キュクロープスの襲撃
地響きとともに緑色の塊がこの町に迫ってきた。それは最初、森の木々の緑に溶け込んでいた。だが、町に近づくにつれてはっきりとわかる。くすんだ濃い緑色の肌は、ゴブリンたちのものである。こうして、城壁の上から眺めているとその規模がわかる。たしかに例年通り300匹くらいの集団に見えるが、手に武器を持ち、ものすごい勢いで近づいてくるアレを見ていると背筋に寒いものが走る。
ゴブリンたちは、もはや正気を失っていた。武器を掲げ、叫び声をあげながらこの町の城門に勢いそのまま突撃をしてきた。肉が潰れるような形容できない音が城壁を揺らした。城門と激突したことで、先頭にいたゴブリンの数匹が後続からの衝撃に押しつぶされて死亡したようだ。すごい衝撃だったので、一瞬、城門のほうが心配になったが破られることなどなかったようだ。
押し寄せてきたゴブリンたちは、そのまま壁面にそって左右に広がり、城壁にいる冒険者たちに粗末な弓矢で矢を射かけ、またスリングショットなどで投石をしてきた。中には城壁をよじのぼって中に侵入してこようとするゴブリンもいる。たしかに、これは城門を閉めてやり過ごすだけというのは無理な話だろう。何もしなければ、城壁を越えて町に侵入してきそうな勢いである。そして、入ってきたらなら死傷者だってでるはずだ。町には女性も子供もいる。
冒険者たちも城壁の上から弓で応戦し、運んでおいた頭くらいの大きさの石を投げつけて、ゴブリンたちを撃退している。魔法を使えるものもいたようだが、こうも城壁にくっつかれては、ゴブリンと一緒に壁を破壊してしまう恐れもあるので、撃つに撃てないらしい。
ドラミに至っては、ものすごい活躍を見せていた。彼女は空から急降下して、手にしたハルバードでゴブリンたちを薙ぎ払うと、また空に逃げる。一撃離脱を繰り返し、確実に敵の数を減らしている。ゴブリンたちは空中にいるドラミに対して「ぎぃぎぃ!」と鳴いて腹を立て、矢などを射かけている。だが、空中をすいすいと泳ぐように飛ぶドラミには全く当たる気配がない。
敵の数は順調に減っていった。戦況は終始、優勢を保っていた。300体くらいいたのが、今ではその3分の1くらいに数を減らしている。あと100匹程度だ。対してこちらの被害はほとんどない。スリングショットで放たれた石に当たって、打ち身をした冒険者がいたが、今も元気に働いている。
「いける!」
俺は勝利を確信していた。ここで敵を撃滅すれば、クリルナ支部の利益も確定である。だが、リスクは思わぬ形で顕在化するのが世の常なのである。ほっと一息ついた時、それはゴブリンたちの後ろからやってきた。
ずぅうん、ずぅうん、と重たい足音を響かせて。身長10メートルはあるだろうか、そんな巨大な怪物がこちらに迫って来る。俺はそれを呆気にとられながら見つめていた。
「なんだ、あれは……」
マリンさんが誰にともなく叫んだ。
「キュクロープス! なんでこんなところに!」
キュクロープスと呼ばれた一つ目の巨人は城門の前までやってきた。そして、逃げ遅れて、身動き一つできずにいるゴブリンをつまみ上げて口に運び、咀嚼して、飲み込んだ。
「ゴブリンを食っているのか!」
エサのにおいを嗅ぎつけてやってきたのだろうか。町を襲いに来たわけでもないのか? 手を出さなければ、こちらには攻撃してこない? 判断がつかない。冒険者たちも混乱している。あのドラミでさえも、どうしていいかわからず俺のほうを不安そうに見ている。早く答えを出さねば。方針がないと彼らだって動けない。だが、俺の決断は遅すぎた。冒険者の一人が、緊張に耐えかねて、キュクロープスに魔法を放ったのだ。
ごぅん!
