まず最初にやることは
大規模クエスト管理運営課。
ようやく仕事が決まった。これで何とか元の世界に戻る第一歩が踏み出せた。ただ、無一文で住むところもない俺は、とりあえず最低限の生活ができるだけの環境を整える必要がある。正直、困った。
「支度金なんてもらえないですよね? なら、給料は前借とかできるのでしょうか」
それをナルバさん(ここのギルドの支部長)に相談したら、あっさり給料を前借りすることができた。マリンさんが目を丸くして、「いいんですか?」なんて言っていたが、「だって、どうしようもないでしょう」という、なんともフレキシブルな対応。
「とりあえずの住居は、ギルドの仮眠室がありますから、そこを自由に使ってください。寮とかあればよかったのですが、うちくらいの規模だとなかなかそういう施設まで持てなくて」
この上司は、住むところの心配までしてくれるらしい。正直、仮眠室でも何でもいい。住むところはおいおい探していけばいい。
翌日。俺はギルド仮眠室で寝ていると、マリンさんが起こしに来てくれた。
「課長、朝です。起きてください?」
三十六歳になって、妻でもない女性から起こされるイベントが発生するとは。ただし、俺は既婚者だ。変なフラグを立てる気は毛頭ない。毎朝元気になるあいつは、しっかりと毛布で隠して彼女の目には触れさせない。
「すぐに着替える。悪いね、マリンさん」
「いいえ、まだ慣れないでしょうし」
彼女はすぐに部屋を出ていったので、俺はベッドから起き上がるとすぐに着替えて仕事場に向かった。朝飯は抜いた。腹は減ってなかったからだ。
早速、ギルドに行くとすぐにナルバさんにあいさつに行った。それから、マリンさんに自分が使うデスクまで案内してもらう。机は全部で五つあった。四つは向かい合わせ隣合わせでくっついていて、一つの島になっている。そして、一つだけ仲間外れのようにちょっと離れたところにある机。それが俺のデスクだ。ギルドの受付カウンターの後ろのほうに設置されている机だ。ここからだと、マリンさんが来客相手に話をしている姿を背中から見ることができる。木の机と椅子だ。わりと大きな机だから、資料をたくさん広げられそうだ。
だが、妙だな。
「マリンさん、もう始業時間は過ぎているよね?」
「はい。もう、始まっていますね」
「だけど、ほら……」
俺は両手を広げて見せた。
「支部長室にいるナルバさんは別として、ここには俺たち以外、誰もいないのだが」
マリンさんは不思議そうな顔をした。
「それが何か?」
「いや、俺たち以外の職員は?」
「いませんけど?」
「いませんって……」
そういえば見たことない。俺が初めてここに来たときから、出会った職員はマリンさんとナルバさんだけだ。
「つまり、そういうことなのか……」
いくら片田舎の町とはいえ、たった三人でギルド運営をするのか。俺が来るまでは、支部長と職員のたった二人でやっていたことになる。
二人……。
まともに機能していたのだろうか。そもそも、通常業務は依頼者からクエストを受けて、冒険者に仲介する業務だよな? なのに、ギルドの建物の中は静かすぎるほどがらんどうだ。依頼者もいないし、冒険者もいない。これ、どうやって稼いでいるのだ。主な収益源は仲介手数料じゃないのか。口からもれそうになる言葉をぐっと飲み込んだ。いやいや、初日から騒ぎ立てるのもよくはない。
とにかく、状況を確認しよう。動くのはそれからでも遅くない。
状況を確認した。率直に言う。俺は頭を抱えた。まず、このギルドというものなのだが、この世界の各地にあるものらしい。それはナルバさんが自分のことを支部長だと言っていたから、ほかにも支部があるのだろうなということは予想していた。
しかし、ギルドの各支部はどうやら独立採算制をとっているらしい。つまり、マルタ支部、ソーマ支部、クリルナ支部、いろいろあるようだが、ギルドの各支部は基本的に別々の財布を持つらしい。利益の一部はギルド本部に徴収されるようだが、それ以外は別々の会社みたいなものらしい。ちなみに、うちはクリルナ支部だった。
クリルナというのはこの町の名前でもある。
が!
が、だ!
