柳川の戦い⑮戦の重心
慶長5年10月28日――
臼杵城におよそ五千の兵が集められた。
大友義統は、それらの軍をしばらく行軍させるだけの兵糧も十分確保できている。
すなわち後は出立の号令を待つばかりだったのである。
その号令を出す、兜武者たちはまだ現れないのだが、兵たちは夜明けを求める草木のように、彼らが現れるのを心待ちにしているのであった。
その前夜、再興を目指す大友家において、初めて軍議が開かれた。
だが、その場にいる誰もが、軍議とは名ばかりであり、その目的はその場にいる全員の士気を高める為の鼓舞で終わると考えていたのである。
なぜなら、彼らは柳川城を攻めるという目的が明確であり、野戦の可能性が排除された今、戦場にたどり着いた後は、鍋島軍の指揮下に入って、大いに働くものとばかり思っていたからだ。
その事を示すように、当主の義統は大きな声で、早くも締めくくるように全員を前に告げたのだった。
「よし!この働き次第で俺たちの再興が決まるものと思い、大いに働こうではないか!」
――おおっ!
その場にいる武将たちは、一斉にかけ声を上げた。
それを満足そうに眺めた義統は、早くもその場を切り上げようとした。
…と、その時であった。
「お待ちください!これでは何も決まってなどおりませぬ!」
と、透き通る高い声が、ゆるみかけたその場の空気を引き締めた。
その声の持ち主…弱冠十六の少女にして、新たな大友家の家老、吉岡杏であった。
「何を申しておるのだ?単に柳川城に赴き、あとは鍋島直茂の指示に従えばよかろう。
何も決めることなどないではないか」
当主の義統が不思議そうな顔を杏に向けた。
当主の反論に対して、恐れ多いと思ったのか、杏は顔を真っ赤にしてうつむく。
その様子を見た武将たちは、ひそひそと陰口を叩き始めたのだった。
――あの小娘…何を言い出すかと思えば…
――戦のことなど何も知らぬから恥をかくのだ
――そもそも小娘などに家老はつとまらん
――あの地位は早い者勝ちぞ
そんな風に周囲がざわつく中、妙林尼の一喝があたりにこだました。
「ええい!黙れ!こわっぱ供!!
軍事の家老が意見をしたのだ!!
まずはその意を聞くのが、礼儀であろう!!
家中の上下も分からん馬鹿者供に、大事な兵など預けることは出来ん!」
その強烈な正論に一同静まり返った。
しかし妙林尼は止まらない。
その矛先は当主である義統に向けられた。
「長寿丸も長寿丸である!家老の意見すら聞こうともしない、その狭量!
お主のその器量は茶室のようじゃ!!」
顔を青くする義統。その義統を見て、顔を白くしたのは吉岡杏の父で、妙林尼の息子である吉岡統増だ。
「母上!もうお辞めなされ!」
そう諌められても、納得していない様子の妙林尼はまだ顔を赤くして、鼻を鳴らしている。
そこに、義統の片腕…むしろ、背後で露骨に操っている泰巌が笑い飛ばした。
「かかか!結構、結構!うぬらのその未熟さが、大友を潰したと分かっただけでも良かったではないか!」
その言葉に再び周囲はざわついた。
それはそのはずだ。
主家が一度潰えた理由が自分たちにあると断じられ、それを笑われたのだ。
それはここにいる全員の怒りに火をつけるのに十分であった。
そしてその怒りは、先ほど「こわっぱ」呼ばわりした妙林尼にもおよんだのだった。
――あやつらは何者なのだ!?
――無礼者め!斬り捨ててしまえ!
そしてそのざわつきが頂点に達した頃、今度は当主の義統が大声を張り上げたのだ。
「うるせえ!!てめえら!!黙らないと、俺がてめえらを斬り捨ててやる!それでもいいのか!!」
あまりの義統の剣幕に、一気に鎮まる一同。
そしてそのまま義統は続けた。
「いいか、聞け!!
俺たちはもう二度と地獄に落とされちゃなんねえ!
それなのに…
俺たちは何も変わっちゃいなかった!
相変わらず、くだらんものにしがみついた愚か者のままだったんだよ!!
いいか!
何もかも捨てろ!!
過去の栄光も、くだらぬ誇りも!
俺たちはここから這い上がるのだ!!
その為には、泥をすすり、強きに媚び、鬼にだってなろうじゃねえか!
