1-2 招待
俺が席を立とうとしたまさにその時、窓の外が急に暗くなり、視界が急激に悪くなる。
太陽が雲に隠れたにしては、暗すぎる。天気予報も特に雨が降ると言っていなかった。
他のクラスメイトも違和感を感じたのか、窓際に立って空を確認しようとしたとき、次の異変が起きた。
ヴゥゥゥン
という音とともに、足元に幾何学的な模様が浮かび上がったのだ。クラスの床いっぱいに、不可思議な文様が刻まれた円が広がり、にわかに教室内がざわつく。
「おい、なんだよこれ」
「なんかやべーよ、教室出よう!」
「ねぇ、ドアが開かんのやけど」
「はぁ? んなバカな......。ウソだろ!?」
男子がドアに近づいて力一杯に引き戸を開けようとするが、まるで鍵をかけられたかのようにビクともしない。
「ちょっと、見てないでお前らも手伝ってくれ」
「お、おう、いくぞ。せぇ~のぉ......」
数人の男子が一斉に力を込めてドアを開けようとするものの、結果は同じ。
ドアは全く開く気配がない。
「閉じ込められたってのか......」
「窓なら開くんじゃない? ここは2階だし、飛び降りても大怪我はしないだろうし」
「......ダメだ。 窓も開かない」
「どうすればいいのよぉ」
生徒たちは軽いパニックを起こしているようだった。
いきなりの事態に動揺したのは俺も同じだ。どうやら閉じ込められたということは周りの反応から十分すぎるほど伝わったので、ポケットを弄って自分の携帯電話を確認する。電話で助けを求めることができるのではないかと考えたのだ。
しかし、その期待はすぐに裏切られる。どうやら電波も届かなくなっているようだ。
俺がスマホを起動したのを見た近くのクラスメイトも同様に確認するが、結果は変わらなかったようだ。
(なんだよこれ、完全に閉じ込められちまった。出る手段もない......。それに、この足元の模様はいったい......)
足元の文様は、魔法陣と形容するのが最もしっくりくる形状をしている。
それは暗い空間のなかで、薄らと青白い光を放っていた。
俺が魔法陣に注意を向けたまさにそのとき、魔法陣の放つ光がやおら強くなり、ゆっくりと回転しはじめた。
「なんだよこれぇ」
「いやぁ」
「どうなってんだよ」
生徒は輝く魔法陣に驚愕し、悲鳴を上げながらクラスの隅へと逃げ、中央から少しでも離れようとする。俺もその流れに巻き込まれるが、回転する魔法陣は教室を覆いつくしており、陣の外へと逃げることは適わない。
次第に回転の速度があがり、それに応じて輝きもどんどん強くなる。その輝きに目を開けることができず、その場の全員が目を閉じた。
バチィイイイイイイイイイイン
何かが弾け飛んだような音が響き渡る。
あまりの音の大きさにとっさに耳をふさいだり、その場にうずくまる生徒たち。
ーーーーようやく静寂がおとずれ、まばゆい光もどうやら収まったようだ。
(なんだったんだ、一体......)
薄らと目を開けると、そこは見慣れた教室ではなく、全く見覚えのない空間が広がっていた。
教室だったはずの空間からは、教室や椅子や黒板が根こそぎ消えていた。広さも教室の4倍ほどになっており、教室の隅に散らばっていたはずの生徒たちは、その空間に小さな正方形の頂点となるように立っていた。
薄暗いものの照明で空間は照らされており、香でも焚いているのか、甘い香りの煙がゆらゆらと漂っている。
生徒たちの足元には、教室でまばゆく輝きを放っていた魔法陣が、回転することなく、光を失ってただの不可思議な文様へと戻っていた。
(教室にいたはずなのに......どこだここは......)
