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柳川の戦い⑪10月22日夕方〜夜

◇◇

慶長5年10月22日 夕刻――


鍋島直茂、勝茂そして茂里の三人は、同じ陣屋で夕食を取りながら、話し合いをしていた。


既に八院からは全軍退いており、今は五反田の本陣付近にて、兵を休ませている。


「忠茂は軽い傷ですんでよかったのう」


そう直茂が穏やかな口調で誰にともなく口を開いた。

話題に上がった先鋒大将の鍋島忠茂は、小野鎮実の渾身の一撃により、額を割って気を失ったが、その後の茂綱の素早い応急処置が幸いして、すぐに目を覚ました。

額の傷も浅く、数日もすれば戦場に復帰することがかないそうであると、直茂は報告を受けていたのであった。


「ええ、全くです。しかしあの小野和泉という男は人間離れした者にございますな。

立花の兵たちがとっさに彼をかばったとは言え、いくつもの傷を負いながらも、あのような一撃を加えるのですから…」


と、直茂の息子である勝茂が、ため息まじりでそう言った。


「うむ、だが小野和泉だけではない。

立花の者はやはり剛の者が多い。

彼らが柳川城に篭るとなると、やはり苦戦は必至かと…」


今度は参謀の茂里がため息をつく。


重苦しい空気に包まれる陣屋…


「戦を止めることが出来ただけでも、まずはよしとせねばならぬ…か…」


と、最後に直茂がため息をついたのだった。



なお、清正からの書状を持った立花家の上席家老である薦野増時が、ここに訪れて停戦を訴えたのは、正午すぎであった。


しかし、実はその前から直茂は立花軍勢との野戦を終わらせようと考えていた。


理由は二つだ。


一つ目は、立花宗茂を野戦に引き出すという、彼の目論見を達成出来そうになく、これ以上戦っても犠牲が増えるだけだという、至って単純な理屈によるものである。


そしてもう一つは、息子である忠茂が傷つけられたからだ。

城島城での戦いにおいても、傷を負った忠茂ではあったが、心配するほどのものではなかった。

しかし今回のそれは違った。

なぜなら、一歩間違えば、死んでいた可能性もあったからだ。

そしてその事は、戦にて身近な者を多く亡くした経験を持つ直茂にとっては、耐えがたい恐怖だったのだ。

つまり、二つ目の理由は、直茂の感情によるものであった。


そこに増時が現れたのだ。

まさに渡りに船とはこのことであった。


しかし鍋島軍が圧倒的に有利な状況で、無条件で兵を退くというのは、今後の士気を考えると、避けたいところだ。

そこで、直茂は一つだけ条件を出した。

それは「三日以内に開城しなかったら、全軍をもって柳川城を攻めかける」というものであった。


その条件に大きくうなずいた増時は、少しでも早くその報せを届けようと、即座に馬上の人となって、柳川城の方へと姿を消したのだ。


だが、この場にいる三人とも、このまま三日後に黙って立花宗茂が開城するとは、到底思えなかった。


「もし柳川城攻めとなれば、これまで以上に激しい戦になりますな」


と、勝茂が言うと、


「城島城での籠城を見るに、相当手練れの城の守り手を立花殿は抱えてらっしゃるようですから…」


と、後を継ぐように茂里が続けた。


「やはりここは宗茂殿に、城から出てもらわねばならぬようだ」


「しかし父上…その手立ては、もはやございますまい」


「その通りだのう、勝茂。

もはや鍋島だけではどうにもならぬ」


「しかし今までの様子を見るに、加藤も黒田も積極的に動くとは思えませぬ」


そう反論した勝茂を、穏やかだが厳しいものを宿した目で見つめる直茂。

その様子に、はっとしたのは茂里であった。


「よもや、加藤殿でも黒田殿でもないお方をお使いになられるおつもりか?」


と、茂里は直茂に問いかけた。

直茂は茂里の方に目を向ける。

その瞳に黒い影が浮かんでいることに、茂里は思わず肝を冷やした。


そして直茂は、静かに答えた。


「思いもよらぬお人が、この九州に戻ってきたからのう。

ここは一つ、立花の泣きどころを攻めてもらおう。

そのお方に…」


そして直茂は、その人に向けて書状を送ることとした。

その内容は、立花宗茂の陣容と、

「立花宗茂を城から出して欲しい。それが成就して柳川城を攻略出来た暁には、徳川殿によしなにお伝えいたそう」

という要望と見返りを端的に表したものであった。


「これで上手く釣れればいいのだが…」


と、直茂は心配しながらも、祈るような気持ちで、その書状を使いの者に託したのであった。



◇◇

同日、夜――


大阪城の西の丸には、久々に主従が顔を揃えて、酒をかこっていた。

その主従とは、言わずもがな、徳川家康と徳川秀忠、それに本多正信と本多正純の二組の親子であった。


近頃は首も回らないほどに忙しい毎日を過ごしていた彼らは、食事すらも片手間にすませていたくらいだ。

このように膝を突き合わせてのんびりと話をすることは、関ヶ原の合戦が終わった直後に、豊臣秀頼に戦勝報告をしたその夜以来であったのだ。


しかし、そんな久々の憩いの時間であっても、彼らは酒宴に興じるような浮かれた人間ではなかった。

どこまでも生真面目な三河武士を象徴するように、四人の話題は自然と「残る一つのしこり」に集中した。

すなわち「島津の仕置き」である。



「殿…島津殿はどうなさるおつもりですかな?」


率直にそうたずねたのは、正信であった。

その彼をちらりと見た家康は、秀忠の方へと向いた。


「秀忠はどうすべきだと思う?

