柳川の戦い⑲絶望の果て
◇◇
立花宗茂の一軍が壮絶な撤退戦を繰り広げている中、柳川城では鍋島勝茂を大将として、こちらも激しい攻城戦が繰り広げられていた。
城壁には所狭しと鍋島兵が張り付き、なんとか登ろうとしているが、そこに立花兵は熱湯や石を浴びせて落としていく。
もちろん大手門でも攻め手による破壊攻撃は繰り返されていたが、守り手も負けじと鉄砲で応戦していたのだった。
それらは傍目から見れば、大軍である鍋島軍の攻撃を、ぎりぎりで防ぎ続けている立花軍といったところだった。
すなわち、これ以上立花の兵が減ると、その均衡は一気に崩れ、鍋島軍が二の丸へとなだれ込んで来そうなほど、薄氷を踏むような緊張状態が続いていたのだった。
しかしそんな中、城内は再び真っ二つに割れていた。
立花四天王の一人である由布惟信が、
「殿と誾千代様の危機なのだ。ここは救援に打って出るべし!」
と主張すれば、上席家老のの薦野増時は、
「いや、殿は何があっても城からは出ずに、守りに徹せよ、とのお達しであった。
ここは、殿が門前に来るまでは、城の守りを固めるべし!」
と主張した。
この後に及んで判断を遅らせる訳にはいかない中、城内の家老たちはまとまりを欠いている。
…と、そこに、一人の男が足を引きずりながら、甲冑姿で現れた。
それは…
歩けるはずもない程に重傷を負った、小野鎮幸であった。
「お主ら…恥ずかしくないのか…」
顔色は決してよくなく、本来なら立っているのも厳しいはずだ。
無理をして万が一傷が広がりでもしたら、その命すらままならない中、それでも彼は今の城内の状況を見過ごせなかったのだ。
「今、二の丸では城を守ろうと、必死に兵が戦っておる。
殿だって誾千代様を守ろうと戦ってらっしゃる。
それなのにお主らは、一体誰と戦っておるのだ!?
お主らは、お主らが守るべきものの為に戦えないのか!?」
「それがしたちが守るべきもの…」
「それこそ、立花の誇りであろう!
立花に臆病者はおらぬ!
殿一人、城一つ守らんとする気概のない者は、立花の一団を騙る資格などない!!」
そう言って、鎮幸はその場を後にしようとした。
「待たれよ!その身体でどこに行こうと言うのだ!?」
その言葉に鎮幸は、震える声で言った。
「誰も行かぬのなら、俺が行くしかあるまい…
殿をお助けするに決まっておるではないか…
これ以上、殿が追い込まれていく様子を、城の上から指をくわえて眺めていられる程に、俺は…」
そこまで鎮幸が言うと、彼の右に立った惟信が彼の肩を抱いて言った。
「それ以上言わなくともよい。だが、今お主が守るべきは、お主自身である。
あとは任せよ」
そこに増時が鎮幸の左に立って言う。
「それがしが間違っておった。
城はそれがしが、この身が滅びようとも、守ってしんぜよう。
惟信殿には、殿をお頼み申す」
こうして城内は、一人の男の命を張った説得によって、まとまりを見せたのであった。
しかし、この判断は城を守る兵を減らすことでもある。こうして柳川城もまた当主と同様に窮地を迎えることとなるのであった。
◇◇
ーーどんなに窮地に陥ろうとも、諦めるな!
ーー立花に負けはない!負けと思えばそこまでである!最後の最後まで、勝てると思わずして、どうして勝てようか!
