1-23 小さな勇者 ☆
「ボク......お母さんに、会いたいよ......」
悲痛な面持ちで呟くアル。
愛姫とそう変わらない年頃に見えるが、ここまで相当の地獄を見てきたんだろう。
「お前のお母さんは無事なのか?」
「......分かんない。でも、襲ってきた連中はボクを攫ったらすぐに逃げたし、死んじゃったりはしてないと思う......]
「そうか......。」
「うん。でも、ボクが早く戻らないと、お母さんが危ないかもしれないんだ」
「どういうことだ?」
「......」
質問を返すと、言いにくそうに口ごもるアル。なにか周囲を見渡して周囲を気にしている。
「ここじゃ話しにくいか?」
「......うん」
どうやら人に知られるのは憚られる内容らしい。
俺たちは会計を済ませ宿屋に向かう。部屋代を払って入室し、締め切られた空間で話を再開する。
「ここなら会話は聞かれない。これで安心だろ?」
「う、うん」
「よし、じゃあ続きといこう。このままだとお前のお母さんが危ないっていうのはどういうことなんだ?」
「うん。それはね......」
そういって、アルは被っていたフードを脱ぐ。すると、隠されていた耳がピョコリと姿を表した。
その耳は、美しく金色に輝く毛並みをしていて、思わず目を奪われる。
白石も、俺からアルが獣人とは聞いていたが、初めて見るケモミミに目をキラキラとさせていた。
そんな視線に恥ずかしそうに俯きかけるが、大事な話だと思いなおしたように
「ボクは......金狼の獣人なんだ」
「金狼?」
「えっ、知らないの?」
「そう言われても名、獣人を見るのだって俺たちはアルが初めてなんだ。よければ詳しく説明してもらえないか?」
「う、うん。獣人にはたくさんの、ほんとうにたくさんの種族がいる。そのなかで、金狼っていうのは、本当に珍しい種類なんだ。
金狼の親から生まれてくる子供が金狼になるわけでもなくて、まったく種類の違う獣人の子供が、金狼として生まれてくる。どういう理由かも分かってないんだ」
「じゃあ、アルの両親も金狼じゃない?」
「うん......というか、ボクの場合はもっと特殊かな。お母さんは狐の獣人だけど、お父さんは、人間だった」
「つまり、人間と獣人のハーフってこと?」
白石が驚きの声を上げる。
「でも、この世界じゃ人間は獣人を差別してるんじゃなかったの?」
「うん、でも、お父さんがお母さんに一目惚れしたって言ってたよ」
「そっか」
先ほどまで険しい顔をしていた白石の顔が少し綻ぶ。
どうやら、差別が根強いのは間違いないが、一部には例外はいるらしいな。
「金狼が珍しいってのは分かった。つまり、ほかの獣人よりも、金狼のほうが商品的な価値が高いってわけか」
「うん。そうだと思う。ボクを攫った奴らも、これでしばらくは遊んで暮らせるとかいってどんちゃん騒ぎしてたし」
「......許せないわねそいつら」
「そうだな。で、そんな金の卵であるお前を逃がしてしまった奴らの行動を考えると......」
「うん、もう一度村に戻って、戻ってきた僕をもう一度攫おうとすると思う」
「......汚い」
「だから、なんとかしてここを出てお母さんのところに帰りたいんだ......でも......ここからじゃどう帰ればいいかも分からないし、ボク一人じゃ途中で魔獣に襲われたら一瞬で殺されちゃう。
馬車に乗って移動しようと思ったけど、お金を払えって言われて......」
「「............」」
室内に重い空気が立ち込める。
確かに、アル一人で故郷まで行くのはただの自殺行為だろう。
商隊の馬車に潜り込んだとして、途中で獣人とバレてしまえば同じ目に遭わないとも限らない。
どう考えても成功するわけはない。
「ねぇ、不二君、エリィに相談して助けてもらったりは出来ないかな?」
「無理だろうな」
「っ! どうしてよ」
「分からないか? アルは獣人で、エリィはそんな獣人を差別してる国の王族だぞ?
