ホモ友チョコによる番長抗争無血停戦
主な登場人物
・坂田長次郎
番長である主人公。通称坂田。
・子安分太郎
坂田の側近であるヒロイン。通称側近、子安。
・新田
坂田と対立するライバル。通称新田。
・男
坂田の舎弟である不良のモブ。通称男。
S県S市に存在する益荒男男咲高校の悪名は、隣の県であるF県にも知れ渡るほど凄まじい物である。
通称マス高と呼ばれるこの高校には数々の伝説、武勇伝が残されているが、あまりの荒唐無稽さ故にその殆どが与太話とされていた。
そもそも、ヤンキーが語る武勇伝は話半分に聞いたほうが良いとされており、でなければ誰が「校内の不良同士の血で血を洗う抗争が三日三晩続けられ、付近病院の輸血用血液が枯渇した」やら「あるマス高生がマラソン等に用いられるスターターピストルを片手にカツアゲを敢行、実銃と信じた別のマス高生が警察に通報」や「猪が餌を求めてマス高の校庭に下山、その年の体育祭における騎馬戦の勝者は野生の猪となった」などの話を誰が信じるのだろう。これらの話のどの部分を半分にカットすれば、一聴に値するものになると言うのか。
このようにマス高に関する情報は真偽入り乱れる雑多なものとなっているが、一つだけ確かな事がある。それはマス高には「番長制度」なる掟が存在すると言う事だ。この「番長」は襲名制であり、心、技、体全てが満遍なく不良である生徒に引き継がれて行く、という風習が創立から現在まで続いていると言うのだ。
前年の暮れに行われた第800回男魂会議の結果、本命であった坂田長次郎が多くの男気票を集め、彼と普段から何かと対立していた新田と大きな差を付けて坂田が番長に選ばれた。
これにより二人の確執はさらに熾烈なものになるのは、火の目を見るより明らかだった――。
――
二月に入り、冬の寒さがまだまだ続くこの季節、坂田は自身に付き従う不良たちに放課後、第三会議室に集まるよう呼集を掛けた。
「これより、第801回男魂会議を開催する。議長は当然、現番長であるこの坂田長次郎だ。会議長番長とは俺の事、お前ら文句ねぇか!」
坂田が発した言葉がビリビリと室内全体に響き渡ると、荒くれどもは一斉に返事を返した。
「押忍!」
「声が小さい!」
「押っ忍!!」
「うるっせえ! 着席!」
一同が軍隊の如き統率の取れた足並みで席に着くと、会議室の空気はピンと張り詰め、ある種の静謐さを纏った沈黙が場を支配した。
「今日、お前らに集まってもらったのは他でもない。俺と新田との確執の事だ」
明瞭にして簡潔な議題の発足に、一同はおう、と唸り声をあげた。
「知っての通り、奴も番長の座を狙っていた。それ以前から俺と奴は水と油――水素水と健康エコナのような関係だった。当然、俺が番長となった今、奴の心中は穏やかではないだろう」
集められた不良の中には心の中で「水素水ってなんだ」と疑問を投げかける者も存在したが、「きっとすごい水の事で、番長は物知り博士なのだ」と結論付け、議論に戻る事にした。
一人のアフロが挙手し、坂田が発言を許可すると、その男は厳かな口調で話し始めた。
「番長、つまり今日の会議の目的は、如何にして新田をコテンパンにやっつけるか、って事ですね」
「違うぞ、アフロ。俺の番長公約の一つに『なるべくげんこつは使わない』と言うものがある。だから、奴とは平和的に話し合いでケリを付ける」
坂田の鶴の一声で、上野公園に鳩の餌をばら撒いたかの如き騒乱が会議室に起こった。鶴に鳩やの大わらわである。
「なんだって!?」
「平和!? 『悪鬼羅刹キラーの坂田』の口から出た言葉とは思えないぞ!」
「さすが物知り博士!」
「公約を守る気なんか欠片もないと思ってました!」
「口だけマニュフェスト野郎じゃなかったんだ!」
「税金も気持ち良く払えるってもんだ!」
坂田は会議を粛々と行うため、政治的辣腕を物理的に振るう事にした。
「うるっせえ! 黙りやがれ!」
「ぶっ!」
彼が掌を返した裏拳で手近にいた男を諭すと、会議室にはまたしてもある種の静謐さを纏った沈黙に支配された。
「静かになるまでに2秒掛かりました。次からは気をつけやがれ」
不良の中には「げんこつが用いられた」と不信を露わにする者は存在しなかった。「番長がルールなのだ」と結論付け、再び議論に戻る事にした。
「話を戻す。取りあえず俺が新田と仲良しになりたいのは分かったな? そこでお前らにその為の案を募集する。お前らが『本当はその人と仲良くしたいけど、立場上その人と対立せざるを得なくなって、結果気まずい空気になっちゃった時』にどう動くか、それを聞かせろ」