近い将来、わしに代わってお主が何でも決めねばならぬ時がやってくる。

今がその時と思って、お主の意見を述べてみよ」


家康から急に話を振られて、驚いた表情を浮かべていた秀忠であったが、その家康の意図を聞くと、表情を引き締めて考え出した。

そしてはっきりとした口調で答えた。


「ここは賞罰を明らかにすべきかと」


「…と、いうことは?」


「島津殿は、逆賊石田の味方をして、伏見城を攻め、当家の重臣である井伊殿に深手を負わせました。

この罪を放っておいては、他の大名たちに対して、示しがつきますまい。

ついては『お取り潰し』にすべきかと存じます」


「ほう…取り潰しか…」


家康が苦い顔をしたのを、横目で確認した正信は、その意見は家康の意中にあるものではないと察した。

そこで秀忠に家康に代わって問いかけた。


「その沙汰に島津殿が従わなかった場合は、どうなさるおつもりでございますかな?」


秀忠は正信の方に顔を向けて、怪訝そうな顔をする。


「何を申しておるのだ?

その時は、石田の時のように軍をもって薩摩を抑えればよかろう」


その言葉を聞いた家康が片手を挙げて質問を続けようとする正信を手で制すると、秀忠に自らの口で諭すように語りかけた。


「これ、秀忠。そう簡単に申してくれるな。島津ほどの大名を相手にどれほどの兵が必要だと思っておるのだ」


「しかし、父上。関ヶ原ではおよそ十万の大軍を指揮したではありませぬか」


「あれは、わしら徳川だけではなく、他の大名たちの力を借りることができたからこそ、成し得たものでないか」


「ならば、今回も同じように…」


そう身を乗り出し始めた秀忠に対して、家康は少しだけ語気を強めた。


「待て。お主は大名たちの機微というものへの理解が足りぬようじゃ。

よいか。

朝鮮の役から今回の関ヶ原の大戦と、兵たちは疲弊しきっておる。

今度は『九州の島津討伐に兵を出せ』というのは、あまりに酷な話ではないか。

それに石田の時は『大坂城に立て籠って秀頼公を人質にとった逆賊を討つ』という大義があったが、今回の島津についてはそれが小さい。

すなわち、今の状況で大名たちに兵を出させれば、それは徳川への不満へとつながることは、火を見るより明らかというものだ」


「それに、多くの大名たちを国替えとし、自国の統治に集中させて、余計な企てをさせないようにさせた殿の配慮が裏目に出てしまわれますからな」


と、正純が澄まし顔で口を出した。


「ふん、そういうところが可愛げがない、と申しておるのだ」


と、家康が不機嫌そうに鼻をならせば、隣の正信は、苦々しい顔をして、


「正純!控えよ!」


と、息子に厳しく注意したのだった。

彼らの様子に首をすくめて、口を閉ざす正純。そんな彼の様子など、気にも留めずに、秀忠が膝をうった。


「なるほど!

つまり父上は、各大名に『今は』兵を出させたくない、ということでございますな!」


「今は…か…」


と、家康は顔を曇らせて漏らす。

その愚痴の意味を、家康とは長い付き合いの正信には理解出来たようだ。


「しかし、あと一度…は必要になるでしょうな…

すぐに、とは申しませぬが…」


家康の目が大きくなり、その口調は再び不機嫌そうになった。


「ふん!親子揃って可愛げのない者たちだ」


その言葉が、思ったよりも軽かった為、正信は家康の瞳を覗き込んだ。

そこには、初老に差し掛かった家康の年齢にはそぐわない『若さ』を感じる輝きが、奥に潜んでいるような気がして、


「殿も武人ですな」


と、思わずもらしてしまったのだった。


「ふん!何を申すかと思えば…当たり前のことを言うではないわ!

ところで、弥八郎!息子の方の弥八郎だぞ!

