ギルド≒ハロワ
ドラミが去ったあと、俺は町の中へと入っていった。
城門のところで、守衛に「見ないやつだな」と呼び止められたが、「旅のものです」と答えた。守衛は俺の体をじろじろ見て、武器らしいものを持ってないことを確認すると「そうか」とあっさり中に入れてくれる。
この程度の警備でいいのだろうか。逆に心配だったが、この町はそれほど犯罪が多くないのかもしれない。治安は良いに越したことはないので、それはそれでうれしいのだが。
町の目抜き通りを歩く。
城門からまっすぐ伸びている道で、その先には大きな建物が見えた。領主の屋敷だろうか。通りの左右では、日が昇り始めたばかりだというのに露天商が商売の準備を始めている。どこかにパン屋でもあるのか、香ばしいにおいが鼻をくすぐる。そういえば、昨日の夜から何も食べていない。
少し先で、パン屋が店先で焼き立てのパンを売っていた。先ほどのいい匂いはここからだったか。急に空腹を覚える。俺は若干警戒しながらも、石畳の道路を横切ってそのパン屋の前に行った。そして、財布を取り出そうとして嫌な予感を覚える。なんとなく、この後の展開は想像できてしまっているが、それでも試さずにはいられなかった。
「それを一つください」
俺は財布から千円札を取り出して渡そうとするが、パンを売っていた女の子はそれに見向きもせず言った。
「ありがとうございます、200Rになります」
やはりか。リンってなんだ。俺の娘の名前も凛だが。
ドルとかユーロとかバーツならわかるが、どこの通貨単位なのだ。女の子がパンを紙袋に包んで入れてくれたが、俺はため息をついてそれを断った。
「すまない。やっぱり、いい」
すげなく断ったのに、女の子は「そうですか。またよろしくお願いします」なんて笑顔を返してくれる。
俺は少し離れたところに噴水を見つけると、そこに向かった。町の憩いの場というやつだろうか。周りにはベンチが設置されていたので、その一つに座って、ため息をつきながら頭を抱える。とんでもないことに気が付いてしまった。いや、ここが元いたのとは別の世界だと分かった時点で薄々そうなんじゃないかとは思っていた。
だが、現実をつきつけられるとやはり、クるものがある。
俺はどんな状況になっても、金さえあればなんとかなると思っていた。どんな国に行っても、たとえ「円」しかもってなくても、その国の銀行で両替すれば何とかなるのを知っていた。だが、異世界に銀行はあるのだろうか。仮にあったとして、俺のもっている「円」は両替できるのだろうか。その可能性は限りなく低い。ここでは俺の持っている紙幣も貨幣もなんの価値もない。つまり、俺は現在所持金ゼロだということ。
「無一文か」
これでは帰るどころか、今日の生活にも事欠く始末だ。早急になんとかしなければならない。帰るどころの騒ぎではない。
「しかし……」
こんな場所でどうやって金を稼げばいいのか。何かを売る? いや、通勤カバンには書類しか入っていない。あるのはカバン、今着ているコートとスーツ、それくらいだ。しかし、衣服を売るには無理だ。ドラミはあんな格好をしていたが、気温はかなり低い。コートを着てちょうどいいくらいなのだ。
自分ひとりでなんとかするのは無理そうだ。だったら、誰かに雇ってもらうしかない。だが、どこへ行けばいい? 異世界にハロワはあるのだろうか。
俺はその辺を歩いていた人間を捕まえて話を聞いた。
「ああ、それならギルドに行きなよ」
話を聞いたおばちゃんが指さしたのは、道の少し先にある二階建ての建物だった。
建物の入り口では、若い女性が掃除をしていた。俺の姿を見つけると「御用の方ですか?」と笑顔を見せて中に入れてくれる。
建物の内部は市役所や公民館を彷彿とさせる作りになっていた。ただし、床はリノリウムではなく、板張りであったが。俺はそのままカウンターに連れてこられると、「どうぞ」とすすめられるままに椅子に座った。そして、カウンターの反対側に座った女性は、にこりと笑う。魅力的な笑みだが、感情のこもらない完全な営業スマイルだった。
