柳川の戦い⑳結末
柳川の地は今、乱れていた。
それは単なる『戦乱』という一言で片付けてしまうには、あまりにも雑と言えよう。
当然、そこには大勢の兵たちで埋め尽くされており、激しい攻防が繰り広げられているのは誰の目にも明らかだ。だが、そこには目に見えないものも、程度の違いはあれど、確かに渦巻いていたのである。
その渦巻いていたものとは、端的に言ってしまえば、『欲望』であった。
お家再興を望む者…
時の権力者に媚びを売りたい者…
時勢に逆らい一波乱望む者…
その他、様々な『欲望』が、この柳川の地に渦を巻き、もはや一つの大きなうねりとなって、時代の流れを作らんとしていたのである。
その中にあって、一人の男の純白な欲望は、ある種異様な程に輝きを放ちながら、戦場を目的地に向かって真っ直ぐに突き進んでいく。
なぜその男の『欲望』だけは、純白であるのか、と問われれば、恐らくその男はこう答えるであろう。
ーーそこには信念と愛があるからである
と…
そして今、彼が向かっている目的地では、一人の女性が、その命の灯火を小さく小さくさせながらも、何かを貫く為に戦い続けていた。
それは本来ならば、とっくに気づいていなくてはならないものであるのだが、虚像に固められた彼女が気づいたのは、つい先ほどの事であった。
彼女は後悔していた。
与えるべきものを与えず、与えられていたことに気づく事をしなかった過去の自分を恨んだ。
そして彼女は、無駄にしてしまった長い時間を取り戻す為に、戦うことで、彼にそれを与えていたのである。
そんな彼女に、何を与えているのか、と問いかければ、こう返してくるであろう。
ーーそれは、感謝の念と愛である
と…
そしてこの二つの愛が一つになった時、もたらされる奇跡は、この黒いうねりを切り裂く刃となって、柳川の地に、束の間の安寧を与えることになる…
………
……
立花誾千代の全身を纏う闘気は、彼女が『雷切』を振る度に強くなり、近づく敵を恐れさせた。
しかし同時に、その闘気が大きくなる度に、彼女の病におかされて弱った体から、生きるのに必要な、何かが削られていく。
そしてそれは徐々に、体のあらゆる部分の筋肉を奪っていくのであった。
もはや、手に刀を握っている感覚はない。
それどころか、立っている感じすらないのだ。
かろうじて呼吸と心臓をつかさどる部分は、その機能を健気に保っているようだが、それ以外の全てが、異常をきたしていた。
そして言葉すら発することもかなわず、開いている目からは、光を感じるのがやっとで、敵は輪郭くらいしか分からない。
それでも彼女は、夫である立花宗茂の為に戦えていることに、感謝し幸福を感じていた。
しかし感情が肉体を凌駕するにも、限界はあった。
ーーカラン…
と、高い金属音が地面からしたかと思うと、ついに彼女の手から『雷切』が離れてしまった。
あまりに突然のことに、目の前の敵も唖然とし、彼女はその隙に刀を拾おうと、軽くしゃがんだ。
だが…
ここが限界であった…
「くっ…」
短く発せられたその声とともに、彼女は前のめりに倒れてしまったのだ。
「奥方様!!」
彼女に付き添った数名のお供の兵たちが、彼女を取り囲むように立ち、槍を構える。
しかしそんな彼女らを囲っているのは、鍋島直茂本隊の、約一万の大軍であり、さながら大きな手の中にいる小さな虫のように、握り潰されてしまうのは、時間の問題であった。
敵も含めて、その場にいる全員が、彼女の死を覚悟したその瞬間に、その男は先頭で後ろにわずか数名の近侍を引き連れて、一陣の風の如く現れたのであった。
しかしその寸前から、一人の敵兵の槍を突く動作は始まっていた。
まさにその穂先が、誾千代の背中を突き刺さそうとしたその時…
純白な直垂を返り血でところどころ赤く染めた立花宗茂が、彼女とその槍の間に滑り込んできた。
そして目にも止まらぬ早さで、落ちていた『雷切』を左手で拾うと、突き刺してきた槍を『雷切』を振り上げることで、その方向を上へとそらした。
そしてそのまま一歩だけ敵兵の方へ踏み込むと、ガラリと空いた胴に向けて、右手に握られていた『備前長光』で斬りつける。
斬りつけられた兵は、どうと大きな音を立てて倒れると、そのまま動かなくなってしまった。
「な…なぜだ…?なぜ戻ってきた…」
誾千代の光を失いかけたその瞳であっても、宗茂の輝く姿ははっきりと確認できたようだ。
彼女は、消え入りそうな声で、彼に自分の元に戻ってきた理由を聞いた。
宗茂は、透き通った声で答える。
「言ったであろう、立花宗茂にとって、お主より大切なものはない。たとえ薄情者とののしられようとも、当主失格と言われようも、この命は誾千代…お主とともにある」
そこには先ほどまでの優しさよりも、もっと強いものが感じられるようで、誾千代の頬を、流し尽くしたはずの涙が濡らしていくのだった。
そして宗茂は二本の刀を両手でしっかりと握って仁王立ちになった。
「右手には高橋、左手には立花!