一同、頭を捻ったが、マス高生の頭に知恵を期待する方が愚かと言うものだった。そんな中、一人のモヒカンが厳かに手を上げ、こう発案した。
「番長、例のアレは如何でしょう」
「モヒカン、アレとは何だ」
「バレンタインデイです」
「は?」
坂田含む一同の頭上やアフロの中に疑問符が生じたが、モヒカンはそれに気付いた様子もなく続けた。
「上杉柊平は敵対する武田鉄矢に塩を送ったそうです。授業でそう習いました」
「ほう。『七日間フレンズ』のあの子が……」
すごーい。
「お、おい、バレンタインに番長が男にチョコなんか贈るワケないだろう!」
坂田の側近を勤める顎の尖った男が空気を元に戻そうと、こう諌めた。
「え、チョコで油断させてシメる作戦なんだけど……」
「モヒカン、番長の話聞いてたか!?」
側近は恐る恐る坂田の顔を仰いだが、意外な事に彼は微笑していた。
「……良い案だ」
「え!?」
「その案を採用する。お前ら、『友チョコ』って奴を知っているか。まぁ、知ってなくても話を進めるが、俺は友好の証として奴にソレを贈ろうと思う」
坂田の発言で、上野公園に爆竹を投げ入れたかのような動乱が巻き起こり、先ほどと同じ方法で静かになると、二度拳の説教を受けた男がよろよろと反論を返した。
「うう、何で俺ばっかり……番長、『友チョコ』なんて冗談ですよね?」
「俺は本気だ」
「か、考え直してください! そんな女みたいな事してたら――」
「腕利き番長の敏腕説得術!」
「ぶっ!」
二度あることは三度あるようだぞ。
「もう決めた事だ。お前ら、早速近所の商店街とかマカオでチョコの材料を調達して来い」
「しかし――」
「駆け足!」
「お、押忍!」
バルサンを炊いたかのように会議室から不良たちが一目散に駆け出していくと、会議室に残されたのは坂田と側近と、三度の拳の話し合いで気絶させられた男だけが残された。側近は肩を震わせながら、重い口調で坂田に再度問うた。
「番長……いや、坂田さん! どうして新田なんかに――」
「くどいぞ、子安。お前も材料買いに行け」
有無を言わせぬ坂田の口ぶりにも怯まず、子安と呼ばれた側近は有無を言う事にした。
「い……嫌です! 俺は……坂田さんが新田なんかと仲良くするのは嫌です」
「むむ?」
会議室に急に耽美な空気が流れ始める……。男子校であるマス高には、そういった層が一定数存在していたのだ……。
「そうだったのか。お前がソッチ方面だったとは思わなかったぞ」
坂田が子安の傍まで忍び寄り、野獣のような豪腕を子安に向けて伸ばし始めた。子安の鋭く尖った顎先に刺さらないよう注意深く、そっと優しく手で包み込み、ぐいと顔を自らに向かせると、耽美的かつ退廃的なムードが場に立ち込め始めた。
「すいません……」
子安は顔を赤らめ、広い肩幅をちぢこませながら、視線をバタフライ泳法で泳がせた。坂田はそんな彼を安心させるかのように、持ち前の低い声を可能な限り和らげて彼の耳元で囁いた。
「謝る事はない俺もアッチ方面だ。お前が俺のパートナーになってくれるなら、二月十四日、お前に『ホモ友チョコ』を贈ってやろう」
「ほ、本当ですか!?」
子安の顔が喜びに染まった。普段の端整できりっとした雰囲気からは伺えないような子供っぽい無邪気さを露わにし、満腔の喜びが彼の体を駆け巡っているのが見て取れた。坂田はそんな彼を見ると、悪戯心がむくむくと湧き上がって来た。
「しかし、お前に俺の相手が務まるかな……?」
子安はそれが冗談と気付かず、慌てた様子で幾度もしっとりした唇を震わせた。
「で、できます! いえ、是非お願いします! 俺ずっと坂田さんみたいな漢に憧れていて……」
「ふふふ、愛い奴め。であれば早速、『例の部屋』へ行こう」
「は、はい――いえ、押忍!」
『例の部屋』とは、益荒男男咲高校の男達が咲き乱れる部屋の事である。旧校舎の三階には使われていない教室があり、そこには豪の者が保健室から持ち出したとされるベットが配置されていた。当然、この事は教師達の与り知らぬ事実であり、一部の生徒のみが知り及ぶところとなっていた。
「あ、そうだ。チョコの材料を買いに行かせた子分達の事を忘れていた。置手紙でも書いて、ついでにカミングアウトも済ませておくか」
坂田はそう呟くと、言葉通りに子分達に向けた手紙を綴っていった。「材料は各自、翌日持ってくるべし」や「俺は男が好きな男だ。例の部屋に向かう用事ができたので会議室を離れるが、会議室の戸締りはしっかりするように」等の内容を簡潔に伝えた。