右胸に名札が見えた。「マリン」と読める。
「本日は、どのようなご用件でしょうか?」
俺は若干、緊張しながら聞く。
「ここで仕事を斡旋してくれると聞きましたが、本当ですか?」
マリンさんは、心得たといわんばかりの顔でいろいろと説明してくれた。
「はい。こちらで仕事の斡旋もしておりますよ。依頼をいくつか見繕いましょうか?」
「え? どこかへの就職を斡旋してくれるのではないのですか? クエスト?」
「えーっと。ひょっとして、どこかにお勤めをご希望だったりします?」
「はい」
「それは……。ちょっと難しいかもしれませんね」
「そうなんですか?」
「小さな町ですし、人手は足りているというか……。なので、集まってくる仕事と言えば、突発的なクエストくらいしかないんですよ」
つまり、日雇いバイトみたいなものだろうか。遠回しに、安定的な収入の見込める職はこの町にはないと言われたようだ。もっとも、俺の状況はかなり切羽詰まっている。えり好みしている場合ではない。
「ちなみにどんな依頼がありますか?」
「はい、今あるのは、隣町までの商隊の護衛任務、これが10日間で10万R。それから商家の倉庫整理は、一日だけですが8000Rですね」
二つしかないのかよ。だが、それなら商隊の護衛任務のほうがいいな。倉庫整理は一日だけだし、次の日からまた仕事を探さねばならない。それに10万リンがどれくらいの価値をもっているのか知らないが、とりあえずまとまった金ではありそうだ。
しかし、護衛任務ってなにをやるのだ。警備員みたいなものだろうか。いや、考えても仕方ない、とにかくやるしかない。
「護衛任務でお願いします」
そう決めた直後のことだった。マリンさんの口から驚くべき言葉を聞かされる。
「ちなみに、剣はお使いになられますか? それとも魔術は何か習得されていますか?」
え? 剣? 魔術?
「いえ、剣は、その、使えません……」
「では、魔術師の方ですか?」
「いや、魔術も使えなくて……」
一瞬、俺たちを包む空気が固くなった。それをうち破るようにして、マリンさんが声を上げた。
「ああ! 拳法家の方!」
「……」
何も答えられなかった。
剣と魔法とか拳とか。ここで求められているのはそういうものらしい。T○EICの得点や、プロジェ○トマネージャーの資格は通用しなさそうだ。いたたまれない気持ちで座っていると、マリンさんはあきれたように俺を見た。
「さすがに素人には護衛の任務なんて任せられませんよ? モンスターが襲ってくる可能性だってありますし」
そうなのか、そういえば俺も襲われたな、ゴブリンに。そして、殺されそうになった。俺はアレと戦えるのだろうか。一対一でも負けそうな気がする……。
マリンさんはそんな俺の姿を見てため息をつく。
「なら、倉庫整理の仕事にしときますか? 体力のいる仕事ですが……」
体力だと……。三十六歳の俺にそんなものを求められても困る。俺はインドア派なのだ。だが、ここは多少無理をしてでも金を手に入れる必要がある。
「じゃあ、倉庫整理でお願いします」
「はい。承りました」
少し話をしたからか、マリンさんはやや打ち解けた笑顔を見せてくれた。
「では、とりあえず、ギルドに登録していただいて、それから依頼のほうの処理をさせていただきますね」
彼女はカウンターの向こうで、まっさらな何も書いてない紙を取り出して、俺にいろいろと聞いては書き込んでいる。文書フォーマットがないのだろうか。名前や年齢など、適当なことを聞いてはざらざらと一かたまりの文章でそれをつづっていた。
あまり効率的ではない気がする。
俺は彼女に何気なく言った。
「すいません。それと同じペンと紙、貸してもらってもいいですか?」