そう心の中の養父、立花道雪が叱咤してくる。
諦める事は許されない。
一人また一人と仲間が倒れる度に、挫けそうになる宗茂の心を支えていたのは、背中の妻、誾千代であり、道雪の言葉であった。
立花の養子となり、その名を継ぐ事となってから、
「本当に自分は、立花の一員になることが出来るのだろうか…」
という事を、自問自答しなかった日はない。
彼は押し潰されそうになるほどの、極度な威圧を心に秘めながら、なんとかここまで日々を過ごしてきたのである。
そして今、このような絶体絶命の中にあっても、彼の胸の内は、既にこの世にない道雪の期待に応えるような姿であるのか、どこかでそれを気にしているように思えてならないのだった。
…と、その時だった。
「…離せ…」
と、か細い声が背中から聞こえてきたのは…
「誾千代、大丈夫だから、何も心配せずともよい」
と、宗茂は優しい声で答えた。
「われは…宗茂の足手まといになど、なりたくない」
「足手まといなものか!俺は誾千代が背中にいるから、こうして希望を捨てずに足を進められるのだ」
しかし、そんな気休めなど、通用する誾千代ではないのは、宗茂が最もよく分かっていた。
「言うな!宗茂!!もし当主であるお主を死なせるような事があれば、われは立花の反逆者とも言えよう!
われを捨て、お主一人であれば、この場を走り抜けることも出来るであろう!」
「誾千代を置いていける訳ないだろ!!」
それまで優しかった宗茂の声色が変わる。
そしてこのような夫婦の会話の最中にも、刻一刻と戦況は変わっていき、いよいよ宗茂の目前にも敵が迫ってきたのだった。
宗茂は、今まで両手で誾千代を支えていたところを、左手一本に変え、右手には彼の父、高橋紹運の形見である、備前長光を抜くと、それを敵に構えた。
一方の誾千代は、完全に目を覚まし、彼に告げたのだった。
「宗茂…お主が置いていくのは、われだけではない。
お主を縛るもの全てだ…」
「な…なにを…言っておるのだ…?」
「われは、死を覚悟した宮永にて、自分がとらわれていた『偽物』を全て取り払った。
そして…
生まれて初めて、『幸せ』をお主から与えられたのだ。
だから、お主にもお主を縛り付ける全てを取り払い、お主の思うがままに生きて欲しいのだ」
「俺を縛り付ける全て…
一体何を取り払えと言うのだ!?」
その問いかけを聞く前に、誾千代は素早く右手を宗茂の肩から外すと、自分の腰のあたりに持っていく。
そして…
その手に短刀を抜いた。
「宗茂を縛り付けているもの…
それは、お主が一番分かっているはずだ」
「分からぬ!分からぬ!!」
それはあたかも気づいているかのような、否定の仕方であった。
既に彼らの前には、敵が襲いかかってきている。
それを宗茂は右手の刀で、振り払い続けた。
そして、誾千代は手にした短刀を二回ほど振った。
ーードサリ…
彼女は自分をくくりつけていた、紐を切り、宗茂の背中から落ちたのであった…
「誾千代!!」
宗茂の必死の声が、あたりをこだます。
しかしーー
「これで宗茂は自由だ。生きよ。生きて自由に夢を見るのだ」
と、顔も見ずに漏らすと…
誾千代は、走り出したーー
腰に差した、父道雪の形見である『雷切』を抜いて、柳川城とは逆の方向に走り出したのであった。
宗茂の背中を守る為に…
「誾千代!!!!」
しかしその声は彼女には届かない。
宗茂は目の前の鍋島兵を同時に三人相手しており、体がすぐに反応出来ないでいたのだ。
しかし、その目だけは、彼女の背中をしっかりととらえ続けていた。
その背中から伸びた宗茂とつなぐ、『糸』のようなものは、何か薄れていくような気がして、同時に少しずつ、宗茂の心は軽くなっていくのを感じていた。
そして、誾千代が走るとともに、数名の立花の兵が彼女の横で並行して走って、彼女とともに、敵陣へと突撃していったのだ。
「立花誾千代!!当主、立花宗茂の背中を守るため!