「い、良いんですか?」
「どうせいつか言うつもりだったし」
「はぁ」
「それより、今日は楽しもうぜ」
「は……はい!」
そう言い残すと、彼らは会議室を後にした。残された三度掌を加えられた男は、途中から覚醒しており、冷や汗を垂らしながら話を聞いて震えていた。
――
それから会議室には五分ほどの時が流れ、残された男の震えが収まると、彼はごろっと床に寝転がり先ほどの会話を反芻し、物思いに耽った。
(とんでもない話を盗み聞きしてしまった……この事は聞かなかった事に――ってワケにもいかないか。手紙にも書いてあるし……。俺、このままこの不良のグループにいて大丈夫なんだろうか。その内坂田さんが子安だけじゃあ飽き足らなくなって――)
彼が不吉な考えを巡らせ、恐怖に震えていると突然、会議室の扉が開いた。
「坂田は居るかぁ! どっこい誰もいない! む、お前――そんな床に寝っころがってどうした」
闖入者は新田、その人だった。寝転がった男はてっきり子分たちがチョコの材料を買って帰って来たと考えていたのだが、対立関係であるグループのリーダーである新田が一人でこちらの陣に飛び込んできた意味を考え、立ち上がって警戒態勢を取った。
「に、新田さん!? どうして俺達の会議室に――」
「俺をボコボコにしようとお前らが会議してるって聞いてな。上等じゃねえか! こちとらいつでも一人で相手してやるよ!」
どこをどう間違って伝わったのかは分からないが、新田はケンカをしに来たようだった。男は不良の男気を見せる時だと思ったが、新田の相手をしては坂田の意向に背く事に気付き、どうしたものかと考えあぐねた。
「はぁ……しかし坂田さんは今、ここには居ません」
「おう、じゃあどこにいるか教えな」
坂田は子安と共に例の部屋に向かったのだが、その事を伝えても良いのだろうか。と男が逡巡している内に、いつの間にか新田が傍に立っていた。男は新田の射殺すかのようなメンチに震えながらも返答を返した。
「い、言えません!」
(坂田さんは新田とコトを構えるつもりはないようだが、新田の方はやる気まんまんだ。とは言え、俺がここで彼とやりあえば、今後の彼らの関係に影響を及ぼすかも知れない。しかし例の部屋へ案内するのは男の仁義にもとる。ここが男の見せ所かも知れぬ)
「そこを言うのだ」
「苦しい……れ、例の部屋に子安と――」
男はあっさり白状してしまったが、首ごと体を手で持ち上げられては背に腹は代えられないのだ。
「なに!?」
新田は男の漏らした情報に激しい衝撃を受けたようで、暫く固まっていた。持ち上げられた男の顔色がリトマス試験紙めいて赤から青に変わっていくのに気付くと、新田は謝りながら手を離した。
「奴め、前から俺を見る目が怪しいと思っていたが、ついに尻尾を掴んだぞ! アイツが男色家である事を言いふらせば、奴のカリスマも崩壊するに違いない! お前! 即席カメラは持っているか!」
急に話を振られた男は戸惑い、咳き込みながらも返事を返した。
「はぁ、都合よく持ってますけど――」
「返す予定はないけど、貸せっ!」
強引にカメラを奪い取ると、新田は会議室を飛び出して行った。
「あ、それってドロボー! マズいぞ、俺のせいで坂田さんと子安の逢瀬が邪魔されるかも知れない」
新田は坂田がホモである証拠を写真に収めるつもりのようだ。しかし、坂田は置手紙にて既にカミングアウトしている。新田の行動は恋人同士――と言う言葉が適切であるかは分からないが、例の二人に取って無粋なものでしかない。こう考えた男は、キッと渋い顔で決意した。
「なんとかして新田を止めなくては」
男は新田の後を追い、旧校舎へと向かう事にした。赤い夕日は翳りを見せ始めており、その斜陽によって黄金色に染め上げられた廊下を男と新田は駆け抜けて行った。
――
例の部屋に先に辿り付いたのは新田だった。旧校舎に電気は通っているが、その部屋の電灯は灯っていない。しかし時折くぐもった声が室内から漏れており、誰かが中にいることは間違いなかった。
新田はごくりと唾を飲み込み、決意を新たにした。
(発掘現場の撮影なんて気が引けるが、これも俺が元の地位に返り咲くため。アイツと言う存在が現れるまで俺は無敵だった……。くそっ! ホモ野郎なんかにテッペン取られたまんまでいられるか! 証拠写真があれば皆幻滅するに違いない! やってやる! 俺はこそっとやってやるぞ!)