それが嫌なら元の生活に戻るがいい!今すぐ!」
ここで一旦話を切って周囲を見渡す。
だが、誰一人としてその場を去る者などいなかった。
「てめら!俺たちはこれから全部勝ち、世の中の全部をこの手に収めるのだ!!
脱落者には容赦はしない!
どんな屈辱だって恐れるに足りん!!
なぜなら最後に笑っているのは、俺らだからだ!!
一度地獄を見た者の強さ、したたかさを見せてやろうじゃねえか!!」
熱のこもった義統の言葉に、全員がうなずいた。
大友義統の軍団が、強さを増した瞬間であった。
そして義統は杏の方を向いた。
「杏!!今回は妙林尼の助け舟でお主は救われた。
しかし俺の問いかけに対して答えられずにうつむいたのは、家老としては失態である!
二度はないと思え!!」
杏は頭を下げて大きな声で返事をした。
「ははーっ!!」
「それに、何事にも自信を持って言うがいい。
俺は知っての通りの戦下手なのだ。
お主が家老であるうちは、何でも聞いてやろう。
その意見を取るかどうかは別だがな」
そうどこか気まずそうに声の調子を落とした義統に対して、
「はいっ!」
と、杏は眩しい笑顔とともに答えたのだった。
………
……
「では、まず戦の目的からです」
そう杏は、冷静に切り出した。
そして答える相手は、義統である。
「立花に勝つことであろう」
「う〜ん…それはそうなのですが…」
そこに泰巌が口を挟んだ。
「まったく…お前は目先の事しか考えられないから、戦さ場から尻尾を巻いて逃げ出すのだ…
よいか…この場合の『目的』は、戦に勝利して何を得たいか…である」
「むむ…それなら…大友家の再興だ」
「その為には?」
「この戦で、戦功を挙げ、徳川殿に認めてもらうことだ」
そこまで義統が答えると、杏がその後を継いだ。
「すなわち、立花との戦で、目立った戦果を挙げること…ですね」
「それが立花に勝つことと何が違うのだ?」
「全く違います」
ばっさりと断じられた義統であったが、あまりにも切れ味鋭い物言いに、むしろ爽快感すら感じていた。
そして杏は続けた。
「立花殿に勝つ必要などないからです」
その衝撃的な言葉に、周囲はざわついたが、泰巌だけは、ニヤニヤしながら楽しそうにしている。
「たとえ立花殿との戦に敗れる事があっても、それは今回の戦の総大将である、鍋島殿の責任。
であれば、その責を殿が負う必要などございませぬ」
「なるほど…
しかしそうなると、どんな戦果を挙げればよいのだ?」
「立花宗茂殿を叩きます」
今度は、衝撃的な事を何でもない事のように、言い放ったのだ。
周囲はもはや言葉を失って、静まり返っていた。
なぜなら、杏の話に夢中となっていたのである。
「簡単に申すが、それはかなり難儀であるぞ…
立花宗茂は今、柳川城の本丸におるだろう。
つまり奴を叩くということは、柳川城の本丸まで攻め込むということだ」
「それは難しいかもしれません」
「野戦に持ち込もうにも、あの鍋島直茂でさえ、八院で決戦を持ちかけたのに、出てこなかったのだ。
それをどうして引っ張っり出せようか…」
「しかし、それしか戦果を挙げる手立てはありません。
統幸殿、周辺の地図を見せていただけますか?」
その杏の指示に、傍らの吉弘統幸が柳川城を中心とした戦場の図を広げた。
それを食い入るようにして見る杏。
見ることと考えることを同時に行うその顔は、真剣そのもので、周囲も彼女と同じように真剣な眼差しで、杏の次の言葉を待っていた。
そして地図から目を離した杏は、妙林尼の方にその目線だけを向けた。
その目線に妙林尼は、口もとを緩めてうなずく。
それは
「お主の好きなようにするがよい」
と認めたかのような合図であった。
杏は義統に向けて口を開いた。
「柳川城を攻めるにあたり、鍋島殿は東より軍を進めているようです。
北は筑後川、されど西と南から囲まないのはどうしてでしょう?」
「西から囲むには、有明海を渡る必要であるからである。また柳川城の南へ抜ける道は狭く、背後からの奇襲に弱い。
すなわち西と南には抜けられないのだ」
「有明海…海を渡るなど、鍋島殿にしてみれば容易いことのように思えますが…」
「その海に面して、宗茂の正室で、あの『雷神』の娘、誾千代が待ち構えていたと聞く。
その攻撃は苛烈そのもので、鍋島の軍勢を撃退したそうだ。わずかな兵でな」
「宗茂殿の正室…わずかな兵…」
そうつぶやくと、あごに手をかけて考え込む杏。
しばらく続く沈黙に、周囲は息を飲んで杏を見つめていた。
そして…
彼女は顔を上げ凛とした表情で義統を見た。
「この戦の重心、吉岡杏が確かにとらえました」
その決して大きくはないが、透き通る声は、周囲の武将たちの心を強く打った。
………
……
そして迎えた10月28日。
出立の号令を待つ兵たちの前に、ついに兜をかぶった大将たちが入ってきた。
中でも目立つのは、白い糸で編みこまれた甲冑に、真紅の直垂、腰にはその小さな身体には似合わないほどに長い刀を差した一人の少女であった。
しかしその頭から足先まで神経が行き届いた、洗練された動きに、人々は釘付けになったのである。
そしてその人物は、義統の隣に立つと透き通る大声で、秋の空にも負けないほどの爽やかに宣言した。
「われは大友義統様が軍監、脇大将に任ぜられた吉岡杏である!!
