1-5 長かった一日
「にいちゃん!?」
今にも泣きそうな怯え切った表情で、愛姫は光を失った魔法陣の中で座佇んでいた。
「うまくいった...... よかった......」
首尾よく事が運んだことへの安堵感と、まるで全ての体力を使い切ったかのような疲労感から、俺は一気に体の力が抜けてその場にへたり込んでしまう。
「にいちゃん!!」
脱兎のごとく駆け出し、そのまま俺にむけてダイビングをかます愛姫。
「愛姫、ちょっとスピード落としt......うわぁ」
なんとか受け止めたものの、凄まじい勢いを殺し切れず、そのまま愛姫もろとも後ろに倒れこんでしまう。
なんとか愛姫を床にぶつけないように力を振り絞ったが、自分を守ることまでは適わず、盛大に床に頭をぶつけてしまった。
「ぐああぁああああぁぁぁぁ、頭が割れるうぅぅぅ」
「あ、兄ちゃんごめん」
「......いいってことよ、妹よ。怖がらせちまって悪かったから、ちょっと起き上がらせてくれ」
そういうと、愛姫がゆっくりと離れ、俺はクタクタの体を何とか引き起こす。
しかし、まだ状況が理解できず怖がっているようで、俺の服の袖をギュッと掴んで離れないようにしていた。
「愛姫、怖い思いをさせちまってごめんな。
ちゃんと事情を説明してやりたいんだが、俺もまだ把握し切れてるわけじゃないんだ。今言えるのは、ここは日本じゃない異世界で、俺とクラスメイトが無理やり連れてこられた。
ただ、日本にいてもどうやら危険な状況らしくて、俺がなんとかお前をここまで連れてきたって感じだ」
「じゃあさっきのグルグル回りながら光ってた丸いやつも兄ちゃんが?」
「そうだよ。お前を一人にさせるわけにはいかないからな。上手くいくかは賭けだったけど、とにかくお前を俺のところまで連れてきたってわけだ」
「そうなんや...... 怖かったけど、おうちに一人でずっといるより兄ちゃんのおるとこにおった方がいいけんよかった」
「そっか。ならよかった。正直、お前がどっかに寄り道したりしてたら、見つけられなくて万策尽きてたところだ。いい子にしてくれててほんとよかったよ」
そう言って頭を優しく撫でると、愛姫はここが見知らぬ異世界というのを忘れ、安心したようにニヘラっと可愛らしい笑顔を浮かべた。
「不二、その子は!?」
そんなせっかくの兄妹水入らずのひと時を邪魔する無粋な声がする。イラッとしながら視線を向けると、朝倉が困惑した顔をこちらに向けていた。
「俺の妹だよ。うちは妹との二人暮らしだから、こっちに連れてきたんだ」
「はぁ!? お前、こんな訳のわかんないところに家族を引きずり込んだのか?」
「訳がわからないからこそだ。帰れるかどうかも分からないんだし。それに、うちは俺と妹の二人暮らしだ。妹を一人にさせるわけにはいかないんだよ」
「だからって......」
朝倉は、まだ幼い愛姫をいきなり連れてきたことを非難するように渋い表情を浮かべる。
だが、そんな意見など俺にはまったく耳を傾ける価値はない。
「俺と妹が納得してるんだから、それでいいじゃないか。お前がうちの問題に口をはさむ義理なんてないだろ」
「......」
バッサリと会話を一刀両断し、俺は朝倉から視線を外す。
すると、一連の流れを見ていたエリィが口を開いた。
「まさかいきなり転移魔法で別次元からの召喚を成功させるなんて......。自らを転移させるのとは難易度があまりにかけ離れているというのに......。
あなた様の恩寵は転移魔法に関するものだったのですね。それにしても常軌を逸しておりますが......。さすがは異世界の住人の方、ということなのでしょうね」
驚きと呆れが半々といった表情だ。
「運がよかっただけだと思うぞ? あんたのアドバイスがなけりゃ失敗してただろうし、色々な要素が俺に味方してくれただけだよ」
実際、あとほんの僅かでも手間取っていたら、道をつなぐことができずに転移魔法は失敗に終わっていただろう。愛姫が家にいなければ、そもそも見つけることすら不可能だった。
俺はエリィの話の後半についての返答は避けて、問いかけを返してはぐらかすことにした。
「転移魔法で自分を転移させるのと、他人を転移させるのはそんなに難易度に開きがあるのか?」
