1-10 落し物
訓練が始まってから数日。
ルリア、ティト、シャロからの指導を受けて、魔法組は日々魔力の性質変化に取り組んでいた。
進捗に多少の差はあれど、既に全員が球状の性質変化をクリアし、他の形への変化を練習している。
愛姫をこちらへ連れてくる際に、既に無自覚のうちに性質変化を実行していたということもあって、俺は性質変化についての順調に習熟を深めていった。
訓練が終わっても、一人で部屋で自主練をやっているので、進み具合はほかの面子に比べて早いと思う。
愛姫も俺の練習を見ているのは楽しいようで、次はこの形!次はあの形!とリクエストを出してくれるので、いい練習相手になってくれている。
昨夜は球状の魔力でお手玉をしてやると目をキラキラと輝かせていた。
訓練の間はお付きのメイドさんが相手をしてくれていたのだが、ここ最近は、どうやらエリィの妹のルミアナと仲良くなったらしい。
年も近いということで、ルミアナと一緒に遊んだり、お互いの世界の話をしているようだ。
日中はどうしても訓練でかまってやれる時間が少なくなってしまうので、仲の良い友達ができたと聞いて本当に安心した。
さて、今日も今日とて、これまで同様に午前の全体訓練のメニューをこなし、午後の性質変化の訓練も終了。その後、訓練に使った室内を軽く片付けて、夕食までは自由時間となる。
「ふぅ~、終わった終わった」
「訓練で集中するから、終わると頭がボーっとするよねぇ~」
などと会話を交わしながら解散していく。
俺はそれに混ざることなく、もう少し自主練をしようと教室に残って、一人で球状の魔力でお手玉を開始する。最初は2個でも手間取っていたが、最近では4個の玉を自在に操ることができるようになった。そろそろ数を増やしたり動きを複雑にしようか。
そんなことを考えていると、ふと床の上に小さな手帳が落ちているのが目に入った。
近づいて手に取る。黒い掌サイズの小さめの手帳だ。クラスの男子が落としたのか? 名前が書いてあったら届けてやるか。そう思って手帳の最初と最後のページを見てみるが、名前は書かれていない。
(どこかに名前書いてないかな......)
これ誰の~? などという、注目を集めるような行動はとりたくないので、どこかに名前は書かれていないかとページを捲っていく。すると......。
(......なんだ......これ)
詳しく中身を見るつもりはなかったが、目に入ってしまった内容に思わず言葉を失う。
(こりゃ全員の前で持ち主の確認なんていよいよ無理だな。)
とはいえ、捨てるわけにもいかず、その場に残して他の誰かの目に入っても面倒なことになりそうなので、嫌々ながらその手帳を手提げの中に入れて自室へと引き上げることにするのだった。
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「はぁ......はぁ......」
床を駆ける音が廊下に響く。
顔は焦燥に包まれ、心臓は疲れと動揺からけたたましく鼓動する。
(落とすなんて......。早く見つけないと。部屋の中は隅々まで探した。食堂も、午前の訓練場も、更衣室も見た......。あとは......)
縋るような思いで午後の訓練に使われた室内に飛び込む。自分の座っていた席、その周囲、床もくまなく探したが、目当ての物は見つからない。
(ここにもない......。心当たりはこれで全部なのに......。もう誰かに拾われた? 捨てられてるならまだいいけど......)
もし中を見られたら、諦めるしかない。けど、もし自分が持ち主とバレてしまえば、もう居場所はない......。
致命的な不注意をやらかした数時間前の自分を呪いながら、手帳の持ち主は考えを巡らす。
(もう一度見て回る? でもじきに夕食が始まるから、それまでに戻らないと拾われていた場合に怪しまれるかも? あぁもう、どうすれば......)
様々な考えが浮かんでは消えていくが、気が動転していることもあり、打開策は浮かんで来てくれない。
(とにかく、一旦部屋に戻ってもう一度探して、それから夕食にいこう)
一縷の望みをかけて室内をぐるりと見渡して、探し物がないのを再度確認してため息を吐き、落とし主は重い足取りで自室へと引き上げていくのだった。
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夕食。いつものように俺は愛姫と連れ立って食事を摂りに広間に向かう。普段は手ぶらで移動するが、今回は先ほど拾った黒い手帳を携えている。
広間に入って席に着き、傍らに目に付きやすいように置いておく。こうしておけば落とし主も気づけるだろう。
次第に席が埋まっていき、エリィが席に着くと給仕が行われて晩餐が始まる。今日のメニューもとても豪華で、一般庶民にはとても手の出せる代物ではなさそうだ。
俺は舌鼓をうちながら、さりげなく周囲に視線をやる。
パッと見では何かおかしな様子をした人物は見当たらない。まだ気づいてないのだろうか。
まぁ、気づけばこっそり声をかけてくるなりするだろ。あの内容だと声を掛けるのは憚られるかもしれないけど......。
いよいよ持ち主が現れないなら、こちらで処分する方がいらぬ諍いを生まないか。
そんなことを考えながら、俺は愛姫から今日の出来事を聞いて、ひと時の家族の団欒を楽しむのだった。
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(......っ!?)
