3-44 アルカナ
俺達は目の前の出来事が理解できずに立ち尽くすことしかできなかった。
一体何が起きてる? カインが地面に崩れ落ち、それを冷たい視線で見つめるイエナ。
胸のあたりまで伸びたストレートヘアに、透き通るほど白い肌。
顔立ちも整っていて美少女と表現して差支えないだろう。
そして、なんといっても黒い。髪、瞳、衣服の全てが黒かった。見ていると吸い込まれそうな怪しい光をたたえた瞳でこちらへと視線を向けると、イエナはニコリとほほ笑んで話しかけてきた。
「みなさん、お初にお目にかかります。イエナと申します。以後お見知りおきを」
そういって恭しくお辞儀をしてくるイエナ。たおやかな物腰は先ほどの一撃とまったく結びつかない。それが余計に不気味さを際立たせていた。
俺達は誰一人返事を返さない。いや、返せなかった。
イエナは俺達の様子を無言で眺めた後、クスリと笑みを浮かべながらなおも語りかけてきた。
「皆さん随分と動揺なさっているようですが、いかがなさいましたか?」
まるで先ほどのことがなかった、もしくはなんでもないかのように問いかけてくるイエナ。
俺は最大限に警戒しながら口を開いた。
「どうしてあんなことを。カインは恋人じゃなかったのか?」
「恋人?」
俺の問いかけにイエナは怪訝な顔を浮かべた後、何か合点がいっのか、忌々しげに地面に横たわるカインを見下ろした。
「あぁ、どうやらそういうことになっていたようですね」
「そういうこと?」
俺はイエナの発言の意図を読み取れずにおうむ返しする。
イエナはカインへと忌々しげな視線を向けたまま返す。
「カインの口からでまかせですよ。こんな軽薄な輩と恋人など、仮初でも身の毛がよだちます。
いつまで狸寝入りなどしているのですか」
吐き捨てるようにそういうと、地面に横たわるカインの頭を無造作に蹴り飛ばした。
すると、
「いたっ! ちょっとなにするんだよイエナ!」
あろうことか胸を刺し貫かれたはずのカインが頭をさすりながらむくりと起き上がったのだ。
どうみても致命傷を食らったはずなのに、微塵も苦しんだ様子が感じられない。
俺は立て続けに起こる信じられない光景に眩暈のような感覚を覚えていた。
そんな俺達の驚きをよそに、イエナはなおもカインに言い募る。
「あなたがおぞましい嘘をつくからです。その綿よりも軽い口を今すぐ縫い付けてやりたいものです」
「いやだなぁ。こんな退屈なダンジョンをえっちらおっちら進むのに、それくらいのお楽しみは許されていいじゃないか」
くくくっと笑みを零しながら返すカイン。その様子は、これまで俺達に見せていたそれとはまるで違っていて、全くの別人を見ているかのようだった。
カインはそんな俺達の方へと振り向くと、ニタリと嫌らしい笑みを浮かべて口を開く。
「いやぁ皆さん。ダンジョン攻略おめでとうございます。あれぇ? どうしたんです? そんな呆けた顔しちゃってぇ。僕の顔に何かついてますかぁ?」
よほど俺達の反応が見ていて面白いらしい。
馬鹿にしたような口調で神経を逆なでしてくるカインに、俺は無性に苛立ちを覚えた。
「ずっと騙してたのか」
「あっははははは。イオリさん怖いなぁ。けどそういう顔大好きだよ。ほんとに傑作だぁ」
「何がおかしい」
「何って、おかしいと思わなかったの? 手負いの恋人が行方知れずだってのに、聞き分けよすぎでしょう? もっと慌てたり先をせかすのが普通じゃん」
カインはなおも煽るように言い募る。
たしかに、ここに来るまでのカインは大人しかった。いや、大人しすぎた。俺としてはそちらの方が都合がよかったから気に留めていなかったが、聞き分けが良すぎだと言われれば頷くしかない。
俺は抱いて然るべき疑念を抱かずにここまで一緒に行動していた自分のめでたさに痛恨の念を抱く。
そうして歪んだ俺の表情を見て、カインはさらに笑みを濃くした。
「そうそれそれ、あんたのそういう顔が見てみたかったんだぁ。普段クールぶってる人間の歪んだ顔って見ててホントに笑えるよ」
「何が目的だったんだ」
「はぁ?」
「俺達と一緒に行動した目的はなんだよ」
ひたすらに煽ってくる言動に神経が逆撫でされ続けるが、俺は抱いた疑問をぶつけた。
道中、寝食をともにするなかで殺そうと思えば機会はいくらでもあったはずだ。
それをそうしなかったということは、俺達を殺すということがカインの目的だったとは考えにくい。
とにかく狙いを知る必要があった。
しかし、俺の問いに対してカインはにやりと口を歪めて嫌らしい笑みを浮かべる。
「あんたらしくないな。俺がそう聞かれて素直に答えるような奴じゃないなんてことはとっくに分かってんだろ?」
「......」
「あっははははは。まぁいいや、あんたのその笑える顔に免じて教えてあげるよ。僕があんたらに同行した理由。そうだね、簡単に言えば”観察”さ」
「観察?」
「そう。異世界からやってきた特異な存在。その中でも指折りの実力を持つといわれるあんたと、その仲間たちがどんなもんかってのを測るのが目的だったのさ」
「誰の指示でそんな真似を......」
俺がさらに問いを重ねようとするが、カインはそれを手で制した。
これまでの嘲るような笑みから、呆れたような表情へと変わっている。
「はぁ、あんまりがっかりさせないでよ。頭はキレるほうだと思ってたのに、割りと本気でバカなの?
ここまで聞けば大方予想はつくでしょ」
「......まさか」
イライラでまとまらない頭をなんとか鎮めて考え、俺は一つの可能性を思い浮かべた。
そして、同時にその可能性が当たってほしくないと願ってしまう。
しかし、カインは俺の願いとは裏腹に、俺の考えを読み取ったかのようにうなずいて、パチパチと拍手を送ってきた。
「ほら、やればできんじゃん。そうさ、僕とイエナはこの世界の魔獣とそれにまつわる全ての頂点に君臨なさる、偉大なる魔王陛下の配下だ。その中でも最高幹部”大いなる神秘”の一翼を担っているね」
「”大いなる神秘”......」
俺達の最終目標である、魔王の配下と聞いて、全員が息をのんだ。
いつかは対峙する。それは当然思っていたが、いくらなんでも早すぎだろう。
俺は先ほどの苛立ちなど吹き飛び、これまでに感じたことのないほどの焦燥を感じていた。
カインはそんな俺達の動揺した顔を見て満足そうに笑みを浮かべると、イエナの元へと戻って仰々しく姿勢を正した。
「さて、改めてご挨拶といこうか。僕はカイン。”大いなる神秘”が第18席、”月”のカインだ。よろしくね」
そういうと、カインは右手を恭しく腹の前にかざして深々と頭を下げた。
次いでイエナがカインを一瞥したあと同じように名乗りをあげた。
「同じく、”大いなる神秘”が第2席、”女教皇”のイエナでございます」