爆発系の魔法だろうか。キュクロープスは肩に魔法を受けて、若干、よろめいた。だが、大したダメージは与えられていない。魔法を食らった肩の部分はすこし焦げて黒くなっているだけである。だが、それまでこちらに無関心だったキュクロープスは、明らかな怒りの表情でこちらを睨んだ。そして、近くに生えていた巨木を引っこ抜くと、それを城壁にむかって振り下ろした。
衝撃が城壁全体をゆらした。城壁の一部が粉々になり、あろうことか、町に侵入できるようになった。あれはまずい! 周辺のゴブリンたちがそこに殺到した。
「シュージさん!」
マリンさんに呼ばれて、はっと気が付いた俺は慌てて指示を出した。
「ここはもういい! 全員、破壊された城壁に行ってくれ! ゴブリンを一匹も町に入れるな!」
冒険者たちは全員うなずいて走っていった。
「問題はあいつだ」
俺は城壁の上からキュクロープスを見つめた。その巨体は緩慢な動作で、手にした巨木を再び振り下ろそうとしている。城壁が二か所も破壊されると人手を二つに割かなければならない。それはよろしくない。
「ドラミ!」
「わかっタ!」
ドラミが飛び出した。キュクロープスの頭上を(本人に言ったら怒るだろうが)ハエのように飛び回りながら、注意を引き付けてくれている。そして、徐々に町から遠ざけるように誘導している。これ以上、被害が出ないようにと考えているのだ。
「ドラミ! デきる子だったのか!」
俺は思わず叫んだ。最初に出会ったときは話の通じないアホの子だと思っていたが、とんでもなかった。指示を出してもいないのに、自分で考えて動ける子だったとは! キュクロープスが来たのは想定外だったが、ドラミの働きも想定外だった。連れてきてよかった!
破壊された城壁のほうを見る。冒険者たちが、なんとかゴブリンの侵入を食い止めているようだったが、キュクロープスが気になるのか、あまり戦いに集中できていない感じである。たしかにあんなものがそばで暴れていたら、気が気ではないが。
キュクロープスとドラミの戦いにも変化があった。キュクロープスの一撃が彼女をとらえたのだ。振り回された木に、空中にいたドラミが叩き落とされた。隣で事態を見守っていたマリンさんが口元を手で覆った。俺も焦った。ドラミはこの戦闘の要だ。
「大丈夫か!」
地面に叩き落とされたドラミは、ぐぐぐ、とハルバードを杖にして立ち上がった。顔は砂ぼこりでよごれ、二の腕はすりむいて血がにじんでいる。表面的にはわからないが、あれだけの衝撃だ。打撲もかなりひどいと思う。ドラミはかなりダメージを受けたように見えた。だが、彼女は再び、空中に飛び上がると大きく息を吸い込み、そして、勢いよく吐き出した。
「ブレス!?」
ドラミは口からブレスを吐いたらしい。だが、顔面にブレスを食らったキュクロープスは無傷だった。いや待てよ、様子がおかしい。キュクロープスが、くらくらと頭をゆらして、たたらを踏んでいる。
「なんだ!? うッ?」
俺は頭を抱えてしゃがみこんだ。ドラミのブレスの残滓がここまで届いたのか。猛烈な眠気を覚える。
「催眠ブレスか?」
ドラミは催眠ブレスを吐いたのだ。俺は落ちそうになる意識をつなぎとめて立ち上がった。見ると、ドラミがハルバードを振りかぶって、隙だらけのキュクロープスの頭をかち割るところだった。
キュクロープスは地面にあおむけに倒れた。起き上がってくる気配もない。ドラミは頭に食い込んでいたハルバードをぐいっと引き抜いているところだった。それを見た他の冒険者たちは勢いを取り戻した。残りのゴブリン達をあっという間に片づける。冒険者数名に、周辺を探ってもらったが、もうゴブリンの気配は全くなかった。
報告を聞いたとき、その場にいた全員はぺたんと床に崩れ落ちた。終わったのだ。
こうして、俺が担当した最初の案件、通称『ゴブリンラッシュ』は幕を閉じた。