2-32 ロラン
人生で、あんなに怒ったのは後にも先にもあのときだけです。
周囲の村人も私のあまりの剣幕に固まっていました。
ロランは、ひっぱたかれて真っ赤になった頬に手を当て、ぽかんとこちらを見ていました。
「あなたが死にたがってるのは分かった。だけど、それならだれにも迷惑をかけず、人目のつかないところで死になさい。
目が覚めたとき、動けるようになったとき、村を出てあの森にでもいって自害すればよかったのよ。
なのにあなたはそうしなかった。死ぬ勇気がなかっただけかもしれない。だけど、それはまだ死にたくないと思ったからでしょう?
なのに今の態度はなに? 抵抗しなければ、村のみんなが自分の代わりに殺してくれるとでも思ったの? そんなくだらないことに、彼らがこれまで耐え続けた思いを利用しないで!!」
ずばり内心を言い当てられたからか、ロランは無言で俯いてしまう。
私はそんな姿が余計に腹立たしく感じてしまう。
「こっちを見なさい!!」
ビシっと叫ぶと、ロランはびくっと体を震わせたあと、私の方へと視線を戻した。
けど、私には彼の姿がぼやけて見える。気づけば私は涙を流していたみたい。
「それに......それに......私が必至で看病したのに......。
私とあなたが必至に繋ぎとめたその命を......そんなに簡単に捨ててしまうの......?」
ロランは返す言葉もないのか言葉を発さない。
やがて
「すまない......」
そう一言だけ、絞り出すように謝罪の言葉を小さくつぶやいていました。
周囲の村人はというと、先ほどまで高ぶっていた感情が、さらに高ぶった私の様子を見て急速にしぼんでいったみたいでした。
「みんなも......あんな怖い顔しないで......。
さっきの様子を見て分かったでしょう? この人だって、殺されてしまいたいと思うほどにつらい出来事があったのよ。
憎しみを消してなんて言わない。だけど......だけど、この人は私たちに害意を持ってはいないわ。
だから、他の人間への憎しみをぶつけて殺すなんて真似しないで......」
私はロランの腕を握って、必死になって村長に訴えました。
村長や周りの村人は視線を交わし、やがてやれやれと首を振り、
「怪我が癒えるまでだ。その間は村にいても構わん。我々も無用な手出しはしないと約束しよう。
ただし、全快したなら早々に村から立ち去ってくれ。蟠りなく接するには、我々の間の溝は深すぎる」
「......ありがとう、ございます」
苦虫をかみつぶしたように村長は呟いたけど、それでもできうる限り最大限の譲歩だったと思います。
それほどまでに、人間が獣人にしてきた仕打ちはひどいものでしたから......。
ロランは涙を流して感謝の言葉を紡いでいました。
私には、その涙には、獣人のつらい歴史を利用して死のうとした自分の浅はかさを恥じた思いも含まれていたように思います。
ともあれ、こうしてロランは体の調子が全快するまで、もうしばらくこの村にいられるようになったんです。
そしてそれからさらに数日。ロランの状態はどんどん回復していきました。もう2,3日すればすっかり元通りの健康な体に戻れる。そう寂しげに言っていたのを思い出します。
しかし、そんな私たちの暮らす村に、恐ろしい危機が迫ってきていたのです。
翌日、
「ロランさん、調子はどう?」
「あぁ、メリルさん。ほとんど全快といっていいと思う。あとは多少魔力の戻りを待つだけかな。
怪我はすっかり完治しているよ」
「そう......よかったわ......]