「はい。自分を転移させる場合には、転移先の地点を指定するだけでいいので、対象が動いたりするわけではない分、発動が比較的容易です。
しかし、他人を転移させる、さらに、相手を別の地点からこちらに転移させるとなると、対象の発見、そこからの誘導が手順に加わるため、難易度が飛躍的に上がるのです。
しかも、今回の場合は、魔力の存在しない世界から対象を見つけ出すということになるので、私でもできるかどうか......。というくらいの離れ業になりますね」
「なるほどな、やっぱり今回はよほど幸運だったみたいだ」
エリィの話を聞いて、やはり愛姫をこっちまで連れてこられたのは幸運だったと改めて感じた。
もう一度やってみたとして、首尾よく成功させる自信は全く湧かないし。
日本に帰還したという3人も、自分を対象として日本に転移させるという行為だったから全員成功した、と考えられるのだろう。もちろん、成功したかどうかを確かめる手段などありはしないのだが。
「何はともあれ、こちらの皆様は無事に恩寵も手に入ったようですし、これからについてお話しさせていただいてもよろしいですか?」
エリィが一同を見渡して問いかける。
こちらとしても、あまりに分からないことが多すぎる以上、独断で動くわけにもいかず、無言で続きを促す。
「皆様は我がミルロード王国、いえ、この世界とそちらの世界の命運を託された選ばれし存在でございます。ですので、このルグランスの王城にて国賓として、私共にできる最高のおもてなしで迎えさせていただきたいと考えております。
衣食住において一切の不自由なく、生活できるように取り計らいますので、そちらに関しては、どうぞご安心くださいませ」
客人に対しての優雅な一礼をし、微笑を浮かべて、エリィは続ける。
「また、類稀な恩寵を授かったであろう皆様といえど、まだ経験が圧倒的に不足しておいでで、そちらの不安が最も大きかろうと思います。
そちらについては、我が王国の選りすぐりの強者を迎えて、皆様に教授させていただきます。戦闘、魔法、その他あらゆる技能の第一人者を選定いたしますので、こちらもご心配いただくことはございません。
そして、我々の最終目標である魔王ですが、魔王がこちらとあちらの世界侵略に本格的に動き出すのは、皆既次元蝕の起こる時でございます。
現状の予測で、皆既次元蝕が起こるのはおよそ2年後と想定されております。それまでに皆様のお力を可能な限り高めていただき、ともに魔王を討ち果たしていただきますよう、伏してお願い申し上げます」
2年。それは日本と離れるにはあまりにも長く、死ぬかもしれない戦いに身を投じるにはあまりにも短く感じられる時間だった。
「なんにせよ、皆様は大変お疲れのことと思いますので、本日はこれくらいにして、ゆっくりとお休みになられてくださいませ。
客間をご用意させていただいておりますので、これよりご案内させていただきます。お部屋の人数もご希望通りにいたしますので、ご友人と同室をお望みの方はそのようにお申し出ください。
それぞれの部屋の外に、使用人を配しておりますので、ご用命のある場合はその者になんなりとお申し付けくださいませ」
そこでいったん話をとめ、エリィは部屋割りが決まるまで待機することにしたようだ。
クラスメイトも精神的な疲労は限界を迎えていたので、細かい話よりもゆっくりと休みたいという思いが強い。
ただ、一人で過ごしたところで落ち着かないのも間違いないので、にわかに相談タイムが始まり、2人~3人ずつに相談して分かれていく。
「俺たちは一緒の部屋にしよう。それでいいよな?」
「うん。一緒に寝る」
愛姫ももちろん異論はないようで、最小限の会話で話はまとまった。
「それではお部屋にご案内いたしますので、私についてきてくださいませ」
そういって、しづしづと歩き出すエリィの後ろを、俺達は連れだって歩き出した。
転移した空間の壁面にエリィが手をかざしてなにやら小声で唱えると、ゴゴゴゴっという音とともに、それまで何もなかったはずの壁面に重厚な扉が浮かび上がる。
ガチャリとそのドアを開けて、外に出た。
すると、先ほどの殺風景な空間とは打って変わって、絢爛豪華な造りの廊下が広がる。
あまりの変化にみんなが呆気にとられていると、
