柳川の戦い⑫進軍開始
◇◇
慶長5年10月27日――
豊臣秀頼が送った書状が二通、
徳川家康が送った書状が三通、
鍋島直茂が送った書状が一通、
合計六通の書状は、それぞれの宛先に届く。
もちろん受け取る時は別々であったが、それらの書状が、こう着した柳川城の攻略戦に大きな影響を与えていくことになるのだ。
まずはその中でも、徳川家康が送った三通の書状の行方から見ていくことにする。
そのうちの二通は、水田天満宮に陣を構える、加藤清正と黒田如水に届けられた。
「来月半ばには薩摩へと軍を進めるように…だと?
ふん、人使いが荒い!
これではまるで、それがしたちは徳川の家臣のようではないか!!どう思う!?軍師殿!」
と、いきり立っているのは、加藤清正。
しかし、「軍師殿」と呼ばれた黒田如水は、ため息をついて答えた。
「はぁ…お主はそんなんだから、いつまでたっても虎之助なのだ…」
そう言われた清正は、怪訝そうな顔を如水に向けた。
「どういう意味ですかな?それがしは、幼い頃から虎之助という名前にございます」
「友からならまだしも、わしからいつまでも幼名で呼ばれていることを、少しは恥じるがよい。
まあ、大バカ者の佐吉もいつまでたっても佐吉だがのう…
いつかはお主のことを官位か諱で呼びたいものだ」
そう揶揄された清正は、ムッとした顔で反論した。
「では軍師殿は、この書状を見て何も感じられなかったというのか?」
「そうは言ってはおらぬ」
「では何と感じたのか教えておくれ。
たいそう高尚なことをお考えになられているのでしょうからな、如水殿」
「ふん、そういう見え透いた嫌味は、かえってお主の程度の低さを滲み出すゆえ、気をつけるがよい。
おなごに嫌われるぞ」
とうとう顔を真っ赤にした清正が叫ぶように言った。
「もうよい!軍師殿には、かなわぬゆえ、この虎之助に教えておくれ!
徳川内府殿の心を!」
「聞かれなくとも教えてやるつもりであったわい。
この書状はな…
『早く柳川城を落とせ』
という、一種の脅しのようなものだ」
「はて…?そのようなことがどこに書いておりましたかな?」
「来月半ばには薩摩へ進め…ということは、裏を返せば、今月中か遅くとも来月頭には柳川の決着をつけよ、ということではないか」
「むむむ…なぜ、そうなるのでしょう?
仮にもう少し遅くに柳川の決着がついても、そのまま南下すれば、十分に半ばには薩摩に入れるかと…」
「お主は柳川城攻略で兵を疲れさせたまま、薩摩に向かうというのか?」
「しかしそれがしたちの軍は戦に出ておらぬゆえ、疲れてなどはおりませぬ」
「わしらの兵は戦わなかったゆえ、元気であることを徳川殿に知られても構わぬのか?お主は…」
「ややっ!それはまずい!」
「もっとも、わしらの動きは、もはや知られているかもしれぬがのう。
いずれにせよ、柳川城の件が決着してから薩摩攻めまで、兵を休め、兵糧を補給するなど、態勢を立て直すとすれば、少なくとも十日は開けねば不自然であろう」
「なるほど…そう考えれば、今月中が遅くとも来月の頭には決着をつけねばならぬ、ということですか…」
「その通りじゃ。
さて、未だ五反田で油を売っておる、鍋島直茂はどう動くかのう」
と、如水は五反田の方を見てつぶやいた。
しかし清正は、慌てて如水に問いかけた。
「軍師殿!それがしたちも何かせねばならぬのではありませんか!?
静観したままでよろしいのか!?
このまま来月になっても、動かないとなれば、徳川内府殿に睨まれちまうのではないか!?」
そんな清正を冷ややかな目で見た如水は、
「ふん、お主は徳川の家臣か?
秀頼殿が11月6日まで開城を遅らせよ、と命じられたのだ。
わしは徳川の家臣ではなく豊臣秀頼殿の家臣ゆえ、その言葉に従うつもりであったが、お主は違うのか?」
と、突き放すように言った。
「ややっ!これは、したり!
