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柳川の戦い⑱柳川撤退戦

◇◇

慶長5年11月3日――

立花宗茂にとっては長い一日となったその日は、まだ昼すら過ぎてはいなかった。


「退くぞ!!柳川城へ戻るのだ!!」


そう号令をかけた宗茂は、背中に気を失った誾千代を背負って馬の腹を蹴った。


宮永殿は柳川城下にあり、城は目と鼻の先であった。

具体的には、城まで続く道を少し行き、筑後川の支流を越える橋を越えた先が、もう大手門なのだ。

殿には、立花四天王の一人にして、重臣の十時連貞が担当した。

いつでも冷静沈着な彼は、背後から襲いかかる大友兵に対して、鉄砲で打ちかけては進み、また少し進んでは鉄砲で攻撃することを、一糸乱れず的確に繰り返して、大友兵を近づけさせない。


ただ、大友兵は、背後から迫ってはいたが、執拗には追い立てては来なかったのだった。


それは泰巌の

「逃げる兵を背後から追い立てるのは面白くない。

なぜなら追い詰められれば、手強い反転があるかもしれぬからだ。

機が来るまでは、背中を追うだけでよい」

という判断があったからであった。



そして先頭を行く宗茂の騎馬が橋まで来た時、彼に信じられない光景が目に飛び込んできた。


なんと、橋が燃やされ、まさに今落ちようとしていたからである。


「くっ…一体誰が…」


…とその時、宗茂の左手…すなわち筑後川の方面から、大友旗印を持った一軍が、突撃してくるのが目に入った。


「立花宗茂!覚悟!!」


それは、海の方に展開していた吉弘統幸の軍であった。

もとより彼の軍勢の役割は、屋敷から海の方へと逃げ出してきた者たちを、城の方へと追い立てるものであったが、その役割を終えた後は、柳川城に撤退していく宗茂の軍勢を攻め立てるものだったのである。


背後から大友本隊が迫り、左手からは別働隊…


仕方なく宗茂は川沿いを右手に進路を取る。

この先にも城の方へとつながる橋はあるので、そこを目指したのだ。


しかし、その橋も何者かによって破壊されている。


「仕方あるまい…進むぞ!」


こうして宗茂の軍は、徐々に城から離れて行かざるを得ない。

少しずつその姿を小さくしていく柳川城の天守を背中に感じながら、なおも宗茂は川沿いを橋を求めて進んでいく。だが、その望みはついに潰えた。

最後の橋もなんと焼き落ちていたのである。

こうなるとさらに前進し、川幅が狭くなったところで城の方へと進まねばならない。


もとより柳川城が天下の名城とされているのは、この川の存在が大きかった。

筑後川から引いた水を利用し、水路をさながら迷路のように張り巡らせて、敵の侵入経路を限定させていたのだ。

だが、一歩城の外に出た宗茂にとって、その仕掛けは今、皮肉なことに自分たちを奥へ奥へと追い込む罠へと取って代わってしまったのであった。


ようやく渡河できそうな川底が浅い場所までやってきた宗茂は、


「よし、ここを渡るぞ!渡った後は、城へと一気に進むのだ!」


と、大きな声で指示した。


宗茂は殿の十時連貞を待って渡河をすべく、先頭を十数騎を束ねる騎馬大将に任せて、自分は川の手前で馬の脚を止めた。

背中の誾千代は、未だ目を覚ます様子もなく、呼吸も弱々しい。


「もう少しだ…誾千代」


そう優しく声をかけると、宗茂もいよいよ川を渡ろうとしたその時であった。


「今だ!皆の者!撃てえ!」


という高く透き通る若い女性の号令がしたと思うと、

川のすぐ向こう岸の茂みから一斉に鉄砲が放たれた。

ふいを突かれた攻撃に、さすがの立花の精鋭たちの足も止まる。先頭を行く騎馬隊は馬を撃たれて、川の中に落ちた者たちが出たり、爆音に驚いた馬たちが暴れるなど、混乱に陥っている。


しかし宗茂はすぐさま騎馬隊をまとめると、川から即座に撤退させた。


「くっ!ここも駄目か!仕方あるまい!さらに進むぞ!」


そう素早く判断した彼は、さらに城から離れようと方角を変えようとした。


しかし…


――わぁっ!!


と、突如として目の前で兵たちの声が上がったと思うと、一斉にその旗印が目に入ってきた。


「今度は鍋島か!!」


「やはり来たか!立花宗茂!!覚悟!!」


そう叫んだのは、鍋島勝茂の軍師兼目付けとして側にいた鍋島茂里であった。

彼はこの前日に、秘密裏に大友軍の軍師である吉岡杏と会談し、今回の立花宗茂への陽動作戦を聞いていた。

そこで彼女の策に鍋島軍も乗り、鍋島勝茂は引き続き柳川城攻めに当たり、茂里は、一軍約三千を率いて、宗茂の軍を待ち構えることとしたのである。


さらに川の向こう岸からは吉岡杏の率いる軍勢約千人が宗茂の側面を突き、背後からは吉弘統幸も合流した大友義統の本隊が四千人を率いて迫っていた。


すなわち、立花宗茂が率いる約千人の軍は、約八千人の大友と鍋島の連合軍によって、見事に囲まれてしまったのであった。


思わず進軍の足が止まった宗茂に対して、川の向こう岸から杏が大声で彼にとって向かって呼びかけた。


「立花宗茂殿!もはやここまでにございます!

