3-47 覚悟
「......愛姫」
愛姫がカインに啖呵を切った。
その表情は恐怖と悲痛に歪み、今にも大粒の涙をこぼしてしまいそうだ。
だが、それを必死にこらえ、震える体をぐっと力をこめて踏ん張って目の前の強大な相手に立ち向かっていた。
カインは興味なさげな視線を愛姫に向けている。
「動くなっていったよね?」
「うるさい! にいちゃんをこんなに傷つけて、絶対に許さん」
「へぇ、何もできないくせにいっちょまえなこと言うじゃん。そこまで言うってことは殺されても文句ないよね?」
「......よせ」
カインの台詞に寒気を覚え、俺は息も絶え絶えに立ち上がろうとする。
それだけは......それだけは絶対にさせちゃいけない。
「にいちゃんを目の前で見殺しにするくらいなら、一緒に死んだ方がよっぽどましや!」
そう叫ぶのと同時に、カイン目掛けて風の刃が無数に放たれる。
「おっと」
カインがそれをヒラリと躱すと、エルザが愛姫を抱えて一目散に俺の元へと駆け寄ってきた。
アルと白石も即座に呼応して全員が集う。
「にいちゃん!」
「イオリ兄ぃ!」
愛姫とが俺の側に膝をついて心配そうに覗き込んでくる。
エルザと白石はそれぞれの獲物を手にカインを絶対に通すまいと鬼気迫る雰囲気で相対していた。
「あらあら、妹ちゃんだけじゃなくて全員動いちゃったか。これで俺がイオリさんとの約束を果たす理由もなくなったわけだ。折角ボロボロになってまで助けようとしてくれてたのに、揃いも揃って大馬鹿みたいだね」
カインがあけすけな挑発をぶつけてくる。
そんな言葉に白石が返した。
「えぇ、あんたの言うとおりよ。大馬鹿だわ」
「......」
「大切な人が目の前でズタボロにされてるってのに、恐怖で見ていることしかできなかった馬鹿な自分を殺してやりたいわよ!!」
「ヒナの言うとおりね。情けないったらないわ。こんな小さな子に目を覚まさせられるまで、足がすくんで動けなかったなんて......」
二人の言葉は凄まじい怒りに満ちていた。
それはカインに対してはもちろんのことだが、それよりも自分自身に向けられているように感じられる。だが、そんな怒りや気合でどうこうできる相手ではない。
俺は必死に今にも飛びかかりそうな雰囲気の二人を止めようとした。
「二人とも......よせ、俺のことは、大丈夫だから......」
「大怪我人は黙ってなさい。一人で死なせやしないわよ」
「ウンディーネ、彼を癒してあげて」
白石はこちらを振り返りもせずに俺の言葉を突っぱねた。
エルザの指示で俺のもとへ移動してきたウンディーネがひんやりとした水を俺の折れた鼻へとあてがう。すると、さきほどまで断続的に感じられていたズキズキとした痛みが若干和らいだような感覚を覚える。どうやら鼻血も収まったようで、大分呼吸が楽になった。
「どれだけ治癒したところで、そんなの無駄だってわかってるでしょ?」
「黙んなさいよ」
「あぁ?」
「確かにあたしたちはあんたに敵わないかもしれない。でもね、だからってアイツを見殺しにして生きながらえた人生なんてあたしはいらない!! たとえ敵わなくても、腕の一本、指の一本、怪我の一つでも負わせて、あんたのその気に入らない顔を歪めてやるまでは絶対に死ぬもんか!」
「はっ、みっともなく震えてるくせによくそんな威勢のいいことが言えたもんだねぇ」
「っ!......」
白石の握る脇差は小刻みに震えていた。虚勢を張っているのは明らかだ。
だが、それでも決して俺の前から動こうとはしなかった。
それは他の3人にも言えることだ。
俺との戦闘を見て、万に一つの勝ち目もないのはよくわかっているだろう。
それでも、折れそうになる自分の心を叱咤して、俺を庇おうと必死になって立ちふさがってくれていた。
「敵わないって分かってて、それでも挑むのは犬死じゃないの?」
「......ずっと自分を呪いながら生き続けるよりマシよ」
「へぇ」
白石の言葉に、カインは少し感心したような表情を浮かべた。
そこへ、これまで沈黙していたイエナが割って入ってきた。
「良い覚悟ですね」
「......」
「全員、そこの幼子二人に至るまで、半端な覚悟でカインに相対していないことは分かりました。
たしかにあなた方はまだまだ弱い。ですが、少なくとも我が身かわいさに逃げを選択する愚か者ではないということは間違いないのでしょう。
このまま無様に立ち尽くして、そちらの殿方を見殺しにするような腑抜けであれば、カインにそのまま殺させてもよいかと考えていましたが、その覚悟に免じてこの場は引きましょう。
カイン、帰りますよ。観察という任務はもう十分に果たしたでしょう?」
「え~、もう少し遊ばせてくれてもいいじゃん」
「くどいですよ。私を怒らせたいのですか?」
「......ちぇっ、わ~っかりましたよ。帰ればいいんでしょぉ」
カインは不満げな声色ながら、イエナの言うことに従うようだ。
イエナの元へと歩み寄り、くるりとこちらへと振り返る。
「イオリさん、いい仲間に囲まれててよかったね。おかげで命拾いできたじゃん」
「......」
「今日のところは見逃すけど、せいぜい強くなっててね? 次もこんなつまんない体たらくなら容赦なく殺すから。あぁ~そうそう、僕たちと出会ったことは誰にも口外しないこと。これは絶対。
もし破ったら......分かってるね?」
カインは薄ら笑いを浮かべながら、首を掻き切るジェスチャーを見せた。
それが冗談でもなんでもないことを瞬時に俺達は理解する。
そして、カインは続けて衝撃的な言葉を吐いた。
「あんたらの住んでる国にも、僕たち”大いなる神秘”のメンバーは紛れてる。
あんたらは常に僕達から監視されてるんだ。それを、ゆめゆめ忘れないことだね」
「なっ!......」
「さて、じゃあ僕たちはそろそろ帰るよ」
「待てよ」
「ん?」
「どうして俺達の住んでる世界まで狙うんだ。魔王の目的っていったい何だよ!」
俺はこの世界に召喚されてから抱え続けてきた疑問を思わずぶつけた。
まともな答えが返ってくるなんて期待しちゃいない。だけど、敵の中枢にいる存在を前にして、その疑問を問わずにはいられなかったんだ
カインとイエナはしばし視線を交えたあと、予想外の答えを返してきた。
「知らないよそんなの」
「......はぁ?」
ケロリと言ってのけたカインに、俺は思わず大きな声を上げてしまう。
「主様のお考えなんて、僕達の知るところじゃないさ。僕達は命じられたからここに来ただけ。
どうして観察する必要があるのかとか、あんたらの世界を狙う理由なんて知らないよ。時がくれば主様から教えてくれるだろうし」
「......」
あっけらかんと言ってのけるカインに言葉を失う俺達。
そんな俺達の表情を見てくっくと笑うと、カインはパチっと指を弾いた。
足元から徐々に体が消えていく。腰まで消えたところで、カインが手を振りながら口を開いた。
「じゃあねみんな。次はもう少し楽しめるのを期待してるから。うっかり魔獣相手に死んだりしないでよ?」
最後の最後まで小馬鹿にした態度を貫いたまま、カインとイエナの姿はダンジョンから完全に消え失せたのだった。
二人が去ったあとには、これまで培ってきた自信を粉々に打ち砕かれ、言葉を失って呆然とすることしかできない俺達がぽつんと残されていた。