皆の者!
今この時から我が大友家の軍は、歴史にその名を刻む天下無双の軍となることを約束しよう!!
さあ、戦おう!!
ともに戦って、敵を大いにくじこうではないか!!
大友家の再建は、われわれ一人一人の働きにかかっている!
いざ、始まりの時!!前へ、進めえ!!!」
――おおおおおお!!
地響きのような雄たけびとともに、先手大将に任ぜられた賀来正綱が駆ける馬を追いかけるようにして、兵たちは一斉に動き出したのであった。
「おばば様…この甲冑、兜に直垂と、少し派手ではございませぬか?」
「それくらいの方がよい。戦など目立ってなんぼじゃ。狙い打たれるくらいが誉れと考えよ」
「しかし…おばば様のお下がりですと、杏には少し大きすぎます」
「こら!それではまるで、わしがデカイおなごのようではないか!」
そんなやりとりをしている所に、杏の父である吉岡統増がやってきた。
「お杏。そろそろ殿も動きだしますぞ。この城の留守は父と母上に任せて、お前は大いに働いてきなさい」
「はい!父上様!」
「うむ。ただし、決して命だけは粗末にしないように」
「はい!ではいってまいります!」
十六の少女にして馬も乗りこなす彼女は、乗っていた馬の腹を一蹴りすると、一目散に門の方へ急いでいったのであった。
◇◇
慶長5年10月30日――
既に鍋島軍が柳川城を取り囲んでから、早三日が経過した。
一見すると、ただ単に大軍で囲っているだけのように見受けられるが、この間にも、鍋島軍による大砲攻撃や大手門への急襲と、局地的かつ短時間の牽制攻撃は、間断なく続けられていた。
一方の立花軍は、夜襲もせず、さながら貝のように柳川城に籠り、自ら鍋島軍を追い払うような素振りは見せない。
もちろん虎口に近づいたり、壁を登ろうとする鍋島兵への銃撃は行われたが、攻め手が撤退したと見るや、その攻撃の手はすぐに緩められた。
つまり鍋島軍にしてみれば、攻めあぐねている状況と言え、こう着状態が続いていたのである。
史実では、立花宗茂はこの時点において、加藤清正との降伏の為の細かい条件や手はずを交渉している最中なはずである。しかし、豊臣秀頼のそれを見越して打った様々な「くさび」によって、立花の降伏の動きは完全に「無」となった。
さらに言えば、桂広繁の城島城での見事な籠城戦が、鍋島軍の柳川城攻めへの士気を下げる大きな要因につながっており、先手大将の鍋島忠茂ですら、城島城における恐怖体験が胸を支配し、柳川城への積極攻勢に対する号令の声を鈍らせていたのであった。
11月初旬が城を攻め落とす期限と定められた鍋島直茂にとって、今の状況は非常に面白くないものであったのだが、降伏の交渉に応じてくる様子がない中、ある種の諦めにも似た達観した心境であった。
しかし彼はそんな状況の中、何もしないで無為に時を過ごすような愚かな武将ではない。
彼は再三再四、黒田と加藤に対して、立花宗茂を説き伏せるように依頼したし、大友だけではなく、島津にも書状を送って、味方につくよう催促した。
そして、遠く離れた大坂に向けて、徳川家康自ら兵を率いて参戦する事を要請していたのである。
そのような中、大友の旗印を掲げた早馬が鍋島本陣に急行してきた。
この早馬は、大友軍が城下に集まりだしてから、出立するまでの時間に、大友義統の密書を持たせて、吉岡杏が送ったうちの一人である。
その早馬の到着に、鍋島直茂は大いに驚き、喜びをあらわにした。
なぜなら彼は大友義統に対して、全く信用しておらず、軍を進めてくることを期待していなかったからだ。
そしてその使者いわく、なんと五千もの大軍を率いて進軍しており、11月2日には柳川に到着するとのことだから、さらに彼を驚かせたのだった。
