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冒険者ギルド災厄級クエスト業務日誌  作者: 神谷錬
プロローグ
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契約書にサイン

 ちょっと意識が遠のきかけた。

 日本に帰るのに1000万R。ちなみに10日で10万Rの護衛の仕事を100回すれば帰れる計算か。俺には無理な仕事だけど。

 8000リンの倉庫整理なら何回だろ。えーと、あ、1250回でした。生活費とかまるで考えずに金をためて3~4年といったところか。

 生活しながらだと、貯蓄に回せるのは収入の3分の1程度だろう。だとしたら、帰るまでにかかる年月は、ざっと10年である。


 気が遠くなりかけた。目の前が真っ暗になった。俺が何をしたというのだろうか。神はなぜ俺にこんな試練を与えるのだろうか。


「でも、帰った人はいるのですよね?」


 マリンさんに聞くと彼女はためらいながら言った。


「はい。ただ、その方は二十歳でこちらに来られたタイイクダイガクの方で。魔法は使えませんでしたが、すぐに剣を覚えられていろんなクエストをこなしていらっしゃいました。

 あるクエストで戦った魔物に片腕を食いちぎられましたが、片腕の剣士として活躍されて、なんとかお金を貯め、三十六歳の時にあちらの世界に戻られました」


「おお……」


 壮絶な人生だ。そして、若さがうらやましい。二十歳だったから、まだこの世界に適応もできたのだろう。体育大学の学生というのもポイントが高い。きっと体力があったのだろう。だからこそ、危険だが高収入の仕事ができた。しかも、片腕を食いちぎられても戦い続けたのだ。意志も相当強い。


 俺は純粋にその人を尊敬した。


 だけど、三十六歳の俺が、いまから剣や魔法を覚えるのは無理だろう。

 1000万R。

 パンが一個150Rのこの世界。なんとなくだけど、大体、日本円で1000万円くらいな感じなのだろうか。日本でも会社員だったら、それだけ貯めるのは年単位で時間がかかる。さっき話に出てきた人でさえ、16年かかっている。俺は何年かかるのだろう。生きて、妻や娘に会えるのだろうか。

 膝から崩れ落ちた俺をマリンさんが支えてくれた。


----


 ギルドへの帰り道。


「おばあちゃんのこと、恨まないでくださいね」


 マリンさんが申訳なさそうに頭を下げた。だが、俺は彼女が頭を下げる必要はこれっぽっちもないと思っている。


「サービスには対価が必要だ。俺はそこまで他人の善意にすがろうとは思っていない」


「そうではなくて……。1000万Rというのは、転移魔法に必要な触媒を揃えるのに必要な額なんです。必要なものを揃えたら手元にはいくらも残りません。だから、決して困っているあなたの足元を見ているわけではないのです」


 俺は首を振った。


「いや、いい。別に誰も恨んでなんかいない。確かに気落ちしたが、明確な目標もできた。向こうに残してきた家族が心配だが、とにかく頑張って働いて、いつになるかわからないけど帰ることにするよ」


「そうですか……」


 とぼとぼと歩く俺の横には、マリンさんがいた。歩幅が違うから、たまに小走りになりながら、心配そうに俺の顔を何度ものぞき込んでくれた。心配してくれているのだ。やさしい人だ。俺はこんな女性にさえ気遣いができなかったらしい。


 歩く速度を緩めると、隣にいた彼女は、ほっとしたように息をつく。そして、こんなことを言い出した。


「あの、早く、ご自分の世界に帰りたいんですよね?」


「ああ」


「なら、一つだけ、私はあなたにお仕事を紹介することができるかもしれません」


 俺は立ち止まって彼女の目を見た。そんな仕事があるのか。


「すごく大変なお仕事ですが、給料はそこそこいいです」


「すごく大変なのに、給料はそこそこなのか?」


「最低限の給与は支払われるのですが、それ以上は成果報酬が基本になります」


「インセンティブか。それで、基本給はどれくらいなのかな?」


「毎月25万R」


「25万か!」


 この世界にも月給制があるらしいことに変な感動を覚える。


「それだけもらえれば、何とか生活できる! ……のかな?」


 マリンさんは笑いながら答えた。


「はい! 贅沢しないで一人暮らしするなら15万Rもあれば余裕です」


「なら、10万は貯金に回せる。それでも100ヶ月。9年はかかる計算か。しかし、ものすごく大変仕事なのだろう? 体力がない自分に務まるかな」


「いえ、体力もたしかに必要なのですが、特に重圧がすごい仕事なんです。みなさん、その重圧に負けて心を病まれてしまうことが多くて……」


 俺はごくりとつばを飲み込んだ。


「それで、その職業っていうのは?」


「はい! 冒険者ギルド大規模クエスト管理運営課の課長職です」

 