「? どうしたんだ? 具合でも悪いのか?」
「ちょっと村で風邪が流行り始めたみたいでね......少し熱っぽいけど、大、丈......夫」
ドサリ
気づけば私は立つことすらもできずに倒れてしまいました。
朦朧とする意識のなか、彼が私をゆすりながら、何度も何度も名前を呼んでいたような気がします。
リーーーーン......リーーーーン......リーーーーン......リーーーーン
私はしばらく気を失ってしまったようです。
その間、私は夢の中で、そんな鈴の音をずっと聞いていました。
その音色は、一点の濁りもない澄んだ音をしていて、いつまでも聞いていたい。そう思わせてくれるような、本当に涼やかで心地のいい音色でした。
「......うっ]
「よかった。気が付いたみたいだね」
「ロランさん......私は......」
「まだ起きてはダメだ。僕の魔法で安静にさせているけど、まだ完治したわけじゃない」
「病気......!?」
「そうだ。それもかなり厄介だ。治すのは難しくないけど、とにかく感染力と進行が速い。
メリルさんの話だと村に感染が拡大してるみたいだ。早く薬を投与しないと、大変なことになる」
彼の顔には、これまでに見たことのないほどの焦燥が浮かんでいました。
それだけで、私は事態の深刻さを理解できるほどに。
「魔法は怪我を治したり気力を回復させることはできても、忍び寄る病魔を食い止めることは出来ない。
これからこの村のお医者さんのところにいって薬を用意して投与して回らないと......。
メリルさん、お医者さんの家はどこか教えてくれるかい?」
「えぇ、............よ」
「ありがとう」
私が村のお医者さんの家の場所を伝えると、ロランは脱兎のごとく家を飛び出していきました。
私はぼーっとする頭のまま、眠ることもできずにしばらく過ごしていました。
しかし、彼はいつまで経っても戻ってくる様子がありません。
ザァーーーーーー
いつの間にやら、外は大雨になっているようでした。
(傘......持って行ったかしら)
私はロランの様子が気になり、教えた道をふらふらと歩いてお医者さんの家へと向かいました。
するとそこには、雨にうたれてずぶ濡れになりながら、お医者さんや村長たちに必死に訴えかけるロランの姿があったのです。
「たのむ。僕にほかの患者さんたちを診せてくれ」
「いい加減にしろ。貴様にそんなことをさせるわけがないだろう」
「頼む。僕の見立てが間違いなければこの村には今恐ろしい伝染病が流行してるんだ。
早く薬を作って投与しないと大変なことになる」
「そんなはずはない。これまでも風邪が流行ったことはある。村に伝わる秘薬を飲ませればじきによくなる」
「何を言っているんだ。そんな万能薬存在しない。普通の栄養剤なんかで効果があるならとっくに僕の治癒魔法でも劇的に症状は改善するんだから」
「今はその秘薬を飲んでぐっすりと眠っているんじゃないのか?」
ロランが急にそんな質問をぶつけ、お医者さんと村長は顔を見合わせます。
「そうだ。薬の効果でな。それがどうした?」
「それが第一段階だ。薬の効果があったかのようにこれまでの症状がなりをひそめる。
でもそれは病気が完治したんじゃない。病気が確実に体内を蝕んでいるんだ。
そして病気が次の段階に進むと、ひどい幻聴、幻覚に襲われ、恐怖にとりつかれたかのように叫んだり、狂ったように暴れまわるんだ。
そしてそこまで病気が進行すれば対処は手遅れ。数日そうした恐慌状態に陥った後、抜け殻のようになって死に至る。これがこの病気に罹患した人の末路なんだ......」
ロランの説明する恐ろしい病状に言葉を失うお医者さんと村長。
しかし、それでもまだ信じることができないのか、
「そんな恐ろしい病は聞いたことがない。ただの風邪かもしれないではないか」
「ただの風邪じゃなかったらどうするんだ! さっきも言ったけど、病状が次のステージに進んだらもう助からない。僕のいた国には特効薬があるけど、それも初期症状のうちに投与しないと効果がないんだ」
「見分けはつくのか......?」
「ある。背中側の首筋、脇、ひざ裏などに小さな発疹がポツポツとできることが多い。
この伝染病が発症したもっとも分かりやすい症状だ」
お医者さんが駆け出して診療所内にいる村人の様子を確認に行き、戻ってきて村長に駆け寄り首を縦に振りました。
私も恐る恐る首筋に手をやると......そこにはたしかに、ポツポツとした発疹がいくつも感じられました。