新田が音を立てないよう慎重に扉を開いていく。そこには禁断の世界が広がっていた……。
……
…………
………………
教室は薄暗く、僅かに差し込む緋の光彩によって辛うじて二人の人影が見えた。そのシルエットから伺える逞しい体躯を持つ二人の男達が、ベットに隣り合って座っていた。
「ラッパ」
「パスタ」
「タッパー」
「……タッパーは『あ』? それとも『ぱ』?」
「『ぱ』に決まっているじゃないですか」
(……なんじゃこりゃ)
新田の目には、彼らの会話がただ単に仲の良い友人と他愛もない言葉遊びに興じているだけのように見えた。行為の後特有の気だるい倦怠感など微塵も感じられない。
「パリ」
「立派」
「パック」
「クッパ」
「それ、アリなのか?」
「俺の好物ですよ」
(……え? なにこれ?)
ほんわかとした空気に毒気を抜かれ、呆然となっていた新田に突然背後から声が掛かった。
「新田さん、無粋な事は止めるんだ!」
新田が9cmは跳ねた後、声の方に振り向くと、先ほどの男が仁王立ちしていた。
「あ、さっきの奴。しーっ! 静かにしろ!」
「ぐう」
新田はその男の口を押さえ込み、室内の二人に気付かれないように小声で男に質問し始めた。
「おい、あいつらが会議室を出て行ったのはどの位前なんだ」
男はもごもごと口を動かしたので、新田はそっと手の拘束を緩め、声を絞るように無骨な人差し指で合図した。男はそんな新田を怪訝に思いながらも、室内の二人に聞こえないようボソボソと小声で話すにした。
「な、なんでそんな事を?」
「いいから答えろ」
「ええと確か……俺、暫くぼーっと寝転んでたし、20分位前かなぁ」
「20分も掛けてまだこの段階なのかよ! このペースで行くといつ始まるんだよ!」
「え? え??」
室内にいる二人は新田と男の会話には全く気付かず、のんのんと言葉遊びを続けていた。
「パイオニア」
「アッパラパー」
「なんだと」
何故彼らはハッスルせずに、しりとりをして遊んでいるのか。事の次第は、二人が部屋に入った20分位前に遡る――。
――
置手紙を会議室に残し、旧校舎へと連れ立った二人は例の部屋に入ってすぐ、色々いけないことをし始めた。そうして前夜祭を済ませた二人は、互いに最後の確認をし合った。
「坂田さん……良いですよ」
「ああ……来てくれ」
「……ん?」
「……む?」
二人とも互いに振り返って暫く見つめ合った。
「子安……まさか、お前」
「坂田さん……信じられない」
暮れなずむ夕日を背景にして、教室にはお尻を向け合った半裸の屈強な男達が気まずそうに固まっていた。一体どう言う事なのかと言うと、キャッチャー同士ではキャッチボールは行えないと言うことだ。
子安は電気自動車に乗る暴走族を見たかのような表情になった。
「幻滅しました……男らしい坂田さんがピッチャーじゃなかったなんて……」
「耐え忍ぶのが男の姿だろう……お前こそ、普段温厚なんだからこういう時にグイグイ来ないでどうするんだ」
「坂田さんが来てくださいよ」
「お前が来いよ」
「……」
「……」
二人はいい加減サムくなってきた。二月初頭は冬真っ盛りであり、情け容赦ない冬将軍の太刀筋は二人の体を確実に凍えさせていた。
「埒が明きませんね。帰ります」
業を煮やして暖を取った子安が、脱ぎ散らかされた学生服を再び纏いながらそう断じると、坂田はそれを慌てて引き止めた。
「ま、待て! 置手紙を見た子分どもが、ここから帰るお前の姿を見たらどうする! それでは俺が『凄い早い人』みたいじゃないか!」
「むしろ俺は攻めてくれれば、別に早くても――というより坂田さんは防人なんですから早いも遅いも関係ないでしょう」
「番長がディフェンス重視だって事がばれるのはマズイ。お前だから明かしたってのに……くそっ!」