 出た! 課長! ザ・中間管理職。かくいう俺も、元の世界では課長だったのだが。確かに気苦労が多い。上司からの重圧、部下からの突き上げ、顧客からのクレーム。

 このくらいの役職が案件の責任者だったりすることが多く、いろいろなものが肩にのしかかってくるのだ。

 元の世界でも、確かに大変だった。だが、やってやれないことはないと思う。どのみち、俺に選択肢などないのだ。

でも、ちょっと待て。一つ疑問がある。


「ちょっと、教えてもらえるか。大規模クエストの管理運営って何をすればいいのかな?」

 

----


 ギルドに帰ってきた。俺は休憩所のような場所に座っていた。

 しばらくするとマリンさんは、飲み物の入ったカップをもってきて俺にもすすめてくれた。


「すまない。ありがとう」


「いいえ」


 彼女は微笑んで向かいに座る。


「では、先ほどのご説明をしましょうか」


 彼女はカップの中身を一口飲んだ。俺も飲んでみたが、なんだろう、これは。緑茶? コーヒー? 形容できない味だ。だが、悪くない。


「まず、冒険者ギルドのことから説明しますね」


「よろしくお願いします」


「そもそも冒険者ギルドは、冒険者と呼ばれる方々と、彼らに依頼をしたい方々を結びつける組織です。依頼料の1 割を手数料に依頼者の方からクエストをお預かりし、それを冒険者の方々に紹介することで成り立っています。ここまでは、いいですか?」


「大丈夫だ」


「では」とマリンさんは続ける。


「普段の依頼は、たいていパーティーと呼ばれる2~6人くらいの冒険者のグループで対応します。内容はどこかの交易路に出没する魔物を倒してほしい、旅をするから護衛をお願いしたい、など荒事のほうが多いですね。しかし、稀にパーティー単位では対応できないような案件が出てくることがあります。それが大規模クエストです」


「ふむ」


「その場合、複数のパーティーや単独で活動してらっしゃる冒険者のみなさんを招集してアライアンスを形成し、戦力を整え、目的を達成する必要が出てきます。それを指揮するのが仕事です」


 なるほど。


「でも、それも冒険者に丸投げでもいいのでは? 人をかき集めて放置しとけば、人間の集団なんて勝手に自己組織化するけどな」


「それもそうなんですが、ただ、問題がありまして」


「問題?」


「ええ。冒険者のみなさんはその……。プライドが高いと申しますか。自分の腕に自信を持ってらっしゃる方が多くて、人の命令に従うことを良しとしないのです。同じ冒険者は、自分と対等か、それ以下と思ってらっしゃる方も多数いらっしゃって……」


「つまり、協調性がないのか」


「言葉を選ばなければそういうことです。ですから、なかなかまとまってくれません。誰が頭をとるかでもめることも多く、それならいっそギルドの人間がそれをすべきだ各所から声があがりました。それでできたのが、大規模クエスト管理運営課なんです。

 基本的にその課の長である、課長が大規模クエストの責任者で、一般職員はその補佐をする形になります」


「なるほど、それは大変そうだ……。ちなみに具体的な案件とか何か教えてもらえるかな?」


 マリンさんはうーんと唸ったが、なにか思い当たったらしく、語りだした。


「過去にあった例を挙げますと、どこかで眠っていた魔人が目覚めたからなんとかしてほしい、というものがあったそうです。その時は200人程度で挑んだそうだそうですが、返り討ちにあい、冒険者は全員死亡、近くの町は半壊、散々な結果だったそうです」


「ちなみに魔人は、その後、どう対処したんだ?」


「ひとしきり暴れたあと、また眠りについたそうです」


「それ、下手に触らないほうがよかったのでは……」


「結果論からいうとそうですが、また眠りにつくなんて誰もわかってなかったので、何かする必要はあったんですよ。ちなみにその時の大規模クエスト管理運営課課長は、200もの人間を死に追いやった後悔、壊された町の人々からの怨嗟の声、それに依頼者である国王の怒りを買い、その重圧に耐え切れず、首をつって死んでいるのが後日発見されました……」


