柳川の戦い⑬妖狐
◇◇
さて、残りの二通の書状の行方を知る為に、少しだけ時間を戻そう。
慶長5年10月20日頃には、柳川から遠く離れた薩摩にも鍋島軍が立花に向けて進軍を開始したことが耳に入ってきていた。
この時の島津家は、「山くぐり衆」と呼ばれる忍の一団を手足のように扱い、独自の情報網を張り巡らせていた。
上方から遠く離れた彼等にとって情報の鮮度は、命にも関わるほどに重要なものであり、特に重要な情報は少しでも早く当主に伝えられるように、組織されていたのである。
その為、島津家は、柳川城を巡る動きはもとより、それ以前の加藤や黒田の動きもつぶさに把握し続け、自分たちに及ぼす影響を注意深く吟味していたのであった。
そんな10月下旬のある日の富隈城ーー
この富隈城には、島津義久が当主を退いた後に居を構えている。そこに一人の青年が、顔を真っ青にして駆け込んできた。
「伯父殿!おい聞いてくれよ!伯父殿!!」
と、その青年は、その城の城主の間で、静かに座って書物を読んでいた男の注意をなんとか引こうと、必死に唾を飛ばしている。
何度も呼びかけるその声がうっとおしくなったのか、ようやくその男は、書物から目を離し、青年の方を見た。
切れ長と表現するには目が細すぎて、もはやそれは開いているかすら分からない。
しかしわずかに黒眼が覗いていることから、青年のことを見ているのは確かなようだ。
徳川家康よりも十も歳は上なのだが、年齢を感じさせないほどに肌に張りがあり、色は白いが血色の良さが感じられる。
無駄な肉などなく、頬は少しこけているほどに細いが、それも含め彼が放つ雰囲気は、鋭い切れ味の刃そのものであった。
その男の名は、島津義久ーー
現在の島津家当主の島津義弘の兄であり、先代当主。しかしその実体は、全く異なり、島津家の政治については、全て彼にうかがいをたてねば、先に進めることは許されなかった。
すなわち島津家の実権を、義久は隠居してからも握り続けていたのである。
「騒々しい…忠恒…」
と、短く苦言を向けられた青年…
彼の名は島津忠恒という。
島津義弘の息子であり、義久の娘…すなわち自分の従姉妹を妻にもった彼は、島津家の正統な後継者となっている。
精悍な顔と体つきである父の義弘と異なり、忠恒のそれらは、どこかだらしなさを感じるもので、締まりがない。
さらに普段の不摂生ゆえであろうか、肌は浅黒く、艶がないので、二十代半ばと言い当てることは難しい風貌であった。
そんな彼は、義久の苦言など慣れているようで「騒々しい」と言われても、気にする素振りなど見せずに、まくし立てるようにして話し始めたのだった。
「あの馬鹿親父が、何を血迷ったのか、兵を城に集め始めやがったのだ!
それだから、俺が騒々しくなっても仕方ないってもんだろ!?
あの馬鹿親父…『今度は誰と戦いにいくのか』と、たずねたら、『お前に言っても分かるまい』と返してきたんだから、たまったもんじゃねえ!
何かい!?
徳川家康の次は豊臣秀頼に鉄砲を撃ちかけるつもりなのか?
そうなりゃ、もう終わりだ!
島津家はおしまいだぁ!!
この状況、どうしてくれよう!!?伯父殿!」
一息でペラペラと喋り通すと、頭を抱えて悶絶し始める忠恒。
その様子をつまらなく感じたのか、義久は再び書物の方へと視線を戻したのだった。
「おいおいおい!伯父殿!島津の一大事って時に、なんで書物なんか悠長に読んでいられるのだ!?
俺なんか心配で心配で、昼間っから酒をあおるくらいしか出来ないのに!」
金切声で次々と言葉を浴びせる忠恒に対して、義久は視線を書物に落としたまま、低い声で言った。
「昼間から酒…だと?」
その口調に背筋に冷たいものを感じた忠恒は、慌てて弁明する。
「いやいやいや!それは言葉のあやってもんですよ!
いつ徳川家康が攻めてきてもおかしくない非常時に、昼間っから酒を飲んでいる者がいたら、この忠恒が厳しく罰しましょう!
全く、伯父殿も早とちりが過ぎますぞ!」
「酒は百薬の長…罰するにおよばぬ」
「で、でございますな!流石は伯父殿!
健康には人一倍気を使ってらっしゃるだけある!