独立採算制なのはわかった。しかし、問題なのは売り上げだ。帳簿の作成者はナルバ支部長。前年度の売上総額は200万R。その帳簿を見ているうちに、なんとなくこの世界の常識もわかってきた。どうやら、この世界の暦も1年12ヶ月だ。ちなみにマリンの年収は月々15万R×12ヶ月で180万R。ボーナスはなかった。だが、人件費を抜いただけでものこり20万Rしかない。それも諸経費で消えていて、去年の決算は微妙に赤字だったらしい。
ところで、マリンさんの給与は出ていても、ナルバさんの給料はどこから出ているかは不明だった。そして、俺の給料はきちんと出るのかも不明である。
若干、不安になったが、もうどうしようもない。契約は半年間。俺はその間に自分で成果を出すしかない。ギルドなんていいじゃないか「寄らば大樹の陰」と思った。だが、身をよせた木は、今にも倒れそうな朽ち木だった。大規模案件がない時期でも、なんとか基本給くらいはもらえると思っていたが、それも甘い考えだった。もう、最初からフルスロットルで行かなければいけない。
ちなみに先月からの繰り越しで、このクリルナ支部が持っている現金は10万Rだった。そして、その10万Rは昨日俺が前借した額なのである……。まだ帳簿に反映されていないらしい。無一文なのは、俺だけじゃなかった。就職した会社も無一文だったのだ。
いや、まて。それでも、まだやりようはある。大規模案件があればすぐに着手しよう。ここ田舎町なので、通常業務で利益を出すのは難しそうだ。そもそも、冒険者の登録が30人しかいないのだ。
たった30人! しかも、全員、定期的にギルドから仕事を仲介してもらっているわけでもなさそうだ。 アルバイト感覚で、たまに気乗りするものがあったら、やってみるといった感じらしい。
ともかく、今月の給料を出す支払い能力がこのギルドにはない。本部から赤字の補てんもないようだし、自分たちでなんとかするしかないのだ。とりあえず、俺は帳簿をもってナルバさんのとこに怒鳴り込んだ。
「支部長! これ、大丈夫なのですか!」
ドアを開けると、机につっぷしていたナルバさんはびくっとして起き上がった。口元によだれの跡がついている。寝てやがったあぁぁぁ! しかも、俺の手の中にある帳簿を見ると目をそらした。そらしたのである。
「あ? みちゃった?」
「見ちゃったじゃねぇぇぇ!」
こんな風に声を荒げてしまうようでは俺も社会人失格だろう。しかし、こんなことなら契約前に言ってほしい。ちなみに半年を待たずに契約を打ち切った場合は、違約金として、基本給の3か月分を俺がギルドに支払う約束になっている。これではだまされたと同じだ。俺が怒るのも無理はない。
ナルバさんは、すっとそばにくると膝をついて、俺のコートの裾をつかんだ。まるで女々しい女が男を引き留めるときと同じような恰好だ。だが、やっているのは五十過ぎのおっさんで、やられているのは三十六歳のおっさんだ。
「ちょッ!? 気持ち悪いから、やめてください!」
「ねぇ、シュージ君。頼むよ、この支部の未来は君にかかっているんだからさぁ」
俺は泣きながら笑った。悲しいけど、笑うしかなかったからだ。ハメられた、というのも言い過ぎだったかもしれない。この支部はそもそも潰れる寸前だったらしい。そこでテコ入れのために俺を雇ったというのが真相のようだ。聞けば、ナルバさんは去年ほとんど給金をもらっておらず、自宅の裏に畑をつくってほぼ自給自足の生活なのだそうだ。契約したときは、家も金もない部下に細かい配慮をしてくれるいい上司だと思ったのに、もうメッキがはがれていた。
すがりついてくるナルバさんに、「わかりました」と言うと、「え? ほんと? やったー!」と両手をあげて喜んだ。なんでそこで喜ぶのだろうか。まだ、状況は何も変わっていないのに。
まずはとにかく現金を稼がなければならない。徐々に通常業務でも利益を上げていくべきだが、業務改善は時間がかかる。
やはり手っ取り早いのは大規模クエストだろう。ギルドへの依頼は先払いが基本らしい。モンスターなどと戦うには準備がいるし、人も雇わねばならない。支度金がいるのだ。いったん、依頼料はギルドに預けられ、依頼を完了した時点で冒険者に支払われる。つまり、その制度のおかげで依頼を受注した時点で、金がいくらか入るのだ。それを今月のクリルナ支部の職員の給与にあてよう。あとのことは後で考える。
俺はさっそくマリンさんを呼び出した。
「すまない、教えてくれ。今、大規模クエストはどんな案件があるのだろうか」