一通り周囲を確認したところ、信じられないことではあるが、教室とは別の空間に移動したようだ。
(信じたくないけど、瞬間移動......と考えないと説明つかないな)
一人でそんなことを考える。正直、事態の進行にまったくついていけていない。
それは他の連中も同じで、次第に周囲の様子に動揺し、口々に騒ぎだした。
「どこだよここ」
「あたしたち、教室にいたはずよね......」
「こんなとこ、学校で見たことないよ」
「もう、意味が分かんない」
あまりの出来事に、動きたくても動けない様子で、その場に立ち尽くす一同。
そんななか、
(ミナサマ、ヨウコソオイデクダサイマシタ)
「「!?」」
どこからか聞き覚えのない声が聞こえ、喧騒が静まる。
声の出所を探して周囲を見渡すが、俺たち以外に人はいないようだ。
(トツゼンノコトニオドロカレテイルトオモイマス。マズハゴアイサツヲ)
パチン
指をはじく音が響き渡る。
すると、先ほどまで生徒しかいなかったはずの空間に、一人のローブをまとった人間が浮かび上がるようにして現れた。
「きゃああぁ」
「うわぁ」
近くにいた生徒が悲鳴をあげる。先ほどまでそんなところには誰もいなかったので、驚くのも無理はない。
「度々驚かせてしまって申し訳ございません。ご説明させていただきますので、どうか私の話を聞いていただけませんでしょうか」
そういって、ローブの人間は、静かに頭部のフードを取り払う。
すると、そこから現れたのは、息を呑むほど美しい顔立ちの金髪美少女だった。
見た感じ、年は自分たちとそう変わらなそうだ。
さきほどから混乱は続いているものの、フードの人間が強面の人間ではなく、年の近そうな人間だったことで、少しばかりホッとした空気が広がる。
誰からともなく生徒たちは一塊になっており、その中から一人の男子生徒が声を上げる。
朝倉大志、クラスの中心人物の一人で、ムードメーカー的存在。
部活もサッカー部でエースストライカーというテンプレ主人公属性男子だ。
「みんな、一度落ち着こう。騒いでも埒があかない。今はこの子に話を聞くしかないみたいだし」
怯え、戸惑いは依然として根強いものの、朝倉の発言に賛同するかのように、皆一斉にローブの少女へと視線を移した。
「ありがとうございます。まず、私はエリシア・ミルロードと申します。どうぞ気さくにエリィとお呼びくださいませ。」
そういって、エリィは流麗な動作で一礼し、説明を再開する。
「そして今、皆様がいらっしゃるのは、これまで皆様が生活してこられた世界ではございません。ここはメルス大陸最大の国家、ミルロード王国の首都、ルグランスの王城のとある一室でございます」
「「......」」
「お気づきかとは思いますが、召喚魔法を用いて、皆様をこちらの世界へと転移させていただきました。まず、無理やりこのような形で見知らぬ世界へと引きずり込んでしまったこと、深くお詫び申し上げます。誠に申し訳ございません」
エリィから発せられるのは到底信じられる内容ではないが、先ほど自分たちが体験したことを説明するためには、この荒唐無稽な話を事実と認めるほかない。
それに、エリィが本当に申し訳なさそうに謝罪しており、今のところ騒ぎ立てる者はまだ出てきていない。微妙な空気が流れる中、朝倉が続きをうながす。
「ここが日本じゃなくて異世界......ってのは、まぁ分かったとして、どうして俺たちを連れてきたのか。その理由を教えてくれないか」
「はい。皆様をこの世界へと召喚した理由、それは、この世界を救っていただきたいという願いからでございます」
「「............」」
皆、ポカンとしている。さすがに理解には要素が足りなさすぎるな。
「悪いけど、もう少し詳しく説明してくれ。それだけじゃ意味が分からない」
「失礼いたしました。この世界には、さまざまな種族が生きており、多数の国家を形成しております。そのなかで、我々人族を中心としたミルロード王国と、魔族を中心としたバルハルト帝国がそれぞれの種族の雄として君臨しております」
「「......」」
「近年、魔族の王が交代し、新たな王が統治を始めたのですが、どうやら我々ミルロードを侵略しようと準備を進めているという情報が入ってきたのです。
魔族は数こそ人に比べ少ないものの、有する魔法が強力なものが多いため、我々もなりふり構う訳には参りませんでした。皆様をお呼び立てしたのも、魔族との戦いにご協力いただきたいためでございます」
「つまり、俺たちに戦えってこと?」
「はい。どうかお力をお貸しくださいませ」
そう言って、エリィはこちらに再び深く頭を垂れる