しかし、俺も負けてはおりませぬぞ!
先ほどは、あのように申しましたが、実は『たしなむ程度』に今日も飲んできたのでございます!
酒を飲むと、なんだか気合いがみなぎるのでございます!ははは!」
その乾いた笑い声が終わると、義久は低い声のまま、短い言葉で告げた。
「酔ったまま外を歩くと、『事故』に合う…気をつけよ」
その『事故』という言葉を聞いた瞬間、興奮とほろ酔いで上昇していた忠恒の体温が、一気に下がり、さながら真冬の空気にさらされた水たまりのように、凍りついたのだ。
「ははは…じょ、冗談でございます。酔ったまま外になど出ませぬゆえ、『事故』にはあいますまい」
「近頃、当家には『事故』が多いゆえ…心配だ」
『事故』…
義久の口にしたこの単語が意味するところは、もちろん『偶発的な出来事により、人が傷つくこと』であったとするならば、忠恒を恐怖のどん底へと突き落とす事はなかったであろう。
そしてこの頃、島津家では家臣の不始末による「上意討ち」が相次いでいた。
だが、それらはなぜか忠恒に絡むものばかりであったのだ。
その「不始末」こそ、義久は『事故』と表現した。
この『事故』の影響で、島津家内において特に発言力が強かった伊集院家は完全に没落していった。
それだけではなく、太閤秀吉の命による不自然な当主の継承となってしまって以来、くすぶってきた跡継ぎ争いにおいて、分家格とも言える、垂水と日置の両島津家の発言力も、日に日に弱まっていったのである。
つまり、それらの『事故』は、忠恒の周辺で起こったものでありながらも、最もその恩恵を被っていたのは、他ならぬ島津義久であったと思われるのだ。
この事が意味すること…
もしそれらの『事故』が、何者かによって巧妙に仕組まれていたものであったとするならば…
これ以上先について勘ぐっては自分の身に危険が及ぶ、と忠恒の本能は彼の思考を懸命に停止させるのであった。
「ところで…用が済んだら、早く帰りなさい」
再び冷たく短い義久の言葉が、甥であり義理の息子でもある忠恒にかけられる。
「いやいや、お待ちください!伯父殿!
このまま親父に兵を集めさせておいていいんですかい?
早くどうにかしないと、島津家の一大事になるやもしれません!!」
「もう既にお家は一大事の真っ最中であろう…」
「いやいやいや!これ以上、状況が悪化したら、本当に徳川家康を怒らせることになるかもしれないのですぞ!!
そのような事態に陥ったら、何が起こってしまうのか…想像しただけで、寒気が止まらぬ!」
「くだらぬ想像をしている暇があるのか?お主には」
「くだらぬ想像ですと!?徳川家康が全力で攻めてきても、くだらぬとおっしゃるのか!?」
鼻息荒く詰め寄る忠恒に対して、義久はようやく視線を上げた。
「ありえない事だから、くだらぬ、と申したまでだ」
「どうしてそう言い切れるのですか!?
証拠を見せてください!そう言い切る証拠を!
実は、徳川から本領安堵のお許しをいただいている…とか」
「そんなものは…ない」
その言葉になぜか勝ち誇ったような顔をした忠恒は、
「ははは!伯父殿の楽観的すぎる想像は、時として島津家を窮地に追い込みましょう!
この忠恒、そんな伯父殿が間違った考えを起こさぬよう、見事にお支えいたしましょう!」
と、高らかと宣言したのであった。
…と、その時であった。
「くっくっく…ひゃはっはっは!!」
堪えていたものが爆発するように、大声を上げて義久が笑い出したのだ。
その不気味な笑い声を、引き腰になりながら見つめる忠恒は、半開きとなった口を閉じることが出来ないでいた。
「これは愉快だ。はっはっは!」
「何がそんなに愉快なのですか?」
「目の前の阿呆が、阿呆の勘違いで、踏ん反り返っているのだ。これほど愉快なことなどない」
「な、な、な、なにをおっしゃるか!!?
いかに伯父殿と言えども、この忠恒を阿呆扱いするのは、侮辱というものだ!