その言葉を受けて、子安は足を止めた。
「……男の見栄って事ですか」
「ああ、そんなワケでココから出るのはちょっと時間を置いてからにしてくれ」
砲撃主でなかった坂田に失望を覚え始めていた子安だったが、番長の体面を側近が崩すのは仁義にもとる行為だとも考え、その願いを聞くことにした。
「わかりました。しかし……その間何するんですか?」
「……しりとりでもする?」
かくして、例の部屋にしりとりで時間を潰す男達が誕生したのであった。
――
時と場面は戻って現在、室内の二人の事情を露とも知らない新田は、一向に削岩行為が始まらない二人の動向に焦れていた。
「くそう、動きがなくてつまらんなぁ。もうさっさと押し倒せよ」
「新田さん、そういう趣味があったんですか?」
新田と同じように教室の外で二人を覗き見ていた男が何の気なしにそう呟くと、再び彼の首元に新田の鬼の様な太い腕が絡みついてきた。
「なんだとぉ! 俺は奴がホモである証拠写真を取りたいだけだ!」
「ぐ、ぐぇ……そ、その事なんですが坂田さんは――あ、ま、待って下さい、彼らに動きがありました!」
「な、何!」
新田は両手を緩め、男の視線の先を追った。少し開かれた扉の先には、信じられない光景が広がっていた。二人の男性のシルエットが互いに向き合い、両の拳を突き出したファイティングポーズを取っていたのだ。
「え、ケンカ始まったの!? さっきまでの和やかムードは一体どこにいったんだよ!」
「しー! 聞こえちゃいますよ!」
今度は男の方が新田を諭し、室内の動向を見守り始めた。
一体何故、坂田と子安は戦闘態勢を取っているのか?
事の次第はこうである。
新田と男がじゃれあっている内に、室内にいる坂田が子安にこう提案していたのだ。「しりとりも飽きたし、ケンカの手ほどきでもしてやろうか」と。坂田のケンカの腕を尊敬している子安は一も二もなくこの提案に乗った。坂田はしりとりで「ぱ」ばっかり押し付ける卑劣な戦術を用いる子安に灸を据えてやろう、と考え、子安は坂田の男らしい所をこの目で見られる事に興奮していた。
(子安にしりとりの恨みも晴らせて、時間も潰せる……一石二鳥の良い思いつきだな)
(坂田さんと手合わせできるなんて、願ってもないことだ。フォアードじゃなかったとはいえ、彼の腕っ節は折り紙つき。この機会にせいぜいケンカの極意を学ばしてもらおう。あと、やっぱり拳を構える坂田さんはかっこいいなぁ)
完全に日が暮れた教室で向かい合う二人の獣達。いつの間にかベットは隅に寄せられ、椅子やら机もキチンと教室の後ろに押しやられていた。新田はあんなバトルフィールドをいつ整えたのだろうと思った。新田が男とじゃれていた時間は秒にして僅かなものだったが、坂田と子安の友情パワーが起こした奇跡だろうか、すごい速さで二人は教室の整理整頓を終え、新田が目を向けた際既に教室は戦場と化していたのだ。
そんな事はともかく、教室内の坂田は吼えた。先ず掛け声の大きさで子安を攻めるつもりなのだ。
「揉んでやろう!」
子安はコレを受け、喉も枯れよと言わんばかりの声量で叫び返した。
「はい! 胸を借ります!」
この光景を盗み見ていた新田と男の二人は、意味不明な状況にただただ戸惑っていた。
「どういうこと!? これ、ホモ行為の一環なの!?」
「一体、どっちが揉む側なんでしょうか……」
「わからん。こんなの写真に撮ってもどうすりゃいいのよ……」
二人が困惑しているうちに、室内に動きがあった。子安が坂田に向かって飛びかかったのである。
「あ、子安が向かっていった! あっちが揉む側なんだ!」
子安は坂田の拳の射程圏内まで一気に距離を詰めると、小刻みに足でステップを取って、坂田の眼前を右へ行ったり左へ行ったり来たりし始めた。傍で見ていた新田は、何故胸を揉むのにフェイントを交える必要があるのかと不思議に思った。しばらく左右にぴょんぴょん跳ねていた子安だったが、やがて獲物を見つけたネコの如き敏捷さで坂田の胸に飛び込んだ。