真摯な思いがダイレクトに伝わってくる、本当に優雅な礼だった。
ただ、いきなり知らない世界に召喚されて、そのうえ戦えなんて言われて、はいと答える人間は軽くどうかしているだろう。
俺の脳裏に浮かぶのは、まっぴらごめんだという思いだけで、どうやらそれは他の奴らも同じなようだった。
朝倉と仲のいい男子達が抗議の声をあげる。
「いきなり見知らぬ土地に引きずり込まれた上に戦え?それで分かりましたなんて言えるわけないだろ」
「そうだ。俺たちは戦うなんてしたことないし、そういった訓練だって全く受けてない。戦えるわけがないだろ。どんな連中かは知らないけど、何もできずに殺されるなんて絶対嫌だ。俺たちを巻き込むなよ」
そうだそうだと頷く生徒たち。二人の発言は至極もっともで、俺としても異論はない。
これまで普通の高校生として生活してきたのに、いきなり戦えるわけがないし、恐れを抱くのは当然だろう。
エリィも当然そういった反応は想定していたようで、慌てたりする様子はなく、そうした反応を冷静に受け止める。
「皆様のおっしゃる通りかと思います。見知らぬ世界で、いかにその世界が危機に瀕しているとはいえ、戦闘経験がないなかで戦ってくれ、と言われてもお困りになるのは当然。
しかし、事態はすでにこのミルロード王国の危機だけに留まってはいないのです。その危機はすでに、皆様のお住まいになっていた世界にも至っているのでございます」
「!? どういうこと?」
この世界の危機が日本にも至っていると言われても全く意味が分からない。
「説明を続けさせていただきますね。先ほど、魔族がこちらに侵略の用意をしていると申し上げましたが、あちらの魔王の標的はこの世界に留まりません。
次元を超えた、異なる世界をも手中に入れるという事が、その野望の終着点なのでございます。
そして、その異なる世界というのが、皆様がお住まいの世界なのです」
エリィはこの後の展開を先読みするように話を続ける。
「どうして皆様の世界を狙うか。という疑問を抱かれるかと思います。それは、その世界に住まう人々、つまり皆様が、この世界に対して非常に高い親和性を有しており、その力を我が物にしようとしているのでございます」
エリィの説明に対して、朝倉が一つの疑問を投げかける。
「その高い親和性っているのは一体どういうことだ?」
「はい。この世界には皆様の世界にはない”魔法”という力が存在します。この世界に生きる者は、すべからく魔力というエネルギーを、生命力のほかに有しており、それを様々な用途に用いているのです。
そして、皆様はその魔力に対して非常に高い適正をお持ちであり、同時にその魔力の保有量も、我々に比べて莫大なのです。
その高い適正に目をつけ、その魔力を奪って魔族のために利用しようというのが、魔王の狙いなのでございます」
エリィは真剣な面持ちでなおも言葉を続ける。
「魔王はあらゆる魔法に通じ、その力はあまりに強大です。そして、最も扱いにたけているのが、転移系の魔法です。
魔王はその力を使って、皆様の世界に”道”を作り出し、皆様の魔力をいつでも利用できるようにしようとしております。
ただ、いかに魔王といえど、異なる世界に自由に行き来できるようにする程の”道”を作るのは容易いことではなく、今は予行演習を行っているにすぎません。
しかし、その予行演習の結果については、皆様のなかでもご存知の方がいらっしゃるのではないでしょうか」
「予行演習の結果?」
皆思い思いに記憶を探るが、異世界に通じた門や道が見つかったなんてニュースは流れていない。
そんなものが見つかっていれば、日本でとんでもない騒ぎになっているだろう。
皆が思い当たる節がない様子を察したエリィが再度口を開く。
「申し訳ございません。予行演習の結果を詳しく説明しておりませんでした。魔王が行ったのは、そちらの世界の方を無理やりこちらに召喚し、その魔力および生命力を奪うことができるのかという実験でございます。
そして、その実験は成功。召喚された方は見るも無残な姿になってしまったそうです。」
そのとき、伊織の脳裏にふと妹との会話がよみがえる。
「魔力と生命力を失った方は、まるで干からびたかのような姿になって亡くなったそうです。
そして、その亡骸は元の世界へと捨てられました」
確かに、異世界への門だの、道なんてニュースは流れていない。だけど、異世界で実験体にされたなれの果てについては、ここ最近嫌というほど耳にしている。
「ミイラ事件......」
思わず俺の口から漏れ出た言葉に、エリィは痛ましそうな表情で何も言わずに目を伏せる。