「そ、それは……」


「なので、本当はあんまりおすすめできないんですが……」


 つまり、誰もやりたがらないからポストはいつでも開いているらしい。


「だけど、『大ク』の課長は絶対必要な人間なんです。今も、大陸各地で様々な案件があるのですが、手つかずのまま放置されています。どうにかしなければ、と思っているのですが誰もやりません。責任が重すぎるからです。大規模クエストを成功させるだけの知恵や勇気がある人なんてそんなにいません。

 だけど、誰かがやらないといけない。

 『大ク』の課長に、世間の人がつけた別名は『人柱』

 つまり、そんな仕事です……」


 マリンさんは悲痛な面持ちで語った。たしかに、人に気軽に進められる仕事ではない。だが、俺にはこの世界で、他にまともな仕事がないのも事実だ。だったら、やってみるか。例えば、必死に働いて金を貯め、元の世界に帰ったとして、そこに俺の居場所はあるのだろうか。数年も失踪していたら、社会復帰は難しいかもしれない。少なくとも、様々なハンデを背負うだろう。それに、家族は俺を受け入れてくれるだろうか。娘は、その時何歳になっているのか。俺をすんなり受け入れてくれるだろうか。

 

「早く、帰らねば……。もたもたしている暇はない」


 俺はマリンさんに聞いた。


「ちなみにインセンティブって言っていたが、どれくらいもらえる?」


 うつむいていたマリンさんははっと顔を上げた。


「はい。利益の1割です」


「つまり、クエストの受注金額が1000万Rとして、そこから人件費その他の費用900万Rを差っ引く。すると100万リンが利益になる。この1割だから、10万Rが俺の給与に上乗せされると考えて間違いないかな?」


「その通りです!」


「あれ。でも依頼を受けたときって、最初にギルドが1割、手数料としてもらっていくのではなかったか?」


 そうなると計算が違ってくるが。


「いいえ。ギルドが徴収するのは仲介手数料です。大規模クエストはギルド自身が受注するので仲介手数料は発生しません」


「なら、例えば、同じように受注金額が1000万R。だけど費用がかさんで1100万Rかかったとしよう。損失が100万Rになるけど、この場合はどうなる?」


「その場合の損失はギルドが補填します。シュウジさんの懐が痛むようなことはありません」


 おっと、初めて名前を呼ばれた気がする。


「そうか。あともう一つ。大規模クエストの受注金額ってどれくらいが相場なのかな?」


「それはピンキリですね。小さいものは1000万Rくらいから、大きければ3億Rのクエストもあるそうです」


「3億か……」


 3億のうち利益を10%確保して3000万R。その1割だから300万R……。成果次第では稼げそうだ。1000万Rへの道が、元の世界へと帰る道が見えてきた。

 

やってみないとわからないが、少なくとも普通に働くよりは早く帰れそうな気がする。うまくすれば、1年以内に帰れるかもしれない。いや、取らぬ狸のなんとやらか。だが、ほのかな希望が俺の胸の中で湧き上がったのも事実だった。


「やらせてもらえないだろうか」


 俺はマリンさんの目をまっすぐ見た。


「本当によろしいんですか?」


「ああ」


「覚悟はおありなのですね」


 マリンさんは席を立って、どこかへ行った。しばらくした後、上司と思われる人間を連れて戻ってくる。俺よりだいぶ年上の男性だ。


「こんにちは。私はこの町のギルドマスターのナルバです。話は聞きました。もし、よろしければこちらの契約書にサインを」


契約書をざっと確認した。月給25万R、契約更新は一年ごと、など特に注意すべき点は見当たらない。よくある契約書だ。俺は口元が緩むのを感じた。しかし、ろくに面接もせずに即採用か。ナバルさんにもっと根掘り葉掘り聞かれると思ったが。

 まぁ、つまり、そういう仕事なのだろう。


 マリンさんがペンを手渡してくれた。俺はそれを握りしめて、力強くサインする。ナルバさんはその契約書を確認すると俺に笑顔を向けて言った。


「では、これから、よろしくおねがいしますね。冒険者ギルド大規模クエスト管理運営課 課長 カザミ・シュウジさん」



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