3-36 疼き
「ケルベロス......」
俺から漏れ出た声に全員がビクリと反応を返す。
ボス部屋の内部は真っ暗で、鷹の目の暗視機能で確認したのだから、他のみんなには全く見えなかったのだろう。
俺は少しでも情報を得ようと”鷹の目”でケルベロスを観察する。
これまでに見てきた魔獣とはさらに一線を画する巨大な体躯、四肢からは極太の爪が生えており、3つの頭はそれぞれが個別に意思を持っているかのようにバラバラに動いていた。
見たところ、やはり扉が開いただけでは戦闘態勢には入らないようだ。
どこかリラックスしているような雰囲気すら感じられる。
見た目の情報しか持ち帰ることができそうにないが、これ以上は実際に足を踏み入れないと知り得ることはできないだろう。
俺はこのダンジョンの支配者の正体が割れただけでも十分だと判断して”鷹の目”の発動を解いた。
「ゆっくり閉めよう」
「わ、わかった」
「せ~の!」
全員で力を合わせて扉を閉じ、誰が言うでもなく全員同じように扉に体を寄せて深いため息をついていた。覗くだけでも結構な緊張感だったし仕方ない。しばらく呼吸を落ち着けてから、俺達はようやく白石の設営してくれていたシーツへと腰を降ろしたのだった。
「で、イオリ。ケルベロスがいたっていうのは聞こえたけれど、どんな特徴があったか教えてもらえるかしら?」
エルザが神妙な面持ちで尋ねてくる。その雰囲気は楽しみとかそういうのを超えて、強者を倒すことに全神経が集中しているかのようだった。
「えっと、まず第一に相当デカい。この空間の横幅くらいあると思う」
俺の答えにエルザ以外の全員がギョっと目を剥く。
この空間の横幅はざっと見積もって約10m弱。それほどの体長を誇る魔獣と相見えたことはまだ一度もなかったのだ。
「次に見た目だけど、俺達異世界組にとっては馴染み深い姿だな。三つの頭を持った巨大な犬の魔獣だった」
「まさにファンタジーのアレね」
「イオリ兄ぃ達はケルベロスを見たことあるの?」
「あぁ、空想の物語に似たようなやつがいてな。で、四肢には極太の爪だ。あれに裂かれたらグチャグチャになる。当然絶対回避だ」
俺の言葉に全員が深くうなずきを返した。俺はそれを見て話を続ける。
「で、それぞれの頭だけど、それぞれ別の意識を持ってるんだろうな。動きに規則性は感じられない。
死角を作らないように動いてる感じだ」
「そうなると、なかなかイオリの奇襲が通じないわね」
「たしかに......厄介だな」
死角がないということは、俺が転移魔法で背後を取ったとしても即座に対処されてしまうということだ。エルザの指摘に俺は苦々しい表情を浮かべる。何か対策を考えなければまずいかもしれないな。
「その大きさだとプリズンゲートも難しそうよね」
「それなんだよなぁ」
白石の指摘も俺の抱いていた大きな懸念の一つだった。
あれだけの大きさの魔獣を囲むとなると相当の枚数のゲートを展開しなければならない。
だが、それを展開、発動するまでの間ぼんやりと眺めてくれる優しいワンちゃんには到底思えなかった。
「現状だと正攻法でぶつかってその上で倒すってことになるのかしら?」
「だな......。できれば初手で何かしら食らわして主導権を握りたいんだけど......」
う~んと全員が考え込むように唸ったり首をひねったりしていた。
沈黙が続くことしばらく、俺はふと一つの思惑が閃く。
「なぁ、こういうのはどうだ? ............」
「いいんじゃない? タイミングさえ合わせればこちらに被害はないでしょうし」
「あたしも賛成。成功すれば一気に畳み掛けられそうだし」
「ボクもいいと思う」
全員が賛同してくれたことで、開戦一発目の行動は決まった。
ただ、エルザが言った通りタイミングをあわせるのが重要だ。ヘタをするとこちらにも被害が出かねない。
「じゃあ、テレパスでカウントを取るから、みんなはゼロの瞬間に合わせてくれ」
俺の言葉に全員が頷きを返す。
これで味方にまで被害が行く可能性は低いだろう。戦闘中もできなくはないが、咄嗟に合わせるのは難しいだろうし、初手の一回だけとしておいた方がいいだろう。
「で、戦ってみて、ヤバいと判断したら即座に撤退する。判断は......エルザ、任せていいか?」
「私でいいのかしら?」
「彼我の実力差をこの中で一番正確に測れるのはエルザだと思う。前衛として戦力を把握しやすいだろうし。まさかとは思うけど、目の前の相手にのめり込むなら任せないけど」