そこまでおっしゃるからには、何か根拠がおありなんでしょうな!?」
ようやく笑い終えた義久は、元どおりの穏やかな口調に戻して言った。
「楽観的すぎる想像…これを阿呆の勘違いとせずして、なんとするか」
「では、なぜ伯父殿は徳川が全力で攻めてはこないと言い切るのですか!?」
「論より証拠である」
「…意味が分からぬ…その心をお聞かせくだされ」
その問いかけには、義久は一呼吸おいた。
そして忠恒に言った。
「明日…薩摩の南を二隻の船が、明国に向かって通過するであろう」
「はあ?それがどうしたのですか?」
「その船には徳川内府殿が差し出した明国への使者と、徳川殿に貿易を託されたの商人が乗っている」
「おいおいおい…まさか…」
「無事に明国に辿りつければよいが…
近頃、薩摩近くの海は荒れていると聞く。
『事故』に合わないといいのだが…」
そう抑揚のない声で言った義久は、再び書物に目線を移すと、これ以上は何も話すことはないとでも言うように、固く口を閉ざした。
一方の忠恒は、これ以上義久と会話するのが、怖くなってしまい、来た時同じく、顔を青くしたまま、居城へと急いで帰ったのだった。
そして翌日ーー
二隻の船が薩摩沖で「運悪く」海賊に遭遇し、沈められてしまうと、乗組員たちは、島津家によって救出されて、命からがら大坂へと帰されたのである。
しかし、彼らは島津家に助けられたにも関わらず、口々に報告したという…
「島津にやられました」
と…
………
……
こうして10月27日を迎えた。
忠恒は再び富隈城を訪れ、義久と対面した。
「伯父殿…やはりあの時は伯父殿が正しかったようだ。徳川の二隻の船が沈んでも、家康は軍を動かさねえ。
つまり、今は兵を動かさねえ、ってことだな…
俺の勘違いであった、許しておくれ」
と、忠恒が殊勝に頭を下げたのは、正直に自分が勘違いしていたことを謝罪していたのか、それとも、『事故』を恐れて取り繕ったのかは分からない。
「はて…?船が沈んだのは『事故』が起こったからと聞いておるが…違うのか?」
忠恒は「何を今更」と言わんばかりに、目を見開いている。
そして、その様子を見ていた義久は、たいそう機嫌が良かったようで、ただでさえ細い目をさらに細くして、穏やかな笑顔を浮かべていた。
「ところで用件はそれだけか?もしそうなら、早く帰るがよい」
と、その表情とは裏腹に、その言葉は冷たさを感じるものであった。
しかし忠恒はその言葉を無視して、今度は弾んだ声で報告した。
「ところで、伯父殿!
今朝方、親父の軍が薩摩を出立しました!
その数およそ一万。
どうやら柳川に向かっているようです!
さすがは親父殿だ!
時勢を見て、鍋島殿に加担することで、徳川に対して媚を売ろうって魂胆ですな!
いやぁ、これで島津家も安泰でございますな!ははは!」
その言葉に対して、相変わらず穏やかな笑顔を携えたまま義久は返した。
「義弘が加担するのは、立花ぞ」
その短い言葉が与えた衝撃は、口から生まれてきたような忠恒の言葉を奪うに十分な大きさであった。
「な、な、なんですとぉ!!?」
ようやく出てきたその声は、卒倒しそうなほどなほどに裏返っている。
「くくく…面白くなってきたではないか」
「いやいやいや!なんにも面白くねえ!おしまいだぁ!これで島津家も、俺もおしまいだぁ!」
青い顔をして頭を抱える忠恒を、楽しそうに眺めている義久。
「それと…もう一つあるぞ」
「それは良い報せでしょうな!?伯父殿!」
「今日、豊臣秀頼公より書状が届いた」
「はぁ…落日の豊臣から今さら何を言われても、なんとも思いませぬ」
「伊集院忠真を大坂に差し出せ…と」
その言葉は…
義弘が立花に味方する、という事よりも、さらに大きな衝撃を忠恒に与えた。
言うなれば、国崩という大砲の大きな弾が、胸のあたりを直撃したかのような衝撃であった。
忠恒は驚きのあまりに、仰向けになって倒れてしまったのだった。
では、なぜここまで衝撃的な内容であったのか…
その理由を知るには、島津家と伊集院家の件について、知っておかねばならない。
この時の伊集院家の当主である伊集院忠真は、表向きは島津家の家臣であったが、その忠誠は著しく低かった。
いや、忠誠など、もはや欠けらもなく、そこにあるのは、ただの『憎悪』だけだったのだ。
その証に、関ヶ原の戦いが始まる寸前には、島津忠恒と義久相手に反乱を起こし、城に立て籠もって、徹底抗戦したのである。そしてそれは、徳川家康の仲裁によってなんとか解決を見たが、大きなしこりの残るものであった。