両家の誇りを胸に、立花宗茂、愛する妻を守る為に、修羅となろう!!
かかってこい!!」
両軍入り乱れての乱戦となり、鉄砲での攻撃はない。足軽たちは槍を持って突撃してくる。
しかしとっさのこととは言え、二刀での立ち回りが初めての宗茂であったが、その太刀捌きは実に見事なものであった。
左の『雷切』は自分と誾千代を守るために振るわれ、右の『備前長光』は敵を討つために振るわれる。
攻防一体のその太刀筋は、鍋島兵たちを震わせ、その出足を鈍らせたのだ。
また宗茂を守る近侍もよく戦い、誾千代を中心とした立花軍の小さな円陣は敵を寄せ付けなかった。
さながら真っ暗闇の中にあって、一つ輝く綺羅星のように、白く光を放つその円陣に向かって、人が集まってくる。
約一万の鍋島直茂の軍の全てが、その円陣に向かって突撃していく。その圧力たるや、凄まじいものであったが、
「この程度で、この立花宗茂を破れると思うな!!」
と、天下無双の勇者にとっては、まるで燃え盛る炎に対してのそよ風程度にしか感じられていないのかもしれない。
鍋島軍の圧力などものともせずに、円陣は乱れることもなく、固く中の誾千代を守り続けた。
そして、暗闇の中の光に集まるのは、何も敵ばかりではなかった。
味方の軍もまた、その強い光に吸い寄せられるように、ぐんぐんと近づいていたのである。
なおこの頃になると、泰巌による鉄砲攻撃は中断されていた。
なぜなら、途中から戦場を引いた吉岡杏の軍を加えた約五千の大友義統の軍は、いつの間にか前線からは離れて、黒田や加藤のいる水田天満宮の方へと進軍していたからである。
厄介な足止めがなくなると、しんがりを務めていた立花四天王の一人、十時連貞の軍は自由を取り戻した。
彼はこの乱戦の中にあっても冷静に軍を指揮し、宗茂との合流を目指す。
そしてもう一隊、宗茂を目指す軍勢があった。
それは柳川城を出た由布惟信の軍団、その数約五千。
大手門とは逆側にある普段は利用しない、あかずの門から密かに城を出たその一団は、激戦となっている大手門を迂回するように城の前に出てきた。
そして、柳川城を攻める鍋島勝茂の軍を突き抜ける為に突撃したのだった。
「目指すは殿と奥方様である!!とにかく前へ進め!邪魔するものは蹴散らせ!!」
そう惟信が大声で号令をかけると、比較的陣が薄くなった場所を目がけて立花軍は突撃を開始した。
虚を突かれる形となった若い大将の勝茂のもとには、目付である茂里がこの場にはおらず、その状況にあってもとっさの判断を下して、さながら奇襲のような惟信の攻撃に兵を向けるには、彼は若すぎた。
すさまじい勢いで突っ込んでくる立花軍を、彼はなすすべなく避けるので手いっぱいだったのである。
そして強がるようにして、
「城から出る者は追うな!むしろこれで城は手薄となった!ここが好機である!一気に攻め立てよ!」
と、前線の鍋島忠茂や後藤茂綱らを励ましたのであった。
一方の鍋島直茂は、茂里の別働隊を本隊に加えて、約一万三千の大軍をもって、宗茂の本隊約千を苛烈に攻撃し続けていた。大友軍の加勢もあって、総崩れ間近と考えていた宗茂の軍の驚異的な粘りにも、彼は慌てず、平静を保って戦況を把握していた。
だが、さすがに柳川城から出てきた五千の立花軍を見過ごすわけにはいかなかったのである。
しかしその指示の間合いは、一つの誤算によって遅れてしまった。
なぜなら、彼は最前線にいる息子の勝茂が、城から出てきた立花軍の足止めをするものだと思っていたのである。
だが、その勝茂は戦わずして、その軍勢の通過を許してしまった。
そして、この誤算による指示の遅れが、戦況を大きく動かすことになる。
「茂里に告げよ!柳川城から迫ってくる軍勢を抑えるのだ!絶対に宗茂と合流させてはならぬ!」