兵たちや家臣の命を無駄に減らすことなく、大人しく降伏なされよ!!」


しかし宗茂はその勧告には答えず、この難局をどう切り抜けるかについて、瞬時に考えを巡らせた。


まず、川の向こう岸の兵はさほど多くはなさそうだ。

順当に考えれば、ここを強行突破して城へと切り抜けていくのが最善であろう。

しかし、その川岸から降伏を勧告してきた女武将が、自分をここまで追い詰めていた可能性が高い。

そうすると、川を渡ってくるのも考えのうちに違いない。

その奥にはもしかしたら、鍋島直茂の本隊が手ぐすね引いて待っているかもしれない…

だが、来た道を引き返しても、このまま前に進んでも大軍と戦わねばならない上に、その先には帰るべき城などない。


…ならば、すべき事は一つ…


ここに立花宗茂の壮絶な撤退戦が始まった。



「足軽隊!!竹を使い、川を突き抜けろ!!」


宗茂の号令に合わせて、竹の束を背負った足軽が騎馬隊より前に出てくると、その竹の束を目の前に立てかけた。


「撃て!!」


杏の号令で川に向けて一斉に鉄砲が放たれる。

しかし、竹の束が盾となり、鉄砲弾をはじいていった。

そしてひとしきり鉄砲攻撃が静まった隙をついて、


「進めぇぇぇ!!!」


と、全軍に前進を命じたのだった。騎馬隊が勇躍して、足軽隊を追い抜いていく。


一方の宗茂は、殿まで馬を飛ばすと、周囲を覆い出した大友軍と鍋島軍への攻撃を開始した。


「鉄砲隊!前へ!!立花の力見せてやれ!」


こう号令すると、宗茂を中心に周囲を約半周ぐるりと囲い、鉄砲隊が銃を構える。


そして殿の十時連貞による、


「放て!」


という短い号令とともに、一斉に火を吹いた。

無論それは一撃にとどまらず、目にも留まらぬ速さで三度まで続いた。

しかも闇雲に撃たれたものではなく、実に正確に敵勢の膝や太ももを撃ち抜いていったのだ。

さすがにこうなるとむやみに近づくことはかなわないだろうとふんだ宗茂は、

「あとは頼む、連貞!」

と、横にいた連貞にこの場を託すと、続々と向こう岸に渡り、城の方へと足を進める騎馬隊や足軽隊の方へと、きびすを返したのだった。


そして、宗茂が川を渡り終える頃には、先頭の騎馬隊と足軽隊は、吉岡杏の軍と乱戦になっていた。

しかし、立花の精鋭兵の練度は、つい先日まで流浪の身であった大友軍と比べると天と地ほどの差がある。

そこに総大将の宗茂がやってきたのだ。

さらに兵たちの心を強くしたのは言うまでもあるまい。


「皆の者!!見せてやれ!立花の軍の力を!えいとう!!」


ーーえいとう!!!


兵たちの声がさながら地響きのように響き渡ると、兵たちの攻撃は苛烈さを増した。


それでも川岸でなんとか持ちこたえていた杏の軍であったが、じりじりと押されていくと、ついに、音を上げた。


「くっ…残念ながらここまでです…

立花殿!後悔されるでしょう…その選択」


「俺に迷いなどない!帰るべき場所に帰る!ただそれだけだ!」


「皆の者!退きなさい!!」


そう兵たちに指示すると、杏は柳川城と離れる方へと軍を退かせていった。


立花軍は堰が切られた水のように、柳川城目指して勢いよく進み始めた。


…が、すぐに新たな軍勢にぶつかる。


それはもちろん鍋島軍であった。


しかしもはや相手がどの軍など、宗茂にとっては関係のないことであった。


「突き抜けろぉぉぉ!!」


迎え討つ鍋島軍は鉄砲隊を並べて撃ちかけてくる。

それを先ほど同様、竹の束で守りながら、足軽隊がじりじりと近づいていく。


…と、その時。


ーーおおおっ!!


今度は右手から敵兵が襲ってきた。


「こしゃくなぁ!!」


その奇襲に、宗茂が自らの近侍部隊を率いて対処しようと馬の首を向ける。

そこに、今度は別の鉄砲が目の前をかすめていく。

しかし、それは宗茂を狙ったものではなかった。

出足をくじかれたのは、まさに襲いかからんとしてきた敵軍の方であった。


「連貞!」

「ここはお任せあれ」


いつの間にか川を渡り終えた十時連貞と鉄砲部隊が宗茂を救援しに来たのであった。


「よし!ここは任せた!」


再び最前線へと宗茂は駒を進めていく。

しかしそこで宗茂が目にしたのは、先ほどまでの破竹の勢いの自軍ではなく、強敵相手に苦戦を強いられている様相であった。


「強いな…直茂殿か…」


宗茂はふっと柳川城とともに、その前に広がる平原を見渡した。


そこは完全に鍋島軍の旗で埋め尽くされており、凡将であれば、この風景だけで絶望に顔を青くし、戦う意欲を失ってしまうことであろう。


そして鍋島直茂が率いる軍の強さは、九州でも際立っているのだ。


しかし…宗茂は違っていた。


「川沿いだ!川沿いを進み、敵からの攻撃の方向を限らせるのだ!