「先ほどまでいたのは、この王城の訓練施設の一室でございます。入口に転移魔法が施されていて、どれだけ激しい演習をしても、城に影響が出ないようにしているのでございます」
エリィが意図を汲んで説明し、悪戯っぽく微笑む。
それからしばらくエリィと歩み続ていたが、やがて目的地についたらしく立ち止まる。
「こちらが王城の客室棟でございます、こちらからは、使用人の者が皆様のお世話を引き継ぎますので」
そういうと、エリィの傍らから一人の女性が現れ、こちらに丁寧にお辞儀をする。
「お初にお目にかかります。わたくし、この客室棟の長を任されております、ベリエッタと申します。
本日は、大変お疲れ様でございました。一切の不自由なくおくつろぎいただけますよう、心よりお世話させていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします」
年はおそらく40代前半といったところだろうか。控えめだが自然な微笑みをたたえ、自然と親近感を抱かせるような感じのする人だ。
皆がそれぞれ軽くお辞儀を返すと、
「これより皆様を客室にご案内いたします。皆様どなたかとご同室にて宿泊されるとのことでしたので、二人用の客間から順にお通しさせていただきます。それでは、どうぞこちらへ」
「では私はこれで。明日またこちらの世界についてご案内させていただきますので、よろしくお願いいたします。それでは皆様、明日の朝食でお会いいたしましょう」
エリィはそういってその場に留まり、手を振ってこちらを見送る。
俺たちはベリエッタについて歩いていき、俺と愛姫は二人用の客間に通された。
「おおぉぉぉぉぉぉ!!」
愛姫が部屋の中を見渡して呆けた声を上げている。
それも無理はない。室内は豪華な調度品で埋め尽くされており、ここがお城なのだということを改めて実感させられた。
愛姫は、見知らぬ異世界への不安などどこかに消し飛んだかのように走りながら、部屋の中を見て回る。
ダダダダダダダダダダ
バタンッ
「おっきなお風呂」
バタンッ
「きれいなトイレ」
ボフンッ
「フカフカベッド」
キョロキョロ
「見知らぬ天井!」
......これ以上は怒られそうなので愛姫をなだめる。
「走り回るんじゃない。疲れてるんだから、落ち着いてゆっくりしろよ」
「でもにいちゃん、愛姫、こんなおっきなお部屋でお泊りするの初めてやもん!!」
「そりゃ俺だって城に泊まるなんて初めてだけどさ。しばらくはここで過ごすんだから、ゆっくり堪能すればいいだろ?」
「じゃあ明日お城探検しよ!!」
文字通り目をキラッキラさせながら、鼻息荒く詰め寄ってくる。これを無碍に突っぱねるとハンパなく拗ねると経験則でわかるので、俺はやれやれと苦笑いを浮かべる。
「しょうがないな。お城の人に許可がもらえたら見て回ろう」
「わ~い」
守りたい。この笑顔。
そんな雑談のあと、俺は自分がこの世界へと連れてこられた経緯や、エリィから聞いたことをかいつまんで愛姫にも説明する。
次元蝕などはよく分からなかったようだが、向こうにいてもどうやら危ないというのは分かったようで、俺がこちらの世界に連れてきたことにも不満を示さなかったに一安心する。
窓の外を眺めれば、もうじき日暮れ。
城壁の外には、巨大なビルなどはなく、石造りや木で立てられた建物が立ち並んでいた。
陽が沈むと間もなくしてドアがノックされ、俺の部屋を担当する使用人が食事を運んできた。
異世界の食材に不安はあったものの、肉、魚介、野菜、果物といった構成は元いた世界と変わりはないようで、食材の名前は聞いたことがないものの、味は抜群だった。
疲れもあって一瞬でぺろりと平らげ、室内の風呂につかると、どっと疲れが抜けるようだった。
風呂から上がるともう何もやる気力がおきず、ベッドに倒れこむ。
愛姫が上がってくるまで待って、寝間着をクローゼットから引っ張り出して渡し、ベッドに入ると、俺にピトッと体を寄せて、すぐに可愛らしい寝息を立て始める。
その寝顔を眺め、頭を優しく撫でながら、俺は今日一日を振り返り、そしてこれからのことを考える。
(どんなことがあっても、愛姫は絶対に守らなきゃな)
そう決意を新たにして、いつしか俺の意識は微睡のなかへ静かに落ちて行った。