1-1 当たり前の日々☆
「そろそろ起きないと、午後の授業さぼりになっちゃうよ?」
「......白石か」
日差しに顔を顰めながら目を開けると、一人の女子がこちらに笑顔を向けていた。
白石陽和。俺の学年の男子人気No.1の女子だ。整った顔立ちで、栗色でセミロングの髪の毛はハーフアップで纏められている。
男子からの人気はもちろんのこと、それでいて人当りもよく、女子の間でも慕われている、まさに俺とは対極とも言える存在だ。
そんな女の子が、穏やかな笑顔を湛え、俺を覗き込むようにして立っていた。
「もう、そんな鬱陶しそうな顔しないでよぉ」
「せっかく人がいい気分で過ごしてたのに、それを邪魔されたんじゃしょうがないだろ」
「せっかく心配して声かけたのに、そんな言い方しなくてもいいじゃない」
「そりゃどうも」
ぶっきらぼうに答えて立ち上がり、そのまますたすたと歩き始める。白石はその後ろをトコトコとついてきた。
「気持ちよさそうに寝てたねぇ」
「まぁな」
「不二くんもあんな優しそうな顔するんだね。意外だったなぁ」
「......いつも仏頂面で悪かったな」
「もう、別にそんなこと言ってないでしょお?」
白石は困ったような表情を浮かべて抗議する。先ほどまで愛姫に向けていた優しい表情
はすっかりなりを潜めていた。俺は愛姫にはとんでもなく甘いが、それ以外の人間には
ほとんど心を開いていない。
「クラスだと退屈そうな顔してるから、ちょっと意外だなと思っただけだよ」
「言い方変えただけじゃねぇか」
「そ、そうかな~。あはははは」
「ったく。そういうお前は逆に、いっつもニコニコ笑っててよく疲れないな」
「いっつもブス~っとしてるよりはマシでしょ? そんなんだからクラスで浮いちゃうんだよ?」
「別に無視してるわけでもされてるわけでもない。俺には今ぐらいがちょうどいいんだよ」
「ふ~ん、せっかく同じクラスになったんだから、仲良くしたらいいのに......」
「今みたいに学年の高嶺の花に不用意に近づいて、余計な火種を生みなくはないんだよ」
「それって遠まわしに可愛いってって言ってくれてるの?」
わざとらしく頬に手を当て、照れた素振りを見せる白石。たしかに可愛いとは思うが、別に恋愛感情を抱いているわけでもないので、俺の態度に変化はない。
「文字通りの意味だよ。それ以上でもそれ以下でもない。思春期の奴らの面倒な勘ぐりに巻き込まれたくないんだよ」
白石はそのかわいらしい顔立ちと、誰に対しても人懐っこい態度で接することから、人気が非常に高かった。まだクラス分けから2か月ということで、踏み込んだ動きを見せるものは出ていないものの、きっかけを待っている男子は多く、お互いに様子見し合っているような感じだ。
そんなモテる女子と不用意に話しているところを見られようものなら、瞬く間にブラックリスト入りするのは目に見えている。仲間内の誰かに取られるならまだしも、クラスで浮いた存在の自分が不用意に白石に近づけば、悪目立ちは必至だろう。
「不二くんも同い年なんだから、その思春期の奴らになると思うけど?」
「生憎、恋愛とかに興味を持てないようなんでな」
「そんなんで寂しくないの?」
「特にそんなことは感じないな。一人で過ごすのには慣れてるし、何より気楽でいいからな」
「......楽しいの? ずっと一人でいて」
なにやら不安げな顔で尋ねてくる。そんなに心配される謂れもないのだが......
「ん~、まぁ家に帰れば騒がしい妹がいるしな。常に一人ってわけじゃない。それに、俺は平穏に過ぎていく時間が好きだ。ありふれた時間がただ過ぎていく、それで十分だな」
「ん~、おじいちゃんみたいないことを言うシスコンってことでOK?」
「失礼極まれない要約どうも。うちは妹と二人暮らしだからどうしても過保護になっちまうんだよ。別にマンガみたいな爛れた関係じゃない」
「あ、ごめん、無神経なこと聞いちゃったね」
家庭環境に不躾に踏み込んでしまったとバツが悪そうに詫びる白石。
「別に気にしちゃいないさ。それより、とっとと戻ろう」
「......うん」
俺は手をヒラヒラと振ってそのまま教室へと戻っていく。
白石もそれ以上はなにも言わずに、俺の後を静かに追って教室へと戻っていった。
午後の授業もつつがなく進行し、学内の清掃も終わり、後はクラスのホームルームを残すのみ。
担任の先生からの連絡事項を聞き、メモ帳に軽く書きとめ、クラス委員の号令とともに学校での一日が終わりを告げる。
俺は部活動に所属していない帰宅部なので、そそくさと帰り支度を済ませて帰ろうとする。
愛姫の親代わりという立場もあるし、まだまだ幼い妹が寂しい思いをしないでいいように、俺は買い物などの用事を除けばまっすぐに帰宅するようにしていた。
何の変哲もない、いつも通りの日常が過ぎてゆく。
学校に向かい、授業を受け、帰宅すれば妹と穏やかに過ごす。そしてまた次の日がやってくる。
俺にとって、この日常の繰り返しが続くことが何よりの幸せだった。
刺激に満ちた日々に興味はない。ありふれた日常が当たり前のように過ぎていくことが、どれだけ得難いものなのか。それを身を以て理解した俺にとって、”現状維持”こそが至上命題であり、最大の幸福なのだ。
それを理解せずに、当たり前どころか、完全に意識の外に置いて、明るく楽しく過ごしている周囲の人間とは、どうしても距離を置いてしまうのだ。
周囲からは、やる気がないと見られがちだが、俺からすれば冗談じゃない。
当たり前の毎日を、波風立てないように当たり前に過ごすことへの努力を、俺は惜しまない。
”凪”
風も波もないという意味をもつこの言葉が、俺は好きだ。
自分や愛姫の周囲に起きる、波風が立ちそうな気配の排除のためならば、どんな労力もいとわずに動く。これが俺の絶対不変の行動原理だ。
(......帰る前にプリンを買って帰らないとな。)
昼休みの約束を思い出して、席を立とうとしたまさにその時。
そんな俺の凪いだ日常を吹き飛ばす事態が襲い掛かる。