突破だけを考えよ!!いけっ!!」


冷静かつ的確に状況に応じた指示を前線の兵たちに伝えると、自らも小隊を率いて苦戦している最前線へと繰り出していったのだった。


「立花に臆病者なし!お主らは強い!!誇りを持って押し返すのだ!!えいとう!!」


宗茂の励ましに息を吹き返した前線の騎馬兵たちは敵を押し返すと、一斉に馬に乗り、全軍の道を開くために川沿いへと進路をとる。

そこに入れ替わるようにして、足軽隊が鍋島軍の突撃を食い止めにかかった。


しかし鍋島軍の圧力はすさまじい。

川沿いに伸びた立花の兵たちは、その圧力に耐えながら、一歩また一歩と城に向かって前進を続けていった。


一人また一人と兵を減らしながら、それでも前へと進んでいく、立花軍。


そこに連貞が前に出てきて、宗茂に進言した。


「殿。単騎でお逃げ下され。われらが道を開きます。誾千代様を早く城で休ませる為にも、ご決断を」


「しかし…お主らを置いていくわけには…」


と、宗茂が渋っている間にも、戦況が変わっていく。

そして、そんな彼らを待ち受けていたのは、さらなる地獄であった…


「来たな…滅せよ!!」


ーードドドドッ!


川沿いを亀のように進んでいた立花軍に対して、なんと川の向こう岸から一斉に鉄砲が浴びせられたのだ。

この攻撃にはさすがに対処が遅れた。

川といっても、水を引いただけの堀に近く、その幅はさほど広くなく、川の向かい側からでも十分に狙い撃つことは可能だった。

つまり、彼らが川沿いに進軍してくることを見越して、鉄砲隊を並べて待ち構えていた軍がいたのである。


「ぐぬっ!なんだあの老人は!?」


「かかか!実に狙いやすい的が来たものである。

狙いは、あの馬上で意識を失っている女に定めよ!

あれ以外は狙わなくてもよい!

殺せ!殺せ!」


そう…大友軍を裏で操る泰巌であった。

彼の号令により、一斉に鉄砲は宗茂の背にいる誾千代に向けられた。


ーー殿をお守りするのだ!!


誰ともなく大きな声が上がると、隊列は乱れ、宗茂の周囲に人が集まりだした。


「なんと卑劣な!!誾千代は、俺が守る!

皆の者!隊列を乱すでない!

足軽隊を川沿いに寄せ、騎馬隊は馬を降りて、鍋島軍に対処せよ!

ここからが山場だ!いくぞ!!」


宗茂は馬を降り、彼女を背負ったまま、かばうようにして川から少し離れていく。それを追いかけるように鉄砲が容赦なく浴びせられるが、宗茂の前に現れた足軽隊によってその攻撃ははじかれていった。


しかし泰巌の狙いは、もはや達せられた。

彼は、宗茂が馬から降りることを狙っていたのである。それは、単騎で逃さない為の策であった。

誾千代を背負っている今、これで宗茂の行動はかなり限られた。


「もう女を狙わずともよい!あとは縦に伸びている奴らの軍に浴びせられるだけ鉄砲を浴びせるのだ!

撃て!撃て!撃て!」


宗茂たちの目の前には柳川城が大きく見え、城からも彼らが確認出来ているに違いない。

しかしそれは、近いようで遠く、なかなか大手門までたどり着く事はかなわなかった。


それでも懸命に、歯を食いしばって、前へと進む宗茂。

すでに誾千代を背に抱えている腕に感覚はなく、腰から下も痺れて、一歩踏み出す度に、体は軋んだ。

しかし愚痴一つもこぼさず、周囲を励まし迫る敵に対して、鉄砲隊を巧みに操る為に、覇気のある声を出し続けている。


その声には絶望も焦りもなく、いつも通りに、どんな逆境の中においても諦めない強さと誇り高さがうかがえた。


しかし、彼に対する鍋島直茂はもちろんの事、泰巌なる老人の用兵術も、巧みを極めたものであった。

相手の呼吸を読み、砲術の間合いを微妙に変化させることで、相手に緊張を与え続けると、それにより強烈な疲労感に襲われた立花の兵たちの、防御が甘くなったところに、砲撃を集中させて、彼らを倒していったのだった。


じわじわと宗茂を守る兵の壁が薄くなっていく。


まだ晩秋の太陽は高く、ともすると冬を感じさせる空気を暖めている。


まだまだ11月3日は長い。


しかし、立花宗茂と柳川城との距離は離れたままであった。














いよいよ追い込まれた立花宗茂と誾千代。


絶望的とも言えるこの状況を打開する手立ては残されているのでしょうか。


これからもよろしくお願いします。


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