しかし9月に城を奪還したばかりであり、その兵の質は決して良くないものではないかと思われ、大軍とは言え、現状に五千の兵が攻城に加わったところで、落城が早まるとは、どうにも思えなかったことが、喜びにひたっていた彼を現実に戻した。
そんな風に胸の内では、喜びと悲観が同居していた直茂だったが、使者の男はそんな彼の様子などはお構いなしに、事務的とも言える報告の後、義統からの書状を差し出す。
そこには驚くべき内容が書かれていた。
――立花宗茂を城から引っ張り出してしんぜよう。もしそれが成されれば、こたびの戦、大友が軍功第一と、徳川内府殿にご報告願いたい…
直茂はこの内容に驚くとともに「どうせはったりに違いない」と勝手に思い込んだ。
それは大友義統という男の人となりを、よく知っていたからである。
自分の事しか頭になく、家臣の諫言にも耳を貸さないような男に、立花宗茂が果たして、のこのこと出てきて、相手をするであろうか…
彼は微塵も期待などしていなかったのだが、それでも心の片隅では「もし、これが成し得たら」と思わざるを得なかった。
それは遠く離れた針に糸を通すよりも難しいことかもしれない、しかしそれでも直茂は、そこに最後の望みを託さざるを得ないほどに、追い込まれていたのだ。
「大友殿にお伝えいたしてくれ。
書の内容、確かにこの鍋島直茂が承った。大友殿のご活躍を期待しておる、と」
その旨を「お墨付き」として、直重がしたためた書を手にすると、その使者は、大友軍の方へと帰っていったのであった。
そして、杏が送った早馬は、あと二騎あり、その早馬によって、戦況は大きく動くことになるのだった。
………
……
…
こうして――
運命の慶長5年11月3日を迎えることになる。
史実では、この日に立花宗茂は城を出て、降伏することになるのだ。
…その日の昼過ぎ――
――あ、あれは…
――そ、そんな馬鹿な…
堂々と大手門に現れた一人の武者を見た鍋島の兵たちは、その聞きしに勝る凛々しい武者ぶりに、思わず見惚れてしまった。
そして、本来であればすぐにでも襲いかからねばならない場面であったが、近づきがたい神々しさをも感じる雰囲気にのまれ、頭が真っ白となり、手足を動かす為の指令を、脳から届ける事がかなわなかったのだ。
その一瞬の隙を、その武者は見逃さなかった。
「突っ込めぇぇぇ!!一気に突破するぞ!!」
空気を切り裂くような号令が、柳川の天に届いた瞬間に、無数の鉄砲弾が鍋島軍の先鋒隊を襲った。
それは一撃にとどまらず、二撃、三撃と鍋島兵を容赦なく倒していく。
鉄砲が収まったその次の瞬間――
駿馬の一軍が、鉄砲弾に代わって突撃し、その後ろからは長槍を持った足軽隊が続いていた。
完璧な統制の取れた、敵陣突破だけを考えた見事な采配に、先手大将の鍋島忠茂は、指揮が遅れ、彼が軍を立て直した頃には、既にその神速の一団は、戦場にはいなかったのである。
その去った軍勢の背を見送るより他ない忠茂は、あっけに取られてつぶやくより他なかった…
「…あれが天下無双の勇者か…その名に恥じぬ…」
天下無双の勇者――
そう、その日戦場に一人の勇者が舞い降りた。
すなわち、立花宗茂が柳川城から出てきたのであった。
さて、次回はいよいよ柳川の戦いのクライマックスです。
立花宗茂が柳川城を出た理由とは!?
大友義統、吉岡杏の動きは!?
鍋島直茂は、宗茂のいない柳川城に猛攻をしかけるのか!?
そして…島津は!?
これからもこのようにジェットコースターのような展開を、スローな感じで進めていきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
※ごめんなさい…主人公の秀頼とライバルの家康は「空気」な状況が多いかもしれません…ご容赦ください