合流したばかりの茂里の軍勢三千はその号令とともに、迫りくる立花軍の迎撃にあたる。
しかし、急な直茂の指示に対応しきれず、単なる横陣で惟信の突撃を迎えざるを得なかった。
一方の惟信の軍勢は、相手を突き破ることだけを考えた鋒矢の陣で突き進む。
ただでさえ兵力が立花軍の方が大きい上に、その陣形や軍の士気による優劣も明白な状況にあって、この激突の結果は火を見るより明らかであった。
茂里の軍は真ん中で二つに割れ、惟信の軍の進入をあっさりと許した。
「殿!!」
「殿」
ほぼ同時に二人の重臣は叫び声が上げると、輝き続ける円陣の中にいる宗茂の元へと一気に駆けつけたのであった。
そして、宗茂の周囲を取り囲っていた鍋島兵を蹴散らし、長い間極度の緊張状態で戦っていた宗茂たちに、瞬間的な安息の時間を作ったのだった。
肉体の限界を超えて戦っていた宗茂であったが、彼らの合流とともにその気は緩めない。既に川沿いには執拗な鉄砲攻撃を加えてきた大友軍の姿はなく、背後の安全を確保する為に、彼は合流した軍も合わせてそこまで移動するように指示したのだった。
………
……
誾千代と宗茂を守るような配置で川沿いまで軍を進めた立花軍は、一旦その足を止めて、宗茂の指示を仰ぐまでは、その場で迫る鍋島軍と戦うこととした。
最前線では小競り合いの続く中、苦しそうな誾千代をその場で横にすると、宗茂は戦況の把握と今後の方針を決める為に、惟信と連貞と三人で話し合いを始める。
「惟信、城の様子はいかがか?」
「殿が城に戻る間くらいであれば、薦野殿と桂殿がなんとかしてくれるに違いありません!」
そう強気で告げた惟信であったが、宗茂はその表情を見て、城の状況を察知した。
「かなり危ないのだな…」
この言葉に隠しきれないと観念したのか、惟信は肩を落として話した。
「正直申し上げて、もう敵の手に落ちるのも、時間の問題かと…ここまで城から火の手が見えないだけでも、奇跡と言えるかもしれません」
その報告に宗茂は、ふぅと大きく息をつくと、腹をくくったように呟いた。
「ならば…すべきことは一つだな」
そう告げると、宗茂の目の色は一気に変わり、周囲の空気を震わせるようなすさまじい闘気を身にまとっていく。
「これよりわが軍は、総大将である鍋島直茂を討つ!
総大将の軍が崩れたとなれば、城を攻めている軍勢の士気も下がり、退却を余儀なくされるであろう!
ここが最後の勝負どころ!皆の者!行くぞ!!」
期せずして、総大将の立花宗茂率いる立花軍の五千は、重厚であった鍋島軍の、いわば中核部分を目の前に位置している。
これは、鍋島勝茂を名目上の総大将とした直茂にとっては、大いなる誤算となった。
なぜなら彼は、勝茂に大軍を預けて攻めさせることで、それが直茂を守る壁としていたのである。
その壁の内側に、立花宗茂の一軍が入り込んだことは、宗茂にとってみれば、直茂を攻め立てる絶好の機会となったわけだ。
宗茂は、この機会を逃すわけにはいかなかった。
またこの状況にあって誾千代を城に戻すのはかえって彼女を危機に追いやると判断した宗茂は、もはや兵が退いた宮永殿に、絶対の信頼を置く由布惟信と兵をいくばくか割いて護送させ、そのまま守らせることとしたのである。
こうして後顧の憂いはなくなり、宗茂にはもはや進む道しか残されていなかった。
だがこの進む道こそ、妻と柳川城を守る為の道であるのだ。彼は最前線で小競り合いを続けている兵たち以外の者に、細かく指示を出していき、徐々にその陣形を整えていった。
そしてついに最後尾まで指示を与えて、その準備を終えると、彼はそこから大きな声で号令をかけたのだった。
「天下無双とうたわれし立花宗茂の軍団の強さ、今こそ見せる時ぞ!!