つまり伊集院忠真は、島津家にとって、いつ暴発してもおかしくない爆弾のような存在だったのである。
では、なぜ伊集院忠真は当主である島津家に対して、そこまで憎悪していたのか…
それは…
島津忠恒が伊集院忠真の父である伊集院忠棟を、騙し討ちにて斬殺した過去がゆえんであった。
もとより伊集院忠棟は、太閤秀吉にたいそう可愛がられた武将であり、島津家の筆頭家老でありながら、豊臣家より直接知行を与えられていた。
いわば豊臣家からすれば、島津家と同等の「大名格」として扱われていたのであったのだ。
そのこともあり、伊集院忠棟は、島津家の中でも大きな影響力があったことは確かだった。
忠棟に目をつけられれば、それはすなわち、太閤秀吉に筒抜けであったことを意味していたからである。
そんな中、秀吉によって、義久は隠居させられ、家中の駆け引きには滅法うとい、義弘が当主となった。
そうなるとますます忠棟の存在感は増していく。
その折に、次期当主に内定していた、義弘の次男である島津久保が病の為に、若くしてこの世を去った。
これは義久にとっても想定外のことで、苦肉の策として、久保の弟である、忠恒を次期当主に決めたのである。
しかしその件については、忠恒の器量から、家中で反論も多く、特に忠棟を始めとした、家老たちからは強い反発があったのだ。
秀吉の死後、それはついに表面化し、島津家内は混乱に陥った。
それを仲裁したのが、徳川家康だった。
しかしその仲裁は、いわば形式上のものであり、表向きは収まったように見えるも、その裏では、一度くすぶった火は、まだ熱を帯びたままだったのである。
そんな中、『事故』が起こり、『事件』へと発展した…
それは、家康による仲裁後、仲直りの証として、島津忠恒が、伊集院忠棟を酒宴に招いた時のことである。
その酒宴の最中に、忠棟が何らかの『事故』を起こし、忠恒の不興をかって、なんとその場で彼に斬り殺されてしまったのである。
そのことにより、前述の通りに、伊集院忠棟の息子である伊集院忠真は、島津忠恒を恨むようになって、父が殺された翌年に、反乱を起こしたのであった。
そして再び、家康による仲裁があり、
「伊集院忠真は島津家の家臣と連絡を取る事を禁じる」
として、反乱の芽を摘んだ形で事は収まった。
…かに思えたのだが、やはり遠く離れた地からの仲裁など、さすがの徳川家康といえども、形式的なものの域を超えることが出来なかったのだ。
当主である島津義弘の預かりとなった忠真であったが、義弘が関ヶ原の戦いに赴いている最中に、何やら不穏な動きがある…との噂が絶えなかったのである。
もちろんこの噂は、『事故』を誘発する為に、何者かが仕組んでいたもののようにも思える。
そもそも、忠棟が斬殺された件についても、不可解な点が多く、忠恒が凶事に及ぶに至った『事故』が、何者かによって仕組まれていた可能性も捨てきれない…
その『何者』とは…
さて、そんな事情もあり、伊集院忠真が薩摩を離れるということは、島津家にとってみれば、家中の憂いを消し去ることとなり、非常に大きなことであったのだ。
「な、な、な、な、なぁ!!!?」
もはや言葉にならない忠恒は、泡を吹かんばかりに驚愕の表情を浮かべていた。
しかし、先ほどから全く表情の変わらない義久は、忠恒に聞こえないほどに小さな声でつぶやいたのだった。
「これで、義弘の進軍を妨げる『事故』は起きないだろうな…
面白い…
実に面白くなってきた」
その瞳はまるで、『狐』と表現するにふさわしい、妖しい光を携えていたのであった…
思っていたよりも長くなってしまいましたので、島津家のくだりだけで一旦切ります。
もちろん、当たり前ではありますが、島津義久と島津忠恒の人物像は、『フィクション』です。
そして様々な出来事の裏にあった、『事故』の存在も、私の創作でございます。
しかし…
伊集院親子の件は、どうにもキナ臭いように思えてなりません…
後の世では、忠恒は「非道の暗殺者」として悪名を残すに至りますが、果たして彼の一存だけが、彼の引き起こした数々の『上意討ち』を引き起こしたのでしょうか…
謎にございます。
さて、次はいよいよ「残り一通」、すなわち鍋島直茂が送った書状の行方になります。
もう、誰だかは想像に難しくないですね…
では、これからもよろしくお願いいたします。




