タイミングを見計らって
「本当に連れてきたんですか!」
ドラミと一緒にギルドの建物に入ると、マリンさんが驚きの声を上げた。事務仕事でもやっていたらしいが、その手を止めてこちらに駆け寄ってくる。へぇーとか、ふぅーんとか言いながら、俺の隣にいたドラミの周りをくるくる回りながら物珍しそうに見ている。
マリンさんもあんまり物怖じしない子だよな。たしか、資料だと二十三歳だと記載があったはずだが、若いっていうのは素晴らしい。いろんなことに感動できる。おじさんはもう何を見てもあんまり心が動かなくなってきちゃったよ。
それはともかく。
「ドラミ。ギルドに登録するから、ちょっとカウンターまで来てくれるか」
「わかっタ!」
いくつか基本的な質問をして登録用紙に記入し、ドラミをギルドに登録する。ギルドと契約をかわして報酬を受け取るためには、登録する必要があるのだ。多分、ドラミは金になんてたいして興味は持たないだろうが、それでも働いたなら正当な報酬は払ってやりたい。金がダメなら、その金で何か食い物でも買って渡してやればいい。
「これで、よし。じゃあ、ゴブリンが来たらよろしく頼む」
「ワハハ! まかせとケ! ワタシの山にも、ゴブリンはいル! あいつらはワタシが側にいるだけで、恐れて逃げていク! つまリ、ワタシ最強!」
なんとも頼もしいことである。だが、俺がこの子の戦いを見たのは、最初に出会った時だけなのだよな……。マリンさんも太鼓判を押しているし、よっぽど大丈夫だとは思う。実際の戦いになってみないとわからない部分はあるが。
「あとはゴブリンを待つだけだな」
例年だったらそろそろ来る頃だと言われている。現在、近辺にあるというゴブリンの集落には冒険者を雇って監視してもらっている。動きがありそうなら、狼煙を上げてもらう手はずになっているが連絡は全然ない。戦力は整ったので、できれば早めに来てほしい。案件を早めにクローズさせて、利益を確定したい気持ちもある。ただ、こればっかりは相手のある話だ。ゴブリンどもの気分次第なので、なんともならない。
いや、待てよ……。ゴブリンどもは繁殖後の人口過多で、縄張り内の人口密度がストレスになって暴動を起こすのだったか。なら、さらにストレスを加えることで暴動のタイミングを早めることができるかもしれない。たとえば、ドラミみたいな存在が、ゴブリンの集落のそばをうろちょろしたら彼らはどう思うだろうか。試してみる価値はあるかもしれない。
「ドラミ、さっそくなんだが……」
「なんダ! なんでもいエ!」
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翌日。
「課長! 狼煙、あがりました!」
「そうか!」
所用で外に出かけていたマリンさんが、ギルドに駆け込んできた。
「ドラミに行ってもらったのは、正解だったな」
彼女には、さっそくゴブリンに圧力をかけるように現地に飛んでもらった。先に偵察に向かっている冒険者のパーティーに合流させたのだ。ドラミは人間の言葉はしゃべれないので、手紙を持たせてやった。手紙には、『ドラゴニカの少女には、やることはきちんと説明してあるので特に何かする必要はない。依頼通り、動きがあったら狼煙を上げてくれ』とそれだけを書いた。若干、心配だったがなんとかうまくやったようだ。
ドラミには、ゴブリンの集落(と言っても、何千匹といるらしい)の付近をうろちょろして、近よって来たら威嚇しろと言っておいた。ゴブリンからしたら、ドラミは脅威だったと思う。俺だって、自分の家の近くにヤ○ザの事務所ができたらストレスを感じるし、不安になる。同じ効果が、ゴブリンたちにもあったようだ。
上げられた狼煙は今回一つだった。その意味は「要警戒」。二つあがったら、「交戦準備」。
いきなり二つ上がらなくてほっとしている。ゴブリンの集落までは、徒歩で1日くらいだ。だが、ゴブリンたちは、その道を立った半日で踏破して町に襲い掛かってくる。狼煙がいきなり二つ上がってから人を集めたのでは、少々準備の時間が足りない。少なくとも一日前くらいに人を集め、準備をし、翌日迎え撃つくらいが最高のタイミングだと思う。だが、あまり早く人を集めすぎても待機費用がかかって赤字が出てしまうのも事実。見極めの難しいところであるが、もう人は集めておいたほうがいいだろう。
「マリンさん、冒険者の人たちを招集して」
「はい!」
マリンさんはギルドの二階のベランダにいくと、木槌で鐘を叩いた。クリルナの町中にカンカンカンカンと鐘の音が響く。俺はギルドの外に出て、町の様子をうかがった。事情を知らない人が聞いたら何事かと思うような音量だが、町の人たちは慣れたものだ。道ゆく人たちは「おー。ゴブリンの季節かー」なんて足を止めて鐘の音を聞いている。俺はそんなの町人たちの様子を見て「あ、そんなものなのか」と軽く考えていた。
それはよかったのだが。
しかし、さらに翌日になってもゴブリンたちはやって来なかった。そろそろだろうと考えていた俺は、その日の朝、クリルナの町の城門を閉めてもらい、冒険者達には城壁の上でスタンバイしてもらっていた。俺も一緒に城壁の上に登って様子を見ていた。だが、太陽が昇って中天に差し掛かる頃になっても奴らはやってこなかった。城壁の上からは、視界の遠く、ずっと向こうに一本の狼煙が上がっているのだけが見える。いつになったら、あれが二本になるのだろうか。
昨日は準備に費やし、今日は迎撃する手はずになっている。今日、ゴブリンたちが来てくれないと予算を全部使いきってしまう……。そうなったら、ギルドからの持ち出しだ。狼煙が上がったことで、俺は焦ってしまったのだろうか。支部長やマリンさんにも聞いてみたが、このタイミングで冒険者を集めてもいいのではないか、と言われて素直に従ってしまったのも早計だったかもしれない。
冒険者たちからは不満の声が出始めている。
「いつ来る? もう半日だぞ」
「まだ、俺たちが集まるのは早かったんじゃないでしょうかね」
「あー、酒飲みてぇ」
集まってもらっておいて、仕事がないのでは申し訳ない。だが、こうやって何もしなくても、拘束している分の金はきちんと支払うので、文句を言われる筋合いもない。心配は今日中に、奴らが来てくれないとクリルナ支部が潰れちゃうってことだ。ナルバ支部長は青い顔でおろおろしていた。マリンさんにいたっては目をぎゅっとつぶって何かに祈っていた。
そんな俺たちの上空に人影が見えた。
「ドラミ!?」
「シュージ!? くるゾ!」
「来るって、何が?」
「ゴブリンどもダ!」
「いや、だって狼煙上がってないだろう」
「一緒にいたあいつラ、ゴブリンの波に巻き込まれタ!」
「!? そういうことか!」
狼煙を上げる余裕がなかったのだろう。偵察してくれていた冒険者の人たちは、うまく逃げてくれているといいのだが。この会話を聞いていた冒険者たちは、みんな俺の顔をみつめていた。一瞬、戸惑ったが、そうか、そうだ。彼らは指示を待っている。
「戦闘準備!」
俺が声を張り上げると、冒険者たちは散らばっていく。ここまで来たら、俺のできることなどほとんどない。あとはドラミと彼らにすべてを託すしかなかった。