ。今度こんなにお寝坊さんになったら、許して......あげないんだから」
気づけば私は彼にしがみついて泣いていました。
次第に安心からか、子供のように声を上げて泣き、その声に気付いた村人がロランの容体が急変したのかと私の家に殺到してきました。
蹴破るように扉が開き、ロランがしがみつく私の背中を優しくさすっているのを見て、村人たちも涙を流して喜んでくれたのです。
そこに、獣人と人間のわだかまりはなく、ただひたすらに、命の恩人の生還を喜ぶ感情だけが広がっていたと思います。
それから1週間ほどで、ロランも立ち上がることができるようになるまで回復し、村を挙げての快気祝いの宴が催されました。みなの伝染病、そして、ロランの快気祝いです。
明かりが炊かれ、思い思いに地面に座り、食えや歌えの乱痴気騒ぎ。
百数十人の獣人の輪の中心には、一人の人間の姿がありました。
彼らが恐れ、憎むべき存在のはずの彼の周りには、満開の笑顔を咲かせた獣人たちが取り囲んでいたのです。
口々にお礼を述べ、握手や抱擁を交わし、酒を酌み交わして笑い声をあげる。
はじめは戸惑っているように見えたロランでしたが、そんな思いはいつの間にか吹き飛んだかのように、彼もまた心から楽しそうに笑顔を浮かべていました。
宴から数日後の夜、
「明日この村を発つよ」
「えっ......?」
ロランは私に唐突に告げました。
驚きのあまり、私は絶句してしまいます。
「もともと、僕の体の調子が戻るまでという約束だったしね。色々あったけど、おかげさまでもうすっかり元気になれた。最後の約束もしっかりと果たして、僕はここを去ろうと思う」
「そう......なんだ」
「ここまで元気になれたのは、村のみんなはもちろんだけど、何よりメリルさんのおかげだよ。
本当にこれまでよくしてくれてありがとう。
これから村長さんに挨拶してくるから、メリルさんは休んでいてくれ」
優しい笑みを浮かべて立ち上がる彼を見て、私は声を上げることができませんでした。
彼が隣にいることを当然のように思っていたことを感じ、彼が家を出た後、一人残された家の中で、彼が去った後の日々を考えると、涙が止まらなくなってしまいました。
私は彼という存在が、自分のなかでそれほどにかけがえのないものになっていたことを今更のように悟りました。でも、あまりに急な事態に気が動揺し、どうすることもできないままに夜を明かしてしまったのです。
翌朝。
村の入口に村人全員が集まり、ロランを見送りに出ました。
当然私もいますが、悲しみのあまり彼の方を見ることもできません。
彼は村人一人一人と別れの言葉を交わします。他のみんなも寂しそうな表情を浮かべていますが、引き留めようとはしませんでした。
「メリルさん」
気づけば、彼が私の目の前に立っていました。
彼は私の手を両手で握り、私の瞳を覗き込みます。
「助けてくれて本当にありがとう。自暴自棄になっていた自分を叱ってくれてありがとう。
おかげで僕はこうして前向きに旅立つことができそうだ。
どうか......どうか幸せになってください」
「......」
私は言葉を発することもできず、ただうなずくしかできませんでした。
「それでは行くよ。どうか、元気で」
彼はそういって私たちに背を向けて歩き始めます。
辛さのあまり、小さくなっていく背中を見ることが出来ず俯く私に、村長さんが声をかけてきました。
「行かせてよいのか?」
「えっ?」
「惚れておるのだろう?」
「......でも」
「茨の道よのう。よもや獣人が人間を愛してしまうなど。そんなことが起こるとは夢にも思わなんだ」
「......」
「じゃが、そういうこともあるんじゃろうな。獣人を命がけで救う人間がいるくらいなのだから」
「......」
「わし等も寂しく思っておるよ。だが、我等が引き留めるのではダメなのだ。メリル、お主でなければ」
「えっ......」
「彼を最も気にかけ、憎しみに焦がされ彼を殺めようとした我々から守ったお前に行かせるのが筋というものだ。だから我々は誰一人、彼を引き留めはしなかった」
私が顔を上げて見回すと、村人全員が私の方を見ていました。
彼らは穏やかな表情で頷いてくれています。
「この村に、彼を歓迎せぬものなど一人もおらぬ。さぁメリル、思いのほどをぶつけてきなさい」
「......はい!」
私は両目をごしごしとこすって涙をぬぐい、意を決して駆け出しました。
50mほどでしょうか。
すぐに追いつき、
「待って!」
私は彼を呼び止めます。
「メリルさん。どうしたんだい?」
「......これからどこに行くの?」
「そうだな。故郷にはもう帰りたくないし、このままあてどなく旅をしていこうと思う。悠々自適な旅人暮らしだね」
「そう......」
「ありがとう。ここまで見送りに来てくれて、本当にうれしいよ。
けど、これ以上は僕も笑って別れられそうにない。別れ際に涙を見せるのは忍びないしね。
だから......お元気で」
彼はそういって再び振り返って行こうとします。
このままでは彼は行ってしまう。
気づけば私は叫び声をあげていました。
「約束! 守ってもらってないわ!」
「? どういうことだい?」
「自分で行ったことなのに忘れたの? 私ははっきり覚えているわ! あの雨の日、あなたはこう言ったじゃない。『僕の命は彼女のものだ』って!!」
「......」
「なのに、私を置いてどこに行こうというの?」
「......」
「私、うそつきは嫌いよ。このまま行けば、私、あなたのことを嫌いになってしまうわ」
「それは......困るな」
「じゃあ、あなたはどうするべきなのかしら?」
私は彼の答えを待ちます。
心臓は今にも破裂してしまうのではないかと思うほどに激しく律動し、顔は真っ赤に染まっていたと思います。
「僕は人間だよ?」
「知ってるわ」
「他の村の人たちが迷惑かもしれない」
「そんな人、一人もいないってさっき村長が言っていたし、みんなも頷いていたわ」
「そう......なのか」
「早くして! 女を待たせるなんて、立派な男のすることじゃないわ」
私がそういうと、彼はふぅっと深呼吸を一つして私の方へと一歩近づきました。
「メリルさん。僕の命は君のものだ」
「えぇ」
「残りの人生、すべて君に捧げる。だから......だから、僕を君の隣にいさせてはくれないか?」
「それってつまり?」
「君を愛してる」
彼はそこまでいうと、私をぎゅっと抱きしめました。
彼の温もりを全身で感じながら、私は両手を彼の背に回して抱きしめ返します。
彼は私を抱きしめたまま、耳元で私に囁きかけました。
「答えを聞かせてもらってもいいかな」
「......喜んで」
私たちは抱きしめあったまま見つめ合い、お互いに顔を近づけて口づけを交わしました。
遠くの方からは、村人たちの歓声が聞こえてきます。
私たちはお互いの愛を存分に確かめ合って唇を離すと、照れ笑いを浮かべながら見つめ合います。
「......帰ろうか」
「えぇ。帰りましょう。私たちの家に」
そうして、手を繋いで、歓喜のるつぼと化した村の入口へと引き返していったのです。
今もなお、人間と獣人の間には深い溝があります。
人間は獣人を蔑み、獣人はそんな人間を恐れ、憎む。
しかし、そんな世界の中で、確かな愛を育んだ獣人の娘と人間の青年が一組、そして、そんな二人の幸せを心から祝う獣人たちが、たしかにそこにはいたのです。
こうして私とロランは夫婦として結ばれ、その5年後、アルトリアが生まれてきたのです。