推して参る!!」
雷鳴のごとき名乗りとともに、敵の中に埋もれていった彼女をとらえることはかなわなくなってしまった。
宗茂は、相手をしていた三人を斃すと、ふぅと一息だけ大きく息を吐き出した。
彼は今、その身と心に自由を得た。
何もかも軽くなり、さながら翼を得たような気分に、彼はむしろ自分自身に嫌悪感を覚える。
それは、『立花』という名前が、自分にとって重い枷となっていたなによりの証拠のように思えたからだ。
絶望的な戦場の最中にありながら、彼の景色は、外から内へと変化していく。
なかなか動かなかった時間の流れが、完全に止まったかのように、静寂の彼方へと彼は落ちていくのであった。
………
……
その光景はいつも見ているそれとは、全く異なっていた。
今までのその風景は、いつでも真冬の大地のような厳しさで、冷たい風が常に吹き荒れていた。
そして、いつでもその中央には、まるで明王のように、鎮座していた人物がいたのだ。
立花道雪ーー
雷神と称された彼は、死してなお、宗茂の中にあり、その姿は、厳しく彼を監視していた。
彼にはその物言わぬ視線が重くのしかかり、いつでも押し潰されそうになるのだ。
だが一方で、それこそが、宗茂が宗茂であり続けられる為にはなくてはならない、運命のようなものだと、彼は常に思っており、感謝の念すら沸いていた。
その証として、彼はあらゆる賞賛を受け、主家が改易となった今であっても、こうして国持ちでいられているのだ。
しかし今…
道雪は姿を消していた…
それだけではない。
真冬の景色も一変し、そこは真っ白な何もない空間が広がっていたのだ。
それは、彼から『立花』を取り除いた後のように思えて、彼を大いに戸惑わせた。
そして、そこには一人の少年が、にこやかに立っていたのだ。
宗茂はその少年を見た。
その少年も彼を見つめる。
随分と昔に触れ合った事があるように懐かしいとするべきか、それとも今までに味わったことのない新鮮なとすべきか…
不思議な感覚が、その視線から感じるを抑えられない。
しばらく視線を交わしたその後、少年は言ったーー
ーー自由になってどんな気分?
「自由…これが、自由という感覚なのか…
何もかもが軽い…しかし、決していい気分とは言えないな」
ーーはは…真面目な宗茂らしい答えだね。そんな宗茂に一つだけ、忠告をしよう。
「なんだ?」
ーー自由は責任を伴うってことさ。
「責任…」
ーーこれからは全て『立花』ではなく、『宗茂』がお主をとらえ続ける。
お主はいつも、自分で何かを決めなくてはいけない時に『立花』に逃げていたよね。
でもこれからは、逃げ場なんてない。
いつでも宗茂自身で、自分の道を切り開かなくてはならないんだ。
そしてその結果で、この景色は変わっていくことになるだろう。
この景色を天国にするのも、地獄にするのもお主次第というわけさ。
「ふむ…」
ーーまだ良く分かっていないようだけど、もう宗茂には時間がないはずだよ。
お主は早速選択を迫られている。
煙が見える柳川城と、決死の突撃をした誾千代…
そこまで言うと、少年は一息つく。
宗茂は何も言えないでいた。
ーー立花宗茂は、どちらを守る?
突如として突きつけられた、究極とも言える選択に、彼は瞬時に心を整理仕切れない。
そんな彼の気持ちを見透かしたかのように、少年は続けた。
ーー宗茂には、何かを守るために、何かを捨てることが出来るかな?
それは『立花の誇り』なんて、生易しいものではないよ。
大勢の人たちが、宗茂の選択一つで、生かされ、死んでいくのだ。
今までそれをお主は『立花』という存在を隠れ蓑にして、自分を固く守ってきた。
でも、もうそれはない。
全ての風はその身を寒くする。
全ての雨はその身を濡らす。
それはお主が自由を得た代償でもあるのだよ。
さあ、行け!
お主のその大きな翼は、自由にはばたく為にある。
もはやとどまることなど許されないのだ。
「しかし…俺は…どうしたら…」
なおも迷いを隠せない彼に、少年はにこやかに告げた。
ーー戸惑うのは当然さ。
怖いのは必然さ。
そうだな…最後にお主に一つだけ、助言をしよう。
その少年の言葉に、宗茂は藁にもすがるような目で少年を見つめる。
ーー今までの宗茂が過ごしきた時、感じたこと、身につけたこと…それら全てが、お主の血肉となっているはず。
だから、お主は間違わない。
それはお主のその血肉に、間違いがないからだ。
つまり何が言いたいかと言えば…
自信と誇りを持って、突き進め。
お主は選ぶ道は、必ず正しい。
それはお主が今まで過ごしてきた時間が証明している。
ここまで言うと、少年は姿を消した。
そして宗茂自身も、何かつっかえていた物が、すっかり取れたような、そんな晴れやかな気分で、その場を後に出来たのである。
絶望の果てにあったもの…
それは新たな希望を探す道であったのだった…
………
……
柳川城は今、窮地に陥っていた。
宗茂が一千の兵を率いて城を出た後、城に残ったのは、九千。
そして今度は、そのうち五千を、由布惟信らが率いて、城を出たのだ。
もちろんそれは、当主である立花宗茂を助けにいく為であった。
そして、残った四千の兵で、城を苛烈に攻める約二万の兵から守らねばならず、上席家老の薦野増時も前線に立ち、兵たちに細かく指示を与え、城の中にいる桂広繁もまた、兵を巧みに操り、敵の侵入を防ごうと必死に督戦していた。
とうてい守りきれる状態にはないはずなのだが、薦野増時には意地があった。
「ここは殿を始め、みなが帰る場所である!
