4-7 残された者達
「ざっけんな」
そう吐き捨てて、あいつは出て行った。
扉が大きな音を立てて閉まったとき、衝動的に追いかけようと体が動きかけたけど、どうしてか一歩目を踏み出すことができなかった。
あたしに背を向ける直前の、あいつの表情のせいかな。
あいつの顔は、これまでに見たことがないほどに歪んでた。
それは苦しげで、悲しげで......。
頼むから一人にさせてくれって懇願されているように感じられたから。
扉が閉まったあと、あたしはストンと腰が抜けたように座り込んでしまった。
誰も口を開かない。まるで音がこの辺りからなくなったかのようだった。
そんな重苦しい空気のなか、
「まさかイオリがあんなになるなんてね」
エルザが話しだした。エルザの独り言のような言葉を皮切りに、アルも久方ぶりに口を開く。
「うん、あんなイオリ兄ぃ、初めて見た」
「問題がないのなら、いきさつを教えてもらってもいいかしら?」
メリルさんのその問いに、あたしたちはダンジョンでの出来事を話した。
負けたこと、それも手も足もでずにやりたい放題にされた挙句にお情けのように見逃されたこと、そんなやつらに勝たないとあたしやあいつは死ぬしかないってこと。
「そうだったの......」
メリルさんは最後まであたしたちの話を聞いたあと、一言そう呟いた。
どんなことを思ってるんだろう。自分の最愛の娘にこれ以上危険な旅を続けてほしくないって思ってるのかな。当然よね、誰だってそう思うわ。
「ヒナさんは彼のことをよく見ているのね」
「えぇ!?」
予想だにしていなかった言葉にあたしは狼狽してしまう。
と同時に、自分の顔がどんどん熱を帯びていくのが分かる。
「ただ、ちょっとばかり勢いをつけすぎたのかしら、普段のイオリさんからは考えられないほど動揺していたみたいだし」
「うっ......」
痛いところを突かれてしまった。
たしかに勢いにまかせて言い過ぎたかも......。
でも......。
「でも、こと今回に関してはこれでよかったのでしょうね」
「えっ?」
あたしはメリルさんの言葉の真意を図りかねてしまう。
あたしだけじゃない、この場の全員がメリルさんに視線を注いでいた。
「イオリさんがこれまでに見せたことのない一面を引き出せたということは、彼との理解を深めるまたとない機会でもあると思うのよ」
そう言って、メリルさんは穏やかな笑みを浮かべる。
そしてここでようやく、これまで沈黙を守っていた愛姫ちゃんが声をあげた。
「陽和お姉ちゃん」
「何? 愛姫ちゃん」
私が視線を向けると、愛姫ちゃんはあたしのほうを真っ直ぐに見つめて語りかけてきた。
「ありがとう。にいちゃんを叱ってくれて」
「愛姫ちゃん......」
そう言ってぺこりと頭を下げた少女に、あたしはどう返事をしたものかと思案したものの、適当な返しが思い浮かばなかった。
彼女は頭を上げるとさらに続ける。
「にいちゃんね、お父さんとお母さんが死んじゃってから、ずっと愛姫のために色んなことをしてくれたんよ」
「......」
「愛姫はそれがすっごく嬉しかったし、にいちゃんがいてくれたけん、お父さんとお母さんがおらんでも寂しくなかった。けど......やけど......」
そこまでが限界だったみたい。
愛姫ちゃんは両目から大粒の涙を流し始めた。
肩を震わせ、堪えきれない嗚咽を漏らして泣く彼女を見て、あたしは自分の抱いていた考えが間違っていないと確信した。
「大丈夫だよ。愛姫ちゃん」
あたしはそういって愛姫ちゃんをぎゅっと抱きしめる。
「言いたいことは分かってるから」
あたしがそう言うと、愛姫ちゃんはうわぁんと声を上げて泣き始め、あたしの腰に両腕を回して強く抱きしめ返してきた。
親の心子知らずとはいうけど、これは妹の心兄知らずって言うんでしょうね。
全く、ホントに見えてるようで何にも見えてないんだからあのバカ兄貴は。
愛姫ちゃんが泣くのを、その場の誰も止めることはなかった。
しばらくして思う存分泣いたのか、愛姫ちゃんが赤い目をこすりながらおずおずとあたしから離れる。
「陽和お姉ちゃん」
「何? 愛姫ちゃん」
先ほどと同じやり取り。
愛姫ちゃんは、涙で腫れた目であたしを見据え、思いを吐き出した。
「愛姫は......陽和お姉ちゃんがいい」
「......そっか」
傍から聞いたら意味が分からないかもしれないわね。
でも、あたしには愛姫ちゃんの台詞で十分だった。
というよりこの状況においては最強の武器かもしれないわね。
あたしはもう一度愛姫ちゃんを抱きしめる。
愛姫ちゃんもあたしを抱きしめ返したあと、不安げな様子で話しかけてきた。
「でも......また喧嘩になるかも」
「そうね」
「陽和お姉ちゃんが傷つくかも......」
「......そうね」
「......」
あたしの返事に、愛姫ちゃんはしゅんとしたように視線を落とす。
この子は賢い。あのバカ兄貴の分なのか、人一倍感情の機微に聡いんだ。
今もこうして、あたしの気持ちも汲んで心配してくれている。
「いいのよ、愛姫ちゃん」
「えっ?」
「あいつと喧嘩するなんてもう慣れっこだし......それに」
「......?」
再び潤んできた瞳で見つめる愛姫ちゃんに、あたしは精一杯の笑顔を浮かべて告げた。
「可愛い妹の頼みだもん、お姉ちゃんに任せなさい」
「......うん」
コクコクと何度も頷きながら涙を拭う少女の頭を撫で、あたしは立ち上がる。
「エルザ」
「何かしら?」
「ちょっと行ってくるわ」
あたしはニヤリと強気な笑みを浮かべながらそう告げる。
それを聞いたエルザは励ますように笑みを浮かべてくれた。
「頑張ってね」
あたしは靴を履いて外に出る。
扉を閉めると、心地のいい風があたしの脇を吹き抜けていった。
見上げれば満開の星空。
澄みきった空から瞬く星々が、まるであたしを応援してくれてるように感じられる。
「よしっ!」
あたしはそうひとりごちて歩き出す。
さぁ行くわよバカ兄貴。
決着をつけようじゃない。