部屋に戻って再度くまなく探したが、結局見つけることは出来なかった。重い足取りで夕食の会場に入り席に着く。食事を口に運ぶものの、せっかくの料理の味を楽しむ余裕もない。はぁっとため息をついてふと目をやると......。
そこには捜し求めていた物、黒い手帳が机の上に平然と置かれていた。
驚愕のあまり声が出そうになったものの、すんでのところで押し殺し、拾い主に気づかれないように目をやる。
(......不二君!?)
普段と変わらず、妹と雑談を交わしながら食事を摂っている。特徴のないシンプルな手帳なので、一見すれば彼の手帳だと周囲の人間は感じるだろう。
近くに座るクラスメイトも、特に手帳に意識を向けることなく食事を続けている。
(どうしてここに持ってきたんだろう!? 部屋に戻る前に確認するとか!? でも、そうなった時に、もし中身を他の人に見られでもしたら......)
最悪の想像に思わず眉をしかめる。それは......それだけはなんとしても避けなければ。
(かといって、不二君に直接声を掛けに言ったとしても、中を見られてたら......)
そう、自分が持ち主と知られてしまった時点で終わりなのだ。それを口外されてしまえば結局は同じこと。自分のここでの居場所はなくなってしまうだろう。
折角見つけることが出来たというのに、動くことの出来ないもどかしさが募る。
(今は持ち主を探すような行動に出ないことを祈るしかない......。あれを取り戻すには、不二君にも気づかれずにするしか......。そうだ!)
浮かんだのは一つの方策。リスクを伴うものの、首尾よく運べば誰にも気づかれることなく手帳を取り返せる。
(危ない橋だけど......やるしかない)
決意を胸に秘め、計画の実行に向けて考えを巡らせながら、手帳の持ち主は夕食を再開する。
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夕食も摂り終わり、愛姫がデザートを食べ終わるのを見届けてから、席を立つ。
どうやら持ち主が声を掛けてくる様子はなさそうだ。まぁ俺が誰かにバラす可能性とかを考えれば、気づいてても名乗り出にくいよな。
こちらから何かアクションを起こすってわけにもいかないし......部屋に戻るか。
手帳を手に取り、空いている方の手で愛姫の手をとって夕食の会場を後にした。
部屋に戻ってからは、これまでと変わらず、魔力の球で性質変化と操作の訓練がてら愛姫と遊ぶ。
俺の操る球をキャッチしようとして駆け回る愛姫。なんかボールを追ってはしゃぐ子犬みたいだな、などと考えながら、楽しい時間をしばらく過ごしていると、
コンコン
っとドアをノックする音が耳に届く。
「来たか」
「ん?誰が来たの?」
「ん~、誰かは分かんないけど、俺に用のある人だと思うんだよね」
そういって立ち上がり、ゆっくりと扉を開ける。そこに立っていたのは......
「あっ、メイドのお姉ちゃん!!」
来訪者を見た愛姫が嬉しそうに声を上げる。
扉の前に立っていたのは俺たちの部屋のお付きのメイドさんだった。
「どうもこんばんは。何か御用ですか?」
「おくつろぎのところ、お邪魔してしまい申し訳ございません。火急の用件でお話したいと、エリシア様が午後の魔法の訓練会場にてお待ちになっているそうです」
「エリィが? 用件の内容は聞いてますか?」
「いえ、そこまでは......。転移魔法についてではないかとのことですが、私にははっきりとは分かりかねます」
「そうですか、分かりました。じゃあ愛姫を見といてもらってもいいですか? なんか、動き回って小腹がすいてるみたいなので、何か食べさせてあげてくれると有難いです」
「かしこまりました。では広間に参りましょう、時間も遅いので少しですが、お菓子をお持ちしますので」
「わーい♪」
お菓子と聞いて目をキラキラさせた愛姫は、ピョンと立ち上がってメイドさんの隣に立つ。
広間に向かって歩きながら、こちらに向かってヒラヒラと手を振る妹を見送り、俺はふぅっと息を吐いて歩き出す。
「さて、俺も行きますかね」
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コンコン
扉をたたく音がする。部屋から応答はない。
念のために再度同じことを繰り返して確認し、周囲に目配せして人がいないことを確かめて、音を立てないように扉を空け、部屋の中へと入る。
浴室の方からも水の音は聞こえない。どうやら首尾よくいったようだ。
ホッと胸を撫で下ろしたが、時間が限られていることを思い出し、すぐに表情を引き締めて室内を見渡す。どこかに厳重に隠されていれば、探しているうちに戻ってきてしまうかもしれない。
だが幸い、侵入者の目当ての物はほどなくして見つかった。本棚近くの机の上に、お目当ての黒い小さな手帳が無造作に置かれていた。
(あった......。よかった)
安堵で深いため息をつき、手帳を手にとってペラペラとページをめくる。中を見て自分の手帳であると確認でき、それを懐にしまう。
あとはここから帰るだけ......と、振り返ろうとしたその時、
「まさかお前が持ち主だったとはな............」
詰みを知らせる声が、無言だった室内に響き渡るのだった。