「さすがに命を無駄にするようなバカじゃないわ。それに、ここまで一緒に旅をしてきた仲間をむざむざ死なせるような選択は絶対にしない」
エルザは俺をまっすぐに力強い視線で見据えて答えを返してきた。
そこに微塵も嘘偽りもないと俺は判断して、改めてエルザに撤退の判断を任せるのだった。
こうして退く際の手筈も整えたところで、俺は白石の方へと視線を向けた。
「? どうしたの?」
白石が俺の視線に気づいて首を傾げながら問いかけてくる。
俺はすぐには言葉を発することができなかった。
それは白石を傷つけるであろうということが分かっていたから。
だけど、それでも言わなければならない。
ここで言うのを躊躇ってしまえば、あとで悔やむ結果になるかもしれないから。
俺は白石と視線を交わし、言葉を選びながら答えを返した。
「白石、今回の戦いでは俺の近くにいてくれ」
「!! ......」
一瞬驚いた表情を浮かべた後、白石の表情が沈痛に歪む。
そこには、悲しみと悔しさがないまぜになりながらもありありと浮かんでいた。
誰も言葉を発さない。発せない。
俺の言葉の意味と、白石の気持ちを考えれば当然のことだろう。
どれくらいの間静寂が立ち込めていただろう。
白石は両手を膝の上でギュッと握りしめたまま、ボソリと俺に語りかける。
「あたしじゃ、足手まとい?」
「! そういうことじゃない。ただ、ティナを攻撃に数えたとしても白石が自分を守るには分が悪そうなんだ。エルザは精霊の力を借りて底上げができる。でもお前は俺の支援魔法以外は基本的に生身で攻撃に対処しないといけないだろ?
あぁいうデカい相手からの攻撃の受け方はまだ習得しちゃいないはずだし。ぶっつけで相対するのは危険すぎると思ったからこういう提案をしてるんだ」
「でも、回復魔法があれば」
「それを当てにしないでくれ。治せるとしても痛みは消えないし、即死だとどうしようもないんだ。
様子を見て問題なさそうなら当然アルとエルザのサポートに入ってもらう。
だけど、最初からそうするには情報が足りない。危ない橋を渡ってほしくないんだよ」
「......」
白石は俺の言葉に押し黙る。
折角ここまで努力してきたのに、最後の最後でこんなことになっては悔しくて仕方がないだろう。
俺だって、いやここにいるみんなそれは分かっている。
でも、だからこそここで無理をしてほしくないのだ。
再度の沈黙。
白石は小さく息を一つ吐き、顔を上げて俺を見つめる。
俺も逸らさない。ここで食い下がられても俺は絶対に引くつもりはなかった。
しかし、それから白石から出た言葉は食い下がる内容ではなかった。
「ごめんなさい」
「えっ?」
突然の謝罪に俺は呆けた声を出してしまった。
「あんたの判断は正しいと思う。確かに、巨大な魔獣の攻撃に上手く対処できるかって考えたら自身はないし、回復魔法ありきで考えるなんてどうかしてた。だから......ごめんなさい」
「白石......」
そうだ。以前ホトリ村で俺がビルスのもとへ一人で乗り込もうとしたとき、白石は自分の実力不足を客観的に見てエルザに同行を任せて身を引いている。
こいつは自分の力量を客観的に見れるんだ。俺の話を聞いて一瞬食い下がろうとしたけど、すぐにそれを飲み込んで、こうしてする必要のない詫びを入れる強さがある。
でも、その分悔しさは強いに違いない。俺達と旅をするために、必死で体中に痛々しい痣を作りながら訓練に励んでいたのだから。
しかし、白石は努めて明るい顔を作りながら口を開く。
「今回あたし自身はあまり役に立てないけど、その分ティナに頑張ってもらうわ。
次に強敵と戦うときは、あたしも加わる。加わって見せる......絶対に」
そこが我慢の限界だったのだろう。
白石の表情が崩れて瞳から滴が一筋流れ落ち、手のひらに零れた。
エルザが傍らに寄って、優しく肩を抱きしめる。
白石は涙を隠すようにエルザの肩に顔をうずめ、声を上げるのを必死に隠すかのように鼻をすすっていた。
これで間違っていないはず。
前線に出るよりは俺の近くにいる方が守りやすいし、安全なはずだ。
白石も言った通り、その分攻撃はティナに頑張ってもらえばいい。
だけど、今回の俺のやったことは、白石にとって否定なのではないだろうか。
必死に努力して自分で己の身を守る術を見出し、守られる存在から脱却したと思っていた矢先にこの結果だ。白石のプライドは粉々だろう。
そうまでして、俺が取った行動は果たして正解だったのか。
俺は心に、言い表しようのない疼きのようなものを感じていた。