仮にエリィが同情したとして、わざわざ差別対象を故郷まで送り届けるなんて命令が通るとは思えないな。
エリィが手を差し伸べようとしても、周りの連中が止める可能性が高い。
それに、アルが金狼の獣人って分かれば、さらに余計なトラブルが生じかねないだろ」
「......そうね」
金狼が商品的な価値が高いのなら、当然それを知った貴族の中で、手に入れようと暗躍するバカが出てくるという予想は、さっきのデブ貴族を見れば想像に難くなかった。
俺と白石の会話を聞いて、アルの耳はヘタリと垂れる。
白石もなんとか助けたいのだろう。
必死に何か打開策はないかと考えをめぐらせている。
「......ありがとう。イオリお兄ちゃん、ヒナお姉ちゃん。ボクのことを心配してくれて」
ふいに紡がれた言葉に顔を上げると、スッキリとした表情でアルがこちらを見つめていた。
「ボクの宝物を取り返してくれて、服を買ってくれて、ご飯をお腹いっぱい食べさせてくれて......ボクを心配してくれて...... 本当にありがとう。
ボク、なんとか頑張ってみるよ。こっそり馬車の荷物に紛れ込んでみる。
ひょっとしたら運よくお母さんのところに帰れるかもしれないし、そうじゃなくても、近くまでいけるかもしれないし」
「「............」」
「だからね、もう大丈夫だよ。ボクとこれ以上関わると、お兄ちゃんやお姉ちゃんに迷惑かけちゃう。そんなの、やだもん」
「アル......」
「ボク、人間が嫌いだった。見た目が違うからって見下して、嫌なことして......人間なんて、みんなヒドイ奴らなんだって思ってた。
でも、みんながそうじゃないんだよね。お兄ちゃんやお姉ちゃんや......お父さんみたいな人もいるんだ。
それを思い出させてくれたお兄ちゃんたちに、これ以上迷惑はかけられないよ」
どうしようもなく腹が立つ。
こんな子供に地獄を見せるこの世界の人間たちに。
見え見えの本音を必死に隠して嘘をつくアルに。
そんなアルを黙って見ている自分自身に。
この感情がなにから来ているかなんて言うまでもない。
同情だ。
かわいそう。
あぁ、かわいそうだ。でもだから何だって言うんだ。
世の中かわいそうな奴なんて元いた世界にだって腐るほどいる。
俺や愛姫だってそうだ。本当の親の顔を知らない。上を見ればきりがないし、下を見たってきりがない。
運が悪かった。巡り会わせが悪かったと、そう思ってここで分かれれば、面倒ごとにこれ以上巻き込まれることはない。
俺は......面倒なことが大嫌いだ。
だけど......。
俺がアルと同じように世界を憎み、心を閉ざしていたときに、手を差し伸べてくれた人がいた。
わざわざ面倒を抱え込み、それを幸せと言ってくれた人がいた。
そんな幸せを素直に受け取れない俺に、かけがえのない宝物をくれた。
だから俺は今こうしてここにいる。
そしてここには、そんな風に手を差し伸べられるのを待ってるやつがいる。
それも、俺みたいに荒むことなく、他人を気遣い自分を犠牲にしようと、願いを必死に押し殺して。
そんな心優しい目の前の存在をここで面倒だと見捨てて、俺は俺でいられるだろうか。
俺に手を差し伸べてくれた両親に、胸を張って生きていくことができるだろうか。
きゅっ
服の裾が引かれ、隣を見ると、愛姫がこちらを見つめている。
その表情は、まるで俺の考えていることをすべて理解しているといっているようで、穏やかな、優しい微笑みをたたえていた。
コクリ
愛姫が俺にうなずく。
あぁ、そうだよな。
俺に残された、かけがえのない宝物が、俺の背中を押してくれる。
精一杯の愛情をこめてそんな宝物の髪をなでると、心地よさそうに俺に体を預けてくる。
ここまでしてもらって、これ以上やらない理由を探すなんて、非効率なことこの上ない。
俺の心は決まった。
「アル」
「? なに? イオリお兄ちゃん」
「本当の気持ちを言ってみろ」
「......えっ?」
「いらない気を遣わなくていい。お前の思っていることを、正直に言ってみろ」
「......でも」
アルの肩が小刻みに震え、その瞳には様々な感情が浮かんでは消えていく。
「この世界の人間がどういうやつ等だろうと、そんなの俺には関係ない。
俺は俺のやりたいようにやる。俺の生き方は俺が決めるんだ。誰にも邪魔なんてさせない。だからアル、お前の本当の願いを聞かせてくれ」
アルがこちらを見つめてくる。
その瞳からはスゥっと涙が零れ落ち、握り締めた手の甲にポタリと落ちる。
グッと口を真一文字に引き結び、先ほどまでの虚勢で吐いた言葉を飲み込んで、開かれた口から言葉が漏れる。
「............けて」
「うん」
「助けて!! ボクを......お母さんを助けて!!!」
嘘偽りのない心からの願い。それを叫ぶように吐き出した小さな勇者の頭を撫で、俺は俺の、嘘偽りのない思いを言葉にして返す。
「任せろ」