なんとしても守り抜くぞ!!」
上席家老の身でありながら、家中をまとめることが出来なかったこと、それにこの大事な局面において自分の意見が二度とも通らなかったこと、これらは彼にとって大きな責任となってのしかかっていた。
そしてそれは彼を「この仕事が最後の奉公」と決意させるには十分なものだったのである。
その奉公を失敗で終わらせる訳にはいかない。
これは、立花の家を守るという決意とは、また別の何か…そう彼の『薦野増時』という男の誇りをかけた戦いでもあったのだった。
………
……
一方の立花誾千代は、彼女のもとに走った数名の足軽兵とともに、敵陣深くまで斬り込んでいた。
彼女が女性ということもあったのかもしれないが、それ以上に、彼女のもたらす尋常ではない殺気が、鍋島兵の足をすくませる。
それでも彼女に槍の先を向けた者は、彼女の手にした『雷切』の錆へとなっていったのであった。
つい先ほどまでは、宗茂の背中で幸せに浸って暖かくなったその心は、まるで氷の中につけられたかのように、鋭い冷気を帯び、彼女の感覚を研ぎ澄ませていた。
しかし、昨日からの激動の時間は、彼女の体力と命を完全に蝕んでおり、肉体そのものの限界は、もうすぐそこまで迫っていたのであった。
「うおおおお!!」
体が悲鳴を上げれば、彼女は腹の内から咆哮する。
そうすると流れが鈍った体内の血液が、再び音を立てて流れ始めるのだ。
そんな極限状態にあって、彼女はそれでも幸せを感じていた。
なぜなら今の彼女は『本物』であり、愛するものを守る尊さを、体いっぱいに感じているからだ。
身軽になった彼は、今頃城に戻ったであろうか…
彼が城に戻れば、きっと守りきれるに違いない。
そんな風に、ある種の希望のようなものを持って、彼女は今、懸命に刀を振るっていたのであった。
………
……
そしてーー
立花宗茂は、動き出した。
それは、この絶望の淵にあって、彼が守るべき希望を見出した証でもある。
彼の前にも後ろにも、もはや彼を縛り付けるものなど何もない。
そこにあるのは、彼を自由にはばたかせる大きな翼だったのであった。
立花宗茂の新たな戦いがここに始まった。
いつも読んでいただきありがとうございます。
薦野増時は、史実においても立花家復興が成し得た後も、立花家には戻らなかったそうです。
しかし、彼の子孫は立花家に復帰し、長く支え続けたとのことでございます。
さて次回は、長かった柳川の戦いシリーズの最終回になります。
果たして立花宗茂の出した答えとは?
そして追い込まれた立花誾千代と柳川城が待つ運命は…
どうぞこれからもよろしくお願いします。
そして、大変申し訳ないのですが、しばらくは感想へのご返信は滞ってしまいそうです。
なぜなら、既に史実からは離れ、完全創作の世界へと移り変わっており、『歴史はかくあるべし』とのご批判はあるのは承知いたしておりますが、そちらにお答えすることが出来ない場合もあるからです。
極力、違和感を感じさせないように、各人物の背景や特徴は記述していきますが、あえて今は伏せている部分や、一部は読者様のご想像にお任せする部分もあることをご了承いただき、この後もお楽しみいただければ、幸いでございます。