まことそうであった!」
「はぁ…お主がそんなことでは、秀頼殿が立派になるまでは、わしはおちおち死ぬこともできんわ」
「がはは!軍師殿のその減らず口であれば、あと五十年は生きると思いますぞ!」
その清正の笑いに対して、如水の顔に切ない影が落ちたのを、清正は見過ごせなかった。
「むむ?軍師殿?いかがなされたのか?」
如水は、はっと我に返ると、すぐに笑顔を浮かべて、
「ははは!お主が虎之助であるうちは、たとえ百年でも生きてくれるわ!!ははは!」
と、笑い飛ばしたのだった。
………
……
言わずもがな、家康からの残り一通の書状は、五反田に陣を構える鍋島直茂に送られていた。
そしてその日のうちに鍋島軍は柳川城へ向けて進軍を再開すると、夕刻には城を取り囲んだ。
八院の戦いで多くの死傷者を出したものの、まだ三万程度の兵が戦うことが可能で、その中には、負傷した先鋒大将の鍋島忠茂も含まれていた。
城から少し離れた場所に本陣を置いた直茂は、早速柳川城に開城を勧告する使者を送ったのだった。
◇◇
一通の書状が届くまで、柳川城内は、薦野増時らの「開城派」と、意識を取り戻した小野鎮幸らの「籠城派」で、真っ二つに分かれていた。
鍋島直茂によって定められた講和条件である、「三日の猶予」の期限を過ぎてもなお、両者の溝は埋め難く、当主の立花宗茂は、苦しい判断を迫られていた。
そこに物見からの報告が上がってきたのだ。
「鍋島軍、動く」
この報は、柳川城内を大いに動揺させたのは言うまであるまい。
そして大軍が迫ってくるという、危機が現実的なものとなると、開城派の声が一気に強くなったのである。
そこで宗茂は、緊急の評定を開いた。
無論、話し合いは開城するか否かという点であることは、言うまでもない。
まずは開城派の増時が大声でその正当性を説いた。
「大事なのは、この戦で城を守りきることが出来るかどうかではない!
石田治部殿が敗れ、豊臣秀頼公が幼き今、徳川内府殿が治める世になるは必定である!
今、この城に迫っている軍は、まさにその内府殿の意志を持っているものだ。
ここで抵抗を続けることは、徳川内府殿に刃向かうも同然であるとは思わんか!?
これ以上徳川殿を怒らせると、お家の取り潰しだけにとどまらず、宗茂様以下、一族はみな処罰されるはずだ!
それだけは絶対に避けねばならぬ!
ついては、一刻も早く城を明け渡すべきである!!」
「目の前の戦のことよりも、未来を見据えた決断を…ということだな?増時よ」
と、宗茂が努めて冷静にたずねると、増時は強くうなずいた。
そして宗茂は、由布惟信の方を見た。
大怪我の為にこの評定に参加することが出来ない小野鎮幸の代弁者として、彼は籠城派を代表して言葉をつくした。
「もはや先の大戦で大津城を攻め落とした時点で、徳川殿の立花家に対する処遇は、厳しいものと決まっておろう。
それに敵と戦わずして降伏するなど、立花の名を汚す臆病な行為であり、断じて許されん!
また、殿が忠義を尽す豊臣秀頼公から、『11月6日までは開城しないように』と命じられているのを無視することなど出来ぬ!
ここは城に籠り、一戦交えるべきにございます!」
「秀頼公のご意向に従うべき…か…」
その後は開城派と籠城派が互いに意見をぶつかり合わせ、激しい論戦となった。
宗茂は黙ってその様子を見ていたのだが、
「どうしたものか…」
と、まだ腹の内を決めかねていたのだが、そんな彼にとうとう決断をせねばならぬ時がくる。
鍋島直茂からの使者として、鍋島生三がやってきたのである。
「殿!これが最後の機会ですぞ!きっと鍋島殿や加藤殿が、徳川殿に取りなしてくれるに違いありませぬ!
ここは城を明け渡しましょう!」
「いや!待たれよ!城を明け渡したら最後。殿も多くの立花家の者たちも路頭に迷うことになりましょう。
ここは断じて城を渡してはなりませぬ!
使者の生三殿には、お引き取り願いましょう!」
「いやいや、何をおっしゃいますか!
今こそ鍋島殿に徳川殿に対して口添えいただく最後の機会!殿たちが路頭に迷わぬように取り計らっていただくのはこの時を逃したら、もうございませぬ!
使者は丁寧にもてなし、早速開城の段取りを取り決めましょう!」
「恥を知れ!!増時!誇りを捨て、敵に尻尾をふるなど、立花の家中の者とは思えぬ!」
「無礼な!惟信殿!!立花の家名と殿を後の世までお守りするのが、忠義ではないのか!?