「ぐわあー!」
しかし、結果は聞いての通り。子安の体が「く」の字の形で宙に舞っていた。
「殴られた!? 何が気に食わなかったの!?」
事情を知らない新田の困惑も尤もであったが、この後に坂田が放った言葉はさらに新田と男を悩ませた。
「右から来ると見せかけて、左が本命だってのがバレバレだ。小手先のフェイントは命取りだぞ」
坂田は正拳突きのポーズのまま、そう言い放ったのだ。
「胸なんかどっちでもいいだろ!!」
「坂田さん、そんな理由で人の命取るんだ……舎弟止めたくなってきた」
拳を受け、後方に吹き飛んだ子安は呻きながらゆっくり起き上がり、瞳を輝かせながら再び坂田に相対した。
「さ、流石です。それでこそ俺の憧れた番長です! 勉強になります!!」
両雄、再び独自の方法でまぐわい始めたが、新田と男はもうこれ以上見る気がしなくなっていた。
「アイツは一体何を言ってるんだろう」
「……さっぱりわからないです」
「なんかもう、色々どうでもいいや。カメラは返す。俺も帰る」
そういい残し、男にカメラを返した新田は旧校舎の闇に向かってとぼとぼ歩き始めた。男は謎の哀愁が漂う彼の心細い背中を見ていると、諸々の事が馬鹿らしくなってくるのだった。
「……俺も帰るか。そしてこのグループから抜けよう」
そう決意し、その場を離れようとした男だったが、背を返したその瞬間にぞろぞろと不良たちがこちらに向かって走ってくるのが見えた。彼らの手には製菓菓子が沢山入った袋が握られていた。男は「坂田の置手紙を見た不良たちが、取るものも取り合えず一直線に会議室からここまで向かってきたのだろう」と考えた。正確に言うなれば、不良たちは取るものを取ったままこちらに向かってきたのだが――。
「お、おい。置手紙見たんだけど、番長が例の部屋にいるって本当か!?」
「番長やっぱりホモだったんだ! 歓喜!」
「薄々そんな気はしていたが……」
「俺、パスポート取れたよ!」
男は投げやりに返答を言い放った。
「覗いてみろよ」
そう言い残し、男はその場を去っていった。後に残された不良たちが男の言葉通りに教室をこそっと窺うと、坂田が子安の上に乗り羽交い絞めにしていた。
「どうだ! どうだ!」
「うわぁー! この体勢からでは逆転できない!」
坂田は子安にケンカを教えるのが楽しくなってきたのか、夢中で子安を屠っていた。それを一瞥した不良たちは黙って扉を閉め、それぞれの感想を言い合った。
「……やっぱり番長はどエスだったんだな」
「まぁ、それでこそ番長って気もするけどな」
「しかし変なプレイだった」
「お、俺も混ざりてぇな」
「今日は止めとけ」
「ともかく、番長は本当にストレートなホモだったんだな」
不良たちがそう結論付けると、その日は解散となり、三々五々帰宅の途に付き始めた。冬の高い夜空の星々に零れるような煌きが灯り始めても、坂田の子安に対するケンカ指南は続いた。
この一件以来、坂田がホモだという事が無事坂田が属する不良グループに知れ渡り、その恐怖政治に増々拍車が掛かっていったことは言うまでもない。
――
そして、バレンタインデイ当日。
「おう新田、子分にマカオまで取りに行かせた素材でチョコ作ったんだけど、コレを友好の証として――」
「話しかけるな変態!」
「は? 俺はホモだけど変態ではないぞ」
「な……!!」
新田はショックの余り、暫く寝込み、二度と坂田に関わろうとしなくなった。
後にこの出来事は『ホモ友チョコによる番長抗争無血停戦』と呼ばれ、伝説として語られる事になるのだが、やはりマス高特有の与太話であると人には受け止められた。