憎まれ口をたたいている暇があるなら、島津の件どうにかせい!」


と、自分の心のうちを見透かされてしまったことへの焦りからか、少しだけ声の調子を強くして、その矛先を正純に移した。


今まで話の流れからして、理不尽とも言えるような話の振り方に、正純は驚いた表情を浮かべたが、それも一瞬のうちに、いつもの澄まし顔に戻して、立て板に水を流すように話し始めた。


「兵を出さずに島津殿を屈服させるとなると…小牧の戦いでの、太閤秀吉公に倣う、しかありませぬ」


「ふん、太閤殿下にやられた事を、そっくりそのままわしが島津にやってやろう、ということか」


小牧の戦いで、亡き太閤秀吉に徳川家康がやられた事…

それは、大軍で長期間囲い込まれたことにより、じわりじわりと精神的に追い込まれていき、ついには戦の盟主である織田信雄が「勝手に」講和に走り、家康は秀吉と決着をつけることなく、恭順を余儀なくされた事である。


「はい。すなわち、島津殿を『大軍』で囲いこむだけで戦わず、自ら膝を折るのを待ちましょう、ということにございます」


「しかし問題は二つあるぞ。

まずは『大軍』。どのようにして、大軍で囲むのだ?先ほど『兵を出さない』としたばかりではないか」


正純は家康の問いかけに対して、余裕の表情のまま答えた。


「はい。兵は出さずとも、いつでも出す準備があると見せかけるだけで十分かと思います。

島津殿にしてみれば、遠く離れた敵の動向を探るだけでも、かなり疲れることは間違いございませぬ」


「つまり、大坂に徳川の兵を集めて、戦支度を見せかけるということか?」


「派手に出陣を宣伝し続け、島津殿が『本当は出陣などないのではないか』と疑心にかられた頃合いを見計らって、一度だけ兵を集めればよいかと…来年の夏あたりでございましょう」


「ふむ…なるほどのう…」


「そして、もう一つの問題…あの島津義久殿が、早々降伏をするだろうか、ということにございましょう?」


「ふん!分かっておるなら、早くお主の考えを続けよ!」


「これは、したり。かしこまりました。

しかし、既に義久殿はご隠居の身なれば、降伏させるべき相手は、義久殿とは限りませぬ」


「そうなると、当主の義弘か?余計に降伏などしないと思うが、いかがか?」


すると正純は静かに首を横に振った。


「いえ…その息子の島津忠恒殿…にございます」


「ほう…」


「未だ島津家においては、次期当主を巡って、家中でくすぶっております。

そこに、忠恒殿に『次期当主のお墨付き』とその証として一字を殿から与えてあげれば…

殿に喜んで尻尾を振るに間違いありませぬ」


「つまり、義久には今まで通り、強硬に無条件降伏を求め続け、裏では家中の安泰に一役買って出て、恩を売ってやろう、というわけか?」


「その通りにございます。『今度』は上手くいきますとよいですな」


と、正純は笑顔を見せた。


もちろん『皮肉』の意味を込めたものであることなど、家康はすぐに見抜いている。


『今度は』としたのは…

かつて三方ヶ原の戦いで、武田信玄にやられた事を、そっくりそのまま関ヶ原の戦いで再現しようとした家康だったが、石田三成の思わぬ突撃により、それが成しえなかったことを示していたからだ。


「ふん!お主は『一言が多い』と何度言えば分かるのだ…

まあよい。その策を採用いたそう。

しかし、まずは立花じゃ。

立花を屈服させて、九州の大名たちで薩摩を囲む…これで島津が降伏してくれれば、それにこしたことはないからのう。

ついては、一日でも早く柳川城を落とすよう、弥八郎、催促せよ」


そう話をまとめた家康であったが、正純がそこで何かを思い出したように遮った。


「そうそう…そう言えば、殿にお伝えしておきたいことがございます」


「なんじゃ?せっかく人が気分よく、酒の続きを楽しもうとしていたところを…」


「豊臣秀頼殿についてのご報告にございます。明日以降の方がよろしいでしょうか?」


「ふん!わしが首を横に振るのを知っていて問いかけるでないわ!」


「これは失礼いたしました。二つほどございます。

まずは、秀頼殿より島津義久殿に書状が送られたようにございます」


「ほう…その内容は?」


「さすがのそれがしでも、そこまでは存じあげませぬ」



「分かった…では、もう一つの報告をいたせ」


「はい。本日、秀頼殿に呼ばれて、寺沢広高殿が大坂城に入ったとのことにございます」


「ほう…その会談の内容は抑えておるのか?」


「いえ…詳しくは…ただ、九州の取次のことについて、労われたとのことにございます」


「つまりは、わしらに向けての牽制というわけか…」


「父上?それは、どういうことでしょう?」


「わしと広高とのやり取りは、逐一把握していくぞ、という宣言のように、わしには思えるのだ」


「なるほど!秀頼公は寺沢殿と昵懇の仲であることを、父上に見せたというわけでございますな!

やはり、秀頼公はただ者ではございませぬな!ははは!」


酒が巡っているのだろうか、それとも余程大きな肝っ玉なのだろうか…

家康の不機嫌そうな顔などお構いなしに、秀忠は大きな声で笑った。


その様子をじろりと睨んだ家康だったが、秀忠は気にする様子などない。

彼は諦めたように肩を落として、最後に一言漏らした。


「いずれにせよ…島津を籠絡しようとしているのは、豊臣も同じ…というわけか…」



こうして、長い慶長5年10月22日は終わろうとしていた。


そして、この日に蒔かれた『数々の種』は、五日後の10月27日に一斉に芽を出すことになるのだった。




いよいよ「柳川の戦い」シリーズのクライマックスに向けて、加速していきます。


どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。

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