敵は鍋島直茂!!
全軍!すすめぇぇぇぇ!!!」
ーーおおおおおっ!!
天まで轟く号令に対して、大地を震わせる立花軍。
こうして、ここまで絶体絶命まで追い込まれ続けていた立花軍の猛烈な反撃が始まった。
ーーえいとう!!
誰が言い出したか分からないが、立花を象徴するかけ声が戦さ場を包むと、今まで押し込まれていた鍋島軍を一気に押し返した。
「ふん!時勢の見極めもつかぬ死に損ないめ!!
鍋島の地力をなめるな!!」
人が変わったように、汚い言葉を放った直茂は、それでも名将らしくきびきびと軍に指示を送る。
彼が取った戦術は、直茂のいる中央を厚くしながらも、左右に大きく陣形を広げ、十分に呼びこんだ上で、左右から包みこむように攻撃をする、というものであった。
「全軍!配置につくよう手配せよ!!」
そう伝令たちに伝えると、統制の取れた鍋島の軍勢は、一斉に彼の思い通りにその陣形を変え、左右に大きく広がっていった。
しかし、おおよそ凡将と名将の違いは、変化への対応と言えるのかもしれない。
その陣形変化の動きに、宗茂は鍋島軍の意図を素早く察知し、次なる指示を与えたのだ。
「左だ!左方向を狙って、突撃せよ!!」
大きく左右に開いた鍋島軍にとっては中央に比べると薄い右翼の陣は、まさに弱点とも言えた。そこに目がけて、立花軍が猛烈な突撃攻撃を繰り出したのだ。
抵抗する間もなく、鍋島軍の右翼はあっさりと崩された。
「よし!この勢いのまま、中央の直茂向けて、突撃!!!」
――おおおお!!えいとう!!
その立花軍の鋭い突撃は、さながら槍のように鍋島軍の中央に突き刺さる。
立花宗茂の天才的な戦の勘に、畏怖を覚えながらも、直茂は次なる策へと移していく。
「こしゃくな!!伝令!!伝令はおらぬか!!」
と、直茂が大声を上げると、伝令役が数名彼の元までやってきた。
「一つ!!左翼に展開した陣は、そのまま回り込み、立花の横を叩け!
一つ!!大友義統に、反転して立花を攻めよ、と使いを出せ!!」
「はっ!!」
その伝令を送ってからしばらくした後、戦況は動く。
中央に深く突き刺さった立花の軍勢にとっては、左手から回り込んできた鍋島茂里の軍が突撃したのだ。
「連貞!!左の鍋島軍に対処せよ!!」
「はっ」
宗茂と前線で戦っていた連貞にそう指示すると、彼は軍の後方の兵たちをまとめて、左翼の茂里に当たらせる。
茂里の横からの攻撃は、立花軍に大きな打撃を加えることはかなわなかったが、確実にその推進力を鈍らせた。
「よし!あとは大友の加勢を待って、一気にひねりつぶすぞ!!」
「負けるな!ここまで来たら、あとは直茂を討ち果たすことだけに集中するのだ!えいとう!!」
宗茂自ら最前線に立ち、敵の槍をはじき、その出足をくじいていく。
一方、直茂も負けてはいない。後方に控えてはいたが、伝令を巧みに利用して、中央はよく守り、横からは波状的に攻撃を加えていったのだった。
その一進一退の攻防はしばらく続いていくが、城の存亡をかけた立花軍の士気はすさまじく、徐々に中央を削られていく鍋島軍。
その様子にしびれを切らした直茂は、ついに腰を上げて伝令に指示を出した。
「まだか!?大友はまだ来ないのか!?立花宗茂を討つ好機に動かないとは何事だ!!督促せよ!!」
勝つ事は当たり前、いかに早く城を落とすことが出来るか、という事に執着していた直茂にとって、今の状況は全くもって想定外であった。
もちろん宗茂が柳川城から出て戦ってくる事を想定していなかった訳ではなく、宗茂の軍が直茂のいる「実質的な」本陣に直接突撃を加えてくることが想定外だったのである。
戦の流れによってこのような事態に陥ったとはいえ、じっくりと柳川城を攻めていれば、絶対に起きえない状況と言えた。
しかし、彼を狂わせた選択はそれだけではなかった。
遡れば、宗茂の器量の見込み違いをして、陣形を変えたこと。
その前には、勝茂の参謀である茂里を、宗茂への奇襲隊として任命した為に、勝茂だけに柳川城攻めを担当させたこと。
城島城攻めにおいて、敵の出方と戦力を見誤ったこと。
もっと言えば、息子の勝茂を関ヶ原の地に送ったこと…
これら全ての選択が、彼の思惑を少しずつ変えていき、ついには彼の喉もとに刃をつきつけることになったのだった。
だが、もはや後悔しても遅い。
彼はついに、最後の手札を切ることにしたのだった。
それは禁じ手とも言えるものであった…
「勝茂に伝えよ!柳川城から退き、立花宗茂の本隊の背後を突け、と」
亡き太閤秀吉はかつて、鍋島直茂という男を
「天下を取るには知恵も勇気もあるが、大気が足りない」
と評したという。
この戦いにおいても、その準備から進め方、そして周囲の大名たちへの手回しなど、『外面』はお手本通りの完璧なものであった。
しかし、その『外面』が剥がされた時、彼の戦に対する過去の辛すぎる経験が、彼を凡将へと落とししまったのだ。
柳川城を攻略直前まで攻め込んだ勝茂に、直茂からの命令が下される。
太閤秀吉にも愛された偉大な父の命令に背くほどに、勝茂には経験も勇気もない。
反対する後藤茂綱らを押し切り、彼は兵を柳川城から退いた。
そして勝茂率いる約一万五千の大軍は、立花宗茂を背後から突かんと、進軍を開始したのであった。
その様子に直茂は、
「これで勝ちだ!!覚悟しろ!立花宗茂!!」
と、焦点の合わないほどに瞳を濁らせて、醜くく笑ったのだった。
だが、この選択すら裏目に出る。
柳川城の中には、城島城を固く守った『籠城の鬼』がいた事など、彼の頭の片隅にもなかったのである。
「薦野殿!!いざ、好機である!!やられた分をやり返すのは今しかござらぬ!!
ここはそれがしに任せよ!
薦野殿は兵をまとめて、鍋島軍を背中から突くのだ!」
と、豊臣七星の一人、桂広繁は薦野増時を励ますと、増時もそれに従って、兵三千をまとめると、大手門を開けて城を飛び出していったのである。
「狙いは、鍋島勝茂!!今までの鬱憤を晴らしに行くぞ!!えいとう!!」
ーーえいとう!!
まるで猪のように、勝茂の大軍に突っ込んでいく、増時の軍勢。
突撃を最後尾から指揮していた鍋島勝茂は、突然の攻撃に面食らうと、大混乱に陥った。
そもそも堅固な柳川城を攻め続けて疲れが隠せない鍋島兵の中には、逃げ出す者まで出てくる始末。
先頭を駆けていた鍋島忠茂と、後藤茂綱が、後方での異変に気付いて、とって返した頃には、勝茂を守る近侍たちまでもが、槍を持って戦っていたのだった。
無論、このような状態で立花宗茂本隊への突撃などかなう訳はない。
城攻めを放棄するという愚かな選択さえも、誤算となってしまったのだった。
しかしーー
誤算はこれに止まらなかったーー
ニャアーー
焦る直茂の前に、一匹の黒猫が迷い込む。
「ええい!みな何をしているのだ!?」
と、怒りに我を忘れた直茂には、その猫の存在など気づきもしない。
ニャアーー
なおも小さく鳴く黒猫。
「うるさい!!あっちへ行け!!」
ようやくその存在に気づいた直茂であったが、黒猫を足蹴にせんばかりに、それを追い払った。
「くっ!!猫までわしを馬鹿にする気か!!」
…と、その時であった…
ーードドドドッ!!
と、さながら地響きのような爆裂音が、直茂の鼓膜を震わせた。
「な、なんだ!?」
しかもその爆裂音は一度にとどまらず、二度、三度と続いた。
ーーおおおお!!!
そしてその爆裂音が終えた瞬間に、たくましい男たちの雄叫びが、あたりの空気を熱くする。
そしてーー
彼は確かにその耳に、その名乗りを聞いたのだ…
彼を奈落の底に落とす、その名乗りを…
「島津惟新斎、ここに参上!!!
故あって、立花宗茂殿をお助けに参った!!」
島津義弘が率いる、島津軍一万が、柳川の地に降り立った瞬間であった…
それは、史実よりも三日も早い到着だったのであるーー
少々長くてすみませんでした。
次回は、九州の仕置きなどになります。