男子のいなかった道雪公が、何度も頭を下げてまでして、宗茂様を後継ぎに迎えたのも、立花のお家を残す為でございましょう!」
と、互いに一歩も引かぬ様子。さながら火花が散るような睨み合いが続く中、宗茂は近習のものに命じて、使者である生三を別の部屋でもてなすように指示したのであった。
戦場での采配と、城内での政治は、同じ人を扱うのでもここまで勝手が違うものなのか…と、彼は心の中で嘆く。
いっそ何も決めずにこの場から逃げ出せたら、どんなに楽なことだろう…
天下無双で名を知られた彼であったが、今置かれている状況においては、「普通の人」そのものであった。
押しつぶされそうな圧迫の中、これ以上決断を先延ばしすることは出来ないと感じていた宗茂は、一つの決断を心の内に秘め、それを別室に控えている使者に伝えにいこうと決めたのだった。
「立花の家と家臣の命を守る為に、城を明け渡そう…」
と…
しかし、その時であった。
顔が青ざめた若い近衆の一人が、礼もそこそこに評定の部屋に入ってくると、転がるようにして宗茂の前までやってきた。
「なんだ?騒々しい…」
八つ当たりともとらえかねないきつい口調の宗茂に対して、そんな事を気にしている余裕のないその若い近衆は、
「こちらを!」
と、短い言葉で宗茂に一通の書状を差し出したのだった。
恐らく開城を督促する加藤清正か黒田如水からの書状であろう…
開城すると決心した宗茂であったが、それでも督促の書状と思うと、気が重くなる。
鈍い手つきでその書状を受け取ると、ゆっくりした動きのまま、その書状の送り主を確認した――
「ま…まさか…豊臣秀頼公だと…!?」
その言葉に睨み合っていた開城派と籠城派の家臣たちは、一斉にその視線を当主の宗茂に向ける。
戸惑い、ざわつく家臣たちには一瞥もくれずに、宗茂は書状を素早く広げると、その内容に目を通した。
家臣たちはみな、宗茂の書状に走らせる目に釘付けになり、ごくりと喉を鳴らせて、彼の反応をうかがっている。
どれほどの時間が経ったであろう――
それは傍目から見れば、ほんの短い時だったかもしれない。
しかし、家臣たちにしてみれば、それは永遠とも思えるくらいに、彼らは宗茂の表情の機微を見逃すまいと集中していたのである。
宗茂は書状を読み終え、そこから視線を外すと、天井を見上げて大きく息を吐き出した。
すぅっと肩の緊張が解け、その代わりに腹に力がこもっていく。
上げた頭を元の位置まで戻すと、しんと静まる家臣たちを、射抜くような鋭い目つきで見た。
色を失っていた彼の見ていた景色は、一気に色を取り戻し、今まではどんなに近くにいても分からなかった、一人ひとりの表情が、手に取るように分かるから不思議だ。
そして…彼は低く、しかし通る声で、一人の家臣に告げた。
――城にいる桂広繁殿を、ここに呼んで欲しい。
その指示の意味は、この場にいる全ての人が理解できないはずはなかった。
なぜなら彼らはつい先日、広繁の城島城での『見事な籠城戦』を聞かされ、胸を踊らされたばかりだったからである。
そして、次の指示は、そんな彼らの理解を確信に変えるものだった。
――鍋島生三殿には、お帰りいただくよう、丁重に城外まで送りいたせ。
こうして開城を協議する評定は、次の瞬間には、城を守る為の軍議へと代わっていくのだった。
この時、歴史は大きく変わった――
史実にはない、柳川城の籠城戦が幕を開けることになるのである。
そして同日、九州の南の方から、別の『二つ』の軍が進軍を開始した。
言わずもがな、そのうちの一つは島津義弘が率いる軍であり、立花宗茂を救援に向かったものである。
しかし、史実では存在しない、もう一つの軍が柳川城に向けて、進軍を始めたのだ。
その兵、およそ五千。
わずかな期間で集められた兵であったが、とても寄せ集めとは思えないほどに、屈強な者たちばかりである。
そんな兵たちを率いる大将は、
「立花ごときが、調子に乗るでない」
と、呟いた。
その表情は、醜い笑顔で歪んでいたのだった。
次回は、この二つの軍の進軍までの流れになります。
そして新たなキャラクターが登場いたします。
かなり強烈なキャラクターばかりが出てきますが、どうぞご容赦ください…
